国家社会主義ドイツ労働者党 関連施設

国家社会主義ドイツ労働者党

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関連施設

ミュンヘンの「褐色館」

党の発祥の地であるミュンヘンには通称「褐色館」と呼ばれる本部が置かれた。隣接してミュンヘンの総統官邸も置かれた。戦後、党本部は破壊されたが、総統官邸はミュンヘン音楽・演劇大学の校舎として残っている。

党大会が開かれる場所であったニュルンベルクツェッペリン広場英語版には党大会用の施設が建設され、現在も競技場として使用されている。

また創設当時の党が大会を開き、ミュンヘン一揆の舞台となったビアホールビュルガーブロイケラーは党の聖地視され、毎年ミュンヘン一揆の記念日にはヒトラーが古参党員を前に演説した。ビュルガーブロイケラーは1979年まで存在していたが、現在は案内板が残るのみとなっている。

ベルヒテスガーデン近郊オーバーザルツベルクにはヒトラーの別荘ベルクホーフが存在し、後にはオーバーザルツベルク一帯が党の所有となった。ヒトラーはベルクホーフでの生活を好み、長い期間をそこで過ごした。オーバーザルツベルクには党幹部達の別荘も置かれたが、大半が終戦間際の空襲と親衛隊員による破壊で焼失した。しかしヒトラーのもう一つの別荘であったケールシュタインハウスは現存している。

プロパガンダ

党は多くの機関紙や雑誌を発刊し、選挙戦術や国内統制に利用した。また、党幹部やグループもそれぞれの新聞や雑誌を発売し、その総数は調査によってもはっきりしなかった[85]。中心となったのはヒトラーが自ら買収交渉に参加したこともあるフェルキッシャー・ベオバハターであり、1926年から1930年にかけては他の新聞や雑誌は十分に機能していたとは言えなかった[86]

1930年の躍進以前は各新聞の状況は苦しく、発行費や配達費を捻出するため苦労したり、相互で争うこともあった[87]。幹部の一人ユリウス・シュトライヒャーは、自ら発行する新聞シュテュルマーを発刊するため、同じく幹部のゴットフリート・フェーダーの新聞への妨害を行い、廃刊に追い込んでいる[88]。また幹部同士の争いが各新聞紙上で行われることもあった[89]

1930年の選挙による大躍進以降は発行部数、種類ともに大幅に増加している[86]。同時代には1932年3月時点で120のナチス系定期刊行物が挙げられているが、戦後にペーター・シュタインが行った調査では、同時期のものとして159の新聞が挙げられている[85]

ナチス党のプロパガンディストとして最も知られているのがヨーゼフ・ゲッベルスである。ゲッベルスは「ボリシェヴィキどもからは、とくにそのプロパガンダにおいて、多くを学ぶことができる。」と日記に記しており、政敵の共産党の手法を利用し、かつそれを凌駕する規模で行った。

戸別訪問[注釈 9]、党専属の楽団、膨大な量のビラ・ポスターの配布や、対立する政治家に対する猛烈なネガティブ・キャンペーン、ラジオを利用した政見放送、航空機を利用した遊説旅行、町の壁を埋め尽くすポスター等は他党のそれを上まわる強烈なインパクトを与えた。また娯楽の中にさりげなく党の宣伝を織り交ぜる手法で宣伝効果を浸透させる手法を用いている。

宣伝全国指導者であったゲッベルスは1927年に首都ベルリンで新聞『デア・アングリフ』紙を発刊した。この新聞は『フェルキッシャー・ベオバハター』と同じく、プロパガンダとして成功した珍しい例である[90]。新聞は他の新聞や他の政党を大きな活字で口汚く罵るもので、攻撃された新聞が反論の記事を書けば書くほど、ナチスの宣伝になってしまう効果もあったため、わざと讒言で他紙を「釣る」ことすらあった。また、時にはテロに訴えることもあった。1930年2月23日、党員ホルスト・ヴェッセルが共産党員アルブレヒト・ヘーラー(de:Albrecht Höhler)に暗殺されるが、ゲッベルスはヴェッセルを殉教者に祭り上げ、盛大な葬儀を行って共産党に対する憎悪を煽り立てた。ヴェッセルが作詞した「旗を高く掲げよ」は、最も著名なナチ党党歌として知られる。

1932年にはナチス系新聞は78万部を発行していた[注釈 10]


さらにナチ党は政府の権力を用いた言論統制や、退廃芸術等に見られるような価値観統一政策、「強制的同一化」に乗りだしている。1933年3月には国民啓蒙・宣伝省が設置され、ゲッベルスが国民啓蒙・宣伝大臣に任命された。政権獲得後の1933年にはナチス系新聞の発行部数は319万部にのぼり[91]、さらに他の新聞や雑誌も次々とナチスの支配下に置かれた。ただし幹部同士が新聞紙上で争うことは続いており[90]、ゲッベルスも対応を行うことを検討している[92]

選挙結果

国会

国会(Reichstag)におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1924年5月4日 1,918,329票 6.5% 32議席 (472議席) 第6党[注釈 11]
1924年12月7日 907,242票 3.0% 14議席 (493議席) 第8党[注釈 12]
1928年5月20日 810,127票 2.6% 12議席 (491議席) 第9党[注釈 13]
1930年9月14日 6,379,672票 18.3% 107議席 (577議席) 第2党[注釈 14]
1932年7月31日 13,745,680票 37.3% 230議席 (608議席) 第1党
1932年11月6日 11,737,021票 33.1% 196議席 (584議席) 第1党
1933年3月5日 17,277,180票 43.9% 288議席 (647議席) 第1党
出典:Gonschior.de

大統領選挙

選挙日 党の大統領候補 得票 得票率 結果
1932年3月13日(一次投票) アドルフ・ヒトラー 11,339,446票 30.1% 落選[注釈 15]
1932年4月10日(二次投票) アドルフ・ヒトラー 13,418,517票 36.8% 落選[注釈 16]
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プロイセン州議会

プロイセン州議会におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1924年12月7日 454,886票 2.5% 11議席 (450議席) 第7党[注釈 17]
1928年5月20日 346,771票 1.8% 6議席 (450議席) 第9党[注釈 18]
1932年4月24日 8,007,384票 36.3% 162議席 (423議席) 第1党
1933年3月5日 10,312,090票 43.2% 211議席 (476議席) 第1党
出典:Gonschior.de

バイエルン州議会

バイエルン州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1924年4月6日/5月4日ドイツ語版 512,271票 17.1% 23議席 (129議席) 第2党[注釈 19]
1928年5月20日ドイツ語版 203,115票 6.1% 9議席 (128議席) 第5党[注釈 20]
1932年4月24日ドイツ語版 1,270,792票 32.5% 43議席 (128議席) 第2党[注釈 21]
1933年3月5日[注釈 22] 1,910,777票 43.1% 48議席 (110議席) 第1党
出典:Gonschior.de

ザクセン州議会

ザクセン州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1926年10月31日 37,725票 1.6% 2議席 (96議席) 第9党[注釈 23]
1929年5月12日 133,958票 5.0% 5議席 (96議席) 第6党[注釈 24]
1930年6月22日 376,769票 14.4% 14議席 (96議席) 第2党[注釈 14]
1933年3月5日[注釈 22] 1,517,851票 45.0% 38議席 (85議席) 第1党
出典:Gonschior.de

ヴュルテンベルク州議会

ヴュルテンベルク州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1924年5月4日 47,301票 4.0% 3議席 (80議席) 第7党[注釈 25]
1928年5月20日 20,342票 1.8% 0議席 (80議席) 議席無
1932年4月24日 328,320票 26.4% 23議席 (80議席) 第1党
1933年3月5日[注釈 22] 647,883票 42.0% 26議席 (60議席) 第1党
出典:Gonschior.de

バーデン州議会

バーデン州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1925年10月25日 8,917票 1.7% 0議席 (72議席) 議席無
1929年10月27日 65,121票 7.0% 6議席 (88議席) 第4党[注釈 26]
1933年3月5日[注釈 22] 627,156票 45.4% 30議席 (63議席) 第1党
出典:Gonschior.de

テューリンゲン州議会

テューリンゲン州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1924年2月10日 81,412票 9.3% 7議席 (72議席) 第4党[注釈 27]
1927年1月30日 27,946票 3.5% 2議席 (56議席) 第5党[注釈 28]
1929年12月8日 90,159票 11.3% 6議席 (53議席) 第3党[注釈 29]
1932年7月31日 395,321票 42.5% 26議席 (61議席) 第1党
1933年3月5日[注釈 22] 483,026票 47.6% 29議席 (60議席) 第1党
出典:Gonschior.de

ヘッセン州議会

ヘッセン州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1924年12月7日 8,478票 1.4% 1議席 (70議席) 第8党[注釈 30]
1927年11月13日 不出馬
1931年11月15日 291,183票 37.1% 27議席 (70議席) 第1党
1932年6月19日 328,306票 44.0% 32議席 (70議席) 第1党
1933年3月5日[注釈 22] 420,513票 47.4% 26議席 (50議席) 第1党
出典:Gonschior.de

ハンブルク市議会

ハンブルク市議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1924年10月26日 13,495票 2.5% 4議席 (160議席) 第6党[注釈 31]
1927年10月9日 9,754票 1.5% 2議席 (160議席) 第7党[注釈 32]
1928年2月19日 14,760票 2.2% 3議席 (160議席) 第7党[注釈 33]
1931年9月27日 202,506票 26.3% 43議席 (160議席) 第2党[注釈 14]
1932年4月24日 233,750票 31.2% 51議席 (160議席) 第1党
1933年3月5日[注釈 22] 318,746票 38.9% 51議席 (128議席) 第1党
出典:Gonschior.de

メクレンブルク=シュヴェーリン州議会

メクレンブルク=シュヴェーリン州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1926年6月6日 4,607票 1.7% 0議席 (50議席) 議席無
1927年5月22日 5,611票 1.8% 0議席 (52議席) 議席無
1929年6月23日 12,721票 4.1% 2議席 (51議席) 第4党[注釈 34]
1932年6月5日 177,076票 49.0% 30議席 (59議席) 第1党
1933年3月5日[注釈 22] 197,303票 48.5% 24議席 (48議席) 第1党
出典:Gonschior.de

オルデンブルク州議会

オルデンブルク州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1925年5月24日 4,404票 2.5% 1議席 (40議席) 第5党[注釈 35]
1928年5月20日 17,457票 7.5% 3議席 (48議席) 第5党[注釈 36]
1931年5月17日 97,802票 37.2% 19議席 (48議席) 第1党
1932年5月29日 131,543票 48.4% 24議席 (46議席) 第1党
1933年3月5日[注釈 22] 150,500票 46.5% 18議席 (36議席) 第1党
出典:Gonschior.de

ブラウンシュヴァイク州議会

ブラウンシュヴァイク州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1924年12月7日 9,479票 3.4% 1議席 (48議席) 第7党[注釈 37]
1927年11月27日 10,358票 3.7% 1議席 (48議席) 第8党[注釈 38]
1930年9月14日 67,902票 22.2% 9議席 (40議席) 第3党[注釈 39]
1933年3月5日[注釈 22] 162,200票 49.1% 29議席 (56議席) 第1党
出典:Gonschior.de

アンハルト州議会

アンハルト州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1924年6月22日 7,189票 4.1% 2議席 (36議席) 第6党[注釈 40]
1924年11月9日 7,958票 4.1% 1議席 (36議席) 第5党[注釈 41]
1928年5月20日 4,117票 2.1% 1議席 (36議席) 第8党[注釈 42]
1932年4月24日 89,652票 40.9% 15議席 (36議席) 第1党
1933年3月5日[注釈 22] 107,186票 46.1% 14議席 (30議席) 第1党
出典:Gonschior.de

ブレーメン市議会

ブレーメン市議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1923年11月18日 10,963票 6.2% 7議席 (120議席) 第6党[注釈 43]
1924年12月7日 7,432票 4.1% 4議席 (120議席) 第7党[注釈 44]
1927年11月13日 57,728票 28.8% 35議席 (120議席) 第2党[注釈 45]
1930年11月30日 51,327票 25.4% 32議席 (120議席) 第2党[注釈 14]
1933年3月5日[注釈 22] 78,234票 32.7% 32議席 (96議席) 第1党
出典:Gonschior.de

リッペ州議会

リッペ州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1925年1月18日 678票 0.8% 0議席 (21議席) 議席無
1929年1月6日 2,713票 3.4% 0議席 (21議席) 議席無
1933年1月15日 39,064票 39.5% 9議席 (21議席) 第1党
1933年3月5日[注釈 22] 48,921票 47.1% 10議席 (18議席) 第1党
出典:Gonschior.de

リューベック市議会

リューベック市議会におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1924年2月10日 5,402票 7.4% 6議席 (80議席) 第6党[注釈 46]
1926年11月14日 不出馬
1929年11月10日 6,347票 8.1% 6議席 (80議席) 第4党[注釈 47]
1932年11月13日 27,689票 33.1% 27議席 (80議席) 第2党[注釈 14]
1933年3月5日[注釈 22] 38,217票 42.8% 22議席 (50議席) 第1党
出典:Gonschior.de

メクレンブルク=シュトレーリッツ州議会

メクレンブルク=シュトレーリッツ州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1932年3月13日 14,235票 23.9% 9議席 (35議席) 第3党[注釈 48]
1933年3月5日[注釈 22] 32,707票 51.6% 9議席 (16議席) 第1党
出典:Gonschior.de

シャウムブルク=リッペ州議会

シャウムブルク=リッペ州議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1928年4月29日 1,690票 6.8% 1議席 (15議席) 第3党[注釈 49]
1931年5月3日 7,854票 26.9% 4議席 (15議席) 第2党[注釈 14]
1933年3月5日[注釈 22] 13,690票 43.4% 6議席 (12議席) 第1党
出典:Gonschior.de

ザール地方議会

ザール地方議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1932年3月13日 24,455票 6.7% 2議席 (30議席) 第4党[注釈 50]
出典:Gonschior.de

ダンツィヒ議会

ダンツィヒ議会ドイツ語版におけるナチ党の党勢
選挙日 得票 得票率 議席数 (総議席数) 議席順位
1927年11月13日ドイツ語版 1,483票 0.8% 1議席 (120議席) 第11党[注釈 51]
1930年11月16日ドイツ語版 32,457票 16.4% 12議席 (72議席) 第2党[注釈 14]
1933年5月28日ドイツ語版 107,331票 50.1% 38議席 (72議席) 第1党
1935年4月7日ドイツ語版 139.423票 59.3% 43議席 (72議席) 第1党
出典:Gonschior.de



注釈

  1. ^ 党名のその他の邦訳については、下記の名称を参照されたい。
  2. ^ 村瀬興雄は「国民社会主義的ドイツ労働者党」と「的」の字を入れている[20]
  3. ^ マルクス経済学の研究者岩田弘は、「民族社会主義」の呼称がナチスの主張に即しているとの意見を発表た[24]
  4. ^ 一例として1933年(昭和8年)11月12日付で永井松三駐独大使が外務省に打電した電報には「ヒットラー及びナヂ」要人』と表記されているほか、11月18日の電報では「ナチ議員」という表記もある[29]
  5. ^ ソビエト連邦共産党の幹部であり、コミンテルンカール・ラデックもシュラゲターを「共産主義者はこの反革命の良き兵士を革命の兵士として尊敬しなければならぬ」と賞賛した。これはドイツを反西欧陣営に迎えようとするナショナル・ボリシェヴィズムの立場によるものである[73]
  6. ^ これまでのヴァイマル共和政における最大議席数はドイツ社会民主党が得た163議席[79]
  7. ^ 1930年以降はヒトラーが司令官を兼務[81]
  8. ^ 突撃隊幕僚長は全国指導者扱い
  9. ^ ヴァイマル共和政期には戸別訪問は禁じられておらず、多くの政党が同じ行動を行った。
  10. ^ ナチス中央文書館の調査に基づく部数。ただし、1936年のドイツ社会民主党指導部ドイツ語版の機関紙は同時期に150万部を超えていたという観測を行っている[91]
  11. ^ 国家社会主義自由党(NSFP)として出馬。ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、中央党(Zentrum)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ人民党(DVP)に次ぐ
  12. ^ 国家社会主義自由運動(NSFB)として出馬。ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、中央党(Zentrum)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ民主党(DDP)、バイエルン人民党(BVP)に次ぐ
  13. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、中央党(Zentrum)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ民主党(DDP)、ドイツ中産階級帝国党("WP")、バイエルン人民党(BVP)に次ぐ
  14. ^ a b c d e f g ドイツ社会民主党(SPD)に次ぐ
  15. ^ パウル・フォン・ヒンデンブルクに次ぐ得票
  16. ^ パウル・フォン・ヒンデンブルク(当選者)に次ぐ得票
  17. ^ 国家社会主義自由党(NSFP)として出馬。ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、中央党(Zentrum)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ民主党(DDP)に次ぐ。ドイツ中産階級経済党(WP)と並ぶ
  18. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、中央党(Zentrum)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ中産階級帝国党("WP")、ドイツ民主党(DDP)、キリスト教国家農民及び農村住民党(CNBL)に次ぐ
  19. ^ ドイツ民族自由党(DVFP)とともに民族主義ブロック(Völkischer Block)として立候補。バイエルン人民党(BVP)に次ぐ。ドイツ社会民主党(SPD)と並ぶ
  20. ^ バイエルン人民党(BVP)、ドイツ社会民主党(SPD)、バイエルン農民・中産階級同盟ドイツ語版(BB)、ドイツ国家人民党(DNVP)に次ぐ
  21. ^ バイエルン人民党(BVP)に次ぐ
  22. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 1933年3月31日に発令されたラントとライヒの均制化に関する暫定法律により、プロイセン州議会を除くすべての邦議会は1933年3月5日の国会選挙で各邦ごとに各党が獲得した票数に応じて議席数を再配分された[93]
  23. ^ 国家社会主義自由運動(NSFB)として出馬。ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ中産階級経済党(WP)、ドイツ民主党(DDP)、公民権とデフレのための帝国党ドイツ語版旧派ザクセン社会民主党ドイツ語版(ASPS)に次ぐ
  24. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ中産階級帝国党("WP")、ドイツ国家人民党(DNVP)に次ぐ。ザクセン農村住民党ドイツ語版(SLV)と並ぶ
  25. ^ 中央党(Zentrum)、ヴュルテンベルク農民=ワイン醸造家同盟ドイツ語版(WBWB)、ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ民主党(DDP)、ドイツ国家人民党(DNVP)に次ぐ。ドイツ人民党(DVP)と並ぶ
  26. ^ 中央党(Zentrum)、ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ人民党(DVP)に次ぐ。ドイツ民主党(DDP)と並ぶ
  27. ^ 民族派合同名簿(Vereinigte völkische Liste)として立候補。テューリンゲン秩序同盟ドイツ語版ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ共産党(KPD)に次ぐ
  28. ^ 統一名簿(Einheitsliste)、ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ中産階級帝国党("WP")に次ぐ。ドイツ民主党(DDP)と並ぶ
  29. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、キリスト教国家農民及び農村住民党(CNBL)に次ぐ。ドイツ共産党(KPD)とドイツ中産階級帝国党("WP")と並ぶ
  30. ^ 国家社会主義自由運動(NSFB)として立候補。ドイツ社会民主党(SPD)、中央党(Zentrumspartei)、ヘッセン農民同盟ドイツ語版ドイツ人民党(DVP)、ドイツ民主党(DDP)、ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ共産党(KPD)に次ぐ
  31. ^ 民族社会主義ブロック(Völkischsozialer Block)として立候補。ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ民主党(DDP)に次ぐ
  32. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ民主党(DDP)、ドイツ中産階級帝国党("WP")に次ぐ。中央党(Zentrum)と並ぶ
  33. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ民主党(DDP)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ中産階級帝国党("WP")に次ぐ。
  34. ^ メクレンブルク国家主義者統一名簿(ドイツ国家人民党ドイツ人民党)、ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ共産党(KPD)に次ぐ。
  35. ^ 郷土ブロック(ドイツ国家人民党ドイツ人民党)、中央党(Zentrum)、ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ民主党(DDP)に次ぐ。
  36. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、郷土ブロック(ドイツ国家人民党ドイツ人民党)、中央党(Zentrum)、ドイツ民主党(DDP)に次ぐ。
  37. ^ 国家社会主義自由運動(NSFB)として立候補。ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ中産階級経済党(WP)、ドイツ民主党(DDP)、ドイツ共産党(KPD)に次ぐ。ブラウンシュヴァイク=ニーダーザクセン党と並ぶ。
  38. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ中産階級帝国党("WP")、ドイツ共産党(KPD)、民主主義者農民同盟(Demokraten und Bauernbund)、宅地所有者党(Haus- und Grundbesitzer)に次ぐ
  39. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、市民統一名簿(ドイツ人民党ドイツ国家人民党ドイツ中産階級経済党)に次ぐ
  40. ^ 国家社会主義自由運動(NSFB)として立候補。ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ共産党(KPD)、全国農村同盟ドイツ語版に次ぐ。
  41. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、民族共同体(ドイツ人民党全国農村同盟ドイツ語版ドイツ国家人民党や宅地所有者党の統一名簿)、ドイツ民主党(DDP)、ドイツ共産党(KPD)に次ぐ。借家人保護及び土地所有者党(Mieterschutz und Bodenreformer)と並ぶ
  42. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ人民党(DVP)、全国農村同盟ドイツ語版ドイツ共産党(KPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、宅地所有者党(Haus- und Grundbesitz)、ドイツ民主党(DDP)に次ぐ。ドイツ中産階級帝国党("WP")と並ぶ
  43. ^ ドイツ民族自由党との共同名簿で立候補。ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ民主党(DDP)、ドイツ国家人民党(DNVP)に次ぐ。
  44. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ民主党(DDP)、ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ共産党(KPD)、家屋所有者党(Hausbesitzer)に次ぐ。
  45. ^ ドイツ人民党ドイツ国家人民党などと統一名簿で立候補。ドイツ社会民主党(SPD)に次ぐ。
  46. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、経済共同体(ドイツ国家人民党ドイツ人民党の共同名簿)、ドイツ共産党(KPD)、地主党(Grundeigentümer)、ドイツ民主党(DDP)に次ぐ。
  47. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ハンザ人民党ドイツ語版(HVB)、ドイツ共産党(KPD)に次ぐ。
  48. ^ ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ社会民主党(SPD)に次ぐ。
  49. ^ 国家主義ブロックとして立候補。ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)に次ぐ。ドイツ人民党(DVP)、ドイツ民主党(DDP)、シャウムブルク=リッペ職人同盟と並ぶ。
  50. ^ 中央党(Zentrum)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ社会民主党(SPD)に次ぐ。
  51. ^ 市民権とデフレのための帝国党ドイツ語版と共同名簿で立候補。ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、中央党(Zentrum)、ドイツ共産党(KPD)、国民自由市民党(Nationalliberale Bürgerpartei)、ドイツ=ダンツィヒ人民党(Deutsch-Danziger Volkspartei)、ドイツ自由党(Deutschliberale Partei)、ポーランド党(Polnische Partei)、市民労働共同体(Bürgerliche Arbeitsgemeinschaft)、借家人=債権者党(Mieter- und Gläubigerpartei)に次ぐ。

出典

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