声優 歴史

声優

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歴史

言文一致・演劇改良運動

1877年明治10年)12月6日、アメリカトーマス・エジソンが世界初の録音・再生式の蓄音機を発明する[13]

1880年代になると、日本では言文一致運動などソフト面での文明開化の運動が勃興する。1885年(明治18年)、坪内逍遥が『小説神髄』を著し、日本の近現代文学史の本格的な始まりを告げた。

1886年(明治19年)には、歌舞伎近代化を志向した演劇改良会が結成されている。1888年(明治21年)、角藤定憲らが大日本壮士改良演劇会を結成する。1889年(明治22年)、歌舞伎座が開場する。

坪内逍遥はシェイクスピア戯曲翻訳や歌舞伎演目『桐一葉』の創作、森鷗外との没理想論争など明治期の文芸演劇界で幅広く活躍した[14]。演劇改良運動に取り組んでいた市川團十郎との初対面では、『ハムレット』を引き合いに出して、西洋演劇におけるエロキューションの効能を紹介している。

ハムレットのやうな怖しく葛藤つた胸の惱みを言ひあらはす白は、言ひかたによつては非常に趣味も深く、感動も强からうと思ふ。實際は口へ出して言はぬ事を獨白で言はせ、そして自然らしく見せる所に演劇の本領がある。劇は必ずしも寫實を要しない。尤も、只素讀をするやうに一本調子で言つてしまへば、何の含蓄もなからうが、一語々々の深い意味を十分に味はせるやうに、且つ如何にも自然らしく言ひ廻すことが出來たなら、そこにこそ眞に微妙な演技があるので、その複雑な、精緻な味ひは迚も思入れだけでは現せるものではあるまい。外國でエロキューションに重きを置くのは是れが爲である。 — 坪内逍遥『九世市川團十郞、五世菊五郞』[15]

1891年(明治24年)、伊井蓉峰依田學海の後援を得て、男女合同改良演劇・済美館を興す。寛永6年(1629年)に女性芸能が禁止されて以来、262年ぶりに男女共演が実現し、千歳米坡が女優として公演した。

1900年(明治33年)、欧米を洋行中であった川上音二郎一座は、訪問先のパリ万国博覧会で日本人最古となる録音盤の収録を行う。書生芝居の幕間に演じられた『オッペケペー節』をはじめとする多種多様な演目を録音した[16]

1902年(明治35年)、文部省国語国字問題の解決を目的として、国語調査委員会を設置する。

1903年(明治36年)、新派劇の父である川上音二郎が正劇運動と称して、『オセロ』、『ハムレット』、『ヴェニスの商人』などの翻案劇を上演する[17]。せりふとしぐさを主とするストレートプレイ新劇運動の萌芽となった。

1905年(明治38年)、中村翠娥、市川九女八、千歳米坡、若柳燕嬢らが女優大会を興行する。

1906年(明治39年)、坪内逍遥と島村抱月文芸協会を設立している[14]。同年、市川九女八、若柳燕嬢らが女優学校を設立。1908年(明治41年)、川上貞奴が帝国女優養成所(後:帝国劇場付属技芸学校)を、藤沢浅二郎が東京俳優養成所(後:東京俳優学校)を設立した。

1909年(明治42年)、小山内薫市川左團次自由劇場を設立している。同年、男女共学の文芸協会付属演劇研究所が設立されている。

レコード演芸

明治の末になるとハード面での近代化が進む。1910年(明治43年)、日本で最初のレコード会社が設立される。

1911年(明治44年)、帝国劇場が開場する。5月、文芸協会がシェイクスピア戯曲『ハムレット』を上演した。日本初の全幕上演となった本公演には夏目漱石も招待された[18]。11月には、イプセン戯曲『人形の家』が上演されている[19]。好評を博した新劇女優の松井須磨子は、文芸協会付属演劇研究所の1期生であった[20]。また、2期生からは新国劇の創設者となる澤田正二郎が輩出されている。

1913年大正2年)、島村抱月と松井須磨子が芸術座を結成する[21]1914年(大正3年)の第3回公演では、抱月の再脚色においてトルストイの小説『復活』を上演した[22]。須磨子が歌唱した劇中歌『カチューシャの唄』はレコード販売もされ、近代日本初の流行歌となった[23]。同盤には歌唱だけでなく第三幕の科白の一節も収録された。

同年10月、シェイクスピア戯曲『アントニーとクレオパトラ』が抱月の改作により上演され[24][25]、公演後には出演者が録音スタジオに集まり舞台の粋を収録している。これは科白のみのオーディオドラマであり、12月には「沙翁劇『クレオパトラ』」として発売された[26]

1916年(大正5年)、文部省が『口語法』(編纂:国語調査委員会)を公刊する。話し言葉の規範文法を提示した[27]

大正時代(1912年〜1926年)には中村鴈治郎松本幸四郎市村羽左衛門成美団曾我廼家一座宝塚少女歌劇浅草オペラなども音源を残している[28][29]

1924年(大正13年)、日本初の新劇の常設劇場である築地小劇場が開場する。創立同人に小山内薫、土方与志浅利鶴雄友田恭助ほか。研究生1期生(座員)に千田是也山本安英田村秋子丸山定夫、後に滝沢修杉村春子東山千栄子薄田研二らを輩出した[30]

小山内薫の方針は既成の劇文壇の反発を招き、築地小劇場論争が勃発する。『演劇新潮』の同人を中心に菊池寛久保田万太郎岸田國士などが参加した。この一件は、その後の日本文学史、演劇史のみならず、さらには映画史、放送史などにも影響を与えて行く事となる[31]

築地小劇場は――総ての劇場がそうであるように――演劇の為に存在する。
築地小劇場は演劇の為に存在する。そして、戯曲の為には存在しない。
戯曲は文学である。文学の為に存在する機関は新聞である、雑誌である、単行本である――印刷である。
文学の為に存在するものは劇場ではない。
戯曲――即ち文学――を味わうには、閑寂な書斎ほど好いところはない。 — 小山内薫『築地小劇場は何の為に存在するか』[32]

ラジオドラマ

1925年(大正14年)3月、NHKの前身である社団法人東京放送局が日本初のラジオ放送を開始する[33]

そのわずか1か月後に『映画劇せりふ』の番組内でサイレント映画『大地は微笑む』のセリフ劇が放送された。このときの声の出演は新派劇俳優の井上正夫、女優の栗島すみ子などであった。専門職としてではないが、実質的に彼らが「日本で最初の声優」である[34][注 1]

7月には舞台中継をスタジオで再現した『桐一葉』(出演:中村歌右衛門(5代目)など)が、さらに日本初の本格的なラジオドラマとして『大尉の娘』(出演:井上正夫、水谷八重子)が放送される。8月に小山内薫の演出、和田精音響効果で放送された『炭鉱の中』とする説もある[35]。出演者の一人であった山本安英は後に東京放送劇団の指導者を務めている。

8月、東京放送局にラジオドラマ研究会が設立される。長田幹彦、小山内薫、久保田万太郎、久米正雄長田秀雄吉井勇の6人を主要メンバーとした[36]。さらに聴取者の獲得の為に著名な文士に一編五百円で脚本を委嘱する。当時の五百円は一軒家が建つほどの金額であり[37]、2年間で「五百円ドラマ」に脚本を寄せた文士の顔ぶれは里見弴松居松翁、小山内薫、長田秀雄、吉井勇、久保田万太郎、岸田國士、菊池寛、山本有三中村吉蔵岡本綺堂の11人であった[38]

9月、東京放送局は声だけで演技を行う専門の俳優としてラジオドラマ研究生を公募[39]。100名あまりの応募者のうち12名の女性が選ばれ、11月にラジオドラマ『太っちょう』に声をあてる。声優の歴史に関する多くの資料では彼女たちが「日本の声優第1号」とみなされている。この当時は新聞では「ラヂオ役者」と呼称していた[注 2]

初期のラジオドラマには汐見洋や東山千栄子など、この前年に開場した築地小劇場の俳優が多く出演していた[40]

1930年昭和5年)、新興芸術派倶楽部が結成されている。芸術価値の自律性を擁護して、『文学』からは小林秀雄神西清、蝙蝠座からは今日出海など32名が参加した。また、蝙蝠座の院外団員には小林の他に菊池寛、岸田國士も参加していた[41]

1931年(昭和6年)、久保田万太郎が日本放送協会の文芸課長に就任する。久保田は文芸路線を掲げて、夏目漱石や泉鏡花ルナールユーゴーなどの国内外の文学のラジオドラマ化を推進した。また、久保田の演劇界での人脈を活用して井上正夫、喜多村緑郎村瀬幸子、田村秋子、友田恭助などの新派や新劇で第一線の俳優を起用している[42]1938年(昭和13年)8月、退任。

文芸課職員であった小林徳二郎は後に「これは新劇の俳優が商業劇場に出演できなかった当時では、ラジオ放送だけにしか行い得ないことで、久保田の手腕によるものであった。いまでいえば久保田課長は芸術面ばかりでなく、政治力を兼ねた名プロデューサーであった」とその意義を述べている[43]。ラジオドラマの総放送回数は1938年(昭和13年)までの13年で750回を数えるまでに成長した。

この頃(おもに1930年代)に活躍していた者として舞台女優の飯島綾子が挙げられる[注 3]。彼女はラジオドラマのほかに日本舞踊家歌手(流行歌・歌謡曲・童謡オペレッタ)としても多彩な活動をしていた。

1932年(昭和7年)、日本初のアクセント専門の辞書である『国語発音アクセント辞典』が刊行されている。この頃、ラジオの普及率は10%前後であり、東京語に不慣れな全国の国語教員を主な対象として、話し言葉の統一、発音統一を目指して編纂された[45]。執筆者の一人であった言語学者神保格は、後述の調査委員会の委員や東京放送劇団の講師も担当している。

1934年(昭和9年)、NHKが放送用語並発音改善調査委員会(現:放送用語委員会)を設置する。イギリス英国放送協会(BBC)を範に取り、その調査方針については「共通用語は、現代の国語の大勢に順応して、大体、帝都の教養ある社会層において普通に用ひられる語彙・語法・発音・アクセント(イントネーションを含む)を基本とする」ことが定められている[46]

1941年(昭和16年)4月、国民学校令が施行されている。音声言語教育については、「話し方に於ては児童の自由なる発表より始め次第に之を醇正ならしめ併せて聴き方の練習を為すべし」と位置付けた[47]。6月、情報局が監督する日本移動演劇連盟が結成されている。

さらに同月、NHKが東京放送劇団を設立している。ラジオドラマ専門の俳優を養成する東京中央放送局専属劇団俳優養成所の研究生を公募した。1943年(昭和18年)1月、NHKが『日本語アクセント辞典』を編纂し、5月には、養成を終えた東京放送劇団の第1期生がデビューを果たした[48]。これが声優第2号とみなされ[49][注 4]、「声優」という言葉はこのころから使われたとする資料もある[51]

1950年(昭和25年)、岸田國士が文学立体化運動を提唱し、雲の会を主宰する[52]。会員の三島由紀夫は、「自由劇場以後の日本の新劇は、大ざつぱにいふと、築地小劇場の飜訳劇中心主義から、左翼演劇への移りゆきとともに、技術的基礎づけに誤差を生じ、また政治的偏向を生んだ」と指摘した。そして、築地小劇場論争以来の混迷を正常化する最初の機会として、今回の文壇、劇壇の連帯の意義を説いている。

1951年(昭和26年)、日本での民間放送が開始する。対日占領政策の転換から民放が解禁された結果、戦前からのNHK独占体制が崩れている。民放各局はNHKに倣う形で中部日本放送放送劇団など専属の放送劇団を設立して行く。

同年、雲の会の一箇年の活動を振り返る座談会が開催され、機関紙である『演劇』が掲載している。文壇側からは鉢の木会のメンバーでもあった神西清、中村光夫大岡昇平福田恆存、三島由紀夫が選出された。「劇壇に直言す」として、新劇独自の固定観念を指摘し、既成新劇への問い直しを求めている。劇壇側からは内村直也、田村秋子、千田是也、杉村春子、菅原卓が選出された。「『直言』に答う」として、反省する点を認める一方、俳優術による演劇表現のアカデミズム確立や現代劇の樹立を重視する意見が出されている[52]

これを受けて『演劇』は、会員の小林秀雄と福田恆存の対談を企画した。その中では声音メディアの未来への示唆も語られている。

小林 純粋な観念としては音楽だから。……一般に人間の耳っていうのは、よくないと思うんですよ。みんな悪いんです、耳っていうものは。

福田 ほかの感覚に比べて?

小林 ええ。眼に比べてね。特に耳を訓練している少数の人々をのぞけば。だからまだラジオ・ドラマをちゃんと聴ける耳を持っている人はいないと思うんですよ。人の声っていうものは、非常に表情に富んだものでしょう。見ないで、声で人間がわかる、そこまで耳の訓練が出来ている人はいないんだよ。ラジオ・ドラマが非常に発達すると、そういう訓練ができるかも知れない。そうすると、見なくても、声のほうがよっぽど表情的でね、ラジオ・ドラマ専門の名優というものが出てくる。……ぼくら、眼を開けて暮しているから、耳はおろそかになっている。芝居っていうやつは、眼と耳と両方で鑑賞しているしね。まあ、はなし家や講釈師になるとどうかな。例えば落語だって、話術の生命はやっぱり物語を追ってるんだけども、同じ物語を何度聴いてもいいでしょ? 何度聴いてもいいというのは、つまり音なんだよ。そいつの声の音楽なんだよ。そいつを聴いて楽しんでるわけだな。 — 小林秀雄、福田恆存『芝居問答』 音・耳・放送劇[53]

テレビ放送がなく、ラジオがマスメディアで主要な地位を占めていたラジオドラマ時代の声優は決して日陰の存在ではなく、二枚目の主役の声を多く演じた名古屋章には月に何十通ものファンレターが届いたという[54]1957年(昭和32年)に放送した連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』は当時の子供たちから絶大な支持を得た。ラジオドラマは全盛期を迎え、声優の紹介記事が新聞のラジオ欄に掲載されるようになると、声優へのファンレターと同時に声優に憧れ、声優志願者も急増した。

1953年(昭和28年)のNHK東京放送劇団の第5期生募集には、合格者が10名程度のところへ6,000名の応募が殺到したという。東京放送劇団出身の勝田久は、この時代を第1期声優黄金時代としている[55]。日本でのテレビ放送が開始された1953年(昭和28年)2月当時、NHK専属の放送劇団員は、東京・大阪・名古屋・広島・福岡・仙台・札幌の7劇団で合計137名を数えた。

映画

劇場アニメでは、1933年(昭和8年)には日本初のトーキーの短編アニメーション映画『力と女の世の中』が公開。アニメキャラクターに声をあてたのは、喜劇役者の古川ロッパをはじめとする映画俳優達だった。1942年(昭和17年)には中国の長編アニメーション映画『西遊記・鉄扇姫の巻(鉄扇公主)』が日本で公開され、活動弁士出身の徳川夢声山野一郎などが声をあてた。第二次世界大戦後に発足した東映動画により日本でもコンスタントにアニメ映画が製作されるようになると、映画俳優、コメディアン、放送劇団員が使われた。

洋画の吹き替えでは、1931年の米映画『再生の港』が初の日本語吹き替え作品だが、起用された在米邦人の広島訛りが不評で後が続かなかったという[56]

テレビ初期

1953年(昭和28年)、日本でのテレビ放送が開始する。

1955年(昭和30年)、福田恆存が翻訳と演出を担当して、『ハムレット』を上演する。ハムレット役は芥川比呂志が担当した。当時の福田は文学座の文芸部員でもあり、幹事の岩田豊雄(獅子文六)が新劇が傾倒する近代劇の在り方に疑問を持つようになっていた事も上演を後援した[57]。舞台芸術として最高度の文学性と演劇性を両立したという評価から、「シェイクスピアに還れ」とした基調は、後の新劇運動の方針にも反映された[58]。また、札幌放送劇団に所属していた若山弦蔵はこの公演を観劇し、演技のヒントを得たことを明かしている[59]

6月、菊田一夫が『「大盗大助」の公演』を『放送文化』に発表する。今回の東京放送劇団の舞台公演で、脚本と演出を担当した経緯について解説した。NHKで『鐘の鳴る丘』や『君の名は』を手掛けるなど放送劇でも活躍していた菊田は、ラジオ俳優に舞台公演の必要があるかどうかという問題はかなり重要な事であると指摘し、「マイク前の声技にも、その演技の奥行を深め、幅をひろげる意味で、絶対に必要だからである」との見解を示している。その理由については、「私はラジオ・ドラマの稽古に立会っていて、いつも『君、君のセリフには動きがともなっていないよ』と、いう言葉で、声優を叱りつける」と述べており、責任上から実際の体験を提供したと説明を行った[60]

1956年(昭和31年)4月8日、日本テレビが海外テレビアニメ『テレビ坊やの冒険』の放送を開始する。録音方式の日本語吹き替え番組の第1号であり、番町スタジオの安井治兵衛に依頼して制作された[61]。4月28日、TBSの前身であるKRTテレビが海外ドラマ『カウボーイGメン』を放送する。10月9日には、海外テレビアニメ『スーパーマン』を放送する。出演者の滝口順平大平透は、いずれもラテ兼営の同局のラジオ東京放送劇団に所属する放送劇団員であった。これらKRTテレビでの吹き替え放送は生放送で行われている[62]

民放テレビの草創期には、同年10月の五社協定でテレビ局への日本映画の供給停止が決まったことなどによるソフト不足から、海外ドラマやテレビ映画洋画などのいわゆる外画の日本語吹き替え版が数多く放送された[63][64][65]。テレビや映画の俳優は五社協定とギャラの問題で吹き替えをしなかったため、テレビでの吹き替えは、ラジオ時代からの放送劇団出身者や戦後の新劇ブームで増加した舞台役者やその研究生が多く行った[66]。海外アニメにおいては、落語家や浅草出身のコメディアンなどもキャラクターの声をあてたという例がある。

吹き替えの開始当初は生放送でも行われ、後にテープレコーダーを利用した録音方式となるも、未だ編集は不可能であった。声優陣は狭いスタジオに存在する1つのスクリーンと1本のマイクに臨み、効果音や音楽も同時に録音していた。1ロール28分間の収録では、誰かが間違えて失敗すれば最初から録り直すという負担の大きいものであり、さらにせりふの悪訳も輪をかけ、「アテレコ調」の出現を招いている[67]

江崎プロダクションの創業者である江崎加子男は、舞台や映像で仕事がある役者がアテレコに好んで出演しなかった理由として、ギャラ問題の他にアテレコ調の存在を挙げている。「カラーフィルムにキズを付けないためにリハーサルは3回くらいしか見せられなかった。したがって不器用なものはなかなか口が合わない。“トチラズ” 口を合わせるために台詞が一本調子になる。当時言われた言葉がアテレコ調。」[68]

また、前述の若山弦蔵は当時の吹き替えに参入してきた新劇俳優について、「大部分の連中にとっては片手間の仕事でしかなかった」「日本語として不自然な台詞でも疑問も持たず、台本どおりにしか喋らない連中が多くて、僕はそれがすごく腹立たしかった」と語っている[69]。当初、NHKは基本的に字幕スーパーで日本国外の作品を放送していたため、日本語吹き替え版は民放が中心となっていた。以後、日本国外の作品は1960年代前半をピークとして放送された。

1957年(昭和32年)には早くも、大岡昇平が吹き替えの社会的影響を論考し、『藝術新潮』に発表している。築地小劇場の観劇歴を有する大岡は、テレビから流れるテレビドラマや舞台中継、海外ドラマなどに見られる「新劇調」の存在を指摘した。これは築地小劇場の翻訳体やそれに起因した悪癖であり、さらに固定された俳優達が今や指導する側に回ったことで、後進が不本意に継承している構図であるとも解説した。その上で、大勢の人の目に留まることによって、芸風が矯正されるチャンスになるのではないかと説き、若い世代には旧弊を壊すことを奨励している。

新劇節は元来俳優になる素質のない人間に無理に台詞をしゃべらせる必要から生れたものである。地方なまり一つ直す熱心も時間もないままに、時代の必要に応じて、西欧の近代化を輸入しなければならぬという、やむにやまれぬ事情の産物だが、新劇二十年の歴史は、欠点の克服には向っていなかったのである。(中略)
映画でもいずれこの手のものは、全部日本語に吹き替えられると思われるので、声優の需要は増し、新劇俳優の卵では間に合わなくなるだろう。台詞を外国の茶の間劇の流儀で、早くいう声優も出て来ている。やたらに早いばかりで、意味はかえって取りにくい傾向があるが、まあ過渡期の現象で止むを得まい。新しい必要が放送局や映画配給会社の方から生まれて、「新劇節」も、過渡期の夢となる日が早く来てほしいものだ。 — 大岡昇平『新劇節に悩む』[70]

さらに10月には、福田恆存が新聞紙面上で論議が展開された吹き替えの是非を論考し、『CBCレポート』(発行:中部日本放送)に寄稿した。

本質論からいへば、「吹きかへ」にけちをつける理由はどこにもない。私たちの文化そのものが「吹きかへ」文化なのだから。いひかへれば、生活のあらゆる部分がばらばらに存在してゐるといふことだ。問題はただそれを統一する技術の面にある。あるいは態度に問題がある。私たちは不調和を前提として、それをいくらかでも埋める努力をすべきではないか。さきに例をあげたやくざ言葉や、女言葉の場合でもさうである。西洋人の肉體や身ぶり表情に適合する「せりふ」の抑揚や、いひまはしを研究してはどうか。それがやがて私たちの言葉や生きかたを變へてくるであらう。
もつと最惡の場合、私はその努力なしでもいいと思つてゐる。不調和を不調和のまま、放つておいてもいい。着物に靴の明治文化も、時がたてば、現在のやうになるし、現在もなほ似つかぬ洋服姿もやがては、身についてくるであらう。現在の亂雑のまま聲の「吹きかへ」を、もつと「藝術的」な本格映畫にも適用したはうがいい。さうなれば、みな否應なくその不調和に文句をいひだし、いづれ改善されるであらう。すくなくとも、西洋人の肉體と日本語との不調和は、「意味」と「聲音」との分離、觀念と感覺との分離を強要するスーパー・インポーズよりは精神衞生にいい。それだけはたしかだ。 — 福田恆存『「吹きかへ」文化』[71]

1959年(昭和34年)、NHKが放送劇団員の専属制を解消している。各放送劇団は個人契約者の任意の団体に移行する。

労働環境や待遇は恵まれていなかったことから権利向上のために結束しようという動きがあり、久松保夫は清水昭の太平洋テレビジョンに参加するが同社で労働争議が発生。これを受けて1960年(昭和35年)には東京俳優生活協同組合(俳協)が誕生したが、前述の若山弦蔵のように所属せず独立した者もいた[注 5]。のちに俳協から分かれて多くの声優プロダクションが結成された。

この時代にはまだ声優という言葉は一般には認知されておらず[72]、別称として、吹き替えを主にしたことから吹き替えタレント[73]吹きかえ屋[74]、声をあてることからアテ師[75][76][74]アテレコ・タレント[74]というものがあった。また、アテレコ調が蔓延する状況から役者論、演技論を巡るアテレコ論争が展開されたのもこの時期であった。

1961年(昭和36年)、音声制作会社である東北新社が設立されている。1963年(昭和38年)には、グロービジョンが設立された。

同年、日本放送芸能家協会(現:日本俳優連合)が発足している。代表には徳川夢声が就任し、設立総会では「著作権制度と放送法の改正を前にして日本放送文化の向上という公益のために結成」した事を宣言した。

同年、国産初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(主演声優:清水マリ)の放送が開始され[77]1958年(昭和33年)の『白蛇伝』(主演声優:森繁久彌)以来、劇場用アニメーション映画を手掛けて来た東映動画(現:東映アニメーション)も参入した。プレスコ方式が主流であった従来の劇場用アニメ市場とは異なる、アフレコ方式を採用したテレビアニメ市場が形成されて行く[78]

同年、文部省が公示した学習指導要領が実施され、高等学校課程に現代国語が創設されている。改定委員となった国語学者時枝誠記の下で、経験主義から能力主義への転換が図られている。言語過程説を提唱した時枝は後述の福田の師に当たった[79]

同年、財団法人・現代演劇協会劇団雲が設立されている。雲の会の会員であった福田恆存、芥川比呂志、小林秀雄、大岡昇平、中村光夫、今日出海らが役員に就任し、その継承を志向した。築地小劇場以来の新劇の亡霊を排し、日本における正統劇(せりふ劇)の確立を目指す事を謳った。また、同協会は設立趣旨の一つとして、役者に存在する「学校の違い」などの縄張り意識の追放を挙げている[80]

1964年(昭和39年)、日本テレビが『バークにまかせろ』の放送を開始する。翻訳は篠原慎、演出は左近允洋、主演は若山弦蔵が担当した。前述の勝田久の見解によると、アテレコ調からの脱却はこの番組の頃からであり、その路線は翌年の『0011ナポレオン・ソロ』にも踏襲されたとしている[81]。後述の野沢那智も出演者の一人であった。

1966年(昭和41年)に『土曜洋画劇場』(現:『日曜洋画劇場』)の放送が始まり、この番組によってスターの声を特定の声優に固定する持ち役制(フィックス制度)が始まった[82]

1967年(昭和42年)、放芸協の常務理事・久松保夫が『テアトロ』に『俳優ユニオンの提唱--劇団経営の合理化を含めて』を寄稿する。

1968年(昭和43年)、文部省の外局として文化庁が設置されている。初代長官には今日出海が就任した。

同年、読売テレビがテレビアニメ『巨人の星』(演出:長浜忠夫、主演:古谷徹)の放送を開始する。長浜は作品作りにおいて声優のディレクションを重要視した。その影響を受けた一人である富野由悠季は「人形劇をやっていらっしゃった方とは聞いていたが、ダイナミックに動き回り、アフレコ前のラッシュに自分で科白をあてて台本をチェックする監督なぞ、長浜監督をして初めて知った」と記している[83]

1969年(昭和44年)、声優に特化した俳優事務所として青二プロダクションが設立されている。俳協のマネージャー出身の久保進が、東映動画の要請を受け創業した。当時、アニメへの出演者は権利問題などを抱えていた事もあり、その出演交渉は困難な状況にあった[84]

第一次声優ブーム期

1970年代になると、声優ブームの状況が出現した[85]。ブームの中心人物はアラン・ドロンを持ち役とした野沢那智で[86]追っかけまでいたという[87]

1970年(昭和45年)、著作権法の全面改正が行われ、著作隣接権として実演家の権利が制定されている[88]

1971年(昭和46年)、日本俳優連合(日俳連)と、音声制作会社7社で構成された紫水会(現:日本音声製作者連盟)が結成される[89]。また、この年には映画会社の五社協定も自然消滅を迎えている。

日本のテレビアニメの放送開始から8年後のこの年、大人向けアニメ番組への挑戦がなされ、『ルパン三世』が制作された。放送局は前述の読売テレビ、主演は山田康雄が担当した(なお、山田は声優の呼称を嫌った)。本放送時は失敗に終わったが再放送の度に評価が高まり、1977年(昭和52年)には、続編として第2シリーズが制作され、さらに本作の放送中には、劇場用アニメーションとして『ルパン三世 ルパンVS複製人間』、『ルパン三世 カリオストロの城』の2作品も公開されて、アニメブームを牽引した[90]

1972年(昭和47年)、NHKが海外ドラマ『西部二人組』の放送を開始する。アテレコの世界のイメージを変えようという目論見があり、当時の若手俳優であった新克利江守徹が起用された。日本語吹替版の製作は東北新社が担当している[91]。さらに同時期、NHKは海外ドラマ『刑事コロンボ』も放送しているが、同作品のアテレコには『パパは何でも知っている』などへの出演歴がある俳優の小池朝雄が起用された。こちらの日本語吹替版の製作はグロービジョンが担当している[92]。また、最初に認知されたアニメ声優として、当時子役ながらテレビアニメ『海のトリトン』(1972年)で主役を演じた塩屋翼が知られている[93]

1973年(昭和48年)、日俳連において、「外国映画日本語版の権利を護るための俳優集会」が開催された。吹き替えの仕事をする俳優全員の70%に当たる158名が参加し、さらに抗議団には187名が参加した。紫水会との間で交渉が行われ、業界の正常化と公正なルール確立のため、共同で対処する事が合意された。これにより出演料は平均3.14倍の増額となっている[94]

1974年(昭和49年)、読売テレビがテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の放送を開始する。同作でヒーロー役の古代進を担当した富山敬は、後述の声優ブームにおいて、個人名義での音楽アルバム『富山敬ロマン』(1979年)を出した初の声優アーティストとなった[95]

1975年(昭和50年)、TBSが『刑事コジャック』の放送を開始する。翻訳は額田やえ子、演出は岡本知、主演は森山周一郎が担当した。額田は前述の『刑事コロンボ』も担当しており、翻訳面でも更なる進展が見られた。また、同番組のファンであったアニメ演出家の宮崎駿は、1992年(平成4年)に公開した『紅の豚』において森山を起用している。

1976年(昭和51年)、『毎日新聞』が『テレビ洋画の吹替え〝声の主役たち〟』を掲載し、声の吹き替えの歴史について報じた。初期は説明調、弁士調であったが、やがて台本の翻訳に細かい注意が払われるようになり、現在はセリフに感情を乗せ、そして画面と口も合わせるまでに技術が高度化されたと解説した。また、声優の人選も拡大し、『日曜洋画劇場』放送の『野にかける白い馬のように』では、戦前から活躍する宇野重吉を起用している。英国俳優のジョン・ミルズを担当した宇野は、初の吹き替え出演の後、「作品のオリジナリティーを無視しては悪い、と思っていた。だから吹替えイコール説明だと考えていたんだが、この認識はすでに古いんだね」と自己批判を行った[96]

第二次声優ブーム期

第二次声優ブームは1977年(昭和52年)に公開された劇場版『宇宙戦艦ヤマト』のヒットによるアニメブームと並行して起こった。

1978年(昭和53年)には、外画協定が締結されている。この当時、日俳連に加盟する約2500名の俳優のうち、外画・動画部会は530名を数えるまでになり、15年以上のキャリアを持つ200名を中心としていた[97][98]。また、日本脚本家連盟も協定書を締結している。

この時代はアニメ雑誌が創刊され始めた時代でもあり、『アニメージュ』の創刊編集長である尾形英夫は、声優のアイドル化を編集方針のひとつとして打ち出した[99]。『アニメージュ』以外のアニメ誌も同様に誌面に声優コーナーを設けて、定期的に声優の情報を発信した。

アニメブームに押される形で声優業と並行した音楽活動も盛んになり、神谷明、古谷徹、古川登志夫などのアニメの美男子キャラクターを持ち役とする人気声優によるバンド「スラップスティック」を結成してライブ活動を行ったほか[100]、多くの声優がレコードを出すなどした。当時万単位のレコードを売り上げる声優として、潘恵子戸田恵子、神谷明、水島裕、スラップスティックの名が挙げられている[101]

また『宇宙戦艦ヤマト』で森雪を担当した麻上洋子(現:講談師一龍斎春水)はアニメが好きで声優になりたくて声優になったことが知られ[102]、声優養成所が輩出した初の声優とされる[93]だけでなく、アイドル声優の始祖といえる存在で、その系譜が小山茉美、潘恵子へと続く。自身のアルバムを4枚出した潘恵子は元祖アイドルと呼ばれた[103]

1979年(昭和54年)に放送開始した『アニメトピア』など、アニメ声優がパーソナリティを務めるラジオ番組なども誕生。ラジオドラマでは声優人気を背景にした『夜のドラマハウス』があり、アマチュア声優コンテストも開催されていた[104]

同年、アニメ演出家の富野由悠季は『機動戦士ガンダム』の制作中、『ファンタスティックコレクション』から依頼されて、声優論を展開している。アニメ制作のスタッフの立場から、声優志望者に向けて声優観が表明された。

アニメ流行の当節ならば〝声優〟というのは独立した職業のようにきこえもする。しかし、本来、声優という職能は、演技者(俳優)の持つ才能の一部でしかない。演技者であってこそ声優という部分の才能も発揮される。現に、声優だけを職業として、その人気だけで自分の実力を楽しんでいる声優は少ない。声だけで演技をするという事は、単なる発声の訓練ですむものではない。つまり、演技者(俳優)としての能力があって、初めてなし得るという事を忘れないで欲しいのだ。

なぜ?なぜだろう?……そう。声一つとっても、肉体があるから、人格があるから、多種多様の声があるのだ。人格(人としての)のあらわれが声である。声だけで人間は存在しないということなのだ。これを、当たり前と感じた瞬間から、あなたは声優入門の第一歩を見失なうだろう。(中略)

そして、最後に具体的に指針を示そう。本当に声優になりたいあなたなら、まず〝演技〟という単語を辞書で調べることぐらいやってごらんなさい。次にこの稿の中の知らない単語も調べなさい。そして、本当の最後です。〝さ、し、す、せ、そ〟と叫んでごらんなさい。あなたの声に、表情がありますか? なければ、表情をつけてごらんなさい。あなたの俳優修行の始まりです。 — 富野善幸『声優へのスタート』[105]

1980年(昭和55年)、日俳連は通商産業省認可を受けて、団体交渉権を有した協同組合へと改組している[106]。同年、日本映画界の『男はつらいよ』シリーズが第25作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』からオール同時録音方式を採用する。これにより出演俳優は基本的にアフレコ無しの制作環境に変容している[107]

1981年(昭和56年)2月、富野由悠季が『アニメ新世紀宣言』を提唱する[108]。同年6月、福田恆存が『演劇入門』を編纂している。

また同年9月には、日俳連の外画・動画部会の交渉委員であった永井一郎が『ガンダムセンチュリー』誌上で、アテレコ論争(1962年)への反論を行う。永井は『月刊OUT』(1977年創刊)の編集部から、声優と舞台の演技の違いについての寄稿を依頼され、声優論を展開した。序文においては、「でもはっきり断っておくけど、僕は、アイドル声優タレントの仕事について書く気はない。そういう人たちがそれなりに生きていくことを僕は決して否定しない。だけど、ここでは本来の俳優、本来の声優の仕事についてまじめに書くつもりだ。アイドル声優になりたいと思っている人は、このへんで読むのをやめて下さい」とその経緯を説明している。

声優になりたい諸君!! どのジャンルの仕事も本質は同じなのだが、結果に於て舞台の演技を勉強することをおすすめする。余程の才能の持主でない限り、マイク前で声の演技だけを続けながら、体中の細胞のベクトルが揃うのを学ぶのはむつかしすぎる。
舞台の演技の訓練で、まず、人の目の前では、ただでもバラバラになる細胞のベクトルを、「揃えて行動すること」を覚える。次にイメージした人間の細胞のベクトルに自分の細胞のベクトルを合せて行動することを覚える。こうして、演技することの基礎を体で覚えてから、声の仕事に入っていただきたい。イメージに従って意識的に体中の細胞を揃えるってむつかしいことだ。きっとオリンピック体操選手に匹敵する訓練が必要だ。しかし、これがやれなければ、長く生き残る本当にいい声優にはなれない。演技の訓練は、舞台の方が効率がいい。 — 永井一郎『細胞でとらえた演技』[109]

同年10月、動画協定が締結されている。文書による出演契約の明確化が実現し、業界ルールの健全化が進んだ[110]

1982年(昭和57年)、NHKが海外ドラマ『遥かなる西部 わが町センテニアル』の吹替放送を実施している。アメリカ建国200周年を記念して制作された全12話には、多彩な出演者が揃い踏みし、中尾彬滝田裕介今井和子小林清志里居正美寺田農樋浦勉勝部演之千葉耕市福田豊土瑳川哲朗金内吉男宍戸錠天田俊明鳳八千代大塚周夫小原乃梨子内藤武敏田口計寺田路恵中島葵小林昭二などが参加している[111]

この時期のアニメブームも後期に突入すると、新たな人材の採用志向が強まり、レコード会社と歌手契約を結んだアーティストアイドルアニメ声優として起用され、話題を呼んでいる。1982年(昭和57年)に放送された『超時空要塞マクロス』では飯島真理が、1983年(昭和58年)に放送された『魔法の天使クリィミーマミ』では太田貴子が、キャラクターソングなども担当した[112]

「1983年春のアニメ映画興行戦争」と注目を集めるまでになった劇場用アニメーション映画では、テレビアニメとは趣向を変えた起用も見られるようになっている。角川映画がアニメに進出した『幻魔大戦』では、江守徹、美輪明宏穂積隆信林泰文原田知世白石加代子などが名を連ねた。また、『クラッシャージョウ』では、ハンフリー・ボガートのフィックス声優でもあった久米明が、さらに『宇宙戦艦ヤマト 完結編』では、仲代達矢石田太郎などが起用されている[113]

1984年(昭和59年)、アニメブームの到達点として記録された劇場用アニメーション映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、『風の谷のナウシカ』、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の3作品が公開されている。各作品でヒロイン役を担当した平野文島本須美土井美加は、いずれも公開当時20代であり、大学の演劇科劇団の演劇学校の出身者であった[114]。同年、現代演劇協会が『ハムレット』を上演しているが、福田恆存が29年前と同じく演出をした本作品で、前述の土井美加はオフィーリア役を担当していた。

人材の供給・育成面では、声優専門プロダクションが分裂することによって次第に数が増え始める。1979年(昭和54年)には、ぷろだくしょんバオバブが、1981年(昭和56年)には、81プロデュースが、1984年(昭和59年)には、大沢事務所賢プロダクションアーツビジョンが設立された。同時に各プロダクションにより声優養成所が設けられた。1982年(昭和57年)には、青二塾が設立され、日俳連の副理事長でもあった久松保夫が初代塾長に就任した。久松は「優れた声優は、優れた俳優でもある」という理念の下で後進の育成に乗り出すが、その矢先に急逝する[115]

これらにより、放送劇団出身者や舞台役者などの俳優活動の一環や余技としての声優業ではなく、最初からアニメ声優を目指した声優が登場し始めた。一連の声優ブームは、声優に特化した芸能事務所や声優養成所の伸長に繋がり、現在に至る声優像の多様化の原点となった[116]。このブームはおおむね1980年代前半ごろまでとされている[117]

1990年前後

この時期はアニメブームの後に訪れたアニメ冬の時代で、OVAや劇場アニメでの進展が見られている。

1987年(昭和62年)、大手新聞社・テレビ局が製作した劇場用アニメーション映画『紫式部 源氏物語』が公開されている。登場人物の作画において、ライブアクション[118]が採用された本作では、風間杜夫梶三和子田島令子風吹ジュン萩尾みどり横山めぐみ矢崎滋津嘉山正種大方斐紗子、大塚周夫、野沢那智、田村錦人納谷悟朗常田富士男大原麗子らが声の出演をしている[119]

1988年(昭和63年)、OVAを中心に展開された『銀河英雄伝説』(1988年 - 2000年)が開始する。600名を超える登場人物を描き分ける困難から一人一役が採用され、当時の男性声優の大半が出演した。その後、会話劇が魅力の作品という事もあり、芝居に携わる人間が最適ではないかとの検討が行われる。これによりアニメとは疎遠気味であった、外画系で主役級を務める劇団出身者にまで人選が拡大した[120]

1980年代後半から「声優のアイドル化」あるいはアニメ・イベント(ショー)への出演による「顔出し」が一般的になった[93]。例えば1980年代末のテレビアニメ『鎧伝サムライトルーパー』に出演した5人の男性声優で1989年に結成したユニット「NG5」が人気を集め、ニュース番組で取り上げられるほどであった。声優がマルチ活動をするようになった先駆け的グループであるとも言われている[121]。1993年(平成5年)からのOVAシリーズ『アイドル防衛隊ハミングバード』以後に急速に見られるようになった、アニメ作中のキャラクターと実在の声優を様々な形で相互に連想させるようなメディア的な演出によって、表舞台に立つ存在になった。こうして、アイドル的なイメージ構築によるアイドルファンのアニメファンへの取り込みがなされるようになる。

そして、林原めぐみなどの女性声優がレコード会社と契約を行って歌手活動をする例が増えてくる[122]

さらに、1990年代になって、吹き替え作品が、地上波放送のほかにも、DVDなどのパッケージやCS放送などさまざまな形態で発信されるようになると、同じ作品でも複数の吹き替えが作られる例が増加した。このため、従来の持ち役制度はほぼなくなったとする指摘もある[123]が、現在もトム・クルーズ本人からの公認で専属吹き替えを務めている森川智之(2001年以降。森川が担当する前は鈴置洋孝が多く担当していた)のように、同一の声優が同じ役者を吹き替え続ける慣習は残っている[124]

1991年(平成3年)、日俳連の外画動画部会は出演条件の改定交渉に臨み、合意書に調印している。これにより出演料は平均1.7倍の増額となっている[125][126]。出演料の高騰は新人声優の登用など、この後の業界構造に影響を与えた[127]

同年、ウォルト・ディズニー・カンパニーが劇場用アニメーション映画『リトル・マーメイド』を日本で公開する。日本語吹替版の声優には、すずきまゆみ井上和彦、大友大輔、上條恒彦、久米明、森公美子、森山周一郎らが起用された。また、この後のディズニー・ルネサンスにおいては、スタジオジブリとの事業提携も実施している(1996年)。

第三次声優ブーム期

用語として、おおむね1990年代半ばから後半にかけて、頻繁に用いられていたが、明確な定義は存在していない。第一次、第二次という使い方も、この用語から逆算的に使用されたもので、こちらも明確な定義は存在していない。この時期の特徴として、「新人声優のデビューラッシュ」[注 6]「声優の音声入りのテレビゲームやパソコンゲームの登場による仕事の増加」とともに、「声優のマルチ活動化や歌手活動への進出によるアイドル化」「声優がパーソナリティを務めるラジオ番組の普及」などが挙げられる。このことから、声の演技力のほかにも、特にアニメ・ゲームで活躍するには容姿のよさや歌唱力などといったようなことも声優に求められるようになったとされる。

1994年(平成6年)に初めての声優専門誌となる『声優グランプリ』と『ボイスアニメージュ』が相次いで創刊された[128]。同年、ステージ制作業務を手掛けるネルケプランニングが設立され、アニメ作品のキャスティング業務にも参入している。

1995年(平成7年)には初の声優専門のテレビ番組『声♥遊倶楽部』が放送された。そして清水香里坂本真綾などが、当時中学生でテレビアニメの主人公に抜擢される例もあり、アイドル的な注目を受けた[129][130]。同年、東北新社が創立35周年記念事業として映像テクノアカデミアを開校し、映像翻訳や声優の教育事業を開始する。

1996年(平成8年)、NHKと東北新社は海外ドラマである『ER緊急救命室』の吹き替え放送に先立って、声優オーディションを開催している。文学座俳優座青年座の各劇団に所属する俳優陣がごぞって参加し、その中から山像かおり井上倫宏平田広明小山力也野沢由香里が合格した[131]。同作品は15年間に及び、全332話の出演者数は延べで約3200名を数えている[132]

1997年(平成9年)、大手出版社・テレビ局・広告代理店が製作した劇場用アニメーション映画である『もののけ姫』が公開されている。当時の日本映画の歴代興行収入第一位となった本作では、声の仕事を主戦場とはしない人間を中心に、松田洋治石田ゆり子田中裕子小林薫西村雅彦、上條恒彦、島本須美、渡辺哲佐藤允、名古屋章、美輪明宏、森光子、森繁久彌らが声の出演をしている[133]

なお同年には、椎名へきるが声優として初めて日本武道館で単独コンサートを開催した。椎名は声優が必ずしもアニメや外国映画吹き替えなどの、映像中のキャラクターの影という声の代行者という役割ではなく、声優そのものがスター性を持った存在となり得ることを最初に示した先駆者とみられている[93]

1998年(平成10年)、アニメ演出家の庵野秀明は、『月刊ニュータイプ』(発行:角川書店)が企画した野田秀樹との対談において、自身の声優観に言及し、その変化を告白している。庵野は前述のアニメブーム以来、アニメ制作に携わっており、直近の監督作であったテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』と劇場版(1995年〜1997年)では、若手声優を数多く起用していた。

庵野 僕、声優さんの肉声ってアニメの中で、唯一生だと信じてたんですよ。でもある日突然逆じゃないかと思ったんです。声優さんのお芝居は技術なんですよ。

野田 とってもよくわかる。肉を使ってるはずなのに、肉じゃない。

庵野 ええ。そこにあるのは記号なんですよ。キャラクターを統一するための。人の声をした記号。

野田 肉じゃないものに合わせようとするんだからね。

庵野 そうなんです。それでアニメーションっていうものに、ガターっときたんです。だから実写や舞台がいいなぁって思ったんです。肉体と声がひとつだから。

野田 じゃぁ、声優を使わずに、最初に声をとってから、アニメをつくれば?

庵野 それが理想です。プレスコ(注2)っていう方法。高畑勲さんはやってるし、ディズニー、アメリカでは当たり前なのに、日本ではシステムの問題でなかなかできない。こんどのアニメ(『彼氏彼女の事情』)では声優オーディションをやるんです。型にはまってない役者さんがいいですね。

 注2 プレスコ…アフレコの反対語。最初に声をとって、それに合わせてアニメをつくる方法。役者の演技が優先される。 — 庵野秀明、野田秀樹『2次元からの屹立』声は生を感じさせる大切な存在である[134]

この時期、アニメ作品で声を担当した声優が舞台公演などでその担当したキャラクターを演じる例の先駆として、サクラ大戦シリーズ#歌謡ショウが始まる。これは1997年(平成9年)から2007年(平成19年)まで続くが、サクラ大戦帝国歌劇団花組のキャラクターの声を演じている声優が、実際に舞台上でそのキャラクターを演じるミュージカル仕立ての公演で、それまでアニメ原作の舞台では俳優が演じていたが、アニメとの声の違いを指摘した子供がいたことで、サクラ大戦シリーズの総合プロデューサーである広井王子は、キャラクターの担当声優を決める際に、舞台公演も視野に入れてキャスティングしていた。

第四次声優ブーム

1990年代より活動していた水樹奈々田村ゆかりや、舞台俳優から転向した宮野真守などの「声優アーティスト」としての成功や、2005年(平成17年)から開催されているAnimelo Summer Liveなどのアニメソング系の合同フェス的なライブ[注 7]の普及などにより、声優と歌手活動を両立させる声優がこの時期以降ますます増加するようになった。水樹は、声優として初のドームツアーやNHK紅白歌合戦への出場など、音楽活動の活躍も目立った。

2007年(平成19年)、同年、一般社団法人日本声優事業社協議会が設立されている。

2010年代半ば以後、音楽活動に傾倒する声優の増加傾向が年々顕著になり、歌手としての日本武道館での単独公演を実現させる声優が、ほぼ毎年のように現れるようになっている(一例として、内田彩[135]東山奈央[136]内田真礼[137]など。特に東山は、自身初めての単独公演が日本武道館での開催であった)。

2000年代後半ごろから、一部のマスコミで「第4次声優ブーム」という表現が用いられるようになった(ただし、明確な定義はない)[138][139]。このころから、子どもの「なりたい職業ランキング」の上位に「声優」がランクインするようになった[138]

2000年代後半以降、深夜アニメの本数が急速に増加[注 8]。これにより、いわゆる「アニメバブル」という状況が生まれ、新人声優デビューは増加の一途をたどる。資格制度があるわけではないので実数の把握は困難であるが、声優専門誌である『声優グランプリ』の声優名鑑に記載されている声優の人数は2001年版は370人[注 9]だったのに対し、2022年版は21年前と比べて約4.5倍の1658人[注 9]に増加していることからも窺える[140]。こうして花澤香菜悠木碧神木隆之介日高里菜佐倉綾音瀬戸麻沙美小倉唯石原夏織諸星すみれ伊藤美来夏川椎菜水瀬いのり[141]富田美憂林鼓子[142]楠木ともり[143][144]近藤玲奈菱川花菜など当時10代でテレビアニメの主演を務める例も、以前よりみられるようになった[注 10]。 なおこの当時の10代デビュー組のうち 大坪由佳MAKO矢作紗友里小見川千明福原遥黒沢ともよ田所あずさ伊波杏樹武藤志織茜屋日海夏片平美那松永あかね石橋陽彩増田里紅 らは、声優デビュー作で主役である。

さらに、『ラブライブ!』や『アイドルマスター』『けいおん!』『BanG Dream!』『あんさんぶるスターズ!』など、ゲームやアニメ番組から派生した企画による声優ユニットが男女を問わず人気を博すことも多くなっていく。

特に『ラブライブ!』のμ'sは、東京ドーム公演やNHK紅白歌合戦への出場するなど人気を獲得した。このため、現在の声優は演技だけではなくアイドルのように、ルックス、歌唱力、ダンススキルが求められる例もある。逆に田野アサミ(元BOYSTYLE)や仲谷明香(元AKB48)、前島亜美(元SUPER☆GiRLS)など、アイドルから声優に転身する例も増えているとされている[145]

2010年代には小宮有紗美山加恋、福原遥のように声優・俳優・歌手を兼業する者も目立った[146][147]

2010年代後半にはバーチャルなキャラクターを製作し、それに声優が声をあててYouTubeなど動画配信を利用して配信するVTuberが出現するが、このキャラクターを「声優」として、YTuberがほかのアニメ・ゲーム作品などに声をあてるという現象が開始されている(バーチャルYouTuber活動も参照)。

2023年10月から「インボイス制度」(正式名称:適格請求書等保存方式)が施行予定となり、声優業界に与えるインパクトを憂慮し、有志グループ「VOICTION」が発足し、本制度への反対運動を行なっている。同グループはアンケート調査を実施し、その結果によると72%は声優としての年収が300万円以下であると回答しており[148]、同グループの一人甲斐田裕子によると、2022年時点での声優のギャラは20年前(2000年ごろ)から変わっていないという[149]経済環境も参照)。

2023年(令和5年)、日俳連が「生成系AI技術の活用に関する提言」を行う[150]


注釈

  1. ^ ただし、これは無声映画作品に声をつけたものとして放送されており、本格的なラジオドラマとは質が異なる。
  2. ^ 後述するように『読売新聞』では1926年の時点で「声優」という言葉が使われていた。
  3. ^ 村田美弥子(当時は村田美禰子)、村田竹子(いずれも女優・村田嘉久子の妹)とともに「スター」として取り上げられていた[44]
  4. ^ 第1期生の加藤道子が死去した際、読売新聞は「声優の草分け」と紹介[50]
  5. ^ 「太平洋テレビジョンの労働争議」について若山は実名を避けながらも証言をした数少ない一人である。
  6. ^ 特に新人女性声優向けに同時期文化放送の『SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン』内のプロジェクト『ドリカンクラブ』(1996年発足)や、バンプレスト、ニッポン放送、AICによるメディアミックス声優ユニット企画『Kirakira☆メロディ学園』(1999年〜2001年)などの大人数グループが誕生していた。
  7. ^ 他には、ANIMAX MUSIX(2009年開始)、リスアニ! LIVE(2010年開始)など。
  8. ^ 2007年に、BS11による『アニメ+』が創設されて以後、この傾向が年々顕著になってきている。
  9. ^ a b 男女合計。
  10. ^ 昭和では古谷徹塩屋翼鶴ひろみ松野太紀(当時松野達也)、長谷有洋宮崎一成笠原弘子冨永みーな浪川大輔(うち古谷、塩屋、鶴、松野、長谷、宮崎、浪川らは声優デビュー作で主役)、 平成からは2000年以前でも第三次ブームでの坂本真綾清水香里の他、阪口大助増田裕生本名陽子ゆかな(当時野上ゆかな)、榎本温子齋藤彩夏仙台エリ山本麻里安(うち阪口、増田、本名、ゆかな、榎本、齋藤、仙台、清水、山本らは声優デビュー作で主役)、 2000年代前半でも名塚佳織三瓶由布子沢城みゆき入野自由小野賢章上村祐翔小清水亜美井上麻里奈新名彩乃(当時松本彩乃)、 平野綾(うち小野、上村、小清水、井上、新名らは声優デビュー作で主役)などが、過去に10代で主役を演じた声優として知られる。
  11. ^ NECホームエレクトロニクスの発売した家庭用ゲーム機PCエンジンのCD-ROMドライブの発売は1988年12月。
  12. ^ ただし、アニメ・日本語吹き替え・ゲームのナレーションはランク制の対象となる。
  13. ^ M-1グランプリ参加資格はプロアマ問わず結成15年以内のコンビにあり、二人は事務所に所属するプロとしてエントリーした模様である。
  14. ^ 特に「ラブライブ!」から生まれたμ'sは、2016年3月31日・4月1日に声優ユニットとしては初めて東京ドームでの単独コンサートを開催し、両日とも満席であった。
  15. ^ 2016年にも東京ドームでの単独コンサートを開催したほか、同じ年には声優だけでなくソロ歌手としても初となる阪神甲子園球場でのコンサートを実現している。水樹は阪神タイガースファンとして知られており、甲子園球場でのコンサートは自身の念願の一つでもあった。
  16. ^ 声優として初めて野球場・ドーム球場での単独コンサートを開催したのも水樹奈々であり、2009年に西武ドームで開催したのが初めての例となる。東京ドーム・西武ドーム・阪神甲子園球場のほか、横浜スタジアム千葉マリンスタジアムでも開催した。なお、野球場・ドーム球場での単独コンサートを開催した声優は2023年6月現在、水樹奈々以外には存在しない。
  17. ^ 水樹はその後も毎年出場を続け、2009年から2014年の計6回にわたり連続出場した。
  18. ^ 声優ユニットのμ'sが2015年に、水樹に次いで声優2組目となる紅白出場を果たした。
  19. ^ 阿澄佳奈とされるVTuberのなちょこや鈴村健一とされるなんでも屋の29歳りんくろーなどのケースなど、いくつか謁見される。
  20. ^ 中には『スパイラル 〜推理の絆〜』ではドラマCDで主人公の声を担当した男性声優がTVアニメではライバルのリーダー格となる少年へ配役転換され、ドラマCDでライバル役をしていた声優が降板するなどの変更があった。
  21. ^ 機動戦士ガンダムSEEDにおけるアイシャの例がある。
  22. ^ トラック運転手を経て文学座こまつ座などで俳優としての活動はしていた。
  23. ^ 2011年までスタジオジブリ海外事業で勤務していた人物。宮崎駿が本人をモデルにした役を設定し起用した。
  24. ^ テレビアニメ『化物語』(2009年)ではオープニングでアニメ版と実写版を用意し、実写版ではアニメ・キャラクターの声をあてる声優(堀江由衣)が実写映像でキャラクターを演じ、それぞれを対比して見られるよう意図した演出がなされているが、実写版と敢えてテロップに示されることで、全容がはじめて理解できる演出になっている(内藤(2017))。テレビアニメ『夢色パティシエール』(2019年 - 2020年)では、声優が番組の最後にコーナーを設け顔出しをしていた。
  25. ^ 一例として、『声優バイブル2016』22頁-29頁(入野自由のインタビューページ)、『声優バイブル2017』18頁-25頁(関智一のインタビューページ)など。
  26. ^ 作品限定の声優ユニット活動を行うこともある。
  27. ^ 「主婦の友インフェス」より発行されている「声優グランプリ」の付録『声優名鑑』2018年度版に掲載されている「声優」の人数は女性800名、男性571名となっており、2021年の「声優名鑑 女性編」の掲載人数は前年の907人から955人、「声優名鑑 男性編」は前年の595人から今年は600人超となる。男女比は女:男で6:4。
  28. ^ エイベックス・プランニング&デベロップメント(旧アクシヴ。声優プロダクションとしては縮小化したのち、グループ再編でエイベックス・ピクチャーズの1部門となった)、KADOKAWAプロダクション・エースアニプレックスボイスアンドハート(廃業の後、アニプレックスから独立)、ドワンゴアーティストプロダクション(ドワンゴ プランニング アンド ディベロップメント。現在のMAGES.となるAG-ONEへ会社統合の後、廃業)など。
  29. ^ MAGES.-アミュレート(ドワンゴアーティストプロダクションの事実上承継先)、学研プラス-office EN-JIN(2019年に所属者が居なくなり事実上の事業終了)、エイベックス・ピクチャーズ(エイベックス・プランニング&デベロップメントから一部受け入れ)、ポニーキャニオン-スワロウ、ブシロード系の制作子会社による
  30. ^ ミュージックレイン株式会社S、ポニーキャニオンアーティスツ(現在は取扱なし。声優・アニメ関連を社内別組織マネージメント組織「スワロウ」へ分割した後、2019年7月より親会社のレコード会社ポニーキャニオンに統合)。
  31. ^ 『声優兼アーティスト』枠で所属オーディションを開催するなどしている。
  32. ^ 歌手志望者を声優として(も)デビューさせる例があり、株式会社S(現在はディファレンスに移籍)の新田恵海のように、歌手志望として所属オーディションに合格するも事務所の方針で最初は声優としてデビューし、合格から5年半を経て歌手デビューを果たすという例もあり、また、ポニーキャニオンアーティスツ(現スワロウ)の遠藤ゆりか(2018年6月、芸能活動引退)のように、歌手デビュー後に声優としてもデビューするという例もある。
  33. ^ 一例として、ホリプロ(現在は関連会社のホリプロインターナショナルに移管)、ソニー・ミュージックアーティスツスペースクラフトなど。
  34. ^ 例外的に、ホリプロのような月給制を基本としている事務所もある。
  35. ^ 平成25年度以降の25年間は復興特別所得税が加算されるため、10.21%となる [1]
  36. ^ ただし、年収が少ないため結果的に源泉徴収税を納めすぎとなっているという者は、翌年の確定申告で還付を受けることができる。
  37. ^ 一概には言えないが、日俳連は基本的に土日祝日のゴールデンタイムに放送される番組に最も高いクラスの報酬を設定している。
  38. ^ ただし、現在ではスタッフの移籍がより増えたため実質的に加盟している状況の会社もある。
  39. ^ ただし、テレビアニメの中でも長期シリーズ物ではむしろベテラン勢で占められている。
  40. ^ アニメ・ゲームのナレーションはランクの縛りがある。
  41. ^ 声優として2008年にデビューして以後、『キディ・ガーランド』(2009年。アスクール役)で主演を務めるなど、出演本数を積み重ねてはいたが、メインキャラクターとしての出演が増えたのは2012年以後のことであった。
  42. ^ なお、『声優グランプリ』2018年3月号の別冊付録である「声優名鑑2018女性編」で収録されている女性声優は800人、同雑誌の2018年4月号の別冊付録である「声優名鑑2018男性編」で収録されている男性声優は560人(つまり合計で1,360人)であった。

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