土門拳 名取洋之助との対立

土門拳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 03:57 UTC 版)

名取洋之助との対立

写真は芸術か?

2人が対立したのは、著作権の帰属が原因であった。名取洋之助は、ドイツのウルシュタイン社で報道写真家として活躍していた背景から、写真は芸術でも個人の作品でもなく、編集者ひいては雇用者である企業が著作権を持つ物であると考えていた。これに対し写真は表現手段の1つであり、個人の芸術的な所産だと土門は考えていた。この対立には、西洋と東洋、絵画と写真、芸術性・個人性と社会性・集団性・企業性など様々な思想の対立が背景にある。

ライフ投稿事件

土門が日本工房で働いていた4年間はプロの写真家としてはまだ駆け出しの頃にあたる。この時代、土門と名取の相性はすこぶる悪く、1936年に土門が伊豆を撮った一連の写真は別にしても、名取は土門の写真をまるで評価していなかった[10]。傍目から見ても、名取は土門をいじめているように見えたという[10]

名取と土門の対立を決定的にした事件は1937年に起こった。当時アメリカ滞在中だった名取は、グラフ誌『ライフ』に土門の作品を名取名義で発表したのである (1937年8月の『ライフ』の特集の中で、名取の作品の中に土門の写真が組み込まれていたが、すべてが名取の名前で公表されていた[11])。ただ、これは名取に一方的な非があったわけではない。当時は海外配信システムが日本政府によって統制されており、土門の場合に限らず、写真の発表は名取の名前で配信することになっていためやむを得ない面があった[10]。いずれにしても、撮影者の名前でではなく名取の名前で発表されることに土門は不満だった[10]

このことに土門は怒り、1年後の1938年、土門はタイムライフ社からの依頼により、当時の外相の宇垣一成を取材。同時に取材していた木村伊兵衛を出し抜き、「ライフ」誌に「KEN DOMON」の特注のスタンプを捺した自分の作品を投稿した。土門は、名取が中国に出張中で不在だった時期を狙って写真を送った[10]。土門の写真は採用され、Japan's foreign minister, posed at home and ahorse, asks help against China〈LIFE Magazine - September 5, 1938 Fall Fashions〉の記事内で使用された[12]。ライバルの木村はもとより、名取への大きな反撃となった。しかし、この当時、日本政府の統制下にあって、対内外宣伝写真の撮影は秘密厳守が求められており、土門のこの行動は政府による規制に違反していた[10]。当然、名取は激怒した[10]。程なくして土門は日本工房を退社、名取との関係に自ら終止符を打った。こうして2人の仲は決裂し、土門は師の名取の葬儀にも参列をしぶる程になってしまった。しかし、土門は写真家としての名取には敬意を払っていたようで、名取の写真集『麦積山石窟』(1957年出版)は、自著で評価を与えている。また名取も、滅多に人を褒めなかったが、土門が辞めたのち『NIPPON』8号に掲載した土門の作品『伊豆』を「傑作だよ。あれはそうそう撮れるもんじゃねぇ」と激賞していたという[13]


  1. ^ a b c 『クラシックカメラ専科No.17、フォクトレンダーのすべて』p.161。
  2. ^ (5187) Domon = 1975 VU4 = 1979 ON4 = 1985 UB4 = 1985 VT3 = 1990 TK1”. 2022年12月22日閲覧。
  3. ^ 現代物故者事典1988~1990:日外アソシエーツ編、紀伊国屋書店発行 1993
  4. ^ 『日本の彫刻 Ⅴ「平安時代」』美術出版社、1952年-03-05日。 鑑賞の位相―美術出版社刊『日本の彫刻』をめぐって (PDF) (増田玲 東京国立近代美術館
  5. ^ a b 岡井耀毅『土門拳の格闘 リアリズム写真から古寺巡礼への道』成甲書房、2005年、408頁。 
  6. ^ 「月例総評」『カメラ』1953年6月号。
  7. ^ 「月例総評」『カメラ』1953年10月号。
  8. ^ a b 『季刊クラシックカメラNo.1ライカ』p.010。
  9. ^ 『ニコンの世界第6版』p.146-149。
  10. ^ a b c d e f g 別冊太陽 土門拳 鬼が撮った日本』平凡社、2009年3月10日、96頁。 
  11. ^ 『別冊太陽 土門拳』p.177.
  12. ^ 『別冊太陽 土門拳』p.97.
  13. ^ 石川保昌解説、小柳次一写真『従軍カメラマンの戦争』新潮社、1993年8月5日、84頁。ISBN 4-10-393601-0 
  14. ^ 「土門拳の予科練写真 発見」河北新報2015年8月16日
  15. ^ 柴岡信一郎『報道写真と対外宣伝~15年戦争期の写真界』日本経済評論社、2007年、110頁。






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