夏目漱石 門下生

夏目漱石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 23:48 UTC 版)

門下生

夏目漱石書 五言絶句「芳菲看漸饒 韶景蕩詩情 却愧丹青枝 春風描不成」

漱石の門下生とされる者には、作家だけでなく、様々な分野の学者・教育者・文化人が含まれている。彼らによって漱石の影響は広汎な文化領域に及び、大正後期から昭和初期の知識人の間でスタンダードな価値観を形成した。そこで、戸坂潤はこの時期に「漱石文化」が成立していた[33]とし、その発信源となった門下生の集団は本多顕彰によって漱石山脈と命名されている[34]。門下の画家とされる津田青楓の「漱石山房と其弟子達」[35]が彼らの姿を描いた絵画として有名で、以下の顔ぶれが見られる。

また、以下の作家も漱石門下とされている。

更に、以下の学者・教育者・文化人も漱石に師事していた。

漱石は彼らと、自分の後継者を養成するという意味での師弟関係を結んでいたわけではない。漱石が教員だった時期の教え子もかなりの割合を占めているが、多くは木曜の面会日(所謂「木曜会」)を中心に客としてやって来た青年で、漱石との交流を通じて強い感化を受け、門下を称するに至ったものである。ただ、漱石は木曜会においてもほとんど対等の立場で彼らと議論しており、徳田秋声は自分が師事した尾崎紅葉と比べ「漱石氏の場合は事情が少し違って、厳密な意味の師弟関係とはいへない、各人は相当自由な態度でゐられたやうに思ふ」という[36]。門下生の一人とされる阿部次郎も次のように述べている。

「若し門下生とは、先生と正式に師弟の約を結んだ者を意味するならば、自分は先生には門下生なるものが全くなかったと云ひたい。固より先生の周囲には多くの若い人達が集ってゐた。先生と此等の人達との間には、先輩及び後輩として、今日の日本の文壇では他に見られないほどの親しみがあった。併し此等の人達は、先生がその道を伝へるために、特に簡抜された人達ではなかった。(中略)先生は唯その寛容な心を以て、自然にその門に集って来る青年を接見して、之と話をしたり、その相談に預かったり、時としてはその世話をされたりしたに過ぎなかった。所謂先生の門下生となるには、唯先生の風を慕って、木曜日にその家の客となれば足りたのである。先生と所謂門下生との関係は最初はこれほどの意味に過ぎない。(中略)先生はいつも独立を重んぜられる人であったから、所謂門下生に対して自分の意見を強制するやうなことは殆んどないやうに見受けられた。さうして実際先生と所謂門下生との間には、随分激しい意見の扞格があった。」[37]

また、阿部次郎が挙げている漱石門下のリストには、白樺派の武者小路実篤志賀直哉も含まれており、長尾剛も彼らを事実上の弟子としている[38] 。彼らは文壇に先輩や師を持たないというポリシーを持っており、漱石門下を自称することはなかったが、当時の文壇で漱石を最も尊敬していることを自認していて、漱石も彼らに目をかけていた。彼らを上記の門下生と区別して、「直接の門下生ではなかった」とする見解もある[39]が、漱石本人にそのような区分意識があったわけではない。

門下生のうち、鈴木三重吉・小宮豊隆・森田草平・安倍能成は漱石と親炙の度合いが特に強く、木曜会を中心になって仕切っていたので、「漱石門下の四天王」と称されている。中でも小宮豊隆は漱石に最も愛されていたと言われ、漱石没後もその権威化に努めたことから「漱石神社の神主」と揶揄されることもあった。第五高等学校時代から漱石と深い信頼関係にあった寺田寅彦は門下生中でも別格扱いされており、一番弟子と呼ばれることも多い[40]。一方、野上弥生子は木曜会に出席したことがなく、漱石と直接会ったのは数回だけだったが、瀬沼茂樹大岡昇平から「漱石の最も正統な継承者」と評されている[41]。また、漱石文学の多様な性格のうち、「反自然主義の文学伝統は芥川龍之介に、倫理性は志賀直哉に、浪漫性は内田百閒に」継承されたという見解もある[42]。これらの作家のうち、一般的人気が最も高いのは芥川であり、学術面では阿部次郎・安倍能成・和辻哲郎が大正教養主義を主導して戦前のアカデミズムに大きな影響を与えたことから、戸坂潤はこの四人を「漱石文化の代表者」としている[43]。出版業界において「漱石文化」を普及させた最大の功労者が岩波茂雄である。

なお、漱石は朝日新聞を、目をかけた新進を世に出す場ともしており、作家としては無名であった森田草平や中勘助に『煤煙 (小説)』『銀の匙』を連載させ、それが彼らの出世作となった。大正3(1914)年、『こころ』の後の長編の連載を、それまで短編しか発表していなかった志賀直哉に依頼したのも同様の配慮による。志賀はそれを受けて長編執筆に取り組んだが、書き悩んで辞退することになり、漱石はその穴埋めを武者小路実篤・野上弥生子らに依頼している。そのとき武者小路が発表した「死」は、彼が最初にまとまった金を得た作となった[44]。(ただ、志賀は書き悩みながらも長編執筆を放棄せず、昭和12(1937)年にようやく完成させた。これが彼の唯一の長編『暗夜行路』である)。また漱石は明治42(1909)年、「朝日文芸欄」を創設して批評活動の場とし、森田草平・小宮豊隆に編集を担当させた。そこでこの二人や阿部次郎・安倍能成らが反自然主義の論陣を張って注目されたが、紙面を私物化しているという批判が朝日新聞社内で発生し、明治44年に廃止された。

大正4(1915)年の初夏、津末ミサオという作家志望の女性が名古屋から漱石の家を訪れたが、漱石は彼女の文才を評価せず、「地元の両親の元で暮らし続けたほうがよい」と勧めた。彼女はその後もたびたび木曜会に出席していたが、大正4年10月6日、霞ヶ浦で投身自殺を図り、二日後の時事新報に「新しき 女の入水、夏目漱石の門に学び、才媛の評あり」という記事が漱石の談話と共に掲載された(後に未遂と判明)[45]。漱石にとっては来客という以上の関係ではなかったが、マスコミは門下生とみなしており、阿部次郎の言葉にある「所謂門下生」の性格を裏付けるものとなっている。


注釈

  1. ^ 原武哲『喪章を着けた千円札の漱石―伝記と考証』(笠間書院 2003年 ISBN 978-4305702548)によれば9月19日と推測している。
  2. ^ 当時は学校のあった地名をとって一ツ橋中学ないし一ツ橋尋常中学とも呼ばれた。
  3. ^ 現在の成立学園とは無関係。
  4. ^ スコットランド出身のジェームズ・マードックにかわいがられ、教室以外でも先生の家に招かれて教えられ、「マードックさんは僕の先生だ。……英国人もあんな人許(ばかり)だと結構だが」と野間真綱宛ての書簡に書いたり、マードックの『日本史』に推薦文を書いたりしている(平川祐弘『漱石の師マードック先生』講談社学術文庫 1884年)。
  5. ^ 狩野宛書簡に「洋行中に英国人は馬鹿だと感じて帰つて来た。日本人が英国人を真似ろ\/と云ふのは何を真似ろと云ふのか今以て分からない」と書いている。
  6. ^ 夏目伸六の『父・漱石とその周辺』によれば次のよう。

    ふと眼を開けた父の最期の言葉は、

    「何か喰いたい」
     という、この期に及んで未だに満し得ぬ食欲への切実な願望だったのである。で、早速、医者の計いで一匙の葡萄酒が与えられることになったが、
    「うまい」

     父は最後の望みをこの一匙の葡萄酒のなかに味わって、又静かに眼を閉じたのである。

  7. ^ 彼は其所で疱瘡をした。大きくなつて聞くと、種痘が元で、本疱瘡を誘ひ出したのだといふ話であつた。彼は暗い簾子のうちで転げ廻つた。身の肉を所嫌はず掻きむしつて泣き叫んだ。〉「道草」(39)
  8. ^ 茂木健一郎所蔵。『アナザースカイ』(日本テレビ) 2009年7月3日放映分にて披露。100万円で購入したそうである。
  9. ^ 『硝子戸の中』に関連する記述あり。
  10. ^ 松岡陽子マックレインの息子(米国籍)は、息子(つまり漱石の玄孫)のミドルネームに Soseki と命名した。
  11. ^ 菊池寛との親交が深かったことで、「父・夏目漱石」(文藝春秋社)を発表した。
  12. ^ 門下生が集まれば必ず牛鍋を囲む。羊羹、お汁粉、ケーキなど甘いものが好きで、特にお気に入りは自家製アイスクリームだった。胃弱のためには大量の鶏肉を使ったスープを飲んでいたという。なぜか鳥類のもらい物も多かった。シャモ、カモ、山鳥、キジなどで、知人宅での雁の料理に舌鼓を打ったこともあったらしい(河内一郎『漱石、ジャムを舐める』新潮文庫
  13. ^ 「吾輩は-」には1か月に8缶も舐めたとの記述がある。
  14. ^ 医師の松本健次郎は「漱石非精神病説」を主張している。漱石の精神病説の根拠は熊本の五高を辞職する時に出された神経衰弱の診断書と、妻、夏目鏡子の回想記『漱石の思ひ出』などに描かれた漱石の言動の記述や、同書で東大精神科の呉秀三が、漱石を診断し、鏡子に漱石が病気であると告げたという記述があることであるが、辞職のために、五高に提出した診断書も書いた呉は、漱石が親しい菅虎雄の親友であり、また夏目家の家庭医、尼子四郎とも親しかった。当時、実家に戻っていた、鏡子を、尼子を通した依頼で呉が説得した言葉が、鏡子のなかで漱石が精神病者であるという記憶に変わっていったのではないかと主張している。『漱石の思ひ出』の記述を引用しただけの漱石の病跡学は学問的でないと主張している。『漱石の精神界』松本 健次郎 (著) 金剛出版 (1981/01) ISBN 4772401377
  15. ^ 山下浩初校ゲラを通してみた小宮豊隆の『夏目漱石』を参照。
  16. ^ これより前に漱石が使用した例としては「同時にスコット一派の浪漫派を生まんがために存在した時期である。」(『野分』11章、1907年1月)が最も早い。また翌年の講演『創作家の態度』では「浪漫派」「浪漫主義」の語句が多く用いられている。
  17. ^ 初版は十字屋書店。昭和41年(1966年)に、朝日新聞社で新装再刊。
  18. ^ たとえば押韻の問題について全く踏まえていないなどの問題があるとされる[要出典]
  19. ^ 夏目漱石他著の小説文庫版の巻末参照

出典

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  7. ^ 『夏目漱石 人と作品3』 9頁
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  35. ^ 津田青楓『漱石と十弟子』 芸艸堂 1974
  36. ^ 「思い出るまま(九)師弟と朋党」(『徳田秋聲全集』第22巻、2001年、八木書店)。紅葉の場合、門下生に交替で自宅の玄関番をさせたり、代作をさせたりするなど、徒弟制の性格が強いものであった。
  37. ^ 「夏目先生のこと」(『阿部次郎全集』第13巻、1962年、角川書店)
  38. ^ 『漱石山脈 現代日本の礎を築いた「師弟愛」』 (朝日新聞出版、2018年)
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