千日デパート火災 労災補償および支援

千日デパート火災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 09:05 UTC 版)

労災補償および支援

労働者災害補償保険(労災保険)の補償適用を巡って、火災発生時にプレイタウンに滞在していたことで被災した客、ホステス、従業員、バンドマンについて労働基準局などが契約や雇用の実態などを調査した。客は社用などの接待でプレイタウンを利用していた場合の労災補償の適用が可能なのかどうか、またホステスとバンドマンの契約雇用実態および労働基準法が定める「労働者」に該当するのかなど、労災補償が適用されるためには、いくつかの懸念要素が存在した。遺族や負傷者に対する支援は、募金や寄付金という形で大阪を中心に広がりを見せた。

労災補償

千日デパートビル火災によって犠牲になった死亡者または重軽傷者は、全員が7階プレイタウンの客と従業員であるが、それらはいずれも有職者であったことから、労災保険の補償適用が如何に為されるかについて関心が高まった[707]。大阪労働基準局(現・大阪労働局)や天王寺労働基準監督署(現・大阪中央労働基準監督署)が係官を動員し、客、ホステス、プレイタウン従業員、バンドマンについて労災保険の実態を調査した。死亡した客については、プレイタウンに個人で来店していた場合であれば労災補償の適用外であるが、業務上の接待でプレイタウンを利用していた場合に労災と認められるのかどうかの判断が難しいとされた[708]。1968年11月に兵庫県・有馬温泉で発生した「池之坊満月城火災」の例では、会社の慰安旅行で宿泊していた客が犠牲になったケースで、「自由意思で参加する慰安旅行は、労災保険法で定める業務とは認められない」とする判断が示されたことがあり、客や会社の自己申告や一方的な証言に頼ることからも労災補償の適用は微妙だとされた[708]。客については、実際に労災補償を申請したケースは確認されなかった。

プレイタウンのホステスの労災補償適用について、右の死亡したホステスらは、プレイタウンを経営する千土地観光との間で直接の雇用契約を結び、労働基準法に基づく雇用契約も結んでいたのは明らかであり、千土地観光も労災保険に一括加入していたことから、プレイタウンのホステス全員は、れっきとした労働者であって労災補償の適用は問題ない、とする見解を大阪労働基準局が示した[708]。また死亡したプレイタウン従業員も同ホステスと同じく、千土地観光との間で直接の雇用契約があり、労基法による雇用契約を同社と結んでいることは明らかであるので、同局は労災補償適用は問題ないとした[707]。負傷して入院している29人のプレイタウン従業員(うちホステス11人)については、休業補償および療養費が支給され、後遺症が出た場合には、程度に応じて障害補償金が支給されることも確認された[707]。火災から8日後の5月21日、プレイタウン従業員および同ホステスの9遺族が天王寺労基署(当時)に労災保険による遺族補償の給付請求を出した[709]。受取人は死亡者の親6人、妻1人、子供11人の計18人で、同労基署は基礎日額の算定を急いで翌週には支給したいとした[710]。同月28日、天王寺労基署は同月21日に出された請求のうちの5遺族分について支給を決め、遺族は年金支給前払い(一時金)の形で葬祭料込みで同月末から受け取ることになった[711]。労災補償の支給は、申請があり次第、算定の上で支給されるとされ、1972年8月までの時点で死傷したプレイタウン従業員および同ホステスの遺族または被災者本人ら全員に労災補償が支給された[712]

プレイタウンのバンドマン10名については、千土地観光との間で直接の雇用契約を結んでおらず、いわゆる「専属契約」ではなかった。バンドマンらは、請負契約の形で営業中のプレイタウン・ホール内で演奏を行っていたが、千土地観光はバンドマンらを労災保険に加入させておらず、同保険による労災補償の適用は難しいとされた[708]。バンドマンらの場合は、バンドリーダーがバンドメンバーを雇用する形態と見做され、一括して労災保険に加入しておく必要があったが、実際にはメンバー全員が未加入であった[713]。1972年当時の労災法では、5人以上の労働者を雇う場合は強制的に労災保険に加入することが義務付けられていたことからすれば、9人のメンバーを抱えるバンドが労災保険未加入というのは、バンドメンバーらの落ち度ではなく、リーダーの過失であると考えられた[713]。したがって死亡したバンドマン2人や負傷した他の7人のメンバーらは、労働基準法上の労働者であることは間違いないことから、労災補償を受け取る権利と資格がある、と大阪労働基準局によって判断された[713]

遺族および負傷者への支援

千日デパートビル火災で働き手を亡くした遺族や負傷者を金銭的に支援しようとする動きが世間一般で見られ、その総額は1,000万円を超えた。火災発生の翌日、デパートビル正面入口脇に花が手向けられた後に慰霊用の祭壇が設置されたが、その傍らにはいつしか「善意の箱」と名付けられた募金箱が白い布を被せた机の上に置かれていた[714]。箱を設置した人の素性は「堺市の大工」だと本人が明かしたことで一応は判明したが、氏名までは名乗らずに立ち去った[714]。犠牲者の霊に手を合わせる人や道行く人たちが「善意の箱」に寄付した。その合計は5月末で283万円余となった[714]。しかしながら「善意の箱」は、警察の警備が解かれる5月末に合わせて撤去されることになった。引き続き「箱」の設置を望む声は多かったが、被災テナントで結成された「千日デパート罹災業者復興対策委員会」が「箱の管理が行き届かない恐れがある」として撤去を決め、寄付金を小切手に変えて大阪府警・南署で保管することになった[714]。2週間程度で300万円近い寄付が任意に設置された募金箱に集まるのは珍しいケースだとされた[715]

「善意の箱」の他にも、一般市民や企業、全国のホステスらから「千日デパート被災者対策合同本部」、大阪市、新聞社などに寄付金が届けられており、その総額は「箱」と合わせて1,071万6,000円に達した[716]。全国のホステスらは同僚との連名で寄付しているケースが多く、なかには少しでも金額を増やそうと街頭募金まで行ったグループもあった[716]。遺族への分配は、1遺族につき一律6万2000円とし、18歳未満の遺児がいる遺族の場合は、1人につき3万円を上乗せするとした(対象の遺児は103人)[716]。負傷者に対する分配金は、退院の見込みがない重症者には5万円、その他の入院患者には1万円、通院する負傷者には5,000円の分配とした[716]。余剰金4万8000余円については、以降も寄せられる分と合わせて分配するとした。寄付金は「四十九日」にあたる6月29日に遺族へ届けられた[715]

大阪市は、遺族や被災者に対して弔慰金または見舞金を贈った。死者1人につき1万円、重症者に5,000円、軽症者に3,000円とした。








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