吉川晃司 人物

吉川晃司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 15:24 UTC 版)

人物

音楽関係

  • デビュー時から自作曲はあったのだが、当初はアルバムに入れてもらえなかった[46]。ディレクターと大喧嘩もしたが、徐々に自作曲を増やし、現在は以外に作詞作曲演奏プログラミングプロデュース等幅広く手がけ、「PANDORA」「Jellyfish & Chips」など様々な作品を世に送り出している。
  • 日本語英語っぽく発音してロックに乗せる「巻き舌唱法」は[47]、日本ではキャロルを始まりとして、吉川で一応の完成形となると評される[5][15][48]。吉川自身はこれを“日本語を崩す歌い方”、例えば「だからぼくは」という歌詞を「だっかぁら、ぼっくぅは」と歌うとロック的なリズムが出るなどと説明している[9]。デビュー時に紹介された木崎賢治プロデューサー[49]に「どんな音楽やりたいの?」と聞かれて「僕は原田真二さんとか、格好いいと思うんですけど」と答えたら、「ああいう日本語の崩し方というか、乗っけ方というのをできる人は少ないんだよ、吉川くんできる?」と言われて始めたのがきっかけと話している[9][27]。吉川はデビュー直後1985年のインタビューで「歌い方が佐野元春さんの真似とよく言われる」と話していたが[22]、2012年のインタビューでは、「この先駆者は佐野元春さんだといわれるんですけど、僕は原田真二さんだと思う」と話している[9][16]
  • デビュー時はアイドル扱いされるのがイヤで、コンサートで「キャーキャー騒ぐ女の子は出てってくれ。オレはアイドルにならない」と言ったことがある[50]
  • キメキメのステージアクションで話題を呼んだ[15]。『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』、『NHK紅白歌合戦』など、当時の歌番組での数々のパフォーマンスも有名[29][51][52][53][54][55]。『ザ・ベストテン』でのパフォーマンスで最も知られているのは出身校・修道高校のプールでのバク転飛込みだが(1984年4月5日)[34][29][51][56]、毎回出演時には視聴者を驚かす演出を自ら考案し楽しませた[29]。「ベストテンのセットを壊すことで自分の存在を確認してたとこがあった」と述べている[57]。数年たってTBSに行ったら、当時ADだった人たちに凄いイヤな顔をされたという[57]。この頃は日本におけるヴィジュアル系の走りとも言われる沢田研二がテレビに出なくなった時期で、吉川は日本でメイクアップをする男性アーティストの系譜に連なる人で[58]、テレビに出てよく露出したと意味で安全地帯玉置浩二とともに、続いて男の化粧を認知させたと言える。『週刊平凡』1985年9月13日号の吉見佑子中川勝彦の対談で、吉見「ふだんはメークしてないのね」 中川「ふだんしてもしようがないもの」 吉見「吉川晃司なんか少ししてるよ」 中川「うそっ。男性化粧品で?」 吉見「ううん。塗り絵だと思ってんでしょ、自分の顔も。ペンキ塗りの気分よ」という記事が見られる[59]。吉川デビュー時の衣装=肩パッドの入った?、ノータイ・ピンク、あるいはスーツは街に“偽吉川”を溢れさせ[60]、同時期に活躍したチェッカーズタータンチェック共々よく流行った[34][26][51][61]。ファッションの歴史を綴った書籍では[60]、吉川やとんねるず北野武らがDCブランドを着用して盛んにテレビに露出した1985年をDCブームの頂点と記述されているという[60]2013年NHK連続テレビ小説あまちゃん』では、小泉今日子演じる天野春子が学生時代を過ごした部屋で、吉川の写真に向かって「肩幅〜!」と叫ぶシーンがあった[62]
  • 若い頃、吉川に似ていると言われた元プロ野球選手新庄剛志は、そのファッションをよく真似ていた。また、カラースプレーで髪に色を付けたり、立たせたり新しい髪型を考案するなど、いわゆる男のおしゃれ、男性ファッションを認知させたスターである[34][29]
  • 吉川のファッションといえばサングラスである。現在はあまりサングラスをしないが、デビュー直後は常用していた。サングラスを常用した動機は、細いキツネ目にコンプレックスがあったためと言われている。現在は芸能人がサングラスをどんな時も外さなくても批判をされるようなことは無くなったが、当時は批判を受けることがあった。岡田有希子葬儀にサングラスを掛けたまま参列し、同様にサングラスで参列した舘ひろし共々、マスメディアに叩かれたことがある。
  • バク転以外のステージパフォーマンスとして、足を高く上げてドラムシンバルを蹴る「シンバルキック」は吉川のライブの代名詞となっているステージ・アクションの一つ[63]。いつから始めたか自身はよく覚えていないが、「肩を脱臼してバク転ができなかった時、代わりに何かやろうと思いついたのではないか」と思うと話している[64]。「グラマラス・ライフ」のMVでシンバルを蹴るシーラ・Eが頭にあったという[64]。初期は垂直に蹴り上げていたが、両足が肉離れを起こして縦に上がらなくなったため、横回転で勢いをつけて蹴るようになった[65]。観客が「普通のシンバルキックは飽きたよ」「もっと高くできないの」などと言うから、意地で段々難度が上がってきたという[63]。シンバルキックで過去3回骨折している[65][66]
  • 体育会系のノリで広い交遊を持った。ブラザー・コーン、チェッカーズ、尾崎豊とんねるず大沢誉志幸岡村靖幸氷室京介布袋寅泰世良公則布川敏和本木雅弘近藤真彦小泉今日子中森明菜藤真利子鈴木賢司[22][67][68]
  • 特に尾崎豊と岡村靖幸を交えた同級生3人の仲は親友として有名だった[69][70][71]六本木WAVE(1999年閉店)1階のカフェ「レイン・ツリー」で待ち合わせて、次の店をどこにするか、「じゃんけんをし、勝った者が行き先を決めることが出来る」という方法で行く先を決めた[70]。吉川が勝つとひたすら飲む、尾崎が勝つと女を口説くことが出来るクラブ、お酒が苦手な岡村が勝つとディスコ(岡村は、ディスコであの独特の踊りをずっと踊っていたそうである)に行った[69][70]。吉川と尾崎は飲むのが好きで酒も強く、尾崎が勝っても女の子のいる店にはいかず結局、男三人で飲む、泥酔していたという。「昔は3人で無茶なことばっかりやっていた」と述べている。よく行ったのは「レッドシューズ」や「トゥールーズバー」、六本木「AREA」、カラオケ「港町十三番地」など[46][70][72]。岡村は「当時の僕の目には、尾崎と吉川はキラキラ輝いて見えた」と話している[注 6]。19歳という未熟な時期から三人ともそれぞれの道を歩み始め、三人で集まって遊ぶことは段々少なくなっていった。最後に三人で遊んだのは25歳くらいのとき、芝浦のクラブ「GOLD」で、ちょうどマドンナが「GOLD」に遊びに来ていた日で、VIPルームで三人で飲んでいたら、マドンナが突然現れて吉川だけが呼ばれた。何だろうと騒然となったが、数分後、吉川が戻ってきて「便所はどこかって聞かれた」と言った[66][70]。吉川は「そこの角曲がったとこだ。一人で行け」とマドンナに言ったが「いいから連れて行け」と命令され、仕方なく便所までエスコートしたと話している[73][74]。それからしばらくして尾崎が亡くなり、三人で遊ぶことはもう出来なくなった。尾崎が亡くなったとき、吉川は友人代表としてお悔みを述べ、岡村が不祥事を起こした際は、「自分のケツは自分で拭かないとね。でもきっと、スリムになって戻ってくるんじゃないかな?」と気遣うコメントを述べている。尾崎の死後は「彼は反論できないのでフェアじゃない」と言い、彼について深く語ることはない。
  • 尾崎と泥酔して明け方、ゴミ置き場のダンボールが夏の暑い日で冷たくて気持ちが良く、二人でゴミ置き場に寝込み、そのまま朝になった。そこは六本木交差点近くのバス停の前で、通学の女子高生がずらりと並んでいて、女子高生の一人に「もう起きられた方がいいですよ」と声をかけられた[66]
  • 晩年のアベフトシ川村カオリの活動を支援した[75]
  • 初期の頃の専属バックバンドは、PaPa。ただし、PaPaはTVや映画、ライブ等「見える場所」では共演していたが、レコーディングには参加していない。
  • 「音楽を真面目にやっているミュージシャンも、テレビに出ないとだめだ」と言い続けていた。これは渡辺プロに在籍している以上、テレビに出る仕事は避けられなかったが、テレビに出演していく内に、テレビの影響力を自ら肌で感じ、「上手い具合に出演すれば、ミュージシャン自身の向上にもつながる」と考えるようになったためである。そのため、吉川自身がテレビに出なくなると、ファンは「自分がテレビに出ないとダメだと言っておいて、なぜテレビに出ないのか?」と非難をするため、本人もテレビに出るようにしている。COMPLEXとしての時期はテレビ出演をほとんどしなかったため「(テレビ出演を好まなかった)布袋に遠慮している」と非難されたことがある。
  • 1986年1987年12月24日日本テレビで放送された伝説的音楽番組メリー・クリスマス・ショー (Merry X'mas Show)』の企画を言い出したのは吉川[16]。「たくさんミュージシャンを集められるのは桑田さんしかいない」と呑みの席で桑田佳祐に「今の音楽シーンがつまらないのは、ある意味あなた方にも責任があるんじゃないの?」と暴言を吐き、「ガキのくせにこのボケ!」とケンカになったが、朝まで話し込んで「よっしゃ考えてみる」という桑田の話で始まったもの。当初は2人を中心に運営したが、吉川が働かないのでほぼ桑田がやったという。ただ、BOØWYや若いバンドに声をかけたのは、吉川である[16][76]
  • 最近では当たり前になった「CD + DVD」2枚組は、吉川の1997年作品「I WRITE THE SONGS」が業界で初めてといわれている。

NHK紅白歌合戦でのハプニング

  • 吉川自身、現在唯一の出場である1985年暮れの『第36回NHK紅白歌合戦』では、「にくまれそうなNEWフェイス」で白組のトップバッターで登場したが、その際に自ら様々なハプニングを起こし、物議を醸すきっかけとなる[29][53][68][77][78]。そのハプニングは下記の通りである。
    • 白組なのに真赤な衣装で、酒(シャンパン)を撒き散らしながら登場し、さらに観客に向けて吹き出す。
    • 当初予定になかった、ステージから客席に降りる行為を行った上に、撮影中のカメラに衝突する。
    • 本来の出演時間をオーバーし、ギターに火をつけ、ステージに叩きつけて破壊するというパフォーマンスを行った。ただしギターを破壊するシーンは放映されることはなかった。
    • その後も吉川のパフォーマンスが続き、次の歌順の河合奈保子オーケストラをバックに、「デビュー」を歌う筈だった。ところが、「デビュー」のイントロが既に演奏されているにも関わらず、未だ吉川はバックバンドと共にステージ上に居残り続けていた。この要因により河合は、舞台に出ようとするタイミングがつかめずに、「デビュー」の出だしが歌えなくなり河合が怯える様子や、バックダンサー達も困惑の表情がテレビに放映。やむなく河合は演奏の途中から歌唱した(のち吉川サイドから河合へ直接謝罪している)[79]
    • 白組の次の歌順のシブがき隊は酒浸しになったステージ上で歌う羽目になり、『スシ食いねェ!』の歌唱中に布川敏和が、2回も足を滑らせて転倒した。ただしこの転倒については、吉川のせいではなく、布川自身が事前に予定していたパフォーマンスだったという。吉川からは何をやるかは聞かされていなかったが、布川はそれとは関係なしにステージから落ちる、というパフォーマンスを考えていた。しかし足元が滑りやすいというその時の状況から、2度転倒に変更したと布川は話している[68][78]
  • 吉川はこの件を振り返って、「当時は多くの賞が出来レースになっていて、プロダクションやレコード会社の政治力によって決まっていたり、事実を受け入れたくない、どうしたらいいんだろうといつも悶々としていた。紅白は抗議行動的な側面もあったが、あまりに稚拙だったと思う。極度の興奮状態にあったので曲を延ばしている意識も全く無かった。ギターもあそこまで燃やすつもりもなくて、ジミ・ヘンドリックスをマネして、軽く付けてみようと思ったら、照明が当たっていて火が見えなくて自分でも火傷して、訳が分からなくなってしまった。全部が見事なほど裏目に出てしまった」などと述べている[80]。また、それだけではなく「墓場まで持っていかなければいけない、言えないことがまだある」とも話している[66]
  • 著作「晃司全てを語る」にて、この時嫌な芸能界を止めるつもりでいたが、楽に高収入を稼げるこの仕事やめるの惜しいな~俳優ももっとやりたいし~とずっと芸能界にいよう~と決意を語っている。
  • その後、NHK側に十数年間出入り禁止となり[41][80]、ラジオでもしばらく曲がかからなかったものの[80]、後年解除され『ポップジャム』に何度か出演、ドラマ『真夜中は別の顔』(2002年4月1日 - 5月23日OA、共演:瀬戸朝香小雪玉山鉄二他)では主演に抜擢され、2009年の大河ドラマ天地人』で織田信長役で出演した。1998年6月21日に、コンサートツアーの一環としてNHKホールで公演を行い、以後何度も公演を行っている。

俳優関係

  • 俳優としての活動は、デビュー作の『すかんぴんウォーク』(『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と並映)および『ユー・ガッタ・チャンス』(少女隊主演のクララ白書と並映)『テイク・イット・イージー』の通称「大森三部作」が有名。音楽に専念するため役者は一時封印するが後年、再び映画に出演し始める。渡辺プロ時代の「シャタラー」以来十数年ぶりに三池崇史監督作品『漂流街』に出演。独特のオーラと存在感に高評価を得る。この作品において三池監督と意気投合。その後の三池作品、プロモーションビデオ、ライブ撮影と繋がっていく。三池監督は吉川について「存在感が凄すぎて気軽な役には使えない。特別な役にもってこいな人。吉川さんはスペシャルな血が流れてますね」と語っている。『天国から来た男たち』『レディ・ジョーカー』など、ほぼ年一本のペースで映画にコンスタントに出演している。
  • 2009年の大河ドラマ天地人』の織田信長役で新境地を開く[81][82]。女性視聴者からNHKに吉川に関する問い合わせが殺到したという[83]
  • 2008年4月(2013年9月も)『SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-』でミュージカルに初挑戦し杉原千畝を演じた[84]。「吉川さんも体制に反発してきた人間ですよね」と口説かれ、断れなかったという[84]
  • 仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』に鳴海荘吉 / 仮面ライダースカル役で出演しているが、依頼が来た時はマネージャーに「怪人の役じゃないの?」と尋ねたという。吉川の起用は、「主人公がハードボイルドを目指しているキャラクターなので、その師を演じるのはハードボイルドを体現できる人でなければならない」という理由によるもの。なお、劇中で荘吉は左足を負傷するという展開だが、撮影当時の吉川は右足に怪我を抱えていたため、引きずる足を間違えることもあったという。
  • TVシリーズ『仮面ライダーW』では「鳴海荘吉」名義で挿入歌「Nobody's Perfect」の作曲と歌唱を担当し、そのPVで再び荘吉を演じている。
  • 2010年公開の『仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE』では、吉川が主役扱いでクレジットされている。出演にあたって吉川は「荘吉の『お前の罪を数えろ』という決め台詞はどうして生まれたのか」「荘吉はなぜ娘に会うことを避けていたのか」の2点を明確にしてほしいとスタッフに伝えた。なお時系列的には『MOVIE大戦2010』より前の出来事であるため、構え方や声の高さを意識的に変えて若く見せようとしたが、そのせいで声が裏返ってNGを出したこともあるという。
  • 各界の著名人が集った西麻布の伝説のバー「ホワイト」へは、1990年頃、原田芳雄に連れて行ってもらい、その後、北方謙三や尾崎豊らとも通った[85]松田優作は既に亡くなっており、生前、下北沢のジャズバー「レディージェーン」で、ライブを一度観たことがあるが、直接会ったことはなかった[85]。「ホワイト」のママが松田の形見のジャージを預かっていて、ママが「あたしが持っていても仕方がないから、あんた」と吉川にそのジャージを渡した。吉川は「そんなの頂いていいんですか」と言ったら、ママが「吉川のこと(松田が)言ってたよ」というから受け取った。勿論、そのジャージはトレーニングに使わず大切に保管してあるという[85]

体育会系

  • 大柄な体格と男気溢れる逸話、また付き合いの広さなどから、しばしば“体育会系”といわれた[86]
  • 水球で鍛えた逆三角形の体型が男子トイレのマークに似ていたため、学生時代のあだ名は、「便所マーク」、短縮して「便所」だった[87]。人が大勢いる所で、友人から「便所ー!」と大声で呼ばれ、恥ずかしい思いをしたとデビュー当時の歌番組で話したことがある。
  • 広島で活躍するローカルタレント西田篤史は、来広ミュージシャンと多くの交遊を持ったことでも知られるが、駆け出しの頃、やはりプロデビュー前、広島時代の吉川に密着取材した。「はまちバンド」解散ライブ終了後、ナベプロマネージャーに「お前は甘い!」と殴られる吉川を横で見ていて、「な..何てことするんだ..」と思ったというが、吉川は「水球部だったんで別に普通。何とも思わない」と話した[88]
  • ナベプロが制作していた関係で『新春かくし芸大会』にも出演した[89]。演目は、1985年は日本刀を使った竹割りや、殺陣リハーサルの際、上手くを割ることができず、日本刀が曲がってしまい、何本も壊した。1986年はバイクスタント。猛スピードのバイクに乗りジャンプ台まで疾走し、バイクとともにジャンプした後にダンボールの山に突っ込むという、体を張った芸を披露した。
  • 酔っ払って六本木のビルの4階から飛び降りた[66]。またジャッキー・チェンのように4階までビルとビルの間をつたって登ったこともある。飲んで自宅マンションの部屋の鍵を無くしたときは、マンションへといをつたってよじ登りベランダから部屋に入った。この経験は3回あり、うち1回は7階だった。ベランダの窓が鍵が掛かっていたときは、窓を叩き割って部屋に入った。近隣に警察に通報され警官に自宅だと説明した[66]
  • 映画で共演した渡哲也から「君はケンカが強そうだね」と言われた[66]内田裕也が「吉川のヤローが挨拶に来やがらねェ」と吉川の楽屋に乗り込もうとしたら、ビートたけしが「アイツは強いから止めといたら」と内田を止めた[90]前田日明高田延彦といったプロの格闘家と喧嘩をしたことがある[40][91]などの話から、ゴシップ誌などで吉田豪らが、吉川を“芸能界ケンカ最強”と推した[40]。「水中ならジャイアント馬場にも勝てる」と言ったという伝説については、前田日明から「亡くなった人を例えに出すのよくないよ」と言われたので「水中なら前田日明にも勝てる」に変更した[66]。吉川は「ヒムロック(氷室京介)が最強でしょう。彼はそういう世界に途中までいたんだから」と話した[66]。また「いくら芸能界で強いと言ったって、プロの格闘家の方が強いに決まってるでしょう」と話した[66]
  • デビュー25周年の2009年に「何かやりたいことはありますか」と申し出を受け、「一番の強敵と戦いたい。己の最大の敵は己だろう。自分と対峙するのに必要なのは自然だろう。過酷な状況の中で、一体、自分がどうなるのか見極めたい」と伝え、無人島サバイバル企画が敢行された[92]。スタッフ会議で人間が住めないような過酷な島が選ばれた[92]。この模様は『中居正広の金曜日のスマたちへ』〈フィリピン沖の無人島10泊ロケ、サバイバル〉として、2009年10月2日と12月4日に放送された[93]。その島は湿度70 - 80%、昼は40数度、夜は強い風が吹き抜け毎日スコールがあり、凄く寒い台風が多発する海域。地上には食べる物はほとんどない。凶暴な動物、生物がウヨウヨで、人間が住めない条件が揃っていた。やらせでないことをしきりに証明するために、寝る時に撮影班を撤収させるなどして、厳しい一面を見せた。ボーイスカウトだった経験を活かし、火をおこすことには何とか成功したが、食料確保には苦戦し10日間まともな物は食べることはできなかった。襲われるんじゃないかという恐怖心で最初の4日間は徹夜。水も確保できず、2日目に熱中症になってしまい、指が動かなくなって危険な状態になり、命に関わると判断され、放送はされなかったが、船から看護師が来て、スポーツドリンクと塩飴を置いていったという[92]
  • 2010年7月11日放送「TheサンデーNEXT」のインタビューでは公園うんていなどを利用し筋トレしていること、ヒヤシンスのように東京では出稼ぎ感覚であると語った。
  • 2009年の無人島サバイバルが話題を呼んだため、その続編が2011年4月15日『中居正広の金曜日のスマたちへ』で放送、アフリカの地でサバイバルを敢行した[94]ケニアマサイマラ国立保護区ツリー生活に挑んだ。現地に住むマサイ族から「野宿なんて気が狂ってる」と言われるような環境で野宿を行った[93]。その辺は肉食獣よりアジア系の密猟者が多く「密猟者に間違われて撃ち殺されるぞ」と脅された。また群れをなすヌーが吉川を見て初めは逃げ出すが、うちの2〜3匹は急に方向転換をして吉川に走りかかるハプニングが発生した。サバンナで人を殺すのはパニックに陥った草食動物が多いという[93][94]

その他

  • 「駆け出しのころは歌手一本では食っていけなかったので、副業もこなせたらいいなと思って俳優業をしていた」とTV番組で後年回想している。
  • 上條淳士の漫画作品『TO-Y』(1985年 - 1987年)の主人公のライバル・哀川陽司のモデルである[77][95][96][97]。作者との対談(サンデーコミックス一巻収録)もしたことがあるが、その時まで自分では気づいていなかった。吉川をモデルにした理由として上條は、「当時の男性アイドルはまだキラキラした王子様みたいな人が多くて。それはトーイのライバルとしてはちょっと違うかなと思いました。吉川さんからは、男っぽさとかセクシーさとか、そういうものを感じたんです。たとえば小学生の頃に好きだったジュリーと近い印象を持ったので、勝手にモデルにさせていただきました。これは今だから言える話ですけど、事務所やご本人の許可なしに出しちゃったんですよね(笑)、後に吉川さんと仕事を通じて知り合いになり、事後承諾はいただきましたけど(笑)。現在では考えられない話です」などと述べている[96]。上條は『TO-Y』の登場人物で特定のモデルがいるのはその哀川陽司だけで、「主人公トーイ、ニヤ、園子も特定のモデルはいない」と話している[96]
  • 読書家[41]三国志をはじめとする中国史マニアである(日本史の知識も少しある)[13]。別冊文藝春秋2005年1月号では中国歴史小説家の宮城谷昌光と対談しており、中国史について並々ならぬ知識の片鱗をのぞかせている。また、北方謙三とも交流があり[41][93]、北方氏は対談した際の感想で「深く掘り下げた質問をしてくるし、細かい所まで良く知っているし、こいつは何で中国史をこんなに勉強しているんだ? 音楽やっているんじゃないのか?」と述べている。近年では古代中国関係の美術展にコメンテーターとして参加したりする[98]。吉川自身CD BOOK『エンジェルチャイムが鳴る前に』のなかで小説を執筆している。中国のテレビドラマ『三国志 Three Kingdoms』では日本語版のナレーションを担当している。
  • 所有車は、フェラーリ・512TRアストンマーティン・V8である。スープラコルベットと乗り継いで現在に至る。
  • ウーパールーパーを飼っている。繁殖も経験しているという。
  • 2010年8月28日放送の『スマステーション』で「大阪たこ焼きってキャベツないっておかしくないですか」「これを大阪人に言うと、馬鹿にされるんですよ」と発言。これには広島出身の大下容子テレビ朝日アナウンサーも同意した。2014年6月25日のニコニコ生放送「検証!吉川晃司、30の伝説!!」では、若い頃『Mステ』で、広島のお好み焼きマヨネーズを入れると言った猿岩石を「広島のお好み焼きにマヨネーズは入れないだろ」と説教した[66]。現在も「広島のお好み焼きにはマヨネーズを入れてはダメ」が持論である[66]
  • 2011年、「東日本大震災」発生直後の3月19日から5月2日まで3回にわたって、宮城県石巻市ボランティア活動をした[95]
  • 同年7月には、東京ドームで布袋寅泰とのユニット「COMPLEX」の復活ライブを開催し、収益金の約6億5430万円を被災地に寄付をしている。
  • 2012年4月17日、都内のサウナで偶然居合わせたTOKIO松岡昌宏脱水症状で倒れ、吉川が介抱した[87]
  • 2013年朝のNHK連ドラあまちゃん』で、勝地涼が演じた“前髪クネ男”のキャラは吉川を参考にしたという[99]
  • 2014年6月25日、デビュー30周年を記念したシングル・コレクション『SINGLES+』のリリースに合わせて、30時間に及ぶ特番が「ニコニコ生放送」でオンエアされ、本人が生出演。「検証!吉川晃司、30の伝説!!」というコーナーで、自身にまつわる伝説の真相を語った。上記エピソードは概ね事実であることが判明したが、「酒に酔っ払って西麻布の街を電話ボックスを担いで歩いたコトがある」という都市伝説については事実でないことが判明した。(なお、このエピソードについてはダウンタウン松本人志が「携帯電話ですね」とコメントしたことがある。)
  • 戦国大名毛利元就の次男、吉川元春の子孫と紹介される場合があるが、史実では、吉川元春の血縁的系譜は吉川経永で絶えており間違いである。だが、歴史の話になると吉川自ら「俺は吉川の方だからね」との発言が何度かある。ただし吉川家は途絶えたわけではない。
  • 地元が広島出身ということもあり、広島東洋カープのファンである。
  • 2013年8月6日、MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島で始球式を行い、111km/hの速球を投げ込み球場を沸かせた。また、被爆二世であることもあり、5回裏終了時に、「イマジン」の和訳バージョンを独唱し、核兵器廃絶を訴えた。
  • 2016年10月22日、マツダスタジアムにて行われた『SMBC日本シリーズ2016』広島東洋カープ対北海道日本ハムファイターズ 第1回戦にて国歌独唱を務めた。



注釈

  1. ^ 宇梶剛士も2年まで在学で先輩、竹原慎二は後輩になる[12]
  2. ^ 送り主は女子高生という設定であったため、文面は女子言葉だった。渡辺プロの社史(『抱えきれない夢 : 渡辺プロ・グループ四〇年史』)pp.292-293に「1981年秋、広島の一少女から吉川晃司を推薦する手紙が届いた。〜推薦してきた少女は、彼のファンだったのである」などと書かれている。
  3. ^ 合格の理由は吉川の才能というより、吉川の観客動員力。吉川のはまちバンドはアマチュアながら、広島のホールを満杯にする程の人気があり、主力スタッフ・歌手の独立が相次ぎ、凋落していたナベプロにとってその観客動員力は大きな魅力だった。
  4. ^ 1人目は原田真二(1978年7月24日[35])。
  5. ^ 本人が『笑っていいとも』に出演した際に告白し、「緞帳を破って100万円の借金を作ってしまった」と言っていたが、その後ファンクラブの会報誌で「1,000万円」と訂正した。
  6. ^ これらは岡村視点での想い出であるため、2014年6月25日に放送されたニコニコ生放送「検証!吉川晃司、30の伝説!!」というコーナーでの吉川の言及は少し違った。吉川が「三人で待ち合わせたのは麻布でみんなでワイワイという感じだった」と話したのは、おそらく吉川は岡村より付き合いが広く、色んな人と遊んだ記憶が混ざっているのか、岡村ほど3人で遊んだ記憶が特別に強いということではないのかもしれない。
  7. ^ 1987年11月21日発売予定だったが急遽中止された。
  8. ^ 1994年発売予定だったが急遽中止された。
  9. ^ 2018年1月20日~21日開催の『KIKKAWA KOJI LIVE 2018 "Live is Life"』公演会場にて限定販売
  10. ^ 作品のテレビ本編である『仮面ライダーW』にも回想など重要な存在として登場しているが、テレビ用の映像は吉川の出演が決まる前に撮影されたため別人が演じ、顔が映らないようにされている。TV第31話ではOPでの表記は無いが、写真と回想(『MOVIE大戦2010』の映像の流用)で登場する。
  11. ^ ラストシーンに登場するパラレルワールドのスカルは仮面を被っていないため、吉川が自ら演じている。

出典

  1. ^ 吉川晃司”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2020年4月9日閲覧。
  2. ^ 広島市中島本町
  3. ^ a b #愚 p.137
  4. ^ スポーツ報知』、2011年8月7日28面
  5. ^ a b c 吉川晃司×小林武史 「大事なのは反応していく力」 - エコレゾ ウェブ
  6. ^ 24時間テレビ33 愛は地球を救う日本テレビ系、2010年8月29日放送での吉川の言及。
  7. ^ 朝日新聞デジタル:(核なき世界へ)使命感じ もがき歌う - 社会
  8. ^ NNNドキュメント「4400人が暮らした町〜吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園」2017年8月6日、広島テレビ
  9. ^ a b c d e f 「阿川佐和子のこの人に会いたい」 第919回『週刊文春』2012年4月12日号、pp.134-138
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