喜連川藩 歴代藩主

喜連川藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 06:53 UTC 版)

歴代藩主

喜連川(足利)家

外様、3500石→4500石→5000石

  1. 喜連川頼氏
  2. 喜連川尊信
  3. 喜連川昭氏
  4. 喜連川氏春
  5. 喜連川茂氏
  6. 喜連川氏連
  7. 喜連川恵氏
  8. 喜連川彭氏
  9. 喜連川煕氏
  10. 喜連川宜氏喜連川紀氏を熊本藩から迎えたが、宜氏に養子交代)
  11. 喜連川縄氏 (徳川斉昭の庶子が末期養子となったもの。足利に復姓)
  12. 足利聡氏

喜連川藩の家臣

藩邸

喜連川藩は上述のように参勤交代の義務を免除されていたため、幕府から江戸屋敷を与えられなかったが、年始の参府時などの利便性から元禄年間に自前で上野・不忍池の近くの下谷池之端に江戸屋敷を購入した[5]。他の藩と違って藩主の妻子を住まわせる必要などもなく、また規模の小さな藩であったため、江戸屋敷に詰めた藩士は3名程度であった。

喜連川陣屋

喜連川陣屋(きつれがわじんや)は、現在のさくら市にあった陣屋である。頼氏の代に建てられたもので、喜連川丘陵にあった山城喜連川城から藩庁の機能を移した。現在、跡地はさくら市喜連川庁舎(旧喜連川町役場)となっている。なお、市内の個人宅に城門が移築現存してあり、門には足利氏の家紋化粧が残されている。

幕末の領地

脚注

参考文献

  • 山下昌也 『日本一小さな大大名 たった五千石で、徳川将軍家と肩を並べた喜連川藩の江戸時代』 グラフ社、2008年、ISBN 978-4-7662-1182-5

関連項目

先代
下野国
行政区の変遷
1593年 - 1870年
次代
日光県

注釈

  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。黒文字は本文内で言及する土地。灰文字はそれ以外。

出典

  1. ^ 『喜連川公方実記』
  2. ^ 阿部能久 「喜連川家の誕生」『戦国期関東公方の研究』 思文閣出版、2006年、ISBN 4-7842-1285-XISBN 978-4-7842-1285-9
  3. ^ a b 藤野保・木村礎・村上直 編 『藩史大事典 第2巻 関東編』 雄山閣、1988年、155頁、ISBN 4-639-10036-1
  4. ^ 『栃木県史』通史編5 近世2
  5. ^ 江戸切絵図goo地図)を見ると、不忍池の近くに「喜連川左馬頭」と書かれた区画がある。


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