南硫黄島原生自然環境保全地域 南硫黄島と人間との関わり

南硫黄島原生自然環境保全地域

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/12 14:53 UTC 版)

南硫黄島と人間との関わり

南硫黄島遠景

南硫黄島は、サンゴ礁の発達が悪いうえに湾や入江がほとんど見られないため、外洋の波浪が海岸線に直接打ちつけており、上陸自体が困難である。島自体も皇居ほどの大きさの島に916メートルという山がそびえ、平均斜度45度というきわめて険しい地形であり、また真水もほとんどないことから、人間が上陸した記録自体が少なく、これまで開発の手が入ることがなかった[16]

南硫黄島の発見は1543年スペイン船サン・ファン号による火山列島発見時のこととされる。その後も北太平洋を航海する船によって目撃された記録が残っている。1885年明治18年)末、函館を出航した松尾丸が遭難、漂流の結果、南硫黄島に漂着し、乗組員のうち3名が救助されるまでの約3年半、島で過ごした。また第二次世界大戦終了直後、アメリカ軍によって南硫黄島で1人の日本人が発見されたとの話が伝えられているが不確実である[17]

しかし南硫黄島を開発しようとする試みがこれまでまったく行われなかったわけではない。1896年(明治29年)から北硫黄島の開拓を始めた石野平之丞は、火山列島を構成する北硫黄島、硫黄島、南硫黄島すべてを調査したうえで北硫黄島の開拓に乗り出したと伝えられており、また1917年大正6年)には硫黄島の住民が南硫黄島に上陸し、サトウキビなどの栽培を試みた。しかし上陸自体が困難であるうえに、島自体のきわめて険しい地形、そして真水がきわめて乏しいという悪条件は、このような開発の試みを挫折させたと考えられる[18][19]

調査研究の経過

人間による開発の手が及ばず、手つかずの原始の自然が残された南硫黄島は、やがてその貴重な自然環境が注目されるようになった。1930年昭和5年)に南硫黄島で採取され、小笠原営林署で栽培された植物が中井猛之進の手に渡ったことにより、南硫黄島の生物が最初に学会にもたらされることになった。そして1935年(昭和10年)10月、小笠原営林署による植物調査が実施され、標高約700メートル付近まで調査を実施して多数の植物標本を持ち帰った。これが初めての南硫黄島の学術調査である[20]

1936年(昭和11年)3月、より本格的な植物調査が実施された。このときの調査では島の南西部から登頂を行って初めて島の最高点に到達し、海岸部から山頂部まで調査を行うことに成功した。調査では維管束植物89種を採集し、南硫黄島の植物相の特徴がとらえられるようになった[21]

1968年(昭和43年)6月の小笠原諸島の日本復帰後、人間の影響がきわめて希薄で、自然環境の調査が進んでいない南硫黄島についての関心が高まっていった。まず1969年(昭和44年)7月には鳥類調査を目的として文部省の調査船が南硫黄島周辺を調査し、同月、東京都建設局公園緑地部の調査船も調査のため南硫黄島を一周した。1972年(昭和47年)10月、南硫黄島は小笠原国立公園の区域に指定され、1972年11月には南硫黄島全体が天然記念物に指定された。さらに1975年(昭和50年)5月、環境庁によって人間による環境への影響が少なく原始の自然が残されている地域として、自然環境保全法に基づき原生自然環境保全地域に指定された[22][1]

1979年(昭和54年)4月には、地質調査所が南硫黄島の岩石採集を目的として上陸調査を行ったが、天候急変のために数時間で調査を切り上げざるを得なかった。1981年(昭和56年)6月には国土庁が岩石採集を目的とした調査を試みたが、高波のために上陸を断念した。1981年(昭和56年)6月、日本シダの会の調査員が上陸に成功し130メートル付近まで登頂を行い、新たに13種の植物を採集した[23]

環境庁は原生自然環境保護地域に指定された5か所の総合的な学術調査を昭和55年度から実施した。その中で南硫黄島も、1982年(昭和57年)6月に総合的な学術調査が実施された。1936年以来46年ぶりに海岸部から山頂まで各種調査が実施され、これまで多くの謎に包まれていた南硫黄島の貴重な地形、地質、土壌、植物、動物などの自然環境が明らかになってきた。このときの調査結果を踏まえ、1983年(昭和58年)6月、南硫黄島全体が原生自然環境保護地域の立入制限地区に指定されることになった[24]

2007年平成19年)6月、東京都環境局と首都大学東京の手によって25年ぶりの南硫黄島調査が行われた。これは小笠原諸島が世界遺産の自然遺産の候補地とされる中で、調査回数が少なくいまだ全貌が明らかとなっていない南硫黄島の自然環境についての調査を実施し、人間からの影響がきわめて少ない海洋島である南硫黄島の生物多様性、生態系のあり方や生物進化の過程を知り、そして南硫黄島への外来生物の進入状況を把握することが小笠原諸島の世界遺産としての価値を証明するためにも必要と判断されたためであった。2007年の調査では1936年、1982年に続き3回目となる山頂までの総合調査が実施され、南硫黄島の自然環境について貴重な知見を得ることができた。また2007年の調査時は、人間からの影響が最小限に抑えられている南硫黄島への外来種の持ち込みを避けるために、島内に持ち込む荷物をクリーンルーム内で殺虫剤の燻蒸を行い、調査隊員の排泄物やゴミもすべて持ち帰るなど、調査によって南硫黄島の自然環境に影響を与えぬよう万全の体制を取った[25]

2017年(平成29年)6月、東京都、首都大学東京、日本放送協会の合同による南硫黄島学術調査が実施された。立ち入り困難な場所も多いため、科学者らはロッククライミングの専門家から事前に指導を受け(調査にも同行)、マルチコプターによる空撮も使用された[26]。この記録は2018年のNHKスペシャルで放送された[27]

南硫黄島でこれまで行われた本格的な学術調査は、1936年、1982年、2007年、2017年の4回にすぎず、4回とも山頂部までの調査が実施されたものの、すべて島の南西部からほぼ同一コースを取って山頂を目指したため、海岸部を除くと島の南西部から山頂への登頂ルート周辺という島内のほぼ同一地域の調査に限られている。また戦後の1982年、2007年、2017年の調査とも、天候が比較的安定していて台風も少なく波が一番穏やかな季節とされる6月に実施されており、冬季に南硫黄島で繁殖活動を行っている可能性があるとされるアホウドリ類の調査が進んでいないなど、まだ南硫黄島の自然環境については調査が進んでいない部分が残されている[28][29]


注釈

  1. ^ 南硫黄島の形成史は調査が進んでいないこともあって、年代等まだはっきりしたことがわかっていない。ここでは中野(2008) において「大局的な火山体構造の区分としては誤っていない」と評価された福山博之「南硫黄島及びその周辺の地質と地形」(環境庁自然保護局編『南硫黄島の自然』、1983)の記述に従う。
  2. ^ 1983年発行の「南硫黄島の自然」では、エダウチムニンヘゴ、ナガバコウラボシ、ウミノサチスゲ、ナンカイシュスランの4種が南硫黄島固有種としているが、2008年の「南硫黄島自然環境調査報告書」では南硫黄島の固有種についての説明はなく、ナガバコウラボシ、ホソバチケシダ、オオトキイヌビワ、ムニンカラスウリ、ムニンホオズキ、ナンカイシダの6種が日本全国の個体数の5割を越えるとの説明がなされている。ここでは直近の南硫黄島自然環境報告書の記述に従う。
  3. ^ オガサワラオオコウモリの現在の生息地域については、母島と硫黄島では確認されていないとの資料もあるが、中央環境審議会野生生物部会 (2009) に基づき、母島、硫黄島でも生息しているとの記述とした。
  4. ^ 千葉(2008) は、南硫黄島と比較的似通った環境下にある北硫黄島の陸産貝類相が貧弱なのは、明治時代以降に行われた開墾の影響によって北硫黄島の陸産貝類が打撃を受けた可能性を指摘している。
  5. ^ 橋本(2009) によれば、面積 10 ha 以上の小笠原諸島内のこれまで調査が行われた島の中でクマネズミの侵入がなかったことが確認されているのは南硫黄島のみで、北之島、西之島は不明としている。ここでは環境庁 (2010) の記述に従い、南硫黄島、北之島、西之島にはネズミ類の生息が見られないという記述とする。

出典

  1. ^ a b c 南硫黄島原生自然環境保全地域” (pdf). 自然環境保全地域 各指定地域の特徴. 環境省. 2013年9月25日閲覧。
  2. ^ 原生自然環境保全地域” (pdf). 自然環境保全地域各種データ. 環境省. 2013年9月25日閲覧。
  3. ^ 環境庁自然保護局 (1983) p.9、加藤ほか (2008) pp.1-2
  4. ^ 環境庁自然保護局 (1983) p.23、藤岡、有馬、平田 (2008) p.10、pp.15-23
  5. ^ 清水(2010), p. 20-21.
  6. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.10-11、加藤ほか (2008) p.2
  7. ^ 中野(2008), p. 31-34.
  8. ^ 福山 博之「火山列島, 南硫黄火山の地質」『地学雑誌』第92巻、1983年、55-67頁、doi:10.5026/jgeography.92.552018年9月15日閲覧 
  9. ^ 中野(2008).
  10. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.38-40
  11. ^ 佐々木・堀越(2008), p. 155.
  12. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.31-42
  13. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.213-215、pp.143-144。
  14. ^ 清水(2010), p. 88-89.
  15. ^ a b 朱宮ほか(2008), p. 63-69.
  16. ^ 環境庁自然保護局 (1983) p.14
  17. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.14-15、加藤ほか (2008) pp.2-3
  18. ^ 小田(1992), p. 94.
  19. ^ 環境庁自然保護局 (1983) p.17
  20. ^ 環境庁自然保護局 (1983) p.63
  21. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.64-65
  22. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.17-21
  23. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.17-21、p.65
  24. ^ 環境庁自然保護局 (1983) 刊行によせて、pp.1-2
  25. ^ 東京都環境局 (2007a) 、加藤ほか (2008) pp.3-22
  26. ^ a b c 東京都「世界自然遺産の小笠原諸島南硫黄島(みなみいおうとう)で10年ぶりの自然環境調査の結果について」2017年2017年9月16日閲覧
  27. ^ NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル 秘島探検 東京ロストワールド 第1集「南硫黄島」
  28. ^ 環境庁自然保護局 (1983) p.23、川上、鈴木、千葉、堀越 (2008) p.120
  29. ^ 東京都「世界自然遺産の小笠原諸島南硫黄島(みなみいおうとう)で10年ぶりの自然環境調査の結果について」2017年2017年9月16日閲覧(千葉(2008), p. 153)(藤田ほか(2008b), p. 49-53)
  30. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.63-65
  31. ^ a b c 藤田ほか(2008b), p. 49-53.
  32. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.86-105
  33. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.151-180
  34. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.91-105、pp.151-180
  35. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.91-96、藤田ほか (2008a) pp.50-67
  36. ^ a b 藤田ほか (2008a) pp.50-67
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  38. ^ 中央環境審議会野生生物部会 (2009)
  39. ^ 清水(2010), p. 104-105.
  40. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.225-237
  41. ^ a b c 鈴木.川上.藤田(2008), p. 89-85.
  42. ^ a b 環境庁自然保護局 (1983) pp.226-228、川上、鈴木 (2008) pp.105-107
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  45. ^ a b 川上、鈴木、千葉、堀越 (2008) pp.111-120
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  47. ^ 川上、鈴木、千葉、堀越 (2008) pp.111-120、環境省 (2010) p.59
  48. ^ 加藤 (2011)
  49. ^ 環境庁自然保護局 (1983) p.248、川上、鈴木、千葉、堀越 (2008) pp.111-120
  50. ^ アカアシカツオドリの集団繁殖を初確認 南硫黄島 - 日本経済新聞
  51. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.287-301
  52. ^ a b 堀越(2008), p. 129-134.
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  54. ^ 清水(2010), p. 113.
  55. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.303-327、苅部・松本 (2008) pp.135-142
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  57. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.303-327
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  59. ^ 東京都南硫黄島で発見されたアリが新種として確定 Archived 2016年3月5日, at the Wayback Machine.
  60. ^ 東京都環境局 (2007b) 、苅部・松本 (2008) pp.135-142
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  68. ^ 環境庁自然保護局 (1983) pp.393-400
  69. ^ 朱宮ほか(2008), p. 69.
  70. ^ 環境省 (2010) p.125






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