名誉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/31 05:08 UTC 版)
概説
18世紀の文学者サミュエル・ジョンソンは名誉について「魂の高潔さ、度量の大きさ、卑しさに対する軽蔑」と定義した。名誉の文化は世界の各地で独立して生み出されたが、こうした名誉は多くの文化で尊重されている[5]。また、個人の正直さや誠実さが今日の名誉の主要な意味に含まれている。名誉の文化の成員には、優位や地位、評判を守るためには暴力も辞さないという覚悟が備わっている[5]。侮辱と、それに対抗することの必要性は名誉の文化にとって重要視される。
名誉の文化は各地の古典にもうかがえる。ホメロス『イリアス』では、名誉と報復が戦士の行動原理として描かれている[6]。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』などで、名誉と不名誉(恥辱)が徳や怒りといかなる関係にあるか論じている[7]。キケロ『スキピオの夢』やボエティウス『哲学の慰め』は、名誉の虚しさを説いている[8]。
中国や日本では「名誉」(オナー)の類語として「名」(な)や「体面」「面子」(めんつ)があり、『老子』などが名誉の虚しさを説いている[9]。ルース・ベネディクトは『菊と刀』で、日本文化を名・体面を行動原理とする「恥の文化」と評したことで知られる[10]。
日本の名誉の変遷
中世の日本では、個人や家系、所属集団の名誉を守ることが重要視され、名誉が傷つけられた場合には決闘や戦争等の解決手段がとられていた。武家社会では、切腹や仇討ちが、名誉回復の手段であった。 江戸期にて、「栄誉罰」「名誉罰」等の言葉が使われているが、これらは、責任を果たせなかったときに制裁を加えられるという性質の「名誉」であり、各人の「栄誉」は法により保護されるべき利益であるという概念はなかった[11]。
明治期に「名誉」を、法にて保護するべき利益の一つであるという概念が、確立した[11]。 瀬川信久によると、1882年(明治15年)以前には、日本で名誉回復を求める訴訟は行われておらず、1883年(明治16年)に行われた名誉回復を求める訴訟においては、告訴や報道による権利侵害で奪われた利益を「名誉」と呼んでおり、名誉という概念の存在、つまりは法により保護されるべき利益という概念が存在していたことを表す事例であるとしている[11]。
- ^ 広辞苑「名誉」
- ^ 大辞泉「名誉」
- ^ 長谷川貞之, 湯淺正敏 & 松島隆弘 2011, p. 3.
- ^ 大判明治38年12月8日民録11輯1665頁、最大判昭和61年6月11日民集40巻4号872頁
- ^ a b R・E・ニスベット、D・コーエン『名誉と暴力:アメリカ南部の文化と心理』石井敬子、結城雅樹(編訳) 北大路書房 2009年 ISBN 9784762826733 pp.6-9.
- ^ 川島重成「人間と人間を超えるもの ── 古代ギリシア文学における 名誉と報復の正義の問題をめぐって ──」『人文科学研究 (キリスト教と文化)』39、2008年。CRID 1390853651190897536。53頁。
- ^ 濱岡剛「アリストテレス倫理学におけるアイドース(恥)」『中央大学経済研究所年報』44、2013年。CRID 1050282677701476992。58ff頁。
- ^ 高田康成『キケロ-ヨーロッパの知的伝統』岩波書店〈岩波新書〉、1999年。ISBN 9784004306276。131頁。
- ^ 森三樹三郎『「名」と「恥」の文化』講談社〈講談社学術文庫〉、2005年(原著1971年)。ISBN 9784061597402。131頁。
- ^ 星野勉「『菊と刀』にみる「恥の文化」」『国際日本学』4、法政大学国際日本学研究所、2007年。CRID 1390572174783872256。32f頁。
- ^ a b c 長谷川貞之, 湯淺正敏 & 松島隆弘 2011, p. 2.
- ^ "名誉を違法に侵害された者は ... 人格権としての名誉権に基づき" 最高裁. 北方ジャーナル事件判決文. より引用
- ^ a b 長谷川貞之, 湯淺正敏 & 松島隆弘 2011, p. 60.
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