地図混乱地域
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地図と公図
かつて、一般に利用できる土地の大部分は農地であった。律令制の下で農地の売買は禁じられる一方、支配者がその農地を耕作する者から年貢を徴収し、その財源を賄っていた。そのため検地を行って、農業生産高を把握し、適切に年貢を徴収することが重要であった。大化の改新以降、班田収受の実行のために作られた田図(でんず)を始め、江戸時代には国絵図(くにえず)、村絵図(むらえず)などが作成されたものの、これらは街道、河川を俯瞰した見取図に過ぎなかった[25]。
明治時代に入り、土地売買の自由が認められ、一筆の土地ごとに地券(改正地券)が土地の所有者に交付された[† 11][26]。また、地租改正により、収税を作物の生産高ではなく土地自体に課すことになり、全国的に土地調査、測量、地価の確定がなされた。この結果、一筆の土地の位置、地番、区画形状などを記した図面をつなぎあわせた、字(あざ)単位の字限図(あざきりず、あざかぎりず)が作成された[† 12]。この字限図が、土地台帳制度における旧土地台帳付属地図、すなわち「公図の原型」となった[27]。
当時における測量は、地元村民により1間ごとに印を付けた測量用の縄を用いて、歩測や目測で行われた。また、生産性に乏しい山林原野については、ほとんど実測されることなく目測に頼った。 従って、現代の測量技術で土地の位置、形状、面積の測定を行った場合に、大きな違いが出てくるのである[28]。
登記法(明治19年8月11日法律第1号)制定に伴い、1885年(明治18年)から1889年(明治22年)にわたって、全国の約3分の1の土地について絵図の更正がなされ、新たに作成された地図を更生図または地押調査図(じおしちょうさず、ちおうちょうさず[29])と称した[† 13]。さらに、土地台帳規則(明治22年3月22日勅令第39号)制定により、地券制度は廃止。新たに作成された土地台帳が課税台帳となり[30]、この更生図(更正されなかった地域は旧来の字限図)が土地台帳付属地図、すなわち公図となった[† 14]。
1960年(昭和35年)、不動産登記法の改正により、土地の表示は土地台帳ではなく、登記簿の表題部に記載されることになった。これにより土地台帳および公図はその存在意義を失った。しかし、これまでの公図は、地籍調査を通じて「不動産登記法第14条第1項に規定する地図」が整備されるまで「地図に準ずるもの」[† 15]と規定され、法務局に保管されている[31]。
公図は、あくまで地租を課すための資料として作成されたに過ぎず、現代的な視点から見ると、信頼性に大きく欠ける地図である。とはいえ、土地の位置、形状、面積や境界線については一応の資料となり得る。そこで、公図が現状と異なる場合には、その部分の訂正を行わなければならない。ところが上述の通り、高度経済成長期を中心に、一部の宅地造成業者により、この訂正を行うための利害関係者の同意書を得ることなく、宅地造成や販売が繰り返される事例が多発した。この結果として、地図混乱地域が続出することとなった。
注釈
- ^ 登記記録に記録されている事項の全部または一部を証明した書面で、かつての登記簿謄本、抄本に対応するものをいう。
- ^ 全国に点在していた未開墾地13,000 km²が6年間で測量され、約4,000枚の地図が作られた。こうして約14万戸の自作農が生まれた(森下1997 p.24)。
- ^ 宅地内に造成された生活道路を市町村道として認定してもらえない限り、道路や付随する側溝、下水道などの敷設や復旧などにかかる費用は、すべて住民で負担しなければならない。
- ^ 地方税法第381条第7項に「市町村長は、登記簿に登記されるべき土地又は家屋が登記されていないため、又は地目その他登記されている事項が事実と相違するため課税上支障があると認める場合においては、当該土地又は家屋の所在地を管轄する登記所にそのすべき登記又は登記されている事項の修正その他の措置をとるべきことを申し出ることができる」旨が規定されている。法務局で修正措置がとられない際には、市町村による測量をもって地積を計算し(調査士会 p.187)、あるいは登記面積に路線価指数を乗じて算出し(森下2007 p.104)、占有者(実際にその土地に居住している人)に課税するケースが見られる。
- ^ 緯度や経度を基に、1951年以降に行われる各自治体の地籍調査から作成される正確な地図で、「14条地図」「14条1項地図」ともいう。もともと同法17条に規定されていたことから、かつては「17条地図」と呼称された。なお、調査開始から60年を経た、2010年(平成22年)3月末時点での地籍調査進捗率は49%に留まる。
- ^ 具体的には、登記上の所有権者、実際に使用している占有者、抵当権者、仮登記権利者が挙げられる。ほか、関係市町村による協力も必須である(森下2007 p.21)。
- ^ a b 民法162条2項に「十年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その占有の開始の時に、善意であり、かつ、過失がなかったときは、その所有権を取得する」旨が規定されている。
- ^ 地図訂正により各々の資産としての土地の価値が増減することは避けられないため、現実に集団和解の成立は難しい。地域全体の地図訂正自体には理解を得られたとしても、具体的な押印の段階に入ると、不満や金銭要求、境界線をめぐるトラブルが頻発し、いわゆる「総論賛成、各論反対」という壁に突き当たるという。また、所有者の住所確認ができない、係争による相続登記が済んでいない、多額の抵当権が設定されているなど、いわゆる「事故物件」の存在も和解の大きな障害となり得る(森下2007 pp.22,27,104-105,162)。
- ^ 調査図素図は地籍調査作業規程準則第16条に定められるもので、地籍調査を実施する際の必須資料である。
- ^ 里道(赤線)や水路(青線)など、昔から農道や用水路として地域住民によって作られた公共物のうち、道路法や河川法など管理に関する法律の適用外にあるものを法定外公共物という。これらは地租改正に伴って国有地とされていたが、2005年(平成17年)3月末までに市区町村に譲与され、その行政財産として管理されている。この法定外公共物が何らかの理由で現存しないときに、行政財産としての用途を廃止する手続きを行うことで、その土地について市区町村から購入する(つまり、払い下げを受ける)ことができる。ただし、その際には自治会長(町内会長)、水利関係者、隣接地所有者および利害関係人などの同意が必要となる。
- ^ 地券の発行に伴って、付図として作成された地図を「地券地図」、「(地租改正)地引絵図」(じびきえず)という(森下1995 p.26)。
- ^ 字限図は所有者の自己申告で作成し、これを官吏が検査した。図面の作成目的が租税徴収であることが知られていたため、実際の面積より小さく測って記載されるなど、正確さに欠けるものであった。地籍調査をすると、実際と字限図の広さとでは、2割程度違う場合があるという(毎日新聞 1993年5月31日夕刊、平成14年度土地家屋調査士試験 第4問)。
- ^ 土地の重複や脱落を防ぐために、一筆の土地ごとに押さえながら調査したことに由来する。さらに、明治時代初期から作成された上述の地図を総称して「談合絵図」(だんごうえず)、「談子図」(だんごず)、「野取絵図」(のとりえず)などともいわれる(森下1995 p.60、平成14年度土地家屋調査士試験 第4問)。
- ^ 2005年10月時点における、法務局(登記所)備付地図の総枚数は約646万5千枚。うち、公図(地図に準ずるもの)は287万枚。さらに、その大半を占める約207万枚は、明治時代に作成された土地台帳付属地図である(清水他2006 p.23)。
- ^ 国土調査法に基づく「地籍図」、土地区画整理事業による「確定図」も、それぞれ同様に扱われる。
- ^ 川崎市の測量助成制度については2022年3月31日をもって廃止された[34]。
- ^ 1955年に施行された土地区画整理法により、旧認可の区画整理は1960年3月末までに完了すべき制限が付加されたことによる(調査士会 p.186)。
- ^ 不動産登記法第37条に「地目又は地積について変更があったときは、表題部所有者又は所有権の登記名義人は、その変更があった日から一月以内に、当該地目又は地積に関する変更の登記を申請しなければならない」旨が規定されている。つまり、土地の用途を変更したとき(山林や畑を造成して家を建てたときなど)は、1か月以内に「地目変更登記」を行わなければならない。
- ^ 「市による測量を受け、測量図を保有している上に、これに従った固定資産税が課税されているから、自分所有の土地は問題ないはず」と、多くの地権者は地図混乱の実態を認識していなかったという(調査士会 p.188)。
- ^ 農地法第4条・第5条により、4 haを超える農地を転用する場合は、農林水産大臣による農地転用許可が必要となる。そのためには、里道、水路や畦畔の境界画定、農地所有者ごとに造成後の区画に合わせた測量と分筆、農業委員会への宅地転用許可申請を、それぞれ行わなければならない。
出典
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- ^ 調査士会 p.188
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- ^ “でたらめ地番訴訟の住民勝訴 「やっと自分の土地に」井戸生活に耐え喜び”. 中国新聞. (1991年7月31日)
- ^ 森下1995 pp.90-98
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