国吉佑樹
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千葉ロッテマリーンズ #92 | |
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2021年11月12日 京セラドーム大阪 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府枚方市 |
生年月日 | 1991年9月24日(32歳) |
身長 体重 |
196 cm 106 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2009年 育成ドラフト1位 |
初出場 | 2011年8月27日 |
年俸 | 5000万円(2024年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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派遣歴 | |
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この表について
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経歴
プロ入り前
小学2年時に軟式野球の「桜丘北ウインズ」で野球を始めると、5年時から6年生チームのエースを務める。中学生時代には、ボーイズリーグの名門チーム「オール枚方」に所属していた。
熊本県の秀岳館高校へ進学すると、2年時の春から控え投手としてベンチ入り。2年時の冬には、ストレートの球速が140km/hを上回るようになった。しかし、在学中には春夏とも、甲子園球場の全国大会に出場できなかった。
2009年10月26日に行われたドラフト会議では、横浜ベイスターズから育成1位指名を受け、支度金200万円、年俸240万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した。背番号は111。
横浜・DeNA時代
2010年には、右肩痛を発症した影響で、イースタン・リーグ公式戦5試合の登板にとどまった。このため、シーズン終了後には、下半身を重視したトレーニングで投球フォームの改善に取り組んだ。
2011年には、全身を使った投球フォームへ変更したことによって、ストレートの最高球速が152km/hにまで上昇。7月29日付で支配下選手契約へ移行するとともに、背番号を65に変更した[2]。8月27日の対中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)で、先発投手として一軍公式戦にデビュー[3]。10月4日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)でも先発すると、7回を自責点0(失点1)に抑える好投で、一軍公式戦での初勝利を挙げた[4]。
2012年には、オープン戦4試合に登板。通算18イニング無失点で、規定投球回に到達したNPBの全12球団の投手でただ1人、防御率0.00を記録した[5]。このような好成績を背景に、初めての開幕一軍入りを果たすと、本拠地・横浜スタジアムでの開幕戦であった4月5日の対中日戦に先発投手としてシーズン初登板[6]。5月6日の同カードで、中日の山本昌との「(当時のNPB公式戦における)史上最大年齢(26歳1か月)差での先発対決」を制した末に、シーズン初勝利を挙げた[7]。9月7日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では、セントラル・リーグの球団に育成選手として入団した投手では初めて、一軍公式戦での完封勝利を記録[8]。一軍公式戦全体では19試合に登板したが、シーズン初登板から先発で3連敗を喫するなど、4勝12敗と大きく負け越した。それでも、シーズン終了後の契約交渉では、推定年俸1800万円(前年から800万増)という条件で契約を更改した[9]。
2013年には、オープン戦からの不調に加えて、右肩痛を発症。その影響で、一軍への合流は8月8日まで持ち越された[10]。8月11日の対東京ヤクルトスワローズ戦(秋田こまちスタジアム)では、2回裏二死満塁からの救援登板でシーズン初勝利を挙げるとともに、チームの連敗を9でストップ[11]。一軍公式戦ではシーズン初の先発登板になった8月18日の対広島戦(横浜)では、ストレートで当時の自己最高球速(153km/h)を計測した末に、8回2失点という内容でシーズン初勝利を挙げた[12]。しかし、次に先発で登板した8月25日の対巨人戦(横浜)で2回表の途中までに7点を失って降板するとそのままシーズンを終えた。
2014年には、公式戦の開幕に出遅れたものの、中継ぎ要員として5月8日にシーズン初の出場選手登録。同月には、8試合の救援登板で、防御率1.46、WHIP0.81という好成績を残した。この活躍を背景に、6月から先発に再び転向したが、3試合の登板で防御率7.11、0勝1敗と不振。一時は、二軍での再調整を余儀なくされた。7月中旬に一軍へ復帰してからは、中継ぎに専念。抑えの三上朋也が調子を落としていたシーズン終盤には、三上に代わって抑えを務めると、9月25日の対阪神タイガース戦(横浜)で一軍公式戦での初セーブを挙げた。一軍公式戦全体では、49試合に登板。先発登板時の防御率が7.11だったのに対して、救援登板時の防御率は2.54と安定していた。
2015年には、開幕を3年ぶりに一軍で迎える[13]。前年に救援登板で好成績を挙げたことから、抑えやセットアッパーとして期待されたが、実際にはもっぱらロングリリーフで一軍公式戦28試合に登板した。シーズン終了後の秋季キャンプでは、「自分には打者を絶対に抑えられるような変化球を投げられないので、長いイニングを投げた方が持ち味が出る」として、一軍監督へ就任したばかりのアレックス・ラミレスに先発への復帰を直訴した[14]。
2016年には、前述した経緯やチーム事情を背景に、先発要員へ復帰。7月10日の対巨人戦(東京ドーム)で2年ぶりの先発登板を果たしたが、四球を連発したあげく2回途中4失点で降板したため、一軍公式戦での登板はこの試合だけにとどまった[15][16]。
2017年には、救援要員に復帰。チームはレギュラーシーズン3位から19年ぶりの日本シリーズ進出に至ったが、国吉はレギュラーシーズンで一軍公式戦4試合に登板しただけで、ポストシーズンの試合には登板機会がなかった。シーズン終了後には、二軍投手コーチとしてチームに復帰した元メジャーリーガーの大家友和からカットボールやツーシームの投げ方を教わるなど、投球の幅を広げることに努めた[17]。
2018年には、カットボールを新たな武器として、公式戦を一軍でスタート。当初はロングリリーフに起用されたが、4月6日の対広島戦(マツダ)6回裏の登板中に、會澤翼が打った強烈な打球を右脚のふくらはぎに受けて急遽降板した[18]。その影響で戦線離脱を余儀なくされたが、5月下旬に一軍へ復帰すると、復帰後の救援登板中にストレートで当時の自己最高球速(157km/h)を計測した。6月中盤から調子を落としてからは、一軍と二軍の往復を繰り返したが、9月25日の対広島戦(横浜)に先発で起用。4回表二死で交代を命じられながらも、当時セントラル・リーグの3連覇に王手を掛けていた広島打線を相手に、変化球を駆使しながら無失点に抑えた。一軍公式戦通算では13試合の登板で未勝利に終わったが、シーズン終了後には、この年に球団が業務提携を結んだばかりのキャンベラ・キャバルリー(オーストラリアン・ベースボールリーグの強豪チーム)で腕を磨いた[19]。
2019年には、ウィンターリーグでフォーム改造に着手しセットポジション時の足の位置をクロスにした所オープン戦で自己最高球速を159km/hにまで更新する[20]ほどの好調を背景に、救援要員として2年連続で開幕一軍入り。4月6日の対巨人戦(横浜)で、一軍公式戦4年ぶりの勝利を挙げた。この試合では、5回表二死で迎えたアレックス・ゲレーロへの5球目に、ストレートで自己最速の161km/hを計測。NPBの日本人投手による公式戦の球速としては、歴代2位に相当する記録を樹立した[21][注 1]。以降もロングリリーフで好投を続けたことから、4月21日の対広島戦(マツダ)で、(前身球団を含めて)DeNAの公式戦史上初のオープナーに起用。2回裏から継投策に切り替える前提でのチーム戦略による先発登板だったが、制球難から4点を失った末にシーズン初黒星を喫した[22]。先発への起用はこの試合だけにとどまったが、6月29日の対広島戦(横浜)では、1-1の同点で迎えた延長10回表一死一・二塁から救援で登板。代打として対戦した長野久義を遊撃へのゴロで併殺に打ち取ると、その裏にチームがサヨナラ勝利を収めたことから、長野に2球を投げただけでシーズン3勝目を記録した[23]。スペンサー・パットンが自身の不手際で戦線を離脱してからは、パットンに代わってセットアッパーを担うなど、一軍公式戦にはチーム登板数は4位及び自己最多の53試合に登板。防御率は4.80と芳しくなかったが、自己最多の5勝を記録するとともに、チーム2年ぶりのクライマックスシリーズ進出に貢献した。シーズン終了後の12月6日には、推定年俸4400万円(前年から2700万円増)という条件で契約を更改するとともに、自身の苗字の読み方(くによし)にちなんで背番号を92に変更することを発表した[24]。
2020年には、開幕からリリーフとして一軍に帯同。8月10日の阪神戦では、4回表からマウンドに上がった国吉が、4回裏一死一・二塁、同点(1-1)の場面でそのまま打席に立ち[注 2]、岩貞祐太から右中間を破る勝ち越し2点適時二塁打を打った。これは、自身7年ぶりの安打および適時打であった。なお、国吉は2回2/3を投げ2失点で勝利投手となり、自身の打った二塁打が決勝打となった。
2021年には、開幕一軍を勝ち取ると主に先発が早いイニングに降板した際の複数回リリーフとしてフル回転し、トレードが決まるまで18試合の登板で29回2/3を投げ、1勝1敗、防御率5.16を記録[25]。
ロッテ時代
2021年6月14日に有吉優樹とのトレードで千葉ロッテマリーンズに移籍することが発表された[26]。背番号はDeNA時代と同じ「92」に決まった[27]。
移籍後は好調をキープし、最終的には25試合に登板し、2勝2セーブ17ホールド、防御率1.44を記録[28]。オフに2000万円増となる推定年俸7400万円で契約を更改した[28]。
2022年は6試合の登板に留まり、オフには1400万円減の推定年俸6000万円でサインした。[29]
2023年も二軍では防御率6点台だったものもシーズン終盤に調子を上げ、一軍に昇格すると3試合に登板して無失点に抑えそのままポストシーズンも無失点に抑えた。11月19日、1000万円減となる推定年俸5000万円で契約を更改した[30]。
選手としての特徴
196cmの長身で、スリークォーターの投球フォームから、最速161km/hのストレート[31]や、スライダー・カーブ・フォーク[32]・カットボール・ツーシームなどの変化球を駆使する。
DeNAで支配下登録を経て一軍に台頭した当初は速球の球威と将来性に対する期待から先発登板の機会を重ねていたものの、制球が安定していなかった。打者の手元で微妙に変化するカットボールやツーシームを勝負球に使い始めた[33]2018年からは筋力トレーニングによるストレートの球速が向上した[21]。
注釈
出典
- ^ “ロッテ - 契約更改 - プロ野球”. 日刊スポーツ. 2023年11月19日閲覧。
- ^ “支配下登録および背番号変更のお知らせ”. 横浜ベイスターズ (2011年7月29日). 2012年3月21日閲覧。
- ^ “育成出身・国吉 プロ初登板初先発は5回2失点で及第点”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年8月28日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ ““ハマのダル”国吉1勝 母に「5年待って」から7カ月”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年10月5日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ “2012年度 オープン戦 個人投手成績(規定投球回以上)”. 日本野球機構. 2021年7月11日閲覧。
- ^ “国吉「力んだ」5回2失点…オープン戦無失点が仇に”. スポーツニッポン. (2012年4月5日) 2019年4月7日閲覧。
- ^ “国吉やっと今季初勝利!史上最大年齢差投げ合い制した”. スポーツニッポン. (2012年5月7日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ “万歳!国吉 ゲンコツ初完封 デニーコーチの一発効いた”. スポーツニッポン. (2012年9月8日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ “【DeNA】国吉、800万増の年俸1800万円で更改”. 日刊スポーツ. (2012年11月21日) 2019年4月7日閲覧。
- ^ “【DeNA】山口、林ら登録、福田ら抹消”. 日刊スポーツ. (2013年8月8日) 2014年1月25日閲覧。
- ^ “【DeNA】国吉初勝利Wピンチ防いだ”. 日刊スポーツ. (2013年8月11日) 2014年1月25日閲覧。
- ^ “【DeNA】国吉、今季初先発で白星”. 日刊スポーツ. (2013年8月18日) 2014年1月25日閲覧。
- ^ “セ・リーグ 出場選手登録 これが開幕一軍メンバーだ”. スポーツニッポン. (2015年3月25日) 2019年4月7日閲覧。
- ^ “国吉 ラミレス監督に先発直訴「長い回を投げた方が持ち味出る」”. スポーツニッポン. (2015年12月11日) 2019年4月7日閲覧。
- ^ “DeNA 今季初登板の国吉、2回途中4失点降板「申し訳ない」”. スポーツニッポン. (2016年7月10日) 2019年4月7日閲覧。
- ^ “国吉 佑樹 - 横浜DeNAベイスターズ - プロ野球”. スポーツナビ. 2016年12月19日閲覧。
- ^ “9年目の新境地… DeNA・国吉は中継ぎで輝く”. BASEBALL KING. (2018年3月21日) 2019年4月7日閲覧。
- ^ “DeNA国吉が打球直撃し負傷、試合後松葉づえ姿に”. 日刊スポーツ. (2018年4月6日) 2019年4月7日閲覧。
- ^ “DeNAの国吉佑樹が10年目の覚醒へ!「一回り大きくなって帰って来ます」”. BASEBSALL KING. (2018年10月31日) 2019年4月7日閲覧。
- ^ “159キロ!DeNA国吉が自己最速記録2日で更新”. 日刊スポーツ. (2019年3月21日) 2019年4月21日閲覧。
- ^ a b c “DeNA国吉が常識破り“巨人化”トレで161キロ”. 日刊スポーツ. (2019年4月6日) 2019年4月7日閲覧。
- ^ “DeNA 初の「オープナー」も…先発・国吉、1回4失点で降板「申し訳ない」”. スポーツニッポン. (2019年4月21日) 2019年4月21日閲覧。
- ^ “DeNA・国吉が2球で勝利投手に 延長10回ピンチで併殺打”. スポーツニッポン. (2019年6月29日) 2019年7月1日閲覧。
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- ^ “有吉投手と横浜DeNA・国吉投手の交換トレードについて”. 千葉ロッテマリーンズ. (2021年6月14日) 2021年6月14日閲覧。
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- ^ “ロッテ・国吉 1400万減の6000万でサイン「悔しいという言葉の上」登板6試合”. デイリースポーツ online (2022年11月28日). 2022年12月27日閲覧。
- ^ “【ロッテ】国吉佑樹、1000万円減の5000万円で合意「優勝に貢献できれば」”. 日刊スポーツ (2023年11月19日). 2024年1月5日閲覧。
- ^ “DeNA国吉161キロ 外角低め直球にざわめく”. 日刊スポーツ. (2019年4月6日) 2019年4月6日閲覧。
- ^ “尾花監督 育成出身“横浜の佑樹”を1軍抜てきへ”. スポーツニッポン. (2011年8月16日) 2012年3月21日閲覧。
- ^ “京山、国吉よ1軍奪え! DeNA・ラミレス監督、新戦力出現に期待”. デイリースポーツ (2018年2月6日). 2018年4月2日閲覧。
- ^ “筒香、国吉、黒羽根ら若手を大抜擢!横浜ベイの終盤戦から目が離せない。”. Number Web. (2011年9月24日) 2019年4月6日閲覧。
- ^ “実力、見た目とも揃ったハマのダルビッシュ”. 東京スポーツ. (2012年3月12日) 2015年11月16日閲覧。
- ^ a b “DeNA国吉 タレント美女と42センチ差婚 今年3月婚姻届提出”. スポーツニッポン (2014年12月2日). 2014年12月17日閲覧。
- ^ “3児のパパ、DeNA・国吉は子育て奮闘中”. サンスポ (2020年4月29日). 2020年8月10日閲覧。
- ^ “92 国吉 佑樹 選手名鑑2021|千葉ロッテマリーンズ”. 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト. 2021年8月25日閲覧。
- ^ “DeNA国吉、ちぐはぐ“背信投”3敗目”. サンケイスポーツ. (2012年4月30日) 2012年5月4日閲覧。
- ^ “ロッテ国吉佑樹、移籍初勝利は73年ぶり珍記録「縁起のいい球場なんだな」”. 日刊スポーツ. (2021年8月27日) 2021年8月27日閲覧。
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