原辰徳 関連情報

原辰徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 18:48 UTC 版)

関連情報

ディスコグラフィ

※特記ない限り、レコード盤として発売。

  • 「どこまでも愛」(1982年発売)オリコン最高85位、売り上げ1万1000枚[191]。B面のタイトル「サム」は愛犬の名。
  • 『サムシング』(1982年発売。アルバム(LP)、1995年にCDで再発) - LP版には特典としてオリジナルポスターとCM写真集が付属した。
  • ビクトリー」(1984年4月1日発売、メインボーカルは細川たかし) - 岡田彰布、高橋慶彦、宇野勝、遠藤一彦、荒木大輔と共にコーラス参加。

応援歌

  • 「あこがれの辰徳お兄ちゃん」(1980年12月25日発売、東芝EMI) - 作詞:鈴木しげる、作曲:小川悠一郎、編曲:小山内たけとも、歌:岡田大介
  • 「エイトマン・タツノリ」(1981年6月発売、Orange House Records) - 歌:ビリーとスーパーヒーローズ
    • 克美しげる「エイトマン」の替え歌。この曲は一部分が最初期の選手別応援歌としても使用されていたが、後に全く別のものに差し替えられ、その差し替えられた応援歌の方が引退まで長きの間使用された。

著書

関連書籍

  • 『原辰徳・青春の素顔』(今西良光著、アロー出版社、1976年12月)
  • 『小説原辰徳物語:東海の父子鷹』(戸部良也著、エフプロ出版、1977年2月)
  • 『虹をかける男 原辰徳:注目のゴールデンボーイの全行動記録』(戸部良也著、講談社、1980年8月)
  • 『原辰徳 : おやじと息子の二十三年』(軍司貞則著、文芸春秋、1981年7月)
  • 『原辰徳 : 実録まんが』(いけうち誠一絵、学習研究社(アイドル・コミックス)、1983年4月)
  • 『ジャイアンツの若大将 原辰徳物語』(槙田隆次著、恒文社、1983年5月)
  • 『ジャイアンツ愛:原辰徳の光と闇』(赤坂英一著、講談社、2003年5月)ISBN 978-4062117647

写真集

  • 打ちまくれ!原辰徳―巨人の四番は男の勲章だ(1982年・講談社)ISBN 4061444123
  • 原辰徳写真集(1982年・双葉社)

出演

テレビorラジオ

テレビ

ラジオ

  • 原辰徳のいきいきトーク(2004年4月 - 2005年12月。TBSラジオ)[7]
  • 原辰徳 青春そして音楽(アール・エフ・ラジオ日本
  • 原辰徳 青春賛歌(アール・エフ・ラジオ日本)

CM

受賞

  • GQ MEN OF THE YEAR 2007(2007年)[195]

  1. ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑』2004年・2005年版の解説者名鑑では、出身地の項に「福岡県大牟田市-神奈川県相模原市」と記載。
  2. ^ 当時の原は練習帰りに団地の公園で森村の長男の遊び相手をしていた。森村は当時の2人の姿を覚えており、「面倒見のいい辰徳君に感謝しています」と語っている[11]
  3. ^ 1974年夏の甲子園、準々決勝で原辰徳の東海大相模高と定岡正二の鹿児島実業高が対戦し、延長15回の熱闘となってNHKが試合中継を途中で打ち切ったために、視聴者から苦情が殺到する一幕があった(NHKでの中継の項参照)。この一戦が原辰徳の名が全国に知られるきっかけとなった。また原が巨人に入団した際、『月刊ジャイアンツ』誌上にて既にチームの先輩であった定岡との対談が組まれている。
  4. ^ この時に広島が外れ1位で指名した選手が、後に巨人で同僚となる川口和久であった。また2位には駒田徳広を指名
  5. ^ しかし後年、原は「折れたことには悔いはなかったですよ。津田というのは、そういうふうに思わせるピッチャーでしたね」と語り[24]、また直球の速かった投手を問われると必ず「津田、小松鈴木孝政さん、大学時代の江川さん」と真っ先に津田の名を挙げるという[25]
  6. ^ 第一次政権の日本一に大きく貢献したのが、ヘッドコーチ・鹿取義隆の中6日を崩さない先発ローテーションであった。工藤公康や桑田真澄などのベテランを有効に使い、選手の能力を十二分に発揮させた。翌年は一転、深刻な投壊状態に陥った。
  7. ^ 代打桑田の理由に関しては公式サイトの2002年6月22日の日記に論理的な判断(左打者の岡島に左対左でバントさせるよりも右打者の代打を起用したかったため、清原は送りバントを想定している打者ではないことと足が遅いことで併殺の恐れがあるため、村田は捕手・阿部が負傷した際の守備要員にする必要があったため、鈴木は代走要員であることと代打清原が出塁した後の代走を想定していたため)を掲載しているが、「野手を信頼していないから投手の桑田を代打起用した訳ではなく、残っている野手の分野を考えた」「奇策に奇策を重ねるような戦い、森祇晶監督に対して礼を逸した戦いぶりだった」と原本人はあまり評価をしていない。
  8. ^ (株)ベースボールマガジン社刊『週刊ベースボール』2009年10月26日号「特集 原巨人、3連覇!」では岡田彰布(90 - 91ページ)、豊田泰光(52 - 53ページ)、水野雄仁(28 - 29ページ)が賛辞のコメントを寄せている。
  9. ^ 主に「何かの問題を全て原の責任に仕立て上げる」「原が誰々を嫌っている(またはその逆)」といったような話を好んで掲載しており、一例を挙げると、2009年極度の打撃不振から李承燁を二軍落ちさせたが、当時球団代表だった清武英利が「原監督が李の扱いのためにかなりストレスを受けていた」と明かした話がその年の夕刊フジに掲載されているが、夕刊フジは『韓国内からは「原監督は李が嫌いなのか」などの問い合わせが相次いだという』と併記している[156]
  10. ^ 日韓クラブチャンピオンシップは事実上、アジアシリーズの代替大会であるが、記録は別大会として扱われている。
  11. ^ 選手としても1990年に4連敗を経験しており、巨人では藤田元司に次いで2人目となる。
  12. ^ 同社広告では「アドバイザー」と表記。






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