吉良氏 三河・奥州(武蔵)吉良氏系譜

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吉良氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 15:03 UTC 版)

三河・奥州(武蔵)吉良氏系譜


注釈

  1. ^ 「吉良殿・渋川殿・石橋殿、此御三人大概三職同事、乍去吉良殿御賞翫」(足利義政代幕府重職注文)、「惣じて吉良殿の御事は、三職よりも猶公儀も御賞翫」(『家中竹馬記』)など[5]
  2. ^ 松平清康は東条吉良持清の偏諱を、清康の子広忠は持清の子持広の偏諱を受けたとする説がある[16][17]
  3. ^ なお、小林はこの時期の吉良氏の記録が混乱しているのは、江戸時代に入ってすぐに吉良氏と今川氏が同族関係を回復させて婚姻を重ねるなど関係が強まった結果、両家の先祖である吉良義安と今川義元の対立の事実が忌避されたと推測する[21]
  4. ^ 小林輝久彦はこの時の吉良氏を義安であるとしている[23]
  5. ^ 吉良義定荒川定安荒川定昭-柘植兄正室-東条義武
  6. ^ 東条義武甥(吉良義定来孫)
  7. ^ 『吉良物語』の記述より。源希義の敗死年月には諸説がある(源希義参照)。
  8. ^ 『春野町史』では南北朝期に希義系が衰微し、土佐守護職を世襲するようになった細川氏とともに入部した足利三河吉良氏の一族とされる宣実がとって代わったのではないかとの推理がなされている[38]
  9. ^ 長宗我部兼序の敗死には、吸江庵の寺領問題で大津城を拠点とした天竺氏に滅ぼされたという説もある。
  10. ^ 親実のものとされる天正17年(1589年)の年紀の入った棟札を残されており、殺害は同年以降とする説もある[40]。また、元親は親貞の子に吉良氏を継がせる考えはなく(元親の甥でもある本山茂辰の次男が吉良氏の当主に立てられた微証があるとされる)、親実は蓮池氏を称したとする説もある[41]

出典

  1. ^ a b c d 太田 1934, p. 1991.
  2. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ)『吉良氏』 - コトバンク
  3. ^ a b c d e 松田敬之 2015, p. 255.
  4. ^ 世界大百科事典 第2版『吉良氏』 - コトバンク
  5. ^ 谷口 2019, p. 117.
  6. ^ a b 斎藤茂 1975, pp. 55.
  7. ^ 小林 2019, p. 245.
  8. ^ 谷口 2019, p. 60.
  9. ^ 谷口 2019, p. 39-41.
  10. ^ 谷口 2019, p. 42-43.
  11. ^ 松島周一「永正前後の吉良氏について」『尾張・三河武士における歴史再構築過程の研究』(科学研究費補助金成果報告書:代表研究者 青山幹哉、2007年)
  12. ^ 小林 2019, p. 247.
  13. ^ 谷口 2019, p. 42-48.
  14. ^ a b 黒田基樹『北条氏康の妻 瑞渓院』 平凡社〈中世から近世へ〉、2017年12月。ISBN 978-4-582-47736-8 P37-39.
  15. ^ 谷口 2019, p. 49.
  16. ^ 北村和宏「三河吉良氏の断絶と再興」『吉良上野介義央・義周』(義周没後三〇〇年記念事業実行委員会、2006年)
  17. ^ 小林 2019, p. 275.
  18. ^ 小林 2019, p. 251.
  19. ^ 小林 2019, p. 271.
  20. ^ 小林 2019, p. 260-276.
  21. ^ 小林 2019, p. 270-271.
  22. ^ 小林 2019, p. 252-253.
  23. ^ 小林 2019, p. 272-273.
  24. ^ 太田 1934, p. 1992.
  25. ^ 赤穂市総務部市史編さん室『忠臣蔵』兵庫県赤穂市、1989年(昭和64年)~2014年(平成26年)
  26. ^ 斎藤茂 1975, pp. 53/55.
  27. ^ 広報にしお 平成30年12月1日号 (PDF) 、2023年7月30日閲覧。
  28. ^ 「吉良上野介を慰霊 島津家当主ら菩提弔う」(「毎日新聞」2017/12/16 地方版)
  29. ^ 「本所松坂町公園」現地説明
  30. ^ 上杉家「須田右近書状」ほか
  31. ^ 中央義士会「忠臣蔵史蹟事典 東京都版」(五月書房、2008年)
  32. ^ 現在の氷川神社は一本松坂を南下したアルゼンチン共和国領事館向かいに位置する。
  33. ^ 『御府内場末往還其外沿革圖書』元禄七年(皇紀二千六百年記念「麻布区史」)
  34. ^ 境内「花岳寺由緒案内板」・一般財団法人「西尾観光協会」西尾観光公式webなど。
  35. ^ 太田 1934, p. 1995.
  36. ^ a b c d 太田 1934, p. 1996.
  37. ^ a b 『土佐国編年紀事略』[要文献特定詳細情報]
  38. ^ 春野町史編纂委員会 1976, 南北朝期の春野.
  39. ^ a b 春野町史編纂委員会 1976, 室町期の春野.
  40. ^ 吉村 2014, p. [要ページ番号].
  41. ^ 朝倉 2014, p. [要ページ番号].


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