吉備池廃寺跡 遺構

吉備池廃寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 09:13 UTC 版)

遺構

伽藍(吉備池側から望む)
左に金堂跡、右奥に塔跡、間に吉備池南堤。
軒丸瓦・軒平瓦
奈良文化財研究所藤原宮跡資料館展示。

寺域は南北260メートル・東西180メートル以上。金堂を東、塔を西に配する法隆寺式伽藍配置で(法隆寺式伽藍配置としては最古の例)、主要伽藍として金堂跡・塔跡・中門跡・回廊跡・僧房跡の遺構が認められる。現在では金堂跡・塔跡の基壇は吉備池の築堤と重複する。遺構の詳細は次の通り。

金堂
本尊を祀る建物。寺域東寄りに位置して南面する。基壇は約1メートルの掘込地業で、東西37メートル・南北25メートル・推定復元高さ2メートル以上を測る。基壇の規模は、平面積としては法隆寺金堂の3倍以上におよぶ[1]。基壇化粧の痕跡は認められていないが、木製の壇正積基壇と推測される。基壇上面に礎石は遺存していないが、基壇の規模から基壇上建物は桁行7間・梁行4間と想定される[4]
基壇構築に際しては単一の種類の土で版築がなされる。これは斑鳩寺(法隆寺若草伽藍)にも見られる技術で、飛鳥寺以来の南朝・百済系統の技術とは一線を画する華北系統の技術と見られており、遣隋使が持ち帰ったものと推測される[5]
釈迦の遺骨(舎利)を納めた塔。寺域西寄りに位置して南面する。基壇は掘込地業を伴わず、一辺約32メートル・推定復元高さ2.8メートルを測る。基壇の規模は、平面積としては法隆寺五重塔の4倍におよび[1]、飛鳥寺院の他寺院や奈良時代の東大寺七重塔をしのぎ、文武朝大官大寺の九重塔や新羅皇龍寺の九重塔に匹敵する。基壇上面に礎石は遺存していないが、基壇中央部において巨大な心礎抜取穴が検出されている。基壇上建物は方7間(11尺等間)の九重塔と想定され、高さは80-90メートル[2](または100メートル以上[1])にも及んだと推定される。心礎は地上式と見られ、四天柱は心礎上に位置したと見られる[4]
中門
金堂の南、やや西寄り(寺域中軸寄り)に位置して南面する。基壇は削平されているが、周囲の雨落溝から東西12.0メートル・南北9.8メートル程度と推定される。基壇上建物は桁行3間・梁行2間の切妻造八脚門と見られる[4]
中門の位置は金堂の中軸から西にずれていることから、元々は金堂・塔のそれぞれに対応して中門は2棟存在した可能性が指摘される。塔側の中門(西中門)は未検出である。中門・回廊は金堂・塔・金堂院に比べて小規模であり、中門が2棟ある配置との関連性が指摘される[4]
回廊
中門左右から出て金堂・塔を囲む。南面・東面・西面で検出されており、東西156.2メートル(440大尺)を測る。基壇は幅5.4メートルで、基壇上建物は梁行11尺。前述の通り、回廊自体は金堂・塔・金堂院に比べて小規模なものになる[4]
僧房
僧の宿舎。金堂の北で2棟、その西で1棟の計3棟が検出されている。いずれも掘立柱の東西建物で、梁行2間。調査時点では最古の僧房遺構になる。これらのほかにも多数の僧房が存在したと推測される[4]

そのほかに講堂は未検出のため明らかでない。

寺域からの出土品としては多量の瓦がある。軒丸瓦は4種類(IA・IB・II・III)、軒平瓦は3種類(IA・IB・III)があるが、出土瓦のほとんどは創建時の単弁八弁蓮華文軒丸瓦(IA・IB)・型押し忍冬唐草文軒平瓦(IA・IB)である[4]。葺替用の瓦は認められないほか、創建期瓦の出土点数も少ないため、建物が別の場所に移されたことが確実視される[4]。創建期軒丸瓦は山田寺643年造営開始)金堂瓦に先行し、軒平瓦は斑鳩寺(法隆寺若草伽藍)に後出することから、630年代-640年代初頭の創建と推定される[4]。軒丸瓦IA・IB型式はその後に楠葉平野山瓦窯に運ばれて四天王寺の瓦生産に使用され、IB型式はさらに海会寺の創建瓦生産に使用されている[4]。III型式は平安時代のものであり、11世紀前半頃に付近に小規模な瓦葺仏堂が建てられていたと見られる[4]

なお『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』には、建立の際に子部社を切り開いたために神の怨みで九重塔・金堂が焼き破られたと見えるが、吉備池廃寺の金堂・塔の発掘調査では焼失痕は認められていない。『日本書紀』には同様の記事の記載はないが、大寺の焼失とあれば『日本書紀』に記載されるはずであるため、九重塔の焼失は史実ではないとされる[4]


  1. ^ a b c d e 河上邦彦『飛鳥発掘物語』扶桑社、2004年、pp. 170-172。
  2. ^ a b c d 吉備池廃寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ 百済大寺(平凡社) 1981.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 吉備池廃寺発掘調査報告 2003.
  5. ^ 青木敬 『土木技術の古代史(歴史文化ライブラリー453)』 吉川弘文館、2017年、pp. 135-141。





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