園部逸夫
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外国人地方参政権裁判と「傍論」問題に関して
平成7年最高裁判決の判決理由の第二段落部分・「傍論」
最高裁判所の裁判官として所属していた第三小法廷は、原告の上告を棄却した1995年(平成7年)2月28日の判決における判決理由の中で、外国人の地方参政権についての憲法判断を示した。(判決全文は外国人地方参政権裁判#判決全文を参照)
この判決理由の内、特に「憲法は法律をもって居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至った定住外国人に対し地方参政権を付与することを禁止していない」という第二段落の部分を、外国人参政権付与運動および参政権付与賛成派は、「最高裁判決の傍論」として、付与根拠としてきた(日本における外国人参政権参照)。この部分は、部分的許容説を適用したといわれる(詳細は長尾一紘#外国人参政権における部分的許容説を参照)。
判例は、「先例」としての重み付けがなされ、それ以後の判決に拘束力を持ち、影響を及ぼすが、傍論はそのような拘束力を持たない。
ただし、園部は、この第二段落部分がこれまで一般に「傍論」とされてきたことについて、判決判断を行う上での理由を説明したものにすぎず、「傍論」でさえもないと発言している。
2001年の論文
2001年に園部は、論文で以下のように語った。 ※数字は段落数を表す。
- 「巷間、(1) が先例法理 (stare decisis) で、(2) が傍論 (obiter dictum) と理解したり、逆に (2) を重視する向きもあるようであるが、正確には (3) が先例法理であって、(1) と (2) は本判決の先例法理を導くための理由付けにすぎない。判例は、これを利益に援用する者や批判する者の解釈によって、その理論と射程が不正確に紹介されることがあるので注意しなければならない。
- なお、ついでながら、日本の裁判所の判決では、判決要旨とそれ以外の部分に分けて構成したり理解することはあるが、先例法理と傍論という分け方はしない。最高裁判所の判決では、私の経験では、傍論的意見は裁判官の個別意見か調査官解説に譲るのが原則である。」[6] (2001年の (1) (2) (3) は、2007年の第一第二第三と同義なので参照。)
つまり、判決理由の一部を「傍論」として取り出し、判決(判決では「外国人に参政権は認められない」とされた)を無視して取り沙汰することを批判している。ただし、この第二段落部分を「傍論」として論じる法学論文は多数あり[7]、また、2010年3月5日には(弁護士資格を有する)枝野幸男内閣府特命担当大臣(鳩山由紀夫政権の「法令解釈」担当も併任)は、「傍論といえども最高裁の見解」と発言している[8]。
ほか、「裁判の紹介・研究には、調査官の解説とコメントを必ず参照しなければならない」とし、その理由を「最高裁判所の判例と解説は一体不可分の関係にある。補足意見を付けるまでには至らないが、評議で話題になり、協議されたことを後々の参考のために調査官の解説に譲っていることがよくある」ためとしている[9][10]。
2007年の論文
2007年の論文において園部は次のように論じる。
- まず、判決は3つに分かれている。
このうち、第三の部分が判例であり、第一と第二は判例の先例法理を導くための理由付けに過ぎないとした上で、
- 「第一、第二とも裁判官全員一致の理由であるが、先例法理ではない。第一を先例法理としたり第二を傍論又は少数意見としたり、あるいは第二を重視したりするのは、主観的な批評に過ぎず、判例の評価という点では、法の世界から離れた俗論である」とした[11]。
新聞での発言
1999年の朝日新聞
1999年、朝日新聞のインタビュー記事において、園部は次のように発言した[12]。
- 「傍論」とされる判決理由(2)を付した動機は、「日本がかつて植民地支配し、差別してきた人たちが、今なお差別されている状況がある」として、日本の軍人・軍属として戦地で死傷した台湾住民とその遺族が、国に1人あたり500万円の補償を求めた裁判の判決を参照したと語った。
- その台湾遺族の補償請求裁判判決においては、「日本国籍を持たないことを理由に原告が救援法や恩給法の補償を受けられなくても、法の下の平等を保障した憲法に違反しないし、どのような措置を講ずるかは立法政策の問題である」と記されたことについて「結論には賛成であったが、自らの体験から身につまされるもの」があったとした。
- それゆえ、平成7年の最高裁判決において、「国籍条項適用の結果生じている状態が法の下の平等の原則に反する差別となっていることは、率直に認めなければならない」「根本的な解決については、国政関与者の一層の努力に待つほかない」と書かざるをえなかった」とした。
- また、「こうした思い[13]」が参政権裁判判決でも反映され、いわゆる「傍論」とされる「地方公共団体の長や議員の選挙で、定住外国人に選挙権を与えることは憲法上禁止されていない」という判断をした、と語り、さらに、「在日の人たちの中には、戦争中に強制連行され、帰りたくても祖国に帰れない人が大勢いる。「帰化すればいい」という人もいるが、無理やり日本に連れてこられた人たちには厳しい言葉である。国会でも在日の人たちに地方参政権を与えたらどうかという意見が出ているが、ようやくこの問題をゆっくり認識する時間が出てきたという気がしている」と動機を説明した。さらに、
- 「裁判所としては、すでに政府間の取決めで決まった補償の問題を覆すところまで積極的な政策決定はできないという限界がある。しかし、傍論で政府や立法による機敏な対応への期待を述べることはできる」とも語った[14]。
2010年『産経新聞』
2010年2月19日の産経新聞において、園部は次のように述べた。
- 傍論と言われる判決理由(2)の判断について[7]
- 「韓国人でも祖国を離れて日本人と一緒に生活し、言葉も覚え税金も納めている。ある特定の地域と非常に密接な関係のある永住者には、非常に制限的に選挙権を与えても悪くはない。地方自治の本旨から見てまったく憲法違反だとは言い切れないとの判断だ。」
- 「韓国や朝鮮から強制連行してきた人たちの恨み辛みが非常にきつい時代ではあった。なだめる意味があった。日本の最高裁は韓国のことを全く考えていないのか、といわれても困る。そこは政治的配慮があった。」と語った。この点について、枝野幸男行政刷新担当相からは「最高裁判事は法と事実と良心に基づいて判決をしているのであって、政治的配慮に基づいて判決したのは最高裁判事としてあるまじき行為だ」と批判された[15]。
ほかにも次のように語っている。
- 「はっきりと在日韓国人とは書かなかったが、最高裁判決でそんなこというわけにいかないからだ」「非常に限られた、歴史的に人間の怨念のこもった部分、そこに光を当てなさいよ、ということを判決理由で言った。たとえそうでも、別の地域に移住してそこで選挙権を与えるかというと、それはとんでもない話だ。そこは本当に制限的にしておかなければならない。」「憲法の地方自治の本旨に従って、特定地域と非常に密接な関係のある永住者に、非常に制限的に選挙権を与えることが望ましいと判断した」
- (いわゆる「傍論」部分について)
- 「確かに本筋の意見ではないですよね。つけなくても良かったかもしれません。そういう意味で、中心的なあれ(判決理由)ではないけども、一応ついてると。それを傍論というか言わないかは別として、(1)と(3)があればいいわけだと、(2)なんかなくてもいいんだと、でも、(2)をつけようとしたのには、みんながそれなりの思いがあったんだと思いますね。みんなで。」
- 将来における判決の見直しについて
- 「最高裁大法廷で判決を見直すこともできる。それは時代が変わってきているからだ。判決が金科玉条で一切動かせないとは私たちは考えてない。その時その時の最高裁が、日本国民の風潮を十分考えて、見直すことはできる。」
- 民主党の法案について
- 「ありえない」「移住して10年、20年住んだからといって即、選挙権を与えるということはまったく考えてなかった。判決とは怖いもので、独り歩きではないが勝手に人に動かされる。」「選挙権を即、与えることは全然考えていなかった」
- 「この傍論を将来、この政治的状況から、永住外国人に選挙権を認めなければいけないようなことになったとしても、非常に限られた、歴史的状況のもとで認めなきゃだめですよ。どかーっと開いたら終わりです」
- (議員立法でなく政府が提出することについて)
- 「賛成できない。これは国策であり、外交問題であり、国際問題でもある。」と述べた。
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