四国八十八箇所 四国八十八箇所霊場会

四国八十八箇所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 13:28 UTC 版)

四国八十八箇所霊場会

一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会
団体種類 一般社団法人
設立 2017年(平成29年)6月1日
所在地 香川県善通寺市善通寺町1065番地1
法人番号 9470005006012
ウェブサイト https://www.88shikokuhenro.jp/
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概要
四国八十八箇所霊場会(以下、四国霊場会)とは四国八十八箇所霊場の寺院の住職が発起人となり1958年(昭和33年)に発足し、2017年6月1日に一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会として法人化した[49]。本部は善通寺の敷地内に設置されている。なお、7番十楽寺と12番焼山寺は参加していない。
先達の杖と袈裟
公認先達物故者慰霊塔(高野山奥院の御廟橋を渡って右にある)
公認先達
四国霊場会が先達を公認する制度で、4回の巡拝により結願し霊場寺院に申込み審査の上、毎年12月に善通寺で行われる先達研修会に参加すると新補先達になる。その後、2年経過後2結願で権中、2年2結願で中、3年3結願で権大、3年3結願で大、その後は、特段貢献した者が表彰され、その後に準特任(定員30名)そして、特任(定員10名)になる。なお、寺持ち住職がなれる元老もある。
2021年12月時点の公認先達の有効総数は8,725人で、2019年の新規先達数は254人、2020年は140人、2021年は185人である[50]。 
開創1200年記念事業
善通寺御影堂2014.5.9
四国の遍路道を徒歩練行一行が歩む
空海(弘法大師)が42歳のとき四国を巡錫したとされる年を起点に1200年目に当たる2014年に、各寺院が普段は公開されない秘仏の本尊や秘蔵の仏像を公開したり、本堂や大師堂の開扉や入堂が許されたり、特別法要や公演が行われた[51]
行事の一つとして、「お大師さまと歩む四国遍路」と称した徒歩練行は2013年2月4日に善通寺を起点に全札所を25回の区切りで一巡し、2014年5月9日に善通寺において結願するとともに、開創1200年記念法要が行われた。
また、2013年3月には中部国際空港、4月には東京・丸の内、5月には仙台空港で出開帳が行われた。それに使われた八十八の出開帳本尊と等身大の弘法大師立像は平成18年製作開眼されたもので、善通寺遍照閣1階に常設されている。
開創事業は50年毎に行われたようで、50年前の納経帳に記念スタンプが押されたものが残っていたり、59番国分寺の境内入口門柱に「為四国開創一千百年記念建立」と刻まれたりしていることが示している。
徒歩練行は、翌年の2015年(平成27年)4月22日から、高野山、吉野、奈良、京都へと続けられ、2017年6月21日善通寺に帰るまで断続的に行われた。
善通寺金堂2017.6.21
弘法大師御誕生1250年記念事業
令和5年4月24日青年僧12名と先達32名で善通寺三山(我拝師山・筆ノ山・香色山)を登拝し、下山後御影堂で法楽奉納され、夜には丸亀にて記念祝賀会が催行された。そして、翌25日善通寺にて「御誕生1250年記念大法会並びに記念柴燈大護摩供」が行われた。
記念御影・記念散華
弘法大師御入定1150年遠忌法要参加記念バッジ
日本遺産の石碑(郷照寺)
昭和63年の「瀬戸大橋開通記念」は版画[注釈 30]と御詠歌が書かれた札が、平成10年の「明石海峡大橋開通記念」は青地に金の梵字の御影が、平成11年の「西瀬戸自動車道開通記念」は銀地に青の梵字の御影が、平成26年の「四国霊場開創1200年記念」は赤地に白の梵字の御影が納経したとき配布された。なお、平成26年は納経帳に同記念スタンプも押印され、昭和59年(1984年)「弘法大師御入定1150年御遠忌」以来の記念スタンプであった。
平成28年の「日本遺産の認定記念・閏年限定」は記念散華が納経をしたとき配布され(四国霊場会のHPより)、各寺には、日本遺産の石碑が設置された(宝寿寺を除く八十七ヶ寺)。
賜弘法大師号1100年記念として、令和元年5月1日より令和4年5月31日まで御詠歌御影札が配布、また、令和2年元旦より大師納経が行われる。
弘法大師御誕生1250年記念として令和4年6月15日より今後2年半にわたって、記念スタンプの納経帳への押印と弘法大師の生涯を絵に表したカード(その88記念カードは各寺1枚ずつ配布、ただし、1番霊山寺のみ2枚配布、7番十楽寺は無し) の配付とが始まった。
四国霊場会が関連した裁判・事件
  1. 四国霊場会はある写真家の写真集に収録された霊場会お砂ふみ本尊の写真を著者に無断で複写し、「霊場会彩色御陰」として各札所寺院で販売することにした。そのため著者である写真家が不正競争防止法をもとに平成19年に東京地方裁判所に提訴した。原告の写真家は御陰を販売することがない、元々の本尊の図像著作権は別の画家から霊場会が数千万円で購入したもの。このような理由で原告が一審、控訴審で敗訴。現在、「四国88か所彩色お御陰」は各札所寺院で販売されているが、「一言、写真家の了解を得て」複写すれば問題が生じなかったものを(地裁の判決では「ただ乗り」と表現)裁判闘争の果てに販売されたものであることを知る人は少ない[52]
  2. 四国霊場会は六十二番札所の宝寿寺の住職が同会に入会せず会則に従わなかったため、宝寿寺の住職に対して2015年3月に高松地方裁判所民事訴訟を起こしたが、霊場会が敗訴した。高松地裁の判決によると「四国霊場会は住職個人が会員となる任意団体」であり住職個人に入会を強制できない。また「宗教的人格権を有する団体でなく札所寺院の経済的目的から運営されている団体」であるから宗教的人格権をもとに札所寺院の住職に規約にしたがうことを強制できない。とある[53]。なお、2019年12月より宝寿寺は霊場会に復帰した。詳細は宝寿寺#霊場会退会と再加入を参照。

注釈

  1. ^ 行政機関などは「四国八十八箇所」を使用するが、霊場会は「四国八十八ヶ所」を公式に使用している。
  2. ^ 1996年に78件が選ばれ今回36件が追加選定され114件になった。
  3. ^ 本来は「徒遍路(かちへんろ)」と云う。
  4. ^ 下左の4番大日寺のように以前は墨書が版木の札所があったが、現在は全て手書きの墨書になっている。
  5. ^ 現代日本の暦では申年は閏年に当たる。
  6. ^ 杖杉庵縁起によると衛門三郎が弘法大師に出会えたのは天長8年10月20日とされているが、衛門三郎伝説の初見とされる石手寺刻版(1567年)で「天長八年辛亥載」と記されている通り、天長8年(831年)は申年ではない。また、831年はユリウス暦及び太陰太陽暦では閏年に当たらない。
  7. ^ 新型コロナウイルスの感染が拡大した際およびそれ以降、感染予防のために手水舎を廃止してアルコール消毒に切り替えた札所もある。
  8. ^ 「四国の辺地を通る僧が知らぬ所に来て、馬に打ちならさるはなし」で、四国を廻っている三人の僧が宿を所望した山中の家で次々と馬に変えられ最後の者が逃げ出した話。1200年頃。
  9. ^ 「我らが修業せし様は忍褥袈裟をば肩に掛け を負ひ衣はいつとなくしほたれて四国の辺地をぞ常に踏む」1180年
  10. ^ 影響を受けた寺を札所番号で表示すると、1,2,5,6,7,9,11,13,14,15,16,17,18,19,21,22,44,47,55,59,61,62,63,65,67,70,71,72(慶長の兵火),74,76,77,80,82,83,85,86,87,88[9]
  11. ^ 「辺」は正しくは「鳥にしんにょう」
  12. ^ 44番大宝寺をスタートし、68番琴弾と69番観音寺が逆転しているが、それ以外は現在と全く同じ順番で巡拝し43番明石寺で終了している。
  13. ^ 澄禅の巡拝順を札所番号で表すと、17-16-15-14-13-11-12-18-19〜59-62-61-60-63-64-65-66-67-69-68-70~88-10〜1の順である。
  14. ^ 澄禅の日記では『世間流布ノ日記』との表現であるが、初版は現存していない『辺路札所ノ日記』のこととされる。
  15. ^ その中に「札所八十八ヶ所 道488里…など」内容が一致している。
  16. ^ その後の改訂版では『四國徧禮道指南』と名称を変えているが、これは、寂本の意見もあり従来使われていた辺路ではなく、広くゆきわたりあまねくとの意味で「徧」を、単なる道ではなくて人として生きる道という意味を含む「禮」を使用して、人の道を求める修行者の意味を込めている。なお以下、一般的な『四国遍路道指南』 と表記する。
  17. ^ 24番から39番および番外札所月山
  18. ^ 高知県では明治5年2月の布達で遍路入国禁止[11]
  19. ^ 高知県では明治9年4月の布達により解除
  20. ^ 同書によると、現在のような四国霊場会は存在しなかったが、1910年頃に小林正盛という人物が組織化を模索した形跡があるとされる。
  21. ^ 阿弥陀如来、観音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩
  22. ^ 一か山 の「か」は王偏に「果」
  23. ^ 光明寺
  24. ^ 大瀧寺は「四国八十八ヶ所総奥ノ院」と、仙龍寺は「四國總奥之院」と、與田寺は「四國八十八ヶ所奥院」と各寺の入口の寺名の石板に表記されている。
  25. ^ ロードバイククロスバイクマウンテンバイクシクロクロスランドナーなど。
  26. ^ ケガや病気また故郷を追われた者など顔を晒したくない者でも受け入れたことに由来する。
  27. ^ 布団も基本的にはない。
  28. ^ 小屋やガレージなどを一時的に利用してもよいとする霊場を含む。
  29. ^ 三角寺本堂の前に掲示されている由緒書きに「…殊に四国霊場中當山を伊予の関所として尊信おかざるは偏に御本尊威徳力の如からしむ處と謂うべし。」とある。
  30. ^ 門脇画伯が4年間に亘り自ら各霊場を巡って制作したもので、昭和41年から44年まで4回に渡って東京三越本店で発表されたものである。
  31. ^ 第3弾では、鈴井貴之、大泉同じくTEAM NACS安田顕森崎博之が一部参加。
  32. ^ 本企画の前に、「試験に出るどうでしょうシリーズ」という、全国各地に直接赴いて社会科の勉強をする企画があり、その企画の最終日に行われる試験で受験者(第1弾では大泉、第2弾では安田、第3弾では鈴井・安田)が合格点を取れなかった際に、大泉が全責任を取って巡礼を命じられている。
  33. ^ ほとんどの寺院で先述の巡拝の手順を踏襲していないことが多く、夜間にも巡礼を続行することや短期間で制覇しなければならないという制約などから、寺院や山門を背景に撮影したことで「巡礼」と見なしている。

出典

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  2. ^ 『四国八十八ヶ所を歩く旅』(山と渓谷社、2008年)は1,108キロメートル、へんろみち保存協力会『四国遠路ひとり歩き同行二人 地図編』第9版(2010年)1頁では1116キロメートルと記述している。
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