千日デパート火災 被害状況

千日デパート火災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:45 UTC 版)

被害状況

人的被害

千日デパート火災における人的被害は、死者118人、負傷者81人である[218]。負傷者の内訳は、プレイタウン関係者47人、消防隊員27人、警察官6人、通行人1人である[348]。死亡者118人および負傷者47人(消防隊員、警察官、通行人の負傷者を除く)は、すべて火災発生時に7階プレイタウンに滞在していた人たちである。7階プレイタウン滞在者以外のデパートビル滞在者31人に負傷者はおらず、全員無事にビル外へ避難している。

火災発生当時の千日デパートビル滞在者

火災発生推定時刻(22時27分)に千日デパートビル内に滞在していた人は合計212人である[196][299][注釈 51]。火災発生時に館内で営業していたのは「7階プレイタウン」1件だけである[349][350]。各階滞在者の人数と内訳は以下の表のとおりである。

火災発生当時の千日デパートビル滞在者[131][196][299]
男性 女性 滞在者の内訳
屋上 0 0 0 滞在者なし
7階 94 87 181 プレイタウン関係者181人[注釈 52]=客57人(男性56人、女性1人)、ホステス78人、従業員35人(男性29人、女性6人)、バンドマン10人(男性9人、女性1人)、ダンサー1人(女性1人)
6階 6 0 6 ボウリング場建設作業員[注釈 53]
5階 0 0 0 滞在者なし
4階 2 0 2 ニチイ千日前店店長1人、同従業員1人[注釈 54]
3階 7 0 7 電気工事監督1人、同作業員4人[注釈 26]、ニチイ千日前店従業員2人[注釈 54]
2階 0 0 0 滞在者なし
1階 5 9 14 デパート保安係員4人(男性4人)[注釈 55]、プレイタウン・ボーイ1人[注釈 56]、プレイタウン・ホステス9人[注釈 56]
地下1階 2 0 2 デパート電気係1人、デパート気罐係1人[注釈 57]
合計 116 96 212


7階プレイタウン滞在者および生存状況

火災発生時の7階プレイタウンの滞在者内訳と死亡者、生存者、負傷者の人数は以下の表のとおりである。

火災発生当時の7階プレイタウン滞在者および人的被害状況(死亡者、生存者、負傷者)[218][131][140]
滞在者内訳 滞在者人数 死亡者 生存者 負傷者
男性 女性 男性 女性 男性 女性 男性 女性
56 1 57 33 1 34 23 0 23 11 0 11
ホステス 78 78 65 65 13 13 12 12
支配人 1 1 1 1
営業係 2 2 2 2
保安係 1 1 1 1
ボーイ 12 12 2 2 10 10 10 10
調理係 6 6 4 4 2 2 2 2
酒場係 2 2 1 1 1 1 1 1
ホール係 1 1 1 1
電気係 1 1 1 1 1 1
リスト係 3 3 2 2 1 1
レジ係 3 3 3 3
クローク係 1 1 1 1
衣装係 1 1 1 1
おしぼり係 1 1 1 1 1 1
バンドマン 9 1 10 2 0 2 7 1 8 7 1 8
ダンサー 1 1 1 1 1 1
合計 94 87 181 48 70 118 46 17 63 32 15 47


死亡者の死亡場所および死因

死亡者の死亡場所および死因は以下の表のとおりである。区域と場所は「ビル外部(路上)」を除いてすべて7階プレイタウン店内である。

死亡者の死亡場所および死因[17][351][352]
区域 場所 死亡者人数 死因
男性 女性
ホール内 メイン通路および資材置場前 13 12 25 一酸化炭素中毒(右全員)
客席 1 0 1 同上
客席通路 0 1 1 同上
フロント内 1 3 4 同上
フロント付近 1 0 1 同上
トイレ 4 3 7 同上
資材置場内部(6階連絡通路跡) 7 6 13 同上
出入口付近 2 2 4 同上
ホール窓際 ホール窓(東1) 1 2 3 同上
ホール窓(東2) 0 6 6 同上
ホール窓(北東6) 2 1 3 男性1人は胸部腹部圧迫による窒息死、他2人は同上
ステージ裏小部屋 バンドマン室 3 0 3 一酸化炭素中毒(右全員)
従業員スペース 厨房 2 3 5 同上
ホステス更衣室 0 7 7 同上
宿直室 1 1 2 同上
通路東側 3 7 10 女性1人は胸部腹部圧迫による窒息死、他9人は同上
冷暖房機械室 1 0 1 胸部腹部圧迫による窒息死
ビル外部(路上) ホール窓(東1)直下 1 3 4 7階窓からの飛降りまたは転落による墜落死(右全員)[注釈 58]
ホール窓(東2)直下 1 1 2 同上
ホール窓(北東5)直下 1 2 3 同上
ホール窓(北東6)直下 3 10 13 同上、または脱出途中の救助袋から落下による墜落死[注釈 58]
合計 48 70 118 一酸化炭素中毒93人、胸部腹部圧迫による窒息死3人、墜落死22人(即死18人、病院搬送後に死亡4人)[17]


プレイタウン店内の死亡者の状況
プレイタウン店内の死亡者の状況は、個々人が適度に散らばっていたというよりも特定の数か所に折り重なるように集団で死亡していた。その大半が煙を多量に吸ったことによる一酸化炭素中毒による煙死である。炎や熱で焼けただれた遺体は一体もなかった。遺体の姿勢は様々で、大の字や仰け反り、体を丸めてうつ伏せになり、そして他人の体の下に潜り込んでいるなどであった。また壁にもたれ掛かり、ボックス席に座ったままうつ伏せで死亡しているなどの状態も見られた。死亡者はおもにホール西側に集中していて、ホール出入口(アーチ)と厨房を南北に結ぶメイン通路周辺が最も多く、次に旧6階連絡通路跡の資材置場内部とその周辺が多かった。プレイタウン滞在者らは、避難に関して何も情報がない中でパニック状態に陥り、ホール内を当てもなく右往左往していたところに従業員が旧6階通路部分とF階段出入口(シャッター)を避難口だとして誘導をおこなった。それらの場所に人々が集中した結果、袋小路で行き場を失い、猛煙に巻かれて折り重なるように死亡したものと考えられる。特異な死因「胸部腹部圧迫による窒息死」は、極限のパニック状況の中で発生したと推測できる。多くの避難者が出入口や窓際を目指したためか、ホール中央部の客席にはほとんど死者はおらず、わずか2人だけだった。窓際に避難を求めて窓付近で死亡していた人も多くいた。一か所の窓に何人もが顔を突き出し、外へ身を乗り出すような状態で死亡していたケースも見られた。外気を吸えたためか、それらの遺体は鼻や口の部分は黒く汚れていなかった。その反面、体は酷く煤けていた。ホール内の死者はその大半が鼻や口が黒く汚れていたが、体の煤けは少なく、鼻の穴から黒い鼻水または血が出ていた。表情は一部に歯を剥き出して苦悶の表情を浮かべ、目を見開いたままの遺体もあったが、その大半が総じて穏やかな表情であった。一酸化炭素中毒で死亡した者は、中毒の影響によると思われる赤い斑点が皮膚に浮き出ていた[30][333][344][353][354]


負傷者

火災発生時のプレイタウン滞在者181人[注釈 10]のうち、7階から自力で脱出できた者が10人(男性5人、女性5人)[355]、消防隊のはしご車で救出された者が50人(男性39人、女性11人)[322]、救助袋から地上へ降下中に転落したところを消防隊のサルベージシートで救助された者が3人(男性2人、女性1人)で[356]、7階からの生還者は合計63人(男性46人、女性17人)である[160]。負傷者81人について、プレイタウン関係者の負傷者は消防隊による救出または自力脱出した63人のうちの47人で[9]、残りの16人は負傷者に計上されていない。おもな負傷内容は、煙を吸い込むなどして負った一酸化炭素中毒[357]、救助袋に手足を擦りつけるなどして負った熱傷[357]、飛び降りによる腰部骨折、大腿部骨折、肘骨折、全身打撲、打撲、挫傷などであり[356]、そのほかショック症状、急性結膜炎による負傷もあった[357]。また消防隊員27人の負傷はおもに一酸化炭素中毒である[358]。警察官と通行人の具体的な負傷状況は不明であるが、警察官6人は軽傷、通行人1人は中傷に分類されている[302]

負傷者(傷病者)の症状分類と受傷程度[359]
症状 重症 中等症 軽症
一酸化炭素中毒 4 10 4 18
ショック症状 0 1 0 1
一酸化炭素中毒およびその他の負傷 5 4 4 13
その他の負傷 5 1 8 14
火傷 0 0 1 1
急性結膜炎 0 0 25 25
急性咽頭炎 0 0 3 3
急性咽頭炎およびその他の負傷 0 0 1 1
急性気管支炎 0 0 1 1
一酸化炭素中毒および急性咽頭炎 0 2 2 4
合計 14 18 49 81


負傷者(傷病者)の受傷程度内訳[301]
重症 中等症 軽症
男性 女性 男性 女性 男性 女性
3 0 2 0 6 0 11
ホステス 7 4 1 12
プレイタウン従業員 4 0 8 1 2 1 16
バンドマン 0 0 1 1 6 0 8
消防隊員 0 0 0 0 27 0 27
警察官 0 0 0 0 6 0 6
通行人(ホステス) 0 1 0 1
合計 7 7 11 7 47 2 81


7階からの生還者

自力脱出者
7階プレイタウンから生還した者の中で、自力で脱出できた者が10人いる[360][361]。内訳は以下の表のとおりである。
7階プレイタウンからの自力脱出者[131][140][361]
脱出手段 男性 女性 備考
エレベーター 0 1 1 ホステス1人[注釈 59]、A1エレベーター(北東側)で脱出
B階段 0 2 2 クローク係1人、ホステス1人
ホール窓(東2)からの飛降り 2 0 2 客1人はアーケード上に張られたワイヤー目掛けて飛降り、従業員1人は窓から垂直にアーケードへ落下
救助袋 3 2 5 救助袋の外側を馬乗りで降下
合計 5 5 10 全員生存者

7階プレイタウン滞在者以外の自力脱出者としては、地下1階に宿直で滞在していたデパート電気係と気罐係の計2人、1階に滞在していたデパート保安係員4人とプレイタウン関係者10人の計14人、3階で22時ごろまで残業をしていたニチイ千日前店関係者2人とデパート売場で電気工事をおこなっていた工事作業員5人の計7人、4階にいた同じくニチイ千日前店関係者2人、6階でボウリング場建設工事をおこなっていた工事作業員ら5人と館外で作業をしていて火災を知らせにビル内に入った1人の計6人の合計31人がいる。1階のホステス1人と6階滞在者の工事作業員らを除く他の全員は階段または出入口を使用してビル外に避難しており、一部の者は出火時に消火活動を行っていたにも関わらず、それらに負傷者はいない[362]。6階滞在者の工事作業員らは、全員が6階作業場からデパートビル西側ベランダに移動し、そこからビル外に出て、ビル南西角の鉄骨の足場を利用して5階まで降りた。そのあと避雷針のワイヤーと給水パイプを利用して南西側のアーケード屋根へ降りてアーケード備え付けの梯子で地上へ全員避難した[122][363]。1階のホステス1人[注釈 60]については、エレベーターで客と一緒に7階へ向かい、プレイタウンにいたホステス1人と同乗して地上まで無事に引き返した[注釈 59]


B階段を使って避難した2人の女性
B階段を使って避難できた2人のうち、クローク係の女性は、エレベーターホールに白煙が漂っているのを感じ、隣の電気室にいる電気係にそのことを知らせた。電気係は現状を知らせようとホール内へ向かっていった。その直後にA南エレベーターから噴き出す煙の量が急激に増してきて、数メートル先も見えない状況に陥ったために、クローク係の女性は危険を感じてすぐにB階段から避難した。クローク係の女性は、自分の持ち場のすぐ後ろに避難階段があることをあらかじめ知っており、さらにはクロークがB階段に直結していたことが幸いし自力で脱出できた[355]。またその数分後にもう1人のB階段を使って避難に成功したホステスは、接客中に煙の流入に気付いて客席からレジに向かったが、店内放送で「落ち着いてください」と流れたため、元の客席に戻ってしばらく座っていたが、煙に巻かれたため避難することにした。猛煙と停電による暗闇の中、手探りでフロアを進み、男性用トイレと女性用トイレに交互に入って嘔吐したり、ハンカチを水に濡らして口に当てたりした。そして壁伝いにエレベーターホールに出て、なんとかB階段にたどり着き、無事に地上へ脱出できたという。この女性が猛煙と熱気、暗闇の恐怖に晒されながらもB階段を目指せたのは、普段から退勤時にエレベーターを使わず「健康のために」という理由でB階段を利用していたからであり、事前に持っていた情報が自力脱出の成功に大きな影響を与えた[356]


7階窓から飛び降りて助かった男性客
7階東側窓からアーケード屋根に飛び降りて助かった男性客1人は、火災覚知の初期にほかのプレイタウン関係者同様、エレベーターホールへ行ったり、ほかの非常口を目指したりしたが、いずれも使えずに避難が不可能になったため、東側窓に移動した。そのときの状況を男性は次のように語っている。
友達と飲んでいたら急に煙が店内にたちこめたので、火事だと思い、エレベーターの乗り場へ飛んで行った。しかしここはすでに人でいっぱいのため、反対側の非常口へかけつけたが、これも使えなかった。火が店内まで回り、キャーッという悲鳴がうずまき、客もホステスもパニック状態だった。最後の逃げ口として窓へ取り付き、ガラスを割ったがものすごい煙と火に攻められた。別の窓から次々に客とホステスが耳をつんざく悲鳴を残しては飛び降りていった。頼みのツナの梯子車は私の窓にはやって来ず、いっしょにいた5、6人は順々に飛び降りた。私は10数年前から趣味でダイビングをしていたので降りる見当はつけやすかった。歩道にある電柱を支えるロープ(アーケード上の補強ワイヤー)をめがけて飛び降りた。ちょうどおなかの部分がロープに当たり、その反動でアーケードの屋根にドスンと降りて助かった。気が付くと腕時計もなく、下着もおなかの部分でちぎれていた〔ママ[356][364] — 男性客N.M.さん、産経新聞 1972-05-14
また一方で次のように語った。
二回目に、エビ飛び見たいな形で飛び降りた。ゆっくり降りている、という意識があって、うまくいったと思った[365] — 男性客N.M.さん、週刊朝日 1972-05-26
アーケード屋根に張られた2本のワイヤーをめがけて飛び降りた際に、腹がワイヤーに当たって助かったという。肋骨骨折、腹部裂傷の重傷を負ったが、19年間続けていた趣味のダイビング経験が活かされ九死に一生を得た形である[366]。それでも飛び降りるのを1度はあきらめ、10分くらいは窓枠にぶら下がって逡巡してから飛び降りたという[367]。もう1人の男性もアーケード屋根に落下して助かった[368]。こちらは、猛煙と熱気から逃れようと窓枠にぶら下がっているうちに力尽きて、垂直にアーケードヘ落下したが左大腿部骨折と左肘骨折の重傷を負いつつも一命を取り留めた[368]


救助袋で脱出に成功した女性
救助袋の外側を馬乗りになって降下して助かったホステスの1人は、そのときの状況を次のように語った。
私はボックスでお客さんにビールをついでいました。もうみんなめちゃくちゃ、どこへ逃げていいかわからず、とにかく強そうな男の人にくっついていけばと思った。そばにいた背の高い人の背広のそでを握りしめて、窓のところまでたどりつきました。私は10何人目かに窓わくを乗り越え、布につかまった。下を見てはいけないと考え、両手に満身の力をこめてすべり降りた。私の両手の上に次の男のひとのおしりがのっかり、すべり降りているうち、まさつで手の平が熱くなり、破れて血が出たのがわかった。でも、この手を離したらおしまいだと思って……〔ママ[356][369] — ホステスM.K.さん、読売新聞 1972-05-14
ホステスは、地上まであと3、4メートルのところで手を離し落下、両腕と腿の座創、左足首を捻挫した[356]


消防隊による救助者
消防隊のはしご車(計5台)による7階からの救出者は50人で、救出された全員が生還できた。7階プレイタウンフロアからの避難路を探す際に、あまり右往左往せず、いち早く外窓に取りついた者がはしご車に救われた。体力が残っていた者は窓枠を乗り越え、はしごの先端から自力ではしご伝いに降りてきており、おもに男性が多かった。消防隊の救助でリフターに乗せられて降下した者は、窓際で失神していたか体力が弱っていた者、女性であった。また消防隊は救助袋から脱出途中に転落してきた3人(男性2人、女性1人)をサルベージシート(救助幕)で受け止めて救助した。サルベージシートの設置には通行人20人程度の協力を仰いだ。
消防隊による7階プレイタウンの救助者[370]
救助方法 救助担当 男性 女性 状況
はしご車による救助 南消防本署・はしご車分隊(L4) 0 2 2 ホステス更衣室窓から2人をリフターで救助。
北消防本署・はしご車分隊(L8) 10 0 10 タレント室窓から8人、厨房窓から2人を梯子伝いに救出。
阿倍野消防本署・はしご車分隊(L5) 18 2 20 バンドマン室窓から2人をリフターで救助、18人を梯子伝いに救出。
西消防本署・はしご車分隊(L6) 6 4 10 ホール窓(北東4)から女性3人をリフターで救助、他7人を梯子伝いに救出。
東消防本署・はしご車分隊(L9) 5 3 8 ホール窓(東1)から男性4人および女性1人、同窓(東2)から男性1人、同窓(北東6)から女性2人を救出。
小計 39 11 50
サルベージシート(救助幕)による救助 南消防署・南阪町PR分隊(PR200) 2 1 3 ホール窓(北東6)設置の救助袋から脱出途中に転落してきた3人をサルベージシートで受け止め救助。
合計 41 12 53 全員生存者。7階プレイタウン滞在者の生存者は、自力脱出者と合わせて合計63人である。


統率の取れた集団
バンドマン10人は、火災覚知の初期段階からバンドリーダーの指示でステージ裏のバンドマン控室に全員が待機していた[371]。ステージ裏の小部屋(ボーイ室、バンドマン控室、タレント室)は、ベニヤ板で間仕切りされた簡易的な部屋であったが、細かく仕切られフロアから隔絶されていたことで煙の汚染が比較的緩かった。だがF階段の電動シャッターを開けたことで7階プレイタウンに大量の猛煙と有毒ガス、熱気が流入するようになり[271]、それ以降は小部屋にも煙が大量に入るようになっていた。バンドマンらはドアの隙間に布や鼻紙を詰めて煙を凌ごうとしたが効果がなかった。そこでバンドリーダーは、部屋に普段から置いてあった野球のバットで窓を叩き割り、一緒に避難している仲間たちに順番に外気を吸わせて救助を待った[249]。バンドマン控室の窓に阿倍野消防本署・はしご車分隊のはしごが伸びてきて救出が始まったのは22時56分である[251]。はしごの先端についていた消防ホース(ノズル)が邪魔して、はしごと窓枠の間に30センチメートルほどの隙間ができていた[251]。バンドリーダーは自分の体重を掛けてノズル(ホースの先端部分)を押し下げ、すき間を解消した[372]。そのすぐあとに最初の2人がリフターで降下、その後を18人の避難者がはしごを自力で降りていった[372]

物的損害

建築物および装備品の損害
本件火災によって損害を受けた千日デパートビルの延焼範囲は、同ビル2階から4階までで、床面積合計1万899平方メートルのうち8,763平方メートル(80.4パーセント)が焼損し、延床面積2万7,514.64平方メートルに対する割合では31.8パーセントに及んだ。延焼階ごとの焼損割合は2階が床面積3,714平方メートルのうち3,192平方メートル(86パーセント)、3階が床面積3,665平方メートルのうち3,218平方メートル(88パーセント)、4階が床面積3,520平方メートルのうち2,353平方メートル(66.8パーセント)である[299][336]。延焼階より上の各階は階段、空調ダクト、電気配管、エレベーターシャフトからの煙や熱気の流入によってフロア全体と商品および装備品などに多量の煤煙がかかる損害を受けた[373]。5階の一部フロアでは、空調ダクトの隙間から流入した熱気の影響で、天井板が崩落した[374]。6階と7階ではフロアの一部で限定的な焼損がみられ、5月15日未明に6階ボウリング場改装工事現場(千日劇場跡)で小火が発生し、床の一部が焼損した[375]。また7階プレイタウンでは、事務所前の空調ダクトから熱気を伴った多量の煙が店内に流入し、ダクト吸入口周辺の天井、壁、事務所ドアなどの焦損、または廊下に積み上げられていたビールケースおよびビール瓶などの一部を熔解させる損害を出した[376]。この他にも煙の排出や救助のため、窓ガラスが割られた箇所があった。延焼階より下の各階では、消火活動に使われた多量の消防用水が上階から流れ込み、その影響により地下1階と1階で商品や装備品などが冠水し損害を受けた[377]。千日デパートビル以外のおもな損害としては、千日前商店街アーケードのプラスチック製屋根が7階からの飛び降りによって天板に穴が開き、その一部が破損した[378]。地下街「虹のまち」(現・なんばウォーク)では、消火作業に使われた消防用水が地上の出入口から侵入し、千日デパートを起点に地下30メートルの範囲を水浸しにした[288]。放水が始まってから地下街関係者が出入口シャッターを閉鎖したが、水は地下街へ流れてきた。さらに階段付近に土嚢約200個を積み上げて対処したが、それでも浸水は収まらなかったため、地下マンホールへ水を排出するために地下街保安員や当直員が対応した。浸水の影響は翌日の午前中まで続き、立ち入り規制の影響を受けた地下街店舗や利用客が不利益を被った[288]
損害額
大阪市消防局が公表した罹災者提出の申告書によると、火災焼失による被害額は建物で19億5,000万円、収容物で16億7,937万7,000円、合計36億2,937万7,000円である。収容物の損害額内訳は、商品12億2,395万2,000円、什器備品(装備品)3億695万3,000円、その他1億4,847万2,000円である[379]。また千日デパートビルの所有者である日本ドリーム観光によれば、右同社が被った損害額は、建物と付属設備関係を併せて8億2,000万円、ビル解体費用3億円、テナント賃料未収損失分8億7,000万円で、営業的な損失も加えれば、その額は計23億5,000万円にのぼるという[380]。日本ドリーム観光は建物などに火災保険を掛けていた。その額は建物に9億円、直営店舗の商品や什器品に5,000万円であった[381]。7階プレイタウンを経営する千土地観光は日本ドリーム観光の子会社なので、保険の補償範囲は右同店も含まれた[381]。しかしながら日本ドリーム観光は、客や従業員に対する「傷害・損害保険」などには加入しておらず、人的な損害に対しては保険金で補償することはできなかった[381]。ニチイ千日前店も火災保険を掛けていて、商品に3億円、内装(家具などの造作品を含む)や什器品に1億円であったが、造作品の損害が2億円に達したために保険金で補償される範囲を超えた[381]。その他のテナントについては、何らかの損害保険を掛けていた店舗は、170店舗の中で約40パーセントの69店舗で、その総額は約16億円だった[381]。残りの100店舗余りは保険未加入で、損害をそのまま被った形となった[381]

注釈

  1. ^ 火災当時はデパートの敷地が二つの住所に跨っていて、東寄り4分の3が三番町一番地、西寄り4分の1が四番町一番地であった。現在の住所は大阪府大阪市中央区千日前2丁目10番1号。
  2. ^ 防火管理者らの業務上過失致死傷罪を裁いた刑事訴訟第一審判決の判決理由のなかで、大阪地裁は「本件火災は、工事監督が3階東側を歩いている際に煙草を吸い、その煙草若しくはこれに点火する際に用いたマッチの火が原因となって発生した疑いが濃厚であるが、工事監督の行動を証拠上確定することは出来ず、火災の原因は不明と言わざるを得ない」と述べたことによる。また大阪高等裁判所で開かれた控訴審判決の判決理由においても火災原因は不明とされた。
  3. ^ 大阪地裁第3民事部に対して大阪市消防局が回答文書を示し、1973年(昭和48年)9月28日付けの大阪市消防局・南消防署署長作成「火災原因決定意見書」で「火災原因は不明である」との決定が下された。大阪地検は、重過失失火などの容疑で書類送検した電気工事監督を不起訴処分としたことで、火災原因については「不明」と決定した。
  4. ^ 大阪府警察本部の検証結果では「本件火災は、3階で電気工事に携わっていた工事監督がタバコを吸う際に点火したマッチの擦り軸を火が消えていないままの状態で商品の布団の上に投げ捨てたことによって発生した(煙草の不始末)」と断定し工事監督を書類送検したが、証拠不十分などの理由により、被疑者を起訴するには至らなかった。
  5. ^ 内訳は、プレイタウン関係者47人、消防隊員27人、警察官6人、通行人1人である。
  6. ^ a b c d e 素人の女性がアルバイト感覚で客を接待する大衆サロンのこと。キャバクラの元祖。昭和30年代から40年代に掛けて、主に関西で流行った。別名アルサロとも呼ばれる。
  7. ^ a b c 死亡者数ベースにおいて最大のビル火災である。2022年時点でも最大である。
  8. ^ a b 日本国内で近現代に発災した建物火災全体では、1943年の布袋座火災で死者208人を出した被害が最大である。
  9. ^ 事件名、公文書、学術書、出版物においては「千日デパートビル火災」と呼ぶのが一般的である。
  10. ^ a b c 7階プレイタウンへ大量の煙が流入してきた22時42分から43分ごろにA1エレベーターで地下1階から7階へ昇ってきた男性客1人とホステス1人は、7階エレベーターホールに充満した煙に驚き、同エレベーターで地下1階へ脱出した状況が確認されているが、この2人についてはプレイタウン滞在者に含めていない。
  11. ^ 企業としては1996年にマイカルに社名変更、2011年にイオンリテールに吸収されて解散。店舗ブランドとしては1990年にサティに転換し消滅。
  12. ^ a b 千日デパートビルの延べ床面積は、資料によって数値が異なる。例えば大阪地裁の認定では2万7,514.64平方メートル、大阪高裁認定では2万6,227平方メートル、また大阪市消防局の調べでは2万5,923.81平方メートルなどとしている。これは屋上の床面積(塔屋1階と同一フロアのうち、外部を指す)を含めているか、また1階および2階床面積の解釈上の違いによって生じているものである。当記事では屋上の床面積を含めた大阪地裁の数値を使用している。資料によっては大阪市消防局の数値を四捨五入して2万6,500平方メートルとしているものもある。
  13. ^ 本件火災発生当時(1972年5月)の消防法施行令・別表1に定める防火対象物区分では、いわゆる「雑居ビル」「複合用途」という概念は明確にされておらず、当時の「16項」が規定していた用途とは「前各項(1から15項まで)に掲げる防火対象物以外の防火対象物で、その一部が前各項に掲げる防火対象物の用途のいずれかに該当する用途に供されているもの」であり、これはすなわち「店舗と住居を兼ねた建物」を念頭に置いたものであった。したがって千日デパートビルは、特定防火対象物「4項(=百貨店、マーケットその他の物品販売業を営む店舗又は展示場)」に分類されていた。
  14. ^ 現行(2022年)の消防法令に照らした場合、千日デパートビルは「16項(イ)=複合用途防火対象物のうち、その一部が劇場・集会場等、酒場・風俗店等、飲食店、百貨店・スーパーマーケット、旅館・ホテル、病院・養介護施設・保育園等、サウナにおいて、これらの防火対象物の用途に使われているもの」に相当するが、本件火災発生当時(1972年5月)の16項は「(イ)と(ロ)」に区分されていなかった。区分されたのは1972年12月の消防法施行令の改正からである。(ロ)とは「(イ)で掲げた複合用途防火対象物以外の複合用途防火対象物」のことである。
  15. ^ 南消防署提出の消防計画書による。消防計画書は毎年1回更新されていたが、1971年(昭和46年)5月更新の時点では7階プレイタウンは、千日デパートの自衛消防組織および防火管理責任組織に組み込まれていなかった。
  16. ^ プレイタウン1階専用出入口(B出入口)に直結したB階段昇り口には、木製扉が設けられていて、プレイタウン閉店時には同店従業員が7階B階段出入口と同時に同扉を施錠していた。
  17. ^ 1958年(昭和33年)当時は、全国共通の消防法施行令は制定されておらず、地方自治体が独自に定めた施行条例の基準で設置されていた。消防法施行令の制定は1961年(昭和36年)からである。
  18. ^ 6階旧千日劇場跡は、ボウリング場改装工事中であり、火災時にスプリンクラーの機能が残っていたかどうかは不明である。ただし大阪市消防局の検証では、スプリンクラーヘッドから水が噴射された形跡はあったとされる。
  19. ^ 基本的には常時閉鎖状態だったが、一部のホステスは、普段からE階段出入口を任意に解錠してデパートの売場内に出入りしていたと証言している。火災当日の同扉の施錠は、21時閉店後の巡回時にデパート保安係員によってE階段側から為されていた。
  20. ^ 保安係員1班6人のうちの1人は、年休を取るために必ず休む決まりになっており、通常の夜間勤務は実質5人体制であった。
  21. ^ a b c d 大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部の調べによれば、7階プレイタウンの救助袋は、旧歌舞伎座ビル時代の1952年(昭和27年)に4階から屋上までの各階に設置された計5つの救助袋のうちの一つである。また南消防署の調べによる設置年は、1958年12月の千日デパート開業時を基準としており、警察との間で解釈の違いがある。救助袋の納入業者によれば、1963年以前は年に数回の保守点検を行っていたが、1963年に入ってから日本ドリーム観光側から契約を解除されて以降の保守点検については、新しい業者の責任であるので不知だという。展張時の長さについては、南消防署の調べでは30.21メートル、大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部の調べでは31.35メートル、報道機関によっては四捨五入して32メートルとするところもある。
  22. ^ プレイタウン店内に備わっていた懐中電灯の場所と本数=電気室3、クローク2、レジ・リスト2、事務所3。合計10本。
  23. ^ 中核派、革マル派、約620人によって行われた。「沖縄返還改策粉砕」「沖縄派兵反対」を主張し、集会を開いた後、20時からミナミ周辺をデモ行進した。
  24. ^ 右時刻は、刑事裁判において大阪地方裁判所が認定したものである。工事作業員の一人が駐車場へ車を取りに出掛けた際、3階の作業現場を離れた時刻は「22時25分」で、駐車場の駐車カードに記入した時刻は「22時35分」である。千日デパートから駐車場までの所要時間が徒歩で「9分25秒」掛かることから「出火推定時刻22時27分」を基に作業員らの行動も加味して導き出された。他の工事作業員2人の証言では、それぞれ22時35分また37分に火災を発見したとされるが、それらは個人の感覚的なものであり、いずれの時刻も認定から除外された。大阪市消防局の当初の調査では「22時30分ごろ」としていた。
  25. ^ 火災当時、消火器の使用方法は製造メーカーにより異なっていた。千日デパートで使用していた主な消火器は、旧式の「二重瓶式消火器」だった。
  26. ^ a b c 電気工事関係者は合計6人であるが、工事作業者の1人は22時25分ごろに駐車場へ車を取りに出掛けており、火災発見時にはデパートビルの中にいなかった。
  27. ^ バンドリーダーの証言によれば「3曲目の曲」とは、アイ・ジョージと志摩ちなみのデュエット曲「赤いグラス(1965年リリース。同タイトルの映画主題歌1966年)」であった。同曲の演奏中にプレイタウン店内へ煙が流れてきたという。
  28. ^ 1967年(昭和42年)10月16日1時33分ごろ、地下1階プレイタウン専用エレベーターホールに設置してあったソファーの一部がタバコの不始末により燃焼したものである。損害はソファー1個分のみで大事には至らなかった。
  29. ^ プレイタウン店内で従業員による放送が確認されているのは2回である。
  30. ^ 7階A階段の鍵はプレイタウン事務所内に保管されており、実際のところクローク内には無かった。またA階段の屋上の鍵は、1階保安室に単独キーがあるのみでプレイタウンでは保管していなかった。ただしA階段屋上の出入口はガラス扉なので、屋上へ避難しようと思えば扉のガラスを破ること自体は可能だった。
  31. ^ E階段に関しては、プレイタウン事務所内には階段出入口の他に屋上出入口の鍵が保管されており、屋上への避難も可能だったが、E階段は完全に煙で汚染されていたため、屋上へはおろか、更衣室直結の非常扉から先へ進むことすらできなかった。
  32. ^ 6階の旧千日劇場跡にスロープで繋がる幅約10メートルの連絡通路。プレイタウンが6階でも営業していた時に使用していた。火災発生の数日前まで、通路部分に壁も無くスロープも存在していた。
  33. ^ F階段の屋上の鍵は、プレイタウン事務所内に保管されておらず、1階保安室に単独キーがあるだけだった。従って仮にF階段が煙で汚染されていなくても避難者らは屋上に脱出することはできなかった。
  34. ^ a b これは発表時点での速報値であり、のちに訂正されている。
  35. ^ 初七日法要には遺族や被害者の参列は一人も無かった。理由は主催者の手違いにより遺族側へ連絡をおこなわなかったためである。
  36. ^ 通報者は、供述により千日デパート保安係の保安係長だと確認された。
  37. ^ 1989年(平成元年)2月13日、南区と東区が合区され中央区が発足したのを機に南署を廃止し、浪速署を発足させた。
  38. ^ a b 1989年(平成元年)2月13日、南区と東区が合区され中央区が発足したのを機に東署を中央署に改めた。
  39. ^ 火災現場に出場したが、南消防本署に残留。消火活動には参加していない。
  40. ^ 東雲PR分隊は、火災現場に出場したが待機命令により活動はせずに引き揚げた。
  41. ^ 火災現場に出場後、活動はせずに東消防本署にて残留警備にあたった。
  42. ^ 火災現場に出場後、活動はせずに東消防本署にて残留。
  43. ^ 負傷者搬送に投入された救急隊(計12隊)=南、西、天王寺、東、港、福島、西成、阿倍野、生野、大正、都島、浪速
  44. ^ 遺体搬送に投入された救急隊(計7隊)=東、福島、西成、西、大正、港、南
  45. ^ 15日未明にデパートビル6階で発生した再燃火災(小火)により消火活動が再開されたことから、後に鎮火日時は15日17時30分に訂正された。
  46. ^ 14日10時55分までの総放水量。ただし泉尾TR分隊の放水量は不明なので、その分は計算に含めていない。15日未明に発生した6階小火に対する消火および防御に使用した放水量は含まない。
  47. ^ a b c 現中央消防署管内
  48. ^ a b c 現浪速消防本署
  49. ^ a b c 現浪速消防署管内
  50. ^ 現中央消防本署
  51. ^ 一部の資料ではデパート滞在者を「210人」としているが、警察と消防で情報を照合し、綿密な追跡調査をおこなった結果、客2人を新たに加えたもので「212人」が正しい数値である。
  52. ^ プレイタウンには絶えず客や従業員が出入りしていたので、滞在者の人数にはある程度の変動がある。したがって7階で火災被害に巻き込まれた者を7階滞在者とする。
  53. ^ 6階ボウリング場改装工事に携わっていた作業員の1人は、火災発生時に廃材の積み込み作業で路上にいたところ、デパートビルの窓から煙が噴き出しているのを確認し仲間に知らせるためにCエレベーターで6階へ昇った。6階到着後、煙に巻かれたため直ちにエレベーターで脱出している状況が確認されているが、その作業者はビル滞在者に含めない。ボウリング場改装工事に携わっていた作業者は10人ほどいたが、火災発生時、6階に滞在していたのは6人である。一部の資料では7人滞在していたとするものも存在する。
  54. ^ a b 3階ないし4階に残業で滞在していたニチイ千日前店の従業員4人については、22時ごろに退館しているが、火災のおおよその発火時刻と前後することからデパートビル滞在者に含めている。
  55. ^ 1階滞在者のうち、保安係員2人は火災発生時刻のころは、まだ館内巡回中(事務所関係の巡回)だった。
  56. ^ a b 1階プレイタウン関係者10人については、客の呼び込みや送迎のためにデパートビル南側路上もしくはプレイタウン入口または地下1階ロビーにいたものであるが、火災発生時刻(22時27分)から7階に煙が充満してきた時刻(22時43分)の間に各々が2基の専用エレベータで7階との間を往復しているので、それらの者はデパートビル滞在者に含める。客については、出入り状況と素性が正確に把握できないことから火災に巻き込まれなかった場合は滞在者に含めない。
  57. ^ 2人とも当夜の宿直員である。2人は火災発生時に館内の風呂場(地階)で入浴中だった。
  58. ^ a b 7階窓からの飛降りまたは救助袋からの転落による墜落死22人の詳細な死因は、脳挫滅1人(男性)、脳挫傷12人(男性5人、女性7人)、頚椎骨折3人(女性3人)、骨盤骨折2人(女性2人)、胸腔内臓器破裂2人(女性2人)、外傷性ショック2人(女性2人)である。ただし墜落死した者のうち、誰がどの死因に該当するかは各資料には明記されておらず、不明である。
  59. ^ a b エレベーターを使って自力脱出に成功した人について、多くの資料はプレイタウン滞在者のホステス1人としている。A1エレベーターで7階へ昇ってきた男性客1人とホステス1人の計2人については、7階へ着いたときに、ちょうど煙が7階エレベーターホールに充満しているのを目の当たりにした。そこへプレイタウン滞在者のホステス1人が慌てて同エレベーターに乗り込んできて、3人はそのまま一緒に地下1階へ避難したものである。なお客1名はビル滞在者に含めていない。
  60. ^ ホステス1人以外にもプレイタウン関係者でエレベーターで往復した者もいたと思われるが、火災による煙で店内が騒ぎになった後のみ特筆する。
  61. ^ 検察審査会法第32条=検察官の公訴を提起しない処分の当否に関し、検察審査会議の議決があったときは、同一事件について更に審査の申立てをすることはできない。
  62. ^ 1967年3月、5月、10月に相次いで異なる管理権原者である「ニチイ千日前店」と「プレイタウン」が千日デパート内で営業を始めたが、その時点で1963年に提出された消防計画の内容からは実態が大きく変わっていた。火災発生当日に至るまで法令で定められた共同防火管理に基づく3者共同の消防計画が策定されなかったことは、現に存在している事実に反していたことになる。
  63. ^ 22時44分ごろ、第一出場の消防隊は消火活動を行うために内部進入を試みたが、その際に千日デパートビル北東正面入口と北西入口のシャッターを開放した。その結果、大量の空気をビル内部へ流入させることに繋がり、火勢が一気に強まって火災の延焼はさらに進んだ。そのことで7階プレイタウンにより一層の煙と有毒ガスが流入するに至った。本件火災の状況ならびに燃焼実験の結果から、煙を排出するために強制送風を実施することは必ずしも良い結果をもたらさないと結論付けられた。
  64. ^ 法令が改正された場合、新しい法令規定の適用を必ず受ける消防用設備、という意味。自動火災報知設備は、そのうちの一つ。
  65. ^ 11月6日に北陸トンネル火災が発生しているが、当該火災は鉄道車両の火災事故なので、ビル火災がテーマの当記事では考慮に加えなかった
  66. ^ 大洋デパート火災の死者数については、火災発生当日で100人、その後48時間経過した時点で3人増え、合計103人となった。ところが火災発生から7年経過した1980年12月16日に火災による一酸化炭素中毒の影響で国立熊本病院に長期入院していた負傷者1人が死亡したことにより、最終的に死者は104人となった。多くの資料はこの「7年後の死者1人」を計上していない。
  67. ^ 負傷者数については、資料によってその数は区々であるが、警察庁発行の「昭和49年度版・警察白書」によれば、最終的な負傷者数は「124人」となっている。なお大洋デパートの防火管理者や火元責任者らに対する刑事裁判においては、裁判所が認定した負傷者数は「67人」であった。これは被告らの過失によって負傷させられた客および従業員の人数なので消防隊員や消防団員などの負傷は含まれておらず、全体の負傷者数とは異なっている。
  68. ^ a b c 現行の法令が規定する「特定防火設備」に該当する防火戸のこと。遮炎性能1時間を有するものをいう。
  69. ^ a b c 現行の法令が規定する「防火設備」に該当する防火戸のこと。遮炎性能20分を有するものをいう。
  70. ^ 1972年6月4日夜に被疑者は勾留期限切れにより処分保留で釈放された。自供を裏付ける直接的な証拠が無く、物証の代わりとなる科学鑑定もまとまらず、期限内に起訴できなかったことによる措置。
  71. ^ 建設計画時または建設中における新ビルの仮称は「新千日デパートビル」であった。

出典

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