土谷正実 逮捕・裁判

土谷正実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 04:11 UTC 版)

逮捕・裁判

逃走・逮捕

地下鉄サリン事件直前の3月20日未明、クシティガルバ棟にも強制捜査が入ると考えて収集した論文を焼却処分し、実験データ・マジックマッシュルーム・信徒仲間から集めた現金30万円を持って、部下の信徒Hの運転する車で逃走[64]、各地を転々とした。逃走中、川越のアジトで会った井上嘉浩に「あれ(VX)、すごいね。永岡は顎が外れたみたいだよ」と言われ、自分の生成したVX被害者の会会長VX襲撃事件に使われたことを初めて知ったという[65]

4月中旬に村井秀夫から連絡を受けて上九一色村の教団施設へ戻った[66]。第2サティアンの地下2階の隠し部屋でピアニスト監禁事件関与などで指名手配中の信徒を匿うよう指示され、4月20日から隠し部屋に潜伏。4月26日に警察により隠し部屋が発見され、16時27分に遠藤誠一ら7人と瞑想しているところを犯人隠匿容疑で現行犯逮捕された。未だ指名手配はされておらず、逮捕状も発行されていなかったが、テレビ報道などで「サリン生成責任者」として名前が挙がっていた[67]。土谷は逮捕前、電車に乗った際に週刊誌吊り広告売店新聞を見て、自分が顔写真付きで「化学班キャップ」として報じられていることを知っていたという[68]

逮捕後は「(坂本事件も松本事件もオウムとは無関係だと思っていたので)信徒が大勢逮捕されることで教団の嫌疑が晴れる」と意気込みを感じていたが、大崎署に連行された時に「沿道に溢れたマスコミや一般人からのカメラのフラッシュを浴び、とんでもないことに巻き込まれた、悪のヒーロー・極悪人のように扱われていると思った。意気込みは吹き飛んだ」 と話した[68]

逮捕後、接見に来た青山吉伸弁護士の指示に従い、麻原彰晃を守るために黙秘していたが、取り調べに当たった警部から、麻原彰晃が内乱罪で逮捕される可能性があることを聞かされて供述を始め[69][注釈 6]、7つの事件への殺人罪などに問われ再逮捕起訴された。

第1審(東京地裁)

1995年11月10日の初公判で「職業は麻原尊師の直弟子」と答えた後、第6回公判まで黙秘。第7回公判で初めて意見陳述を行い、「(麻原への)帰依を貫徹し、死ぬことが天命と考えます[20]」と述べた。化学鑑定人の証言にメモを取る以外は、教団内で「誰にでも穏やかに接する」と評された通り物静かで、自身の公判でも共犯者の公判でも黙秘を貫き、被告人席で敬虔な信徒といった様子で瞑想していた。

第75回公判で、初めてサリンVXガスを製造したことを認めたが、用途は知らず殺意も共謀もなかったと無罪を主張[20][31]。自らを「正大師や正悟師などの花形スターとは逆の『地味な存在』」と説明。上役の村井秀夫遠藤誠一の話になると突然興奮し、後に明らかになる激情的な性格の一面を露わにした。村井が企画・開発したものがすべて頓珍漢だったことについて「村井さんは机上の学問では優秀だが20個のプロジェクト全てに失敗し、そのコントラストの酷さは世界中を探しても見つからない」と批判[31]した。

私選弁護人を解任し[71]、新たな弁護人を選定できなかったために国選弁護人がついたが、敵意をむき出しにして接見を拒否した。

公判が終盤に進むにつれ、当初の物静かな様子は影を潜め、自らを「わがままな荒馬」と評して激情的な様相を呈し、不規則発言も多かった。起訴された多くの幹部が次々に脱会し、麻原批判に転じていった中、強い帰依心を表明し続け、麻原擁護のため「事件はオウム潰しの陰謀説」を唱え始めた[72]。豊富な化学知識に、日米開戦から細川政権成立までを1本の線に結びつけた独自の日本史観を交えて、身振り手振りに時には声色までを使った熱演で、検察側立証や化学鑑定書の些細な間違いに楯突き、「一連の事件に使われた化学兵器は自分が生成をしたものではないし、何者かによる策略である。もしかしたら村井秀夫が関係しているかもしれない。自分も村井には爆殺されかけたのだ[73]」との持論を展開した[74]

被告人質問で「人を殺傷するサリンの生成をなぜ続けたのか」と問われ、この日、仏祥院に監禁してまでオウムから脱会させようとした両親の「オウム壊滅の過程で正実の命が失われるのは仕方ない(父)」、「死刑になって当然(母)」との検察官面前調書が読み上げられたためか[要出典]、「私には、人生の帰り場所はないんですね。サリン生成を嫌です、とやめるのは下向(脱会)を意味する。生成して保存するだけ。軍事年鑑を読んでも米ソは使っていない」と答えた。「人生で一番後悔していることは何か」との問いには「(麻原からの寵愛を競い合い犬猿の仲だった[20])遠藤を殴らなかったこと。もし殴っていれば(遠藤が生成した地下鉄事件の)サリンも作れず、(地下鉄サリン)事件は起きなかった」と答えた[75]

一方で、公判で遺族の証言を聞くのには耐えられず拘置所で嘔吐し、松本サリン事件の遺族・被害者の供述調書を証拠として提出している[10]

2003年7月14日検察官側は論告で「麻原彰晃の頭脳として、悪魔に魂を売り渡した殺人化学者」、「サリン、VXの生成方法を確立して大量無差別殺人を可能にした。被告なくしてはサリンなどの化学兵器はなく、無差別大量殺人事件もなかった。刑事責任は松本被告に準じた存在」と厳しく断罪、死刑求刑した。論告の際、検察が土谷の唱える「陰謀説」を「荒唐無稽」、「化学的合理性がない」と一蹴し、「殺人化学者」と連呼すると、青紫色のシャツ[注釈 7]を着た土谷[76][77]は「何言ってんだバカ」、「早く死刑求刑しろよ」、「(それまで法廷でやり合った同年代の検察官に対し)お前が死刑求刑するのかよ」と怒鳴りつけ、目があった傍聴人には「お前、何笑ってんだ」とすごんだ[74][20]

弁護側は「殺人に使うとは知らずに生成に関与させられただけで殺意はなく、事前共謀にも参加していない」と無罪を主張した。9月18日の弁護側最終弁論では、一連の事件は陰謀とする自作の小説『AUM13(オウム・サーティーン)オウム事件を解析するための13の公式』(土谷の好きな漫画ゴルゴ13のパロディで、主人公「土谷正実」が共犯者の調書や裁判記録を元に、オウム事件が陰謀であると証明する13の公式にたどり着くという50ページの上申書)[26]」を2時間かけて自ら朗読した[20]

AUM13よ、貴方しかいない。
AUM13よ、まずは松本サリン事件の真犯人と永岡事件の真犯人を見つけ出して欲しい。
それが出来るのはAUM13、貴方しかいない。
報酬のうち一部は前金でお支払い致します。

前金は、平成7年以降にオウム真理教を弾圧するためにつぎ込まれた金額の総額の、1万分の1の額でいかがでしょうか? — AUM13(オウム・サーティーン)[26]

共に化学兵器製造に関与した中川智正、遠藤誠一はすでに1審で死刑判決を受けていたが、2人は殺害実行犯としていくつかの事件に加担していた[注釈 8]。対して土谷は一度も実行犯になることはなく、事前謀議にも加わっておらず、化学兵器の製造方法を確立し、製造したのみであった。そういった意味で土谷の刑事責任は微妙な問題をはらんでいた。

2004年1月30日服部悟裁判長は土谷に死刑判決を下した。判決の理由音読では、「人類の福祉や幸福の実現に用いる化学を悪用し、殺人用の化学兵器生成に傾注して無差別大量殺戮を可能にした。実行犯らにも増して厳しい非難を受けるのは当然」、「松本事件では捜査段階で『他の教団幹部らが不特定多数を殺害しようとしていることを認識していた』と供述[注釈 9]している点から、犯行を幇助する意思があったと判断できる」、「地下鉄事件では捜査段階の供述から、自分が製造したサリンが近い将来に地下鉄を含む東京都内で使われることを知っていたと判断でき、共同正犯の責任を負う」として、指名手配信者の隠匿の罪以外の6事件で有罪とし、死刑判決を言い渡した[78]。判決の最中、傍聴席の信徒仲間を振り返って笑みを浮かべるなど、最後まで遺族への謝罪はしなかった。麻原彰晃の死刑判決は、この1か月後の2月27日だった。

土谷は「尊師を『麻原』と呼び捨てにした」といった理由で、私選弁護人を2度解任して審理を止めたため[71]、判決までには8年以上を要した。

控訴審(東京高裁)

控訴審には、第1審の化学知識の誤りを指摘する「控訴趣意書」と「控訴審に出廷する義務はない」と記した書面を提出。国選弁護人との接見を拒否し、公判及び判決に一度も出廷しなかったため、わずか4回で結審した。2006年8月18日の控訴審は控訴棄却して死刑判決を維持した[79]

白木勇裁判長は、「裁判に向き合う姿勢を見せなかった。自ら控訴しておきながら審理を拒否する被告に更生の気持ちをくみとることはできない」と非難し、「被告人の関与なくして無差別大量殺人は起こらず、単なる工場長だったなどと矮小化はできない」と述べた。

上告審(最高裁)

弁護側は初めて6事件すべてへの加担を認めた。「共犯者として責任は免れないが、信仰心を利用させられただけ。ほう助犯にとどまる」として、無期懲役に減刑するよう求めたが、2011年2月15日最高裁第三小法廷は被告人側の上告を棄却。判決で那須弘平裁判長は、殺人行為に直接関わっておらず犯行の具体的計画を知らなかったとしても、「松本サリン事件で悲惨な結果が発生したことを認識しながらも、サリンやVXの生成を続け、地下鉄サリン事件などを引き起こしたと指摘し、「一連の凶悪事件において極めて重要な役割を果たした、被告人の豊富な化学知識や経験を駆使することなくしてこれらの犯行はなし得なかった」と述べた[80]オウム真理教事件で死刑が確定するのは11人目[81]

「当然の結果。生涯謝罪の気持ちを持ちながら、自分に何ができるか考えたい」と話し、死刑を受け入れていた[14][82]。一連のオウム事件の全容が分かるような文章を書くことを目指していたが、実現できないまま死刑が執行された[83]


注釈

  1. ^ 1991年刊行のオウム『麻原彰晃のズバリ!浮揚―28人の決定的瞬間が証明する現代の神秘!』(p.31)でも実演している
  2. ^ 週刊ポスト 2013年2月15・22日号『死刑囚78人の肉筆』土谷からの肉筆文に記載
  3. ^ 生徒はその後出家し土谷のもとでチオペンタールナトリウム密造に関与
  4. ^ 合田正が主宰。現:特定非営利活動法人 日本整膚心道学園
  5. ^ 実父は土谷の逮捕前、『モーニングEye』(1995年4月6日放送)の取材に応じた。息子は教団で土木作業員をやっているのではないかと思っていたが、オウムの化学兵器開発・所持の実態が明らかになると作ったのは正実に違いないと考えていたことを明かしている。
  6. ^ 地下鉄サリン事件当時、科学捜査研究所に所属していた元・科学捜査官で、医学博士の服藤恵三は、それまでは土谷は完全黙秘をつらぬき何もしゃべらなかったものの、捜査一課長に促された服藤が土谷と向き合い、2人だけになり「大学での研究内容に触れると少し話し始めた」と述べている。また、捜査資料をもとに服藤が解析していたサリンの生成法(土谷が自ら考案したもの)を書いて示したところ、身を乗り出して興味を示したという。そして、当時の捜査一課長から聞いた話として、「警視庁にはすごい人がいる。私がやっていることがすべて分かっているんだったら黙っていてもしょうがない」と、その数日後には自供を始めたとしている[70]
  7. ^ 紫色はオウムにおいて「最終解脱者のみが着るのを許される」とされた色
  8. ^ 中川は坂本堤弁護士一家殺害事件薬剤師リンチ殺人事件、松本サリン事件、会社員VX殺害事件公証人役場事務長逮捕監禁致死事件に、遠藤は松本サリン事件に殺害実行犯として加担している
  9. ^ 2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」に登壇した藤田庄市によると、逮捕後、自分の作ったサリンが松本事件に使われたことと、甚大な被害状況を知り、ショックで大坪弘道検事の作文した調書に署名捺印しただけであると主張していた
  10. ^ 全文は以下の通りである。「最後に結論です。クシティガルバ棟でサリンを合成していたときに唱えていた信徒用決意ナンバー4です。マイトレーヤ尊師、イコール、グル、イコール、シヴァ大神、イコール、すべての真理勝者方への私クシティガルバの懇願です。すべての魂がマハーニルヴァーナに安住できるようになるまで、何卒お導きを。偉大なる完全なる絶対なるグルに帰依し奉ります。最高の叡智であられる偉大なるシヴァ大神に帰依し奉ります。完全なる絶対なる真理に帰依し奉ります。すべてのタントラヤーナ、ヴァジラヤーナの戒律に帰依し奉ります。私の功徳によってすべての魂が高い世界へポアされますように。」
  11. ^ 年報死刑廃止編集委員会 『死刑囚監房から―年報・死刑廃止〈2015〉』確定死刑囚アンケートへの回答による。保護房収容期間中は入浴や髭剃りが禁止で、2015年7月に保護室に収容された際は、暑さと不衛生な環境により両足が腫れるなど、身体に異変が起こったと訴えている。
  12. ^ 遠藤誠一は、刑場は麻原と一緒だったが、火葬は麻原とは別であった。
  13. ^ 但し遠藤が卒業したのは北海道大学ではなく帯広畜産大学であり同大学院修士課程まで進んだ。博士後期課程は京都大学大学院へ進学している。

出典

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