南方熊楠 学問

南方熊楠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/22 06:06 UTC 版)

学問

生物学

熊楠は博物学者として紹介されることが多いが、時代としては既に博物学は解体されており、熊楠の活動はその面では完全に植物学の分野に収まる。熊楠の専門分野はいわゆる隠花植物である。東京時代にアメリカのカーチスという学者が生涯に菌類を6000点収集したとの話を聞いて、自分は7000点を集めることを決心したとの逸話がある[27]

しかしながら、熊楠が生涯で最も時間をかけていたのは、実は顕花植物の収集であったらしい。渡米前には日光などで、またアメリカでも各地で植物採集を行い、帰国後は和歌山県南部の各地で多量の植物採集を行い、それらの標本は、保存状態はともあれ、多くが残されている[28]。初期のものは台紙に張った正式な押し葉標本の形に整えられているものが多いが、後期のものの多くは新聞紙に挟まれただけである。またいくつかには詳細な書き込みや細部の図がつけられており、そのようなものからも彼がしっかりとした植物学者としての知識を持っていたことがうかがえる。ただし、熊楠自身は高等植物に関して専門家であると発言していない。しかし、自然保護運動にせよ、隠花植物の研究にせよ、高等植物に関する知識がその下地を作っていたのであろう。

熊楠については粘菌のことが取り上げられることが多いが、熊楠自身は隠花植物全般を専門にしていた。熊楠は非常に多くの標本を作製し、それらを図として残した。

淡水藻類についても多くのプレパラート標本が作られたのはわかっている。ただし、この分野については熊楠が発表したものも少なく、また標本の保存もよくないため、詳しいことはわかっていない。

菌類のうち、キノコについても熊楠は多くの努力を費やした。乾燥標本も多く作成したが、熊楠はキノコの彩色図に専門的な記載文をつけたものを3,500枚も作成した。熊楠の標本を検討した粘菌学者の萩原博光はこれについて「南方ほど多くの図と記載文を残した研究者は少ないだろう」と述べているという[29]

粘菌については、熊楠は古くから関心を持っていたのは間違いないが、初期にはむしろ植物や淡水藻類に努力を傾けており、標本の様子などから見て、その精力が注がれたのは田辺に居を定めてからであるらしい[30]。熊楠は6,000点以上の変形菌の標本を残し、数度にわたって変形菌目録を発表した。熊楠が発見した新種は10種ほどがあり、中でもミナカタホコリには熊楠の名が残されたことでよく知られる。しかし、萩原は熊楠の先進性を別のところに認めている。ミナカタホコリは生きた樹木樹皮に発生するもので、このような環境に生息する変形菌の研究は1970年代以降に注目されるようになったものであり、また1990年代に注目されるようになった冬季に発生する粘菌にも熊楠が注目していたことがわかっている[31]

評価

このように、広範囲の分野に多くの研究を行っており、その残されたものから判断すると、熊楠が高度な専門家であったことは間違いない。しかしながら、熊楠はこれらの分野において、ほとんど論文を発表していない。これは、出版された論文をもって正式な業績と見なす科学の世界では致命的である。たとえば粘菌の分野では、熊楠は数度にわたって目録を発表しており、熊楠以前には日本から36種しか記録されていなかった日本の粘菌相に178種を追加した。これだけでも熊楠は変形菌研究の歴史に大きな名を残している。しかし、例えば熊楠は「新種」を記載してはおらず、熊楠の手になる新種は、全て他の研究者によって発表されたものである。これはキノコの分野でも同じであり、そういった観点からは、熊楠に対しては「優れた観察者およびコレクター」(萩原(1999),p.245)という評価しかできない。

国立科学博物館筑波実験植物園植物研究部長の細矢剛は、『菌類図譜』について「記載方法が自己流で内容にもムラがある」ため生物学的な価値は高くないと指摘しつつ、においや味についても書き込んでいるのは熊楠自身のためのデータベース的な役割だったのではないかと推測し、文化的価値を認めている[6]ワタリウム美術館館長の和多利恵津子は『南方熊楠菌類図譜』(新潮社)においてアート作品としての面を評価している[6]

『ネイチャー』誌に掲載された論文の数は約50報、日本人最高記録保持者となっている[注釈 5]。 これについては、熊楠が目指していた菌類図説がもし発表されていれば、また評価は違ったかも知れない。ただ、熊楠自身の残したメモや日記、手紙類から、熊楠の学問について推測するための努力は今も続けられている。

論文

熊楠の手による論文はきちんとした起承転結が無く、結論らしき部分がないまま突然終わってしまうこともあった。また、扱っている話題が飛び飛びに飛躍し、隣人の悪口などまったく関連のない話題が突然割り込んでくることもあった。更に猥談が挟み込まれることも多く、柳田國男はそうした熊楠の論文に度々苦言を呈した。しかし、思考は細部に至るまで緻密であり、一つ一つの論理に散漫なところはまったくなく、こうした熊楠の論文の傾向を中沢新一は研究と同じく文章を書くことも熊楠自身の気性を落ち着かせるために重要だったためと分析している。「熊楠の文章は、異質なレベルの間を、自在にジャンプしていくのだ。(中略)話題と話題がなめらかに接続されていくことよりも、熊楠はそれらが、カタストロフィックにジャンプしていくことのほうを、好むのだ。」「文章に猥談を突入させることによって、彼の文章はつねに、なまなましい生命が侵入しているような印象があたえられる、(中略)言葉の秩序の中に、いきなり生命のマテリアルな基底が、突入してくるのだ。このおかげで熊楠の文章は、ヘテロジニアスな構造をもつことになる。」と分析。「こういう構造をもった文章でなければ、熊楠は書いた気がしなかったのだ。手紙にせよ、論文にせよ、なにかを書くことは、熊楠の中では、自分の大脳にたえまなく発生する分裂する力に、フォルムをあたえ満足させる、という以外の意味をもっていなかったからだ。」と考え、また熊楠の文体構造の特徴を「マンダラ的である」とも語り、「マンダラの構造を、文章表現に移し変えると、そこに熊楠の文体が生まれ出てくる。」とも述べている。


注釈

  1. ^ 熊楠の生まれた時、父弥兵衛は39歳、母住が30歳であった。ちなみに、この二人の間には、長男藤吉、長女くま、次男熊楠、三男常楠、次女藤枝、四男楠次郎の6人が生まれている。生誕地は橋丁二十二番地、その跡地に当たる駐車場の角に、和歌山市によって熊楠の胸像が1994年に建てられている[7]
  2. ^ 速成中学校(旧制の高等小学校と同じ)で希望者のみ入学した。
  3. ^ 中国代の辞書『正字通』にある「落斯馬」という動物がイッカクであると書いたシュレーゲルに対し、熊楠はセイウチであると主張した論争。熊楠が勝利。
  4. ^ 発見場所は、稲荷村(現・田辺市)の糸田にある猿神(古くは山王権現社と呼ばれていた)で、高山寺のある台地の会津川に臨む見晴らしの良い場所にあった[13]
  5. ^ 当時の『ネイチャー』誌における投稿論文は、現在の査読を行わない読者投稿欄のようなものであった[要出典]
  6. ^ 写真多数の図版本。長谷川興蔵(1924-1992)は、編集者として生涯かけ平凡社・八坂書房で著作資料の校訂を担当した。
  7. ^ 同じ谷川健一編で、熊楠を柳田国男・折口信夫と比較論考した『南方熊楠、その他』(思潮社、1991年)がある。
  8. ^ 著者没後に刊、編者ほか3名による共著。

出典

  1. ^ 松居竜五・岩崎仁編『南方熊楠の森』(方丈堂出版、2005年)4〜13頁
  2. ^ a b c d e f g h i j k 南方熊楠大辞典. 勉誠出版. (2012年1月30日) 
  3. ^ a b 田村義也「語学力」(『南方熊楠大事典』129-133頁)
  4. ^ 飯倉照平「熊楠伝説」、『南方熊楠大事典』(勉誠出版、2012年)124〜129頁などを参照。
  5. ^ a b c d e f 唐澤太輔「南方熊楠 日本人の可能性の極限」. 中央公論新社〈中公新書〉. (2015年4月) 
  6. ^ a b c d 読売新聞』よみほっと(日曜別刷り)2021年10月24日1面【ニッポン絵ものがたり】南方熊楠「菌類図譜」F.4198
  7. ^ 飯倉 2006, p. 2.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk 南方熊楠大事典(第六部 年譜). 勉誠出版. (2012年1月30日) 
  9. ^ a b c d e f g h i 漱石と熊楠 同時代を生きた二人の巨人. 鳥影社. (2019年4月3日) 
  10. ^ Collectors of the UNC Herbarium(英語) - ノースカロライナ大学チャペルヒル校植物標本館ノースカロライナ植物園英語版の一部門でもある。)
  11. ^ William Wirt Calkins - ウェイバックマシン(2019年3月13日アーカイブ分)(英語) - イリノイ州自然史調査所英語版
  12. ^ 松居竜五「ジャクソンヴィルにおける南方熊楠」『龍谷大学国際社会文化研究所紀要』第11号、龍谷大学、2009年6月30日、 210-228頁、 NAID 110008739278
  13. ^ 飯倉 2006, p. 206.
  14. ^ 飯倉 2006, p. 200.
  15. ^ 松居竜五「南方熊楠宛スウィングル書簡について」『龍谷大学国際社会文化研究所紀要』第7号、龍谷大学、2005年3月25日、 149-156頁、 NAID 110004628956
  16. ^ a b 南方熊楠顕彰会>ゆかりの地
  17. ^ 変形菌分類学研究者 - 日本変形菌研究会
  18. ^ Minakatella longifila G. Lister -- Discover Life
  19. ^ Minakatella longifila G.Lister, 1921 - Checklist View
  20. ^ Gulielma Lister - Wanstead's Wildlife(英語)
  21. ^ 変形菌分類学研究者の紹介(国外) - 日本変形菌研究会
  22. ^ 雲藤等「『南方熊楠全集』(平凡社)と書翰原本との異同 : 上松蓊宛・平沼大三郎宛書翰を中心に」『社学研論集』第20巻、早稲田大学大学院社会科学研究科、2012年9月、 139-155頁、 ISSN 1348-0790NAID 120005300994(18)の異同を参照。
  23. ^ 紀田順一郎「南方熊楠─学問は活物で書籍は糟粕だ─」においては、ブレサドラの『菌誌』とも。
  24. ^ 南方熊楠顕彰館所蔵資料・蔵書一覧(南方熊楠顕彰館2012) 5.関連p.14の"関連0958"に資料名として『ブレサドラ菌図譜』とあわせて「名誉賛助名簿」とある。
  25. ^ a b c d e f g h 南方熊楠大事典(第二部 生涯). 勉誠出版. (2012年1月) 
  26. ^ 南方熊楠大事典(第三部 人名録). 勉誠出版. (2012年1月) 
  27. ^ 飯倉 2006, p. 36.
  28. ^ 飯倉 2006, p. 277.
  29. ^ 飯倉 2006, p. 279.
  30. ^ 飯倉 2006, p. 273.
  31. ^ 萩原(1999)、p.244
  32. ^ a b 南方熊楠大事典. 勉誠出版. (2012年1月) 
  33. ^ 和歌山県神社庁公式サイト 鬪鷄神社
  34. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 南方文枝「父 南方熊楠を語る」、付神社合祀反対運動未公刊史料. 日本エディタースクール出版部. (1981年・昭和56年7月) 
  35. ^ 唐澤太輔「〈研究論文 ワーキングペーパー 報告書〉「南方曼陀羅」と『華厳経』の接点」『2015年度 研究活動報告書』、龍谷大学世界仏教文化研究センター、2016年3月、 191頁、 NAID 120005969550
  36. ^ 『日本学者フレデリック・ヴィクター・ディキンズ』秋山勇造 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇
  37. ^ 飯倉 1974, p. 290.
  38. ^ 平家蟹の話」
  39. ^ 紀田(1994)
  40. ^ 資料 (PDF)”. 和歌山県教育センター学びの丘. 2018年4月28日閲覧。
  41. ^ 大本泉『作家のごちそう帖』(平凡社新書 2014年)pp.33-42
  42. ^ 世界的植物学者、奇行の巨人死去『東京日日新聞』(昭和16年12月30日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p747 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  43. ^ 飯倉 2006, pp. 334–335.
  44. ^ 英国科学誌での熊楠の研究に、志村真幸『南方熊楠のロンドン 国際学術雑誌と近代科学の進歩』慶應義塾大学出版会、2020年 がある。
  45. ^ “知の巨人に和歌山・田辺市が名誉市民章授与 10月22日、紀南文化会館で南方熊楠生誕150周年記念式典 - 産経WEST”. 産経新聞. (2017年9月27日). https://www.sankei.com/article/20170927-JEJTPM3RCBNZDNFNVGM6LW2QTQ/ 2018年10月16日閲覧。 
  46. ^ “「熊楠は日本人の夢」 生誕150周年で中沢新一さんら”. 紀伊民報. (2017年2月22日). http://www.agara.co.jp/news/daily/?i=341710 2017年2月24日閲覧。 
  47. ^ 清酒 世界一統-知られざる巨人-南方熊楠-南方熊楠と世界一統の歩み
  48. ^ a b c II 南方熊楠をめぐる人名目録南方熊楠を知る辞典
  49. ^ 縛られた巨人、南方熊楠 -何によって縛られていたか『天皇と日本国憲法(毎日新聞出版): 反戦と抵抗のための文化論』なかにし礼PHP研究所, Mar 7, 2014
  50. ^ a b 南方熊楠 履歴書(口語訳5)ロンドンに渡るMikumano.net
  51. ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳13)母と兄Mikumano.net
  52. ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳15)帰国Mikumano.net
  53. ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳16)和歌山Mikumano.net
  54. ^ 熊楠を支えた弟/和歌山『毎日新聞』2017年3月20日
  55. ^ 南方熊楠の家族と日常南方熊楠記念館
  56. ^ 飯倉 2006, p. 359.
  57. ^ 飯倉 2006, p. 337,360.
  58. ^ 遺著に『長谷川興蔵集 南方熊楠が撃つもの』南方熊楠資料研究会






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