国鉄12系客車
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国鉄12系客車 | |
---|---|
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 東海旅客鉄道 西日本旅客鉄道 四国旅客鉄道 九州旅客鉄道 |
製造所 | 新潟鐵工所・富士重工業・日本車輌製造 |
製造年 | 1969年 - 1971年・1977年 - 1978年 |
製造数 | 603両 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
最高速度 | 110 km/h |
車両定員 |
80人(スハフ12・オハフ13) 88人(オハ12) |
全長 | 21,300 mm |
全幅 | 2,944 mm |
全高 | 3,985 mm |
車体 | 普通鋼 |
台車 | TR217 |
制動装置 | CL形応荷重機構付自動空気ブレーキ |
概要
当初は、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)輸送を念頭に、臨時列車・団体列車を含めた波動輸送用車両として開発・製造された[1]。
内外装にそれまでの客車とは一線を画す新しい機構を数多く取り入れ、本形式の設計はその後の国鉄客車の基本となった。また同時期に登場したキハ65形気動車にも、12系の基本設計が流用されている。
当時は動力近代化計画の進展によって、電車・気動車が旅客輸送の主力となっていた時期であるが、あえて客車として製造されたのは以下の理由による。
- 臨時列車や団体列車などは多客期の運転が多く、閑散期には車両を車庫で留置しておかざるを得ない。このような用途に動力装置を持つ電車・気動車を増備することは、製造・保守のコストがかかる。
- 多客期においては貨物輸送が少なくなるため、普段は貨物輸送に使用されている機関車が容易に転用出来た。
- 当時、戦前に製造された客車(スハ32系・オハ35系など)が多数在籍していたが、その老朽化による車両自体の取り替え需要が生じた。急行列車向けのボックスシートの座席客車は、10系客車のナハ11形・ナハフ11形が1959年(昭和34年)に製造終了して以来、増備されていなかった[注 1]。
- 1960年代中期以降、急行用電車・気動車は普通車の冷房化が始まっており、客車も時代の傾向に応じる必要があった。
新造形式は、スハフ12形・オハフ13形・オハ12形の3形式のみではあるが、製造時期によって仕様は異なる。国鉄末期からJR発足にかけて近郊形やジョイフルトレインへの改造、接客設備の改良などが行われ、多数の新形式・番台区分が登場するようになった。
製造の状況
1968年(昭和43年)から1977年(昭和52年)までの予算は以下のとおりである[1]。
客車製造の指定メーカーだった日立製作所が客車製造から撤退したため、気動車の指定メーカーである新潟鐵工所と富士重工業が客車製造も担当することになった。
予算区分 | 形式 | 製造所 | 両数 | ||
---|---|---|---|---|---|
新潟鐵工所 | 富士重工業 | 日本車輌製造 | |||
昭和43年度 第4次債務負担 |
オハ12形 | 1 - 11 | 12 - 20 | 28両 | |
スハフ12形 | 1 - 4 | 5 - 8 | |||
昭和44年度 民有車両 |
オハ12形 | 21 - 60 | 61 - 86 | 100両 | |
スハフ12形 | 9 - 18 | 19 - 25 | |||
オハフ13形 | 1 - 10 | 11 - 17 | |||
昭和44年度 本予算 |
オハ12形 | 87 - 94 | 142 - 154 | 185 - 192 | 44両 |
スハフ12形 | 26・27 | 41 - 44 | 55・56 | ||
オハフ13形 | 18・19 | 33 - 35 | 41・42 | ||
昭和44年度 第2次債務負担 |
オハ12形 | 95 - 141 | 155 - 184 | 193 - 214 | 156両 |
スハフ12形 | 28 - 40 | 45 - 54 | 57 - 64 | ||
オハフ13形 | 20 - 32 | 36 - 40 | 43 - 50 | ||
昭和45年度 第1次債務負担 |
オハ12形 | 215 - 251 | 252 - 271 | 272 - 312 | 150両 |
スハフ12形 | 65 - 74 | 75 - 79 | 80 - 90 | ||
オハフ13形 | 51 - 60 | 61 - 65 | 66 - 76 | ||
昭和51年度 本予算 |
オハ12形 | 313 - 324 | 325 - 336 | 48両 | |
スハフ12形 | 101 - 112 | 113 - 124 | |||
昭和52年度 本予算 |
オハ12形 | 337 - 344 | 345 - 349 | 26両 | |
スハフ12形 | 125 - 131 | 132 - 137 | |||
昭和52年度 第1次債務負担 |
オハ12形 | 350 - 354 | 355 - 359 | 21両 | |
スハフ12形 | 138 - 144 | 145 - 148 | |||
昭和52年度 第2次債務負担 |
オハ12形 | 360 - 368 | 369 - 374 | 30両 | |
スハフ12形 | 149 - 157 | 158 - 163 | |||
製造所別両数 | 286両 | 204両 | 113両 | 603両 |
構造
車体
在来客車の設計概念を脱却し、急行形電車の設計を基本的に踏襲して車体幅を約10 cm拡大、2.9 m級となった。また、車体長も20.8 m(全長21.3 m)に拡大して座席間隔を1,580 mmに広げ[注 2]、腰掛自体も人間工学を考慮した形状改良を行っている。
塗色は、車体全体を20系より明るい青20号に、クリーム10号の2本帯とした。なお、屋根は灰色1号だが、のちにねずみ色1号に変更されている。
同時期の電車や気動車に倣い、2段式のユニット窓を初めとする合理化された構造を随所に取り入れた。当初は設計コストを抑えるために165系の図面を流用して製造することも計画された[2]。また、国鉄客車としては初めて自動ドアを採用し、電車・気動車並みの安全性を確保した。
台車
全車に新開発の空気ばね台車のTR217系を標準装備し、ブレーキは新開発のCL形応荷重機構付自動ブレーキ装置を採用した。ブレーキシュー材質は、従来の鋳鉄に代わり、高速域からの安定した制動力が得られるレジンシューに変更。併せて自動ブレーキ機構は、従来の滑り弁(A制御弁)をやめ、よりメンテナンスフリーで作動迅速なゴム膜板を使用した三圧式制御弁(KU1制御弁、C17ブレーキ制御装置)に変更。通常の自動ブレーキ配管・空気圧で、従来の客車より15 kmプラスの最高速度110 km/h運転が可能となった[注 3]。
電源供給
冷暖房手段を機関車に依存せず、分散式のユニットクーラーと電気暖房装置を全車両に設置し、電源としてディーゼル発電機を緩急車スハフ12形の床下に設置した。暖房用ボイラーや電源供給装置を持たない貨物用機関車でも常時牽引できるようになったので[注 4]、貨物列車の運転が少ない時期に機関車の有効活用が可能になった。ただし、照明や放送装置などのサービス電源は、旧型客車同様に車軸発電機からの電源で賄っている。
また、普通車のみの製造であるため、荷物車・グリーン車・寝台車など従来形式の客車と混結して運用することを想定し、蒸気暖房の引き通し管および電気暖房の引き通し線を装備している。このため、機関車と旧型客車の間に本系列が連結された場合でも、旧型客車への暖房供給が可能となっている[注 5]。
内装
他の急行型同様、向かい合わせの4人掛けクロスシートが並ぶものとなったが、長距離列車用としては居住性が悪く、1980年代後半以降も定期列車として残った夜行急行列車では居住性の改善を目的に、特急型の14系座席車へ置き換えられる例が増えた[注 6]。この事もあって、厳密に「急行型」として製造された国鉄客車は本系列が最初で最後となっている。
注釈
- ^ 10系以前の客車は普通車についてはその多くがボックスシート製造。一方で定員重視で製造された鋼体化改造車である60系の普通車以外は長距離優等列車への使用を想定して製造され、優等列車への使用は程度の良い車両の使用が優先され、後継車の置換えにつれて捻出された中堅車や経年車は普通列車にも使用されるようになっていた。なお、国鉄の現場では「一般形客車」「在来型客車」と便宜的に呼称していたが、明確な意味で採用された区分ではない。
- ^ 戦前に特急「富士」用の三等車として製造されたオハ34形の座席間隔(1,600mm)とほぼ同じ寸法である。
- ^ 20系は既に110 km/h運転可能だったが、鋳鉄制輪子で可能としたことから、高速域で高いブレーキシリンダ圧力を必要とするため、機関車が編成増圧ブレーキ制御のできる電磁ブレーキ制御機構と、元空気だめ管引き通しを持つ必要があった。
- ^ 10系客車までの在来型客車は、暖房を使用する時期には、電気機関車やディーゼル機関車により牽引される場合に牽引機関車が限定される問題があった。暖房用蒸気を供給するボイラー(蒸気発生装置)付旅客用機関車で牽引するか、別にボイラーを搭載した暖房車を連結する必要があり、電気暖房の場合は暖房電源供給設備 (EG) のある機関車が必要だった。
- ^ 仙台鉄道管理局所属の一部の43系客車には1970年ごろに「12系緊急対策工事」「12系恒久対策工事」を施した車両があるが、具体的な工事内容については記録がないため不明。
- ^ これは14系がシステム上寝台車と座席車が同一の系列に属していたため、運用面で有利だったこともある。
- ^ 昭和45年度第1次債務負担分。
- ^ のちに、これまでに製造された12系にも同様の対策が施された。
- ^ 50系は非冷房車だったが、運用されていた東北地方北部はやませの影響を受けやすい気候だったことから、影響は少なかった。同様の理由で当時は盛岡支社で運用されている気動車も非冷房車が多かった
- ^ 多度津工場の担当者によると「塗料が余ってたので」とのこと。実際に12系が来るまでに四国島内にいた客車の色は全て青15号であった
- ^ 重量記号が1ランク下がっているのは、定員0のため。定員80人分=計算上4t積車重量が軽くなる。
- ^ 静岡鉄道管理局に同名の和式列車が存在したが、両者に関係はない。
- ^ オロ12 855ではない。
出典
- ^ a b 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、p.47。
- ^ JTBパブリッシング『幻の国鉄車両』p132
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2005年2月号、1990年7月号[要ページ番号]
- ^ ““SLばんえつ物語”にオヤ12 1が連結される|鉄道ニュース|2013年11月25日掲載|鉄道ファン・railf.jp”. 鉄道ファン・railf.jp. 2020年10月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、p.53。
- ^ 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、pp.48 - 50。
- ^ 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、pp.50 - 51。
- ^ 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、pp.51 - 52。
- ^ “第61回研究発表大会セッションID: A6-01 サイエンストレインエキスポ号と転用のデザイン”. 日本デザイン学会 (2014年7月4日). doi:10.11247/jssd.61.0_30. 2017年8月30日閲覧。
- ^ a b c 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、p.52。
- ^ ジェー・アール・アル編 (2016) (日本語). JR気動車客車編成表2016. 交通新聞社. pp. 159-161. ISBN 978-4330690162(JR車両 番号順別配置表)
- ^ a b c 「JR旅客会社の車両配置表」、『鉄道ファン』57巻(通巻675号(2017年7月号))、交友社 pp. 39(廃車分、別冊付録)
- ^ a b c 「JR旅客会社の車両配置表」、『鉄道ファン』58巻(通巻687号(2018年7月号))、交友社 p. 40(廃車分、別冊付録)
- ^ a b c 鉄道ファン2023年7月号(別冊付録)
- ^ 鉄道ファン (雑誌) (2011年7月3日). “JR四国の12系客車4両が若桜鉄道へ”. railf.jp(鉄道ニュース) (交友社) 2016年5月6日閲覧。
- ^ a b 『蒸気機関車(SL)復活運転の車両・施設計画概要について』(PDF)(プレスリリース)東武鉄道、2016年4月21日 。2016年5月6日閲覧。
- ^ a b c 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、pp.54 - 55。
- ^ “SL北びわこ号”,2019年夏季の運転が開始される 鉄道ニュース(railf.jp)、2019年9月9日。
- ^ 『SL北びわこ号 平成28年度 春季運転のお知らせ』(プレスリリース)西日本旅客鉄道、2016年4月27日。 オリジナルの2016年4月27日時点におけるアーカイブ 。2016年5月6日閲覧。
- ^ DD51と12系による訓練列車運転 鉄道ニュース(railf.jp)、2019年11月1日。
- ^ 【JR西】網干訓練列車、運転実施 RM News(鉄道ホビダス)、2019年11月29日。
- ^ “「あすか」展望車2両と「トワイライトエクスプレス」用24系1両が吹田へ”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2016年7月7日). 2016年7月8日閲覧。
- ^ “12系レトロ客車が幡生へ”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2017年9月8日). 2018年1月7日閲覧。
- ^ a b 『12系客車の入線が決定しました!!』(プレスリリース)大井川鐵道、2018年2月26日 。2018年2月26日閲覧。
- ^ a b “大井川鐵道,JR西日本から12系客車5両(もと“SLやまぐち”号用)を譲受”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2018年2月26日). 2018年2月28日閲覧。
- ^ 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 26号 長良川鉄道・明知鉄道・樽見鉄道・三岐鉄道・伊勢鉄道、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年9月18日。
- ^ 樽見鉄道社史編集委員会 編『樽見鉄道10年史』樽見鉄道、1994年10月、74頁。
- ^ 樽見鉄道社史編集委員会 編『樽見鉄道10年史』樽見鉄道、1994年10月、74頁。
- ^ a b 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、p.54。
- ^ a b 清水 薫、2012、「若桜鉄道・観光列車運転に向けて」、『鉄道ファン』52巻(通巻615号(2012年7月号))、交友社 p. 58
- ^ 宮田寛之、2018、「特集 C11 207・D51 200」、『鉄道ファン』58巻(通巻681号(2018年1月号))、交友社 pp. 24 - 25
- ^ “11月4日(木)から、SL大樹の客車として 12系「展望車」を2両(ぶどう色・青色)導入します!!” (https://www.tobu.co.jp/cms-pdf/releases/20210924164858G9ezLD6NypWgXQh45oCVVg.pdf).+東武鉄道. (2021年9月24日)
- ^ a b c d 『鉄道ファン』2022年1月号 No.797 p58
- ^ 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、p.55。
- ^ “比国鉄に車両譲渡”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2001年5月8日)
- ^ https://prhsociety.wordpress.com/pnr-freight-stock/pnr-passenger-stock/
- 1 国鉄12系客車とは
- 2 国鉄12系客車の概要
- 3 新造車
- 4 改造車
- 5 運用
- 6 国鉄分割民営化時の状況
- 7 譲渡
- 8 保存車
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