参謀本部 (日本) 陸軍参謀本部 (明治21年-明治22年)

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参謀本部 (日本)

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陸軍参謀本部 (明治21年-明治22年)

明治21年勅令第25号[12]により、1888年(明治21年)5月12日に、旧参謀本部陸軍部は「陸軍参謀本部」と改称された。陸軍参謀本部は、参軍の下で参謀事務を行うものとされた。そして、陸軍参謀本部長は参軍に対して責任を負うものとされた。

参軍

  • 有栖川宮熾仁親王 大将(1888年5月14日 - 1889年3月7日)

陸軍参謀本部長

  • 小沢武雄 中将(1888年5月14日 - 1889年3月9日)

参謀本部 (明治22年-昭和20年)

概要

新「参謀本部条例」(明治22年勅令第25号)[13]により、1889年(明治22年)3月7日に、旧陸軍参謀本部は「参謀本部」と改称された。

参謀総長の位置づけは、当初は「陸軍大将若クハ陸軍中将一人ヲ帝国全軍ノ参謀総長ニ任シ天皇ニ直隷シ帷幄ノ軍務ニ参シ参謀本部ノ事務ヲ管理セシム」(明治22年勅令第25号当時の第2条)とされ、参謀総長は海軍の軍令も管轄するものとされていた。参謀本部長を参謀総長と改名したのも軍令部長より一段上のポストであることを明確にするためである。ところが、この規定は海軍側の強い反発を生み、1903年の「明治36年勅令第293号戦時大本営条例改訂」により、陸海軍の軍令機関が並列対等と修正された。

啓蒙活動

日本史に関する複数の書物を編纂していた。主に戦国時代のものが多く、「大日本帝国陸軍参謀本部が、英知を結集して膨大な資料を解析・編纂」と称された。桶狭間の合戦長篠の合戦関ヶ原の合戦などの著名な戦闘を扱っている。内容は、当時の歴史学的には否定されるべきものではないが、合戦史ばかりを採用しており、国威発揚の一環と思料される。ただ、昭和に入り、高柳光寿らがその記述の誤謬を指摘している。

歴代参謀総長

歴代大日本帝国陸軍参謀総長一覧
参謀総長
姓名 階級 出身 就任 退任 備考 次長
1 有栖川宮熾仁親王 陸軍大将 皇族 1889年明治22年)
3月9日
1895年(明治28年)
1月15日
※在職中、薨去。 川上操六
2 小松宮彰仁親王 陸軍大将 皇族 1895年(明治28年)
1月26日
1898年(明治31年)
1月20日
  川上操六
3 川上操六 陸軍中将 鹿児島県 1898年(明治31年)
1月20日
1899年(明治32年)
5月11日
※1898年(明治31年)9月28日に大将昇進。
※在職中、逝去。
大迫尚敏
4 大山巌 陸軍大将 鹿児島県 1899年(明治32年)
5月16日
1904年(明治37年)
6月20日
満洲軍総司令官就任に伴い、退任。 大迫尚敏寺内正毅

田村怡与造福島安正

児玉源太郎

5 山縣有朋 陸軍大将 山口県 1904年(明治37年)
6月20日
1905年(明治38年)
12月20日
  長岡外史
6 大山巌 陸軍大将 鹿児島県 1905年(明治38年)
12月20日
1906年(明治39年)
4月11日
  児玉源太郎(事務取扱)
7 児玉源太郎 陸軍大将 山口県 1906年(明治39年)
4月11日
1906年(明治39年)
7月30日
歩兵 福島安正
8 奥保鞏 陸軍大将 福岡県 1906年(明治39年)
7月30日
1912年(明治45年)
1月20日
歩兵科 福島安正大島健一
9 長谷川好道 陸軍大将 山口県 1912年(明治45年)
1月20日
1915年(大正4年)
12月17日
歩兵科 大島健一明石元二郎

田中義一

10 上原勇作 陸軍大将 宮崎県 1915年大正4年)
12月17日
1923年(大正12年)
3月17日
工兵科・陸士旧3期 田中義一福田雅太郎

菊池慎之助武藤信義

11 河合操 陸軍大将 大分県 1923年(大正12年)
3月17日
1926年(大正15年)
3月2日
歩兵科・陸士旧8期 武藤信義金谷範三
12 鈴木荘六 陸軍大将 新潟県 1926年(大正15年)
3月2日
1930年(昭和5年)
2月19日
騎兵科・陸士1期 金谷範三南次郎岡本連一郎
13 金谷範三 陸軍大将 大分県 1930年昭和5年)
2月19日
1931年(昭和6年)
12月23日
歩兵科・陸士5期 岡本連一郎二宮治重
14 閑院宮載仁親王 陸軍大将 皇族 1931年(昭和6年)
12月23日
1940年(昭和15年)
10月3日
騎兵科 二宮治重真崎甚三郎

植田謙吉杉山元西尾寿造

今井清多田駿中島鉄蔵

沢田茂

15 杉山元 陸軍大将 福岡県 1940年(昭和15年)
10月3日
1944年(昭和19年)
2月21日
歩兵科・陸士12期 沢田茂塚田攻田辺盛武秦彦三郎
16 東條英機 陸軍大将 東京都 1944年(昭和19年)
2月21日
1944年(昭和19年)
7月18日
歩兵科・陸士17期 後宮淳(第一次長:作戦担当)、
秦彦三郎(第二次長:後方兵站担当)
17 梅津美治郎 陸軍大将 大分県 1944年(昭和19年)
7月18日
1945年(昭和20年)
11月30日
歩兵科・陸士15期 秦彦三郎河辺虎四郎

参謀総長は、陸軍大臣教育総監と並び陸軍三長官と呼ばれた。また、三組織合わせて「省部」と呼称した。

廃止時の組織

内部部局

  • 参謀総長(大将又は中将)
  • 参謀次長(中将1名) - 昭和20年(1945年)5月まで大本営兵站総監を兼務
  • 総務部
    • 部長(中将又は少将。以下部長は全て同じ)
    • 総務課
      • 課長(大佐又は中佐。以下課長は全て同じ)
      • 副官
      • 庶務班(班長は中佐又は少佐。以下班長は全て同じ)
      • 電報班
      • 主計官
      • 軍医官
    • 教育課(第1課)
      • 課長 - 昭和18年(1943年)3月から教育総監部第1課長の兼務
  • 第1部
    • 部長 - 大本営 兵站総監部参謀長を兼務
    • 作戦課(第2課)
      • 課長
      • 作戦班
      • 戦力班 - 昭和16年(1941年)以前は兵站班
      • 航空班 - 大正9年(1920年)8月、新設
      • 戦争指導班 - 第1班。昭和12年(1937年)12月、新設
      • 防衛班 - 昭和18年(1943年)10月、新設
    • 編制動員課(第3課)
      • 課長 - 昭和20年(1945年)4月から陸軍省軍務局軍事課長の兼務
      • 編制班
      • 動員班
      • 資材班
  • 第2部
    • 部長
    • ロシア課(第5課)
      • 課長
      • 軍備班
      • 兵要地誌班
      • 文書諜報班(第10班)
    • 欧米課(第6課)
    • 支那課(第7課)
      • 課長
      • 支那班
      • 兵要地誌班
    • 謀略課(第8課)
      • 課長
      • 総括班(第4班)
      • 謀略班(第11班)
  • 第3部
    • 部長 - 大本営運輸通信長官を兼務
    • 鉄道船舶課(第10課。運輸課とも)
      • 課長
    • 通信課(第11課)
      • 課長
  • 本邦戦史編纂部 - 昭和17年(1942年3月23日、支那事変史編纂委員会を改称
    • 部長

一時期に設置された部局

この他、明治29年(1896年)~昭和18年(1943年)まで第4部が、明治32年(1899年)から明治41年(1908年)まで第5部が存在した。

  • 第4部
    • 部長
    • 内国戦史課 - 昭和11年(1936年)戦史課へ統合
      • 課長
    • 外国戦史課 - 昭和11年(1936年)戦史課へ統合
      • 課長
    • 日露戦史編纂課 - 大正2年(1913年)3月31日廃止
      • 課長
    • 戦史課 - 第12課。昭和11年(1936年)6月5日発足
      • 課長
    • 戦略戦術課 - 第13課。昭和11年(1936年)8月新設。課長は、戦史課長の兼任が多かった。
      • 課長
  • 第5部
    • 部長

参謀本部による昭和20年敗戦時の資料の焼却と保管

1945年(昭和20年)8月15日玉音放送により昭和天皇の終戦の詔勅(ポツダム宣言受諾による日本の降伏)が下ると政府から資料の焼却命令が出され、3日3晩に渡って夜空を焦がした[14][15][16]。当時、参謀本部支那事変史編纂部長石割平造は「これでは陸軍史は消えて行く」と嘆じ、燃え残った資料をいくらか蒐集し保管した[17]。この焼け残り資料の管理を復員した外山操が引き継ぎ、今日では防衛庁(現:防衛省)戦史室に寄贈され戦史の編纂に使用されている[18]

外局

交通

最寄り駅は都電9系統および11系統の参謀本部前停留所。9系統に駅が設置された理由は、沿線の青山一帯は佐官以上の軍人向けに安価で払い下げられた住宅地が密集していたため。11系統への乗換駅でもある。大正9年(1920年)に参謀本部前停留所が廃止されると、三宅坂停留所が最寄り駅になっている。


  1. ^ 百科事典マイペディア
  2. ^ a b 旺文社日本史事典 三訂版
  3. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)
  4. ^ 『官報』第4581号、明治31年10月5日。
  5. ^ 小林 龍夫、島田 俊彦編『現代史資料7』p26
  6. ^ 中野雅夫『橋本大佐の手記』p24~p28
  7. ^ 法令全書. 明治6年 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 法令全書. 明治7年 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 法令全書. 明治7年 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 法令全書. 明治11年 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ 黒野耐『参謀本部と陸軍大学校』p6、講談社、2004/3/21
  12. ^ 法令全書. 明治21年 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  13. ^ 陸軍法令全集. 第1号 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  14. ^ 監修上法快男、編集外山操『陸海軍将官人事総覧』p9p
  15. ^ 自治大学校史料編集室編 『山崎内務大臣時代を語る座談会』p67
  16. ^ 保阪正康『検証・昭和史の焦点』p182
  17. ^ 監修上法快男、編集外山操『陸海軍将官人事総覧』p9
  18. ^ 監修上法快男、編集外山操『陸海軍将官人事総覧』p9~p12


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