場の空気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 04:24 UTC 版)
概要
現在では、集団や個々人の心情・気分、あるいは集団の置かれている状況を指すことが多いが[2]、人によって指し示す範囲は若干異なる。社会心理学では「場の空気」が起こす集団心理の危険性に着目することが多く、ビジネス等では逆にコミュニケーション能力として肯定的に解釈することが多い。
「空気」をある種の時代の気分や流行、文化や考え方の比喩として使用する例は古くからあり、夏目漱石は『三四郎』予告で「田舎の高等学校を卒業して東京の大学に這入つた三四郎が新しい空気に触れる」と記している[3][4]。
社会心理学の観点からとらえた書籍としての初出は山本七平の著(山本七平.「空気」の研究)と考えられている。山本は教育行政や戦争指導などの事例を挙げ、空気を読むことが時に集団の意思決定をゆがめ誤らせることを指摘し「水を差す」ことの重要性を提示した。
場の空気を読む、すなわち場の空気を意識することは暗黙知であり、心理学ではこのような能力を「社会的知能(ソーシャル・インテリジェンス)」と呼んでいる[5]としている。そのような能力は「EQ」(情動指数、心の知能指数)という呼び方でも知られ、習得可能なもの(=技能)として捉え、社会技能と呼んでいる。つまり、対人心理学においては、対人関係の巧拙を生得的なもの(=性格)としては捉えない。
また場の空気を読むことがすなわち協調であると考える者も多く、ある側面において日本特有の事象であるとする説もある。(下記参照)
2007年には、「空気を読めない」を略してKYという言葉が一部のマスメディアで取り上げられる様になり、同年の新語・流行語大賞候補にもなった[6]。
- ^ 林四郎ほか「例解新国語辞典第六版」2002年1月 「空気(くうき)」の項の2
- ^ (福田健 2006)での「場の空気」の定義におおむね沿ったもの
- ^ 「田舎の高等学校を卒業して東京の大学に這入つた三四郎が新しい空気に触れる、さうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して色々に動いて来る、手間は此空気のうちに是等の人間を放す丈である、あとは人間が勝手に泳いで、自ら波乱が出来るだらうと思ふ、さうかうしてゐるうちに読者も作者も此空気にかぶれて此等の人間を知る様になる事と信ずる、もしかぶれ甲斐のしない空気で、知り栄のしない人間であつたら御互に不運と諦めるより仕方がない、たゞ尋常である、摩訶不思議は書けない。」岩波版漱石全集1993.12
- ^ 対象に含まれる精神(アリア)、あるいは卑近にその場面を支配する雰囲気を表現する主旨でのairの用法は英語にもあり、例えば1800年代の書籍には "Blackstone, a celebrated commentator on the laws of England, he it was, who first gave to the law the air of science." あるいは "(the) vulgar air and attitude・・"といった用例が見られる(RECOLLECTIONS OF CURRAN AND SOME OF HIS COTEMPORARIES. (CHARLES PHILLIPS, 1818))。
- ^ 内藤誼人 2004, p. 36.
- ^ ユーキャン新語・流行語大賞公式サイト 2007年度候補語解説
- ^ (内藤誼人 2004, p. 26-27, p.31-32)によると、カナダでの調査およびアメリカでの調査でも「場の空気」を読めない人に対する、集団からの評価は次第に低くなる、との結果が出ている。
- ^ 内藤誼人 2004, p. 40.
- ^ 内藤誼人 2004, p. 41.
- ^ 阿部孝太郎「日本的集団浅慮の研究・要約版」『商學討究』第57巻第2/3号、小樽商科大学、2006年12月、73-84頁、ISSN 04748638、NAID 110004856535。
- ^ 冷泉彰彦「関係の空気」「場の空気」, p. 23.
- ^ 冷泉彰彦「関係の空気」「場の空気」, p. 30-32.
- ^ 冷泉彰彦「関係の空気」「場の空気」, p. 61-66.
- ^ 冷泉彰彦「関係の空気」「場の空気」, p. 120-150.
- ^ 冷泉彰彦「関係の空気」「場の空気」, p. 157-162.
- ^ 冷泉彰彦「関係の空気」「場の空気」, p. 180.
- ^ 冷泉彰彦「関係の空気」「場の空気」, p. 180-183.
- ^ 冷泉彰彦「関係の空気」「場の空気」, p. 180-210.
- ^ 北田暁大 『嗤う日本の「ナショナリズム」』 日本放送出版協会、2005年、203頁など。ISBN 978-4140910245。
- ^ 北田暁大「ディスクルス(倫理)の構造転換」『ised 情報社会の倫理と設計 倫理篇』 河出書房新社、2010年、159頁。ISBN 978-4309244426。
- ^ a b 濱野智史「まえがき」『ised 情報社会の倫理と設計 倫理篇』4頁など。
- ^ 荻上チキ 『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 PHP研究所、2008年、236頁。ISBN 978-4569701141。
- ^ 「ポストised、変化したことは何か1」『ised 情報社会の倫理と設計 倫理篇』461頁。
- ^ 濱野智史 『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』 エヌ・ティ・ティ出版、2008年、135-136頁。ISBN 978-4757102453。
- ^ 「流動化する社会の中で」『ised 情報社会の倫理と設計 倫理篇』447頁。
- ^ 山本七平.「空気」の研究, p. 16, 22.
- ^ 白田秀彰の「インターネットの法と慣習」 意思主義とネット人格・キャラ選択時代:Hotwired [1]
- 場の空気のページへのリンク