千葉真一 事績

千葉真一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/21 16:41 UTC 版)

事績

変身ヒーロー

デビュー作は1960年1月7日から放送された『新 七色仮面』で、次の『アラーの使者』にも主演し、まずはテレビドラマで人気を得る[16]。『新 七色仮面』は『七色仮面』から引き継がれた作品で、『七色仮面』では蘭光太郎を波島進が、七色仮面をスーツアクターが分担して演じていた[105] のに対し、千葉は初代の波島が演じた古典的な仮面ヒーローとは異なるヒーロー像を作り上げ、スーツアクターも兼務した[106][107]。その演技・スタント擬斗は後に製作されていく変身ヒーローを題材とした特撮作品に大きな影響を与えている[106][108]。『アラーの使者』も児童向け活劇だがアクションは本格的で[109]、翌年の主演映画『宇宙快速船』のアクションヒーローに繋がっていく[110]。(⇒ #アクションスター

アクション映画

1961年深作欣二の初監督映画『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』に主演。危ないシーンはスタントマンに任せるのが主流な時代に、「吹き替えせずにできる」とスタッフへ言ったので、「さすが日体大だけに凄いことをやる」と評された[38]。深作は文芸作品よりアクションものを好み「肉体こそ俳優の言葉」が口ぐせだったので[注釈 9]、第二作『風来坊探偵 岬を渡る黒い風』でも千葉を主演に据え、更に危険な吹き替え無しのスタントを演じさせた[111]ニュー東映のホープとして主演した映画『ファンキーハットの快男児シリーズ』では[112]カーチェイス、左右に開脚して2人の敵を同時に倒す跳び蹴り器械体操で培った筋骨隆々な肉体美を大車輪で披露している[12][21]。こののち千葉と深作は17の映画でコンビを組み、ヒットを連発していく[22]。(⇒ #キイハンター

深作欣二の評価とは対照的に高倉健から「アクションスターにはアクションしかできないという評価もあるから、そのイメージを世間に持たれないほうがいい」と同年にアドバイスされ、ドンパチの活劇だけでなく青春ものをやりたいなとも思っていた[111]。宣伝担当の福永邦昭は「体操で鍛え上げた肉体と抜群の運動神経で、新しいアクション俳優の誕生と騒がれたが、東映が彼を生かしきれなかった[51]」と振り返っており、それでも東映は映画・テレビドラマとジャンルを問わず、アクションスターであることを千葉へ常に求めていくこととなる[19]。3, 4年ほど悩んだ末、やる以上、誰にも負けない完全にアクションのできる役者に成ろうと決意した[113]。(⇒ #格闘映画

1966年の映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』(合作)は台湾ロケーション撮影され、離陸する軽飛行機の翼に飛びつき乗り込むスタントをした[12][114]。疾走する自動車を追いかけアンテナに飛びつくスタントでは、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院する代償を払っている[115]。傷だらけになりながらもスタントを演じきったが[114]、『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)に続いてケガしたため、父親を受取人にして傷害保険生命保険に加入している[115]。(⇒ #キイハンター#格闘映画

1979年には芸能生活20周年記念作品である映画『戦国自衛隊』で[83]、主演と日本映画初のアクション監督を兼務した[13]時速100kmで飛ぶヘリコプターロープ1本でぶら下がり、乗馬では地面にあるを左右に傾き、拾い上げるスタントを演じたほか、ヘリコプターから宙吊りになるシーンは自前のハイスピードカメラを足に括りつけて撮影し[19]、騎手の目線を写すためにカメラを取り付けたヘルメットを被り乗馬するなど[116][注釈 10]、アクション監督として撮影を自ら行っており、これらの敢行はスタッフをとても心配させた[19]の脇腹に隠れての乗馬は、テレビドラマ『柳生一族の陰謀』第27話「美女と野獣」で千葉が既に演じていたものをジャパンアクションクラブ (JAC ) のメンバーに再現させている。本作の演出には『戦略大作戦』を意識し[16]1980年ブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。

東映から「好きな映画を作っていい」と許可され、企画した1981年の主演映画『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE- 』はフランス映画冒険者たち』をオマージュした作品で、空手・拳法の達人や剣豪・忍者とは異なるしがない大学職員に扮して活劇を演じた[85]。前年の『忍者武芸帖 百地三太夫』ではワイヤーアクションを初めて取り入れ、『吼えろ鉄拳』と同様に俳優とアクション監督を兼ね、『燃える勇者』ではアクション監督に専念。1989年の『将軍家光の乱心 激突』では再び、アクション監督と俳優を兼務したが、この作品は第39回ベルリン国際映画祭に招待された。1990年にはプロデューサーと初の監督を兼ねた映画『リメインズ 美しき勇者たち』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。

これまで話題作に数多く主演してきたが、それとは裏腹に「アメリカで撮影が始まるときには『Ready camera. Action! 』と声がかかる。“アクション”は本来『あらゆる演技』を意味するものだけど[117]、『体が動くからアクション俳優をやれ』と要望通りに何でも演じてきたことで、日本では逆にアクションのみが先行してしまい、あまり良くないイメージを持たれた[117][118]」と複雑な心情を吐露している。(⇒ #アクションスター#ジャンルを越えた活躍

音楽

1963年シングル男一匹生きるなら」をリリースして歌手デビューを果たした。1967年グループ・サウンズの「ザ・サタンズ」というエレキバンドを結成[119][120]。リーダーとして夜は音楽喫茶で歌い[119]、九州巡業や東京のジャズ喫茶でライブをしていた[120]。メンバーにはドラマー兼ライブの司会者で潮健児、もう1人のドラムサイドギターベースギター電子オルガンリードギターの全7人編成で、5人は千葉の高校の後輩である[120]。バンド名の由来は漫画『悪魔くん』が好きな千葉が名付けたもの[114]。このほか映画やドラマの主題歌も歌い、作詞・作曲もしている。(⇒ #ディスコグラフィ#ジャンルを越えた活躍

格闘映画

1963年から始まる『柔道一代シリーズ』に主演したのが最初の格闘映画である。第二作『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)の乱闘シーンで骨折してしまった[115][注釈 8]

1973年の映画『ボディガード牙シリーズ』に主演後、1974年に主演した映画『激突! 殺人拳』は、ヤクザ映画が下火になっていた東映にとって、久々の大ヒットをとばした作品となった[16][121]アメリカ合衆国ヨーロッパオーストラリアカナダの映画会社も『激突! 殺人拳』を買い付けに来ていた[64]。なかでもアメリカのニュー・ライン・シネマは当初ヤクザ映画を購入するつもりだったが、本作を見て心変わりし、「ブルース・リー以上だ。素晴らしい[64]」と評して興行権を買い取り、『The Street Fighter 』とタイトルをつけ、千葉をSonny Chiba (サニー ちば)とネーミング[9][10][16][注釈 4]。同年11月12日から主にアメリカ中南部の都市18館で封切られ、3週間でベスト5に躍り出て千葉の代表作となった[16][64][65]。アメリカで最も権威のある総合情報週刊誌「Variety 」の12月18日付にもこの出来事が掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げた[64][65]。大ヒットした要因として「リーの舞踊劇的な功夫と違い、ワザと力もより本物に近く、迫力がある」、「器械体操を利用した、トランジスター的器用さが面白い」が挙げられている[64]。すぐシリーズ化され、全四作の『殺人拳シリーズ』になっている[122]忍者の末裔に扮した同年の主演映画『直撃! 地獄拳』は、千葉のスピードあるアクションと石井輝男のユーモアとウィットを盛り込んだ演出が組み合わされた作品となった。1974年度に4億1700万円の配給収入を上げ、同年度の日本映画配給収入ランキング第5位に入り、アメリカでは『The Executioner 』というタイトルで1999年現在、10万本以上のビデオが売れている[123]。(⇒ #Sonny Chiba#海外進出

海外ではマーシャルアーツの大スターである"Sonny Chiba "の熱狂的な人気は根強く[注釈 11][58]クエンティン・タランティーノキアヌ・リーブス[62]リュ・スンワン[124]、らの著名人の熱烈なファンがおり、谷川貞治は「千葉さんの映画のおかげで格闘技人口がかなり増え、格闘技界の宝だ[125]」と述べている。(⇒ #ファン

岡田茂は「(主人公と)牛との格闘を欧州ではびっくりして、えらく受けている[50]ショウ・ブラザーズが千葉真一の空手映画を購入してシンガポールでも大ヒット[126]東南アジア映画祭ジャカルタへ行ったときも、抜群の動員力と人気を上げていた[126]。千葉くんの空手が入って、東南アジア全域で当たり、すごい人気だ[127]。東洋でナンバーワンなんだから、あのアクションをやらせたら世界に(千葉真一以外)いないんじゃないかな[127]」と世界各地の人気・商況・反響を語っている。この頃フランシス・フォード・コッポラは「千葉真一とアル・パチーノの共演で映画を製作したい」と東映へオファーし[50]、千葉も「海外で勝負させてください」と岡田に懇望したが[128]、「まだその時期ではない」と認められなかった[22]

けんか空手シリーズ』や『子連れ殺人拳』で千葉とタッグを組んだ山口和彦は「常に自分しかできないアクションを見せることに徹していた。熱心な男で現場でいろいろなアイデアを出してくる。全てのアイデアを聞き入れることはできなかったが、自分がアクション映画を変えるんだという、その意気込みは凄かった。そうやって彼は自分の代わりが居ないところまで到達したからね。千葉真一というアクションスターは永遠に残っていくよ」と評している[129]。(⇒ #空手道#Sonny Chiba

キイハンター

キイハンター』は瞬く間に視聴率は30パーセントを超え、1年の放送予定が5年に延ばされた[40][130]。山頂駅を出発したを行き来するロープウェイワイヤを投げてぶら下がってからよじ登り、走行する列車バスに飛び降りて屋根で敵と格闘、自動車から並走する軽飛行機に飛び移る、雪渓から回転しながら転落、滑落しそうなの前で格闘など、数々のスタントを演じているがケガも絶えず、大きなものでは左足首骨折や日本刀を斬られたこともある[115][131][132][133]。本作の脚本は映画に比べるとアクションが詳細に指定されていなかったので、千葉は良いものを作りたい一心で積極的にアイデアを出すが、経費を気にするスタッフと対立することもあった[113]。しかし視聴率が上がっていき、千葉のアイデアはどんどん採用されていくこととなる[113]

国内では1969年(昭和44年)の近代映画10月号臨時増刊では『千葉真一特集号』を刊行され、週刊マーガレットでは同年のNo.17から『千葉真一物語』が連載されるなど、人気はさらに上昇していった[12][40]海外でもオンエアされ、ブルース・リーは千葉の大ファンとなり[51]、その活躍に深い興味を示して共演の申し入れをしてきたが[12]、リーの突然の死により実現しなかった[12][51]。千葉のアクションやスタントを観てから熱狂的なファンとなったジャッキー・チェンは、千葉のようなアクションスターになる夢を抱いていた[134]香港タイ王国映画東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1973年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)、『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年)、『HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅』(1992年)、『地雷原 A mine field.』(1992年)など、千葉の主演監督作品がロケーション撮影された際には現地で大歓迎されている。中島貞夫は『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』をタイの製作会社からの資本参加を得てロケができた理由の一つに、『キイハンター』が当地で放送されており、千葉の人気が高かったことを挙げている[135]。(⇒ #ファン

共演者の野際陽子は「ともかく熱意が凄くて、ケガすると普通はビビるのがそれ位以上のことに挑戦して成功する“怖いもの知らず”。でもサボテンだけは怖いですって[114]」と証言している。千葉に比べると役者として駆け出しだった野際だが、放映し始めた頃のギャラは多くの映画に主演経験のある千葉より高かったので、「追い越してやる」と奮起させてくれる間柄でもあった[注釈 12]谷隼人は「千葉さんは『キイハンター』で身体障害者のファンが増えた。“あなたのアクションは私たちの夢です”と言われ、自分のアクションが希望を与えるならと一層刺激を受けていた。彼らの施設にも寄付をしていた[114]」、大川栄子は「俳優にならなかったら、体育の先生になっていたと、よく基本を教えてくれる[137]」と言っている。宮内洋は千葉が爆発の中を駆け抜けるシーンを横のアングルから見ていた時、「カメラを通して観るように」と言われ、安全のために千葉は火薬と距離を取りアクションをしていたが、レンズの位置からみると「今にも火薬でやられてしまうような迫力だった」とその迫力の違いに驚愕していた[138]。『仮面ライダーV3』のオファーを受けた宮内は演技づくりのために『仮面ライダー』を何本かみて、「“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンをもっと盛り上げられると思った」とその影響を認めている[138]。このほかにも「(V3の)アクションシーンで必ず手袋を着用したのは怪我を防ぐためだが、これは千葉さんのアイデアを取り入れたものだ[139]」と、アクションのノウハウを千葉から享受されていた。(⇒ #音楽

1969年(昭和44年)、オールスターキャスト映画日本暗殺秘録』では小沼正に扮して主演。『キイハンター』を休んだため、TBSやファンから復帰の要望が高まっていたが[43]、ドラマのイメージから脱皮しようと本作に賭ける思いはとても強かった[43]。中島貞夫と協議しながら小沼を創り上げていき、撮影見学に来ていた小沼本人からもその演技は太鼓判を押された[43]。喜びと共に「人気者になるだけでなく、様々な作品に出演していかなくてはいけない。『キイハンター』を卒業しよう[43]」と決意する転機になった。降板をボス役の丹波哲郎に申し入れ[40][130]、丹波と東映は続けたかったが[130]、丹波は「千葉が居ないのでは『キイハンター』は成り立たない。だったら一度番組を終わらせよう」と理解を示し、大ヒットしていた同ドラマは1973年に終焉[40][130]。千葉は「丹波さんの決断にとても感謝している」と述懐している[130]

JAC

1970年、アクション・擬斗を演じる相手やスタントマンの不足に悩み[注釈 8]アメリカ映画で活躍するような俳優・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、ジャパンアクションクラブJAC ) を設立。結成式には若山富三郎が駆けつけてお祝いをしていた[140]。主な門下生には大葉健二金田治・斉藤一之・西本良治郎・春田純一山岡淳二志穂美悦子真田広之関根大学黒崎輝崎津隆介山田一善山本亨渡洋史高木淳也伊原剛志堤真一真矢武土家歩村松美香山口祥行らがおり、俳優・アクション監督・スタントマン・スーツアクターで活躍する人材を輩出[22]。千葉の親友である夏八木勲[17][141]桜木健一[142]、ら所属していない俳優も練習に通っていた[17][141][142]。トップスターでありながら、志穂美悦子の『女必殺拳』、真田広之の『忍者武芸帖 百地三太夫』・『吼えろ鉄拳』・『伊賀忍法帖』、大葉健二の『宇宙刑事ギャバン』、黒崎輝の『伊賀野カバ丸』・『コータローまかりとおる』、村松美香の『旅少女』など、教え子たちの主演作品に助演として出演することも多い[143]。共に格闘映画を製作してきた橋本新一(脚本家・助監督)は「東映の大部屋俳優だけでは彼の擬斗を活かせることができなかったから、JAC を作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している[144]。(⇒ #演劇#転機

ヤクザ映画

任侠映画子守唄シリーズ』をヒットさせていたが[51]、1973年の映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』がこれまでのイメージをかえることとなる。

配役は予科練出身のヤクザ・山中正治に決まり、セリフも全て覚えて撮影に入る直前だった[41][42][145]。しかし狂犬のようなヤクザ・大友勝利を演じることが決まっていた北大路欣也が「大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない。山中をやらせてほしい」と言い出したことから、プロデューサーの日下部五朗と宣伝担当者らは千葉を突然訪ね、「山中と大友を交代してもらえないか」と依頼してきた[41][42][145]。『日本暗殺秘録』に続いて『広島死闘篇』の脚本を執筆した笠原和夫は、小沼正の一面を山中のキャラクターに取り込んでいたこともあり、東映と笠原は「小沼を好演して受賞した千葉に、山中を演じさせよう」とキャスティングしていた[145]。このような経緯から千葉も、小沼と山中に共通点を見出して役作りしてきたため、初めは交代に難色を示した[145]。ほどなくして深作欣二が会議で唯一「千葉に大友を演じさせたほうが、絶対おもしろくなる」と主張していたことを知り、似たような役を再び演じることは俳優として停滞するのではないかと再考し、「役作りし直すから、出番を少し後にずらしてほしい」と交代を了承した[41][42][145]。この時、中島貞夫も「大友をやるべき」と説得しており、「千葉ちゃんはサクさん(深作欣二)ともよく付き合っていたけど、肝心なところでは僕の意見を聞いてくれた」と話している[146]。北大路に役を譲ったのはこれが初めてでなく、1963年の映画『海軍』に続いて二度目であった[注釈 13]

ブロマイドの売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが[40][41][42][45][147]、過激なセリフに悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、サングラスを常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した[42][148]。そして作り上げた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり[41][45][46]、後のヤクザ映画でも「『仁義なき戦い』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている[47]。封切り公開されると千葉のイメージチェンジは話題となり[16][41][42][118]俳優座養成所1期生で千葉と何度か共演している岩崎加根子などからも絶賛され[149]、それを聞いた千葉は「とても自信がついた。悪役の妙味を知ることができ、実に大きなものを与えてくれた作品だった」と語っている[41][42]。大友勝利は人気キャラクターだけあって主人公にした企画が出され[41]、『仁義なき戦い 頂上作戦』にも大友で出演する予定だったが[150]、『広島死闘篇』と同時進行で『柔道一代シリーズ』以来、10年ぶりの格闘映画にクランクインしたため、『仁義なき戦いシリーズ』の再出演は実現しなかった[48]。(⇒ #転機

多くのヤクザ映画を手掛けてきた俊藤浩滋は「役者でいうと高倉健タイプかな。(ヤクザ映画で)行動派を演じさせれば、ピッと光るものがある」と評している[151]

時代劇

1978年から本格的に時代劇へ進出するが、1963年の『八州遊侠伝 男の盃』以来であった。木刀殺陣の練習を1日8時間行い臨み、主演映画柳生一族の陰謀』では20mからへ飛び込むスタントをした。この作品は千葉が『裏柳生』というタイトルで深作欣二へ提出した企画がベースになっている[47][152][153][154][155]。深作は従来の時代劇でなく、もっとテンポのあるアクション時代劇を作りたかったので、その期待に応えられる俳優は千葉真一、ただ一人しかないと見定めていた[156]

千葉が演じる剣豪や忍者は、空手器械体操の技を取り入れたアクロバティックな殺陣で人気を得ていた[81][82][157]プロゴルファー尾崎将司は試合でパターを打つ際に、『影の軍団シリーズ』で千葉演ずる頭領(おかしら)が敵を倒す直前に言う「天魔覆滅」を唱えてから打つと語っている[158]2012年ハリウッド映画アベンジャーズ』のサミュエル・L・ジャクソンが扮した役柄は千葉の柳生十兵衛を参考としているなど後の作品にも影響を与え[60]福岡ソフトバンクホークス監督秋山幸二は「あなたにとってサムライとは?」という問いに「千葉真一の柳生十兵衛は、生きるか死ぬか究極の真剣勝負というイメージがいい」と評し[159]、根強い人気がある[60][159]。しかし十兵衛で長時間、左目に眼帯をしていたため千葉の右目は酷使され、視力を失い、人工レンズを入れる代償も払っていた[160]。(⇒ #ジャンルを越えた活躍

2007年の『風林火山』を「いままで大河ドラマに不思議と縁が無く、ようやく(出演のオファーが)来たかと思った」と語っており[161]、共演した内野聖陽

思い出に残るシーンは、それはもちろん千葉真一さんとの殺陣でしょうね。僕も殺陣が非常に好きで普段から稽古しているんですが、千葉さんといえば世界的にも有名でアクションも凄いじゃないですか。そういう方と殺陣ができるのが、うれしくてしょうがなかった。千葉さんは「どっからでもかかっていらっしゃい」という感じで、どっしりと構えている。僕もこの大きな胸を借りて、思いっきりやってやれという感じで、やらせていただきました。千葉さんはすごく情熱的な方で、収録が終わっても若い人を集めて酒を飲みながら、演技について語っているんですよ。その仲間に僕も入れていただいて、電気が消えて「早く出て行ってください」と言われても、ひたすら飲んで語っていました(笑)。殺陣の極意をいろいろ聞かせていただいて、楽しかったですね。視聴者の方にはお教えできないテクニックも教わって、いろんな意味で勉強になりました(笑)。[162]

と語っている。

演劇

演劇にも進出し、3年間にわたって満員御礼となる記録的な成功を収めたミュージカルゆかいな海賊大冒険』(1982年 - 1984年[86]、『酔いどれ公爵』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、JAC ミュージカルとして定期的に公演した。JAC の設立当初は吹き替えしないでアクションを演じられる俳優スタントマンを育成する場だったが、ウエスト・サイド物語に感動して「いつかはミュージカルをやりたい」という夢を抱いていた[163]、「肉体は俳優の言葉」というポリシーに「五体で喜怒哀楽を表現する」を加えて生徒を育てていく[118]、「役者を育てるにはミュージカルが一番だと気づいた[16]」、などミュージカル公演は悲願のひとつであった。高平哲郎1980年代後半からミュージカルやショー関係の舞台が多くなってきたときに、「脇を固めてくれるダンサーや役者は、ほとんどがJAC 出身者か劇団四季の退団者だった」と述べている[16]。(⇒ #JAC

Hollywood

高校在学中からハリウッド映画のファンで、アラン・ラッドの『シェーン』やゲイリー・クーパーの『真昼の決闘』など、西部劇アメリカ映画を夢中で観ていた[26]

友人であるサミュエル・L・ジャクソン[60]クエンティン・タランティーノのほかには[61]スティーヴン・セガール[164]デニス・ヘイスバート映画プロデューサーのデスティン・パフ[165]、らと親交がある[60][61][164][165]。セガールは流暢な大阪弁で「千葉先生、居てはりまっか?」などと頻繁に連絡してきており[164]、パフは「Sonny Chiba (サニー ちば)のような伝説の俳優と組めるなんて、これ以上の幸せはない[165]」と語っている。(⇒ #格闘映画#ファン

2003年、クエンティン・タランティーノのアメリカ映画『キル・ビル』では出演と、ユマ・サーマンルーシー・リューらハリウッドスターへ剣術指導をした[90]。サーマンは「Sonny (サニー)は大好きよ。私にとって彼は大スターだし、偉大な俳優だと思う[166]」と、一方のリューは「Sonny は本当にいろいろなことを教えてくれた[167]」と、それぞれ語っている。

後輩の松方弘樹は千葉が海外で活躍している要因を

むちゃくちゃ仕事熱心な方です。しかも弱音を吐いたところを聞いたことがない。映画の現場では遅刻もしなければ、現場から早く自宅に帰ることもない。まじめなんですね。本当に頭が下がる思いです。もう一つかなわないことがあるんです。僕は割と交友関係は広い方なんですが、千葉さんは僕以上に友達が多い。だれとでもすぐに友達になるんですよね。ホントうらやましい。ハリウッドにポンと挑戦できちゃうのも、気さくな性格とこの交友関係の広さなんでしょうね。[22]

と評している。




  1. ^ 母は野際陽子
  2. ^ a b 母は一般人。
  3. ^ a b 1969年近代映画の『千葉真一特集号』では東映東京撮影所の所長である山崎真一郎が「千葉県出身ということで千葉、そして仕事を忠実に真心込めて」という意味で命名したと紹介しているが[7]、千葉自身は「山崎所長から『千葉から来たから名字を千葉、名前はオレの名前をとって真一にしろ』と言われた」と述べている[8]
  4. ^ a b c d e ニュー・ライン・シネマアメリカで『激突! 殺人拳』を『The Street Fighter 』のタイトルで封切公開した際に、同社の社長が命名して千葉をアメリカに紹介した[9][10]。それが他国に広まり、世界での通称となったが、英語圏Sonny (サニー)は男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、愛称の“千葉ちゃん”を欧米風に訳した。その後、JJ Sonny Chiba と改名したが、JJJustice Japan (正義の日本)の略である[9][10][11]
  5. ^ a b c 出典により、夏または秋としている。
  6. ^ a b c 日本体育大学は「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という新たな規約を設け、千葉を特別卒業認定証第1号とし、2013年3月10日卒業を認定[6][23][27][30][31]。在学時の成績は優が多く、教授会でも満場一致で同規約の適用を認めていた[6][32]
  7. ^ 1970年から放送されていたトヨタ・カリーナCM でも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。
  8. ^ a b c 自分の役でもないのに「投げ飛ばされる」、「板にぶつかる」、「海に放り込まれる」など数々のスタントを引き受けて演じていたが[44]、人材不足を憂いていたこともJAC 設立へ繋がっていく。(⇒ #JAC
  9. ^ 2013年現在、千葉真一自身は座右の銘を「肉体は永遠の言葉である」としている[6][32]
  10. ^ 当時のハイスピードカメラは今と比べると遥かに重たく、外見もかさばっていた。
  11. ^ 特にアメリカ州[13][55]・ヨーロッパ[13][55]東南アジア[56]香港など[57]
  12. ^ 2年後にギャラは千葉のほうが上になった[136]
  13. ^ 北大路欣也は戦前からの大スターで東映の役員を兼務していた市川右太衛門の御曹司であることから、東映は北大路の意向を幾度となく受け入れてきた[47]
  14. ^ 大石代悟二宮城光はケガのため、対抗戦を欠場した[176]
  15. ^ テレビドラマおわこんTV』の発表会見で小泉は、2014年6月14日サッカーW杯・日本 vs コートジボワールに交代出場して試合の流れを変えたドログバに、千葉をなぞらえた[185]
  16. ^ 千葉真一は映画の撮影で、真樹日佐夫梶原一騎と共に極真会館の北米支部長会議に出席する大山倍達の随行で、それぞれニューヨークを訪れていた[187]
  17. ^ a b 柳生十兵衛光厳の「光厳」だが、「三厳」ではなく「光厳」とパンフレット魔界転生』の登場人物・キャスト一覧に表記されているため、当該記事もこれに則った[220][221]
  18. ^ 「芸能人のおしどり夫婦がCMで共演」という流れの始まりだった。
  1. ^ a b c 「君津のガキ大将時代」、38 - 39頁。
  2. ^ a b c d e 「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」、81 - 82頁。
  3. ^ a b c 「千葉真一特集」、144 - 145頁。
  4. ^ a b 千葉真一 - プロフィール”. YAHOO! JAPAN 人物名鑑. 日本タレント名鑑. 2013年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月26日閲覧。
  5. ^ a b c 千葉真一”. プロフィール. アストライア. 2017年10月24日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l “千葉真一 53年ぶりに母校・日体大を“卒業”し「もうひと花」とさらなる意欲”. 映画.com. (2013年3月10日). http://eiga.com/news/20130310/7/ 2012年3月12日閲覧。 
  7. ^ 「千葉真一特集」、148頁。
  8. ^ 「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、101頁。
  9. ^ a b c d 「序章」、11頁。
  10. ^ a b c d 「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」、51頁。
  11. ^ a b 特典映像 「劇場初日舞台挨拶」
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 「とっておきの『先生』特集」『SPORTS CITY』第1巻第2号、鎌倉書房、1981年6月25日、 32頁。
  13. ^ a b c d e f 「プロフィール」、30頁。
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