国立国際医療研究センター 特徴

国立国際医療研究センター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 21:08 UTC 版)

特徴

1993年平成5年)10月1日に、日本で4番目のナショナルセンターとして開設された。日本における感染症治療、特に後天性免疫不全症候群(AIDS)治療の研究開発の最先端を担っており、AIDSやヒト免疫不全ウイルス(HIV)や感染症についての最新情報の発信を精力的に行っていることで有名である。また、今後は肝炎などの肝疾患に関する研究[5]や、メタボリック・シンドロームなどの内分泌・代謝性疾患の研究[6]に重点を置いた活動が期待されている。

東京都新宿区の病院は2020年9月現在、全国で4カ所10床ある特定感染症指定医療機関の1つ(4床)に指定されており、輸入感染症や未知の感染症症例にも対応している。

国立病院機構の病院等で構成される「政策医療ネットワーク」においては、現在、エイズ・国際医療協力・国際的感染症の高度専門医療施設(ネットワークの中心)である。

2017年1月より、ゲイバイセクシャル男性を対象に、性感染症の検査と治療を行うSH外来を開設。診断・治療とともに研究協力者を募り、ツルバダ(Tenofovir/Emtricitabine)を使用した・PrEP(Pre-exposure Prophylaxis・暴露前予防投与)の有用性を確かめる研究を開始。

設立の目的

高度専門医療に関する研究等を行う独立行政法人に関する法律第3条第4項では、目的を「感染症その他の疾患で、その適切な医療の確保のために海外における症例の収集その他国際的な調査及び研究を特に必要とするものに係る医療並びに医療に係る国際協力に関し、調査、研究及び技術の開発並びにこれらの業務に密接に関連する医療の提供、技術者の研修等を行うことにより、国の医療政策として、感染症その他の疾患に関する高度かつ専門的な医療、医療に係る国際協力等の向上を図り、もって公衆衛生の向上及び増進に寄与すること」としている。

業務の範囲

以下は「高度専門医療に関する研究等を行う独立行政法人に関する法律」第16条による。

  • 感染症その他の疾患に係る医療に関し、調査、研究及び技術の開発を行うこと。(第1号)
  • 前記業務に密接に関連する医療を提供すること。(第2号)
  • 医療に係る国際協力に関し、調査及び研究を行うこと。(第3号)
  • 感染症その他の疾患に係る医療及び医療に係る国際協力に関し、技術者の研修を行うこと(第4号)
  • 以上の業務に係る成果の普及及び政策の提言を行うこと(第5号)
  • 国立高度専門医療研究センターの職員の養成、研修を目的として看護に関する学理及び技術の教授及び研究、研修を行う施設を設置し、これを運営すること(第6号)
  • 以上の業務に附帯する業務を行うこと(第7号)

研修医・レジデントの教育

病院は古くからの臨床研修指定病院として知られている[7]臨床研修医の2年の教育方式は、かつてはストレート方式だったが、1990年代から総合診療科・ついで救急へのローテーションを必修化し、さらにストレート方式とスーパーローテート方式を融合させたカリキュラムへと変化してきた。

前身

国立東京第一病院・国立病院医療センター

国立東京第一病院・国立病院医療センターの起源は1871年明治4年)に創設された軍医寮附属の本病院である。かつては麹町区隼町の2万9千坪の敷地内にあり、東は皇居、西南北に繁華街を抱えていた。1929年(昭和4年)に現在地に移転。現在の病院の敷地は旧徳川家尾張藩下屋敷の一部であり、陸軍戸山学校の所在地でもあった。東側には同じ1929年(昭和4年)に陸軍軍医学校牛込恩賜財団済生会病院(済生会病院麹町分院が改称)が移転し、隣接していた。

国立東京第一病院の建物は、それまでの臨時東京第一陸軍病院の建物をそのまま使用した。初代院長も陸軍病院院長がそのまま就任した。 陸軍軍医学校の敷地には1948年(昭和23年)3月に国立栄養研究所が移転し、また、国立身体障害者更生指導所が設置された。 1949年(昭和24年)6月7日、火災が発生して病院が全焼、死者10人を出す被害[8]1979年(昭和54年)7月、国立身体障害者更生指導所が国立身体障害者リハビリテーションセンターに統合され埼玉県所沢市に移転し、跡地には1984年に全国身体障害者総合福祉センター(戸山サンライズ)が建設された。

東京第一病院・国立病院医療センターでは、歴代院長のうち坂口康蔵(第2代、内分泌・代謝学)、栗山重信(第3代、小児科学)、市川篤二(第4代、泌尿器科学)、織田敏次(第7代、消化器内科学)、高久史麿(第8代、血液内科学)はいずれも東京大学医学部からの転任者で、同名誉教授である。また第5代院長・小山善之は東京帝大第三内科在職当時、坂口の下で内科学講師を務めている。

なお「国立東京第一病院」の名称は、目黒区にある国立病院機構東京医療センターの旧称「国立東京第二病院」に対するものだが、本病院は大日本帝国海軍由来の東京医療センターとは歴史的にも別組織である。

メディカルセンター構想(国立病院医療センター)

国立東京第一病院時代は、病院を東洋一の病院かつ全国の国立病院の総本山たるメディカルセンターとして難病研究や病院管理研究等の中心にする構想が練られた。1949年(昭和24年)の病院管理研修所(のちの国立医療・病院管理研究所の設置はGHQからの要請の一つであった。1974年に国立病院医療センターとなり、臨床研究部を設置。

国立療養所中野病院

国立療養所中野病院は1920年(大正9年)、東京市肺結核療養所(サナトリウム)として豊多摩郡野方村大字江古田に建設された。建設に際しては地元住民の激しい反対運動が起こった[9]。新聞は「百姓一揆」と書いたがそれほど大袈裟なものではなかった[10]。つまり通常起こりうる反対運動はあったが一揆というような暴動ではなかった。

なお『創立五十周年記念誌』には7か所にわたり「かつて江古田城(本田城、本多山城とも)があった」という記述があるが、そのような史実はなく[11]、地元民による伝承もない。なお『七十年記念誌』からはこの記載がほぼ消えたものの、国立国際医療センターの5周年記念誌で再び江古田城への言及があった。また城への言及があっても城主への言及はないことも言説の特徴である。

1943年(昭和18年)に日本医療団に統合された後、1947年国立療養所に転換、数度の拡張工事を経た後に、1965年には地上10階地下1階の病棟を有する施設となった。1974年(昭和49年)頃より国立胸部疾患センターの構想を打ち出し[12]1979年には胸部疾患基幹施設に認定され、日本における胸部疾患の中心施設となる見込みであった。1981年頃の写真では英語名が NAKANO NATIONAL CHEST HOSPITAL とされている[13]。なお2010年現在、呼吸器疾患における高度専門医療施設としての役割は、大阪府堺市国立病院機構近畿中央呼吸器センターが担っている。

国立療養所中野病院廃止時の地番は、東京都中野区江古田3丁目14番20号。廃止時には結核患者のほか、一部の病床に循環器病患者も入院していた[14]。跡地については中野区へ譲渡となったが、私立学校教職員共済組合も当時、台東区根岸にあった下谷病院の当地への移転を宣伝したパンフレットを作成している[14]2007年に跡地は江古田の森公園として整備され開園した。


注釈

  1. ^ 現任期は2027年(令和9年)3月31日まで。

出典

  1. ^ a b c https://www.houjin-bangou.nta.go.jp/henkorireki-johoto.html?selHouzinNo=8011105004456.
  2. ^ 国立研究開発法人国立国際医療研究センター年度計画(令和4年度). (2022-03-30). p. 30. オリジナルの2022年4月9日時点におけるアーカイブ。. https://warp.ndl.go.jp/collections/content/info:ndljp/pid/12231800/www.ncgm.go.jp/disclosure/010/030/year_plan_r4.pdf 
  3. ^ 令和2年度事業報告書. 国立研究開発法人国立国際医療研究センター. p. 10. オリジナルの2022年4月9日時点におけるアーカイブ。. https://warp.ndl.go.jp/collections/content/info:ndljp/pid/12231800/www.ncgm.go.jp/disclosure/020/010/r02_jigyou_report.pdf 
  4. ^ NCGMにおかかりの患者さん 及び NCGMへの入職をお考えの方々へ(国立感染症研究所との統合によって創設される国立健康危機管理研究機構に関連して)(PDF:415KB)”. 国立国際医療研究センター. 2023年6月5日閲覧。
  5. ^ 具体的な活動として、独立行政法人国立国際医療研究センター 肝炎情報センター
  6. ^ (独) 国立国際医療研究センター病院 糖尿病・代謝症候群診療部 - ウェイバックマシン(2011年1月7日アーカイブ分)
  7. ^ 以下、研修医の記述については週刊医学界新聞第2495号2002年7月22日 研修医採用戦線異常なし?などを参照。
  8. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、72頁。ISBN 9784816922749 
  9. ^ 青木純一「結核療養所反対運動と住民意識―大正・昭和前期における公立療養所建設反対運動を比較して―」 専修大学社会科学年報 第43号、pp.153-167
  10. ^ 山崎清司『国立療養所(中野)生い立ちの真相―江古田村の百姓一揆?幻の江古田城? 研究レポート』中野区江古田史談会、1982年6月刊行。
  11. ^ 山崎清司『国立療養所(中野)生い立ちの真相―江古田村の百姓一揆?幻の江古田城? 研究レポート』中野区江古田史談会、1982年6月刊行、p.18以下。
  12. ^ 『創立七十周年記念誌』
  13. ^ 山崎清司『国立療養所(中野)生い立ちの真相―江古田村の百姓一揆?幻の江古田城? 研究レポート』中野区江古田史談会、1982年6月刊行、p.19。
  14. ^ a b 第126回国会厚生委員会 平成5年5月14日における日本社会党沖田正人の質問に対する答弁による。
  15. ^ 研究班の目的・沿革 - 熱帯病治療薬研究班・オーファンドラッグ中央保管機関
  16. ^ 研究班が保管している薬剤 - 熱帯病治療薬研究班・オーファンドラッグ中央保管機関
  17. ^ a b 読売新聞2004年7月23日付朝刊「国際医療センター元部長逮捕 収賄容疑 物品納入絡み現金」
  18. ^ 収賄容疑で医療センター係長を逮捕 警視庁 - 産経ニュース - ウェイバックマシン(2022年6月3日アーカイブ分)
  19. ^ “国立国際医療研究センター係長を逮捕 300万円相当の収賄容疑”. 朝日新聞. (2022年6月3日). https://www.asahi.com/amp/articles/ASQ6375SLQ63UTIL04V.html 2022年6月4日閲覧。 
  20. ^ “国立病院機構の病院元課長を収賄容疑で逮捕 業者から接待受けた疑い”. 朝日新聞. (2022年5月11日). https://www.asahi.com/amp/articles/ASQ5C7TQDQ5CUTIL04P.html 2022年5月13日閲覧。 
  21. ^ 国立病院機構 汚職 「病院の便利屋」接待攻勢 職員便宜 薄い倫理観『産経新聞』2022年5月30日。
  22. ^ “収賄元係長に有罪判決 国際医療研汚職、東京地裁”. 産経新聞. (2022年11月1日). https://www.sankei.com/article/20221101-XCDQ55TQ2ZOYTEHU2IIEBUUCDE/ 2022年11月1日閲覧。 
  23. ^ 第171回国会 101 発見から二十年を迎える旧陸軍軍医学校の人体標本等に関する質問主意書






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