十勝沖地震
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前兆現象
地震像(本震および余震の起こり方)が似ている1952年と2003年の地震では、同じ様な前兆現象が発生していた。しかし、前兆現象として発生するとされている『プレスリップ』(前兆滑り)は、2003年の地震では検出できなかった[25]。
震源域の静穏化現象
1952年十勝沖地震の7年ほど前から震源域付近では小さな地震の頻度が低下する現象がおきていた。また2003年十勝沖地震の際も1990年以降同様の現象がおきていたことが研究者より指摘されていた[26]。太平洋戦争後からの記録によると、大地震発生の数年から十数年前に微小地震の回数が減る「第2種地震空白域」の形成が確認されており[27]、この間のすべり欠損により、大きなエネルギーが蓄積されていったと考えられている[28]。
深発地震との関係
1952年と2003年の地震では M8 クラスの本震の発生に先立って、プレートのもぐり込み先を震源とする深発地震が増加していた[29]。
誘発活動
1952年十勝沖地震の際は阿寒湖畔では鳴動を伴う群発地震が活発化し、1955年には雌阿寒岳ポンマチネシリ火口で小規模噴火が生じ1960年代半ばまで噴火活動が継続した[30][31]。また、2003年十勝沖地震の際は直後に樽前山での火山活動が活発化した[32]ほか十勝岳、雌阿寒岳、屈斜路カルデラに至る火山フロント[33]での群発地震活動が活発化した[34]。
主な地震
1843年
天保十勝沖地震。天保14年3月26日明方(1843年4月25日)。マグニチュードは地震カタログによって異なり、M 7.5 - 8.0[35][36]、津波マグニチュード (Mt) 8.0[5]。『國泰寺日鑑』、『釧路郡役所報告』などに記録がある。ロシアでは南千島地震としている。釧路から根室にかけて強く揺れ、厚岸で八幡神社が4-5尺ずれ、地割れがあり、江戸でも有感であった。
津波が北海道太平洋側から千島列島に襲来し、厚岸で波高4-5m、番屋やアイヌの家屋が流失し45名の溺死者を記録した[35]。根室や国後島でも溺死者を出した[37]。
この地震による津波の波源域は1894年根室半島沖地震と重なると推定される[38]ことから、十勝沖と根室沖の領域が連動して発生したプレート間地震と推定されている[5]。
- 発生日時:1843年(天保15年)4月25日12時頃
- 震源の深さ:20km(推定)
- 地震規模:M8.0
- 震央域:千島海溝
- 種類:海溝型地震
- 最大震度:6
- 死者:43名
- 津波:厚岸で7m程度
1915年
1915年3月18日3時46分、十勝沖(千島海溝)でマグニチュード7.0の地震があった[39]。深さ約100kmの深発地震。浦河で震度5。2人が死亡した[40]。震源地の座標は北緯42度12分・東経143度36分。帯広地方で被害があった。
- 発生日時:1915年(大正4年)3月18日3時46分
- 震源の深さ:100km(推定)
- 地震規模:M7.0
- 震央域:千島海溝
- 種類:沈み込むプレート内地震
- 最大震度:5(浦河町)
- 死者:2名
1952年
十勝沖地震(1952年) | |
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津波襲来後の被災地 | |
震央の位置 | |
本震 | |
発生日 | 1952年3月4日 |
発生時刻 | 10時22分43.5秒 |
震央 | 十勝沖 |
座標 | 北緯41度42.3分 東経144度09.0分 / 北緯41.7050度 東経144.1500度 |
震源の深さ | 54 km |
規模 | M8.2 |
最大震度 | 震度6:北海道池田町・浦幌村 |
津波 | 最大6.5m |
被害 | |
死傷者数 | 死者28人・行方不明者5人・負傷者287人 |
被害地域 | 北海道・東北地方 |
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プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
概要
1952年3月、十勝沖でM8.2の地震が発生した[41]。
- 本震
- 発生:1952年(昭和27年)3月4日10時22分43.5秒
- 震源:北海道襟裳岬東方沖約50km (北緯41度42.3分 東経144度09.0分 / 北緯41.7050度 東経144.1500度) 深さ54km
- 地震の規模:M8.2(Mw8.2)
- 震央域:襟裳岬東方沖
- 種類:海溝型地震
- 最大震度:6(池田町・浦幌町)
- 死者:28名
- 津波:厚岸で6.5m
- 各地の震度
震度 | 都道府県 | 観測所 |
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6 | 北海道 | 池田・浦幌(現・浦幌町) |
5 | 北海道 | 浦河・帯広・本別通報所・釧路 |
4 | 北海道 | 札幌(中央区)・函館・森・小樽・岩見沢・富良野通報所・苫小牧・日高門別通報所・根室 |
青森県 | 青森・田名部 | |
岩手県 | 宮古 |
被害
北海道から東北北部で揺れや津波などの被害があり、28人が死亡、5人が行方不明、287人が重軽傷を負った。また、家屋被害は、全壊815棟、半壊1324棟、一部損壊6395棟、流失91棟、浸水328棟、焼失20棟、非住家被害1621棟であった。このほか、船舶被害451隻を出した。
北海道東部の厚岸郡浜中町の中心部霧多布地区では津波により家屋が大多数流出し壊滅した。この時期の流氷及び海氷が津波により押し寄せ、家屋の破壊が拡大した[42]。この地区は8年後の1960年チリ地震津波でも街が壊滅し、死者11名を出す被害を繰り返す事になる。
津波は、厚岸湾が最高で6.5m、青森県八戸市で2mなど。津波警報制度発足後で初めて大津波を伴う地震であったが、発表された警報は東北地方の太平洋沿岸に「ヨワイツナミ」、北海道地方に「ツナミナシ」と過小評価されたものとなった[43]。ただ、前日の3月3日が1933年に起こった昭和三陸地震記念日で警報伝達訓練や避難訓練も多数行われ、防災に役立った。
1968年
2003年
平成15年(2003年)十勝沖地震 | |
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地震の震央の位置を示した地図 | |
本震 | |
発生日 | 2003年(平成15年)9月26日 |
発生時刻 | 4時50分07.4秒(JST) |
震央 | 日本 十勝沖 |
座標 | 北緯41度46.7分 東経144度04.7分 / 北緯41.7783度 東経144.0783度 |
震源の深さ | 45 km |
規模 | マグニチュード(M)8.0 |
最大震度 | 震度6弱:北海道 新冠町、静内町[44]、浦河町など |
津波 | 4m00cm:北海道 えりも町 |
地震の種類 | 海溝型地震 |
余震 | |
最大余震 |
同日 午前6時08分 M7.1 震度6弱:浦河町 |
被害 | |
死傷者数 | 死者1人、行方不明者1人、負傷者849人 |
被害地域 | 北海道 |
出典:特に注記がない場合は気象庁による。 | |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
概要
- 本震
- 発生:2003年(平成15年)9月26日(金)午前4時50分07.4秒(日本時間)
- 震源:北海道襟裳岬東南東沖80km (北緯41度46.7分 東経144度04.7分 / 北緯41.7783度 東経144.0783度)、深さ45km。震源は1952年の巨大地震とほぼ同じ
- 地震の規模:Mj8.0、Mw8.0(気象庁)[45]、Mw8.3(アメリカ地質調査所)[46]
- 震央域:釧路沖
- 最大震度:6弱(静内町・浦河町・鹿追町・幕別町・豊頃町・忠類村・釧路町・厚岸町・新冠町)
- 地震種類:海溝型地震
- 津波:4m00cm(えりも町百人浜)[47]
- 死者:1名(津波による)
気象庁はこの地震を平成15年(2003年)十勝沖地震と命名した。
この地震の震源付近では1952年3月4日にM8.2の十勝沖地震が発生している。そのため、2003年の地震を「平成十勝沖地震」として区別することもある。
- 各地の震度
震度 | 都道府県 | 観測点名 |
---|---|---|
6弱 | 北海道 | 新冠町北星町・静内町ときわ[48]・浦河町潮見・鹿追町東町・幕別町本町・豊頃町茂岩本町・忠類村忠類・釧路町別保・厚岸町尾幌 |
5強 | 北海道 | 厚真町京町・足寄町上螺湾・帯広市東4条・本別町北2丁目・更別村更別・広尾町並木通・弟子屈町美里・釧路市幸町・音別町尺別[49]・別海町常盤 |
5弱 | 北海道 | 新篠津村第47線・栗沢町東本町・南幌町栄町・長沼町中央・栗山町松風・中富良野町市街地・清里町羽衣町・北見市公園町・訓子府町東町・苫小牧市しらかば・上士幌町上士幌・音更町元町・十勝清水町南4条・芽室町東2条 |
防災科学技術研究所が設置した強震観測網によれば広尾町広尾と浦幌町直別で震度6強相当(計測震度6.0-6.3)の揺れを観測した[50]。
- 最大余震
- 発生:2003年(平成15年)9月26日午前6時08分02秒(日本時間)
- 震源:十勝沖 北緯41度42.5分、東経143度41.4分、深さ21km
- 地震の規模:M7.1
- 最大余震の各地の震度
震度 | 都道府県 | 観測点名 |
---|---|---|
6弱 | 北海道 | 浦河町潮見 |
5強 | 北海道 | 新冠町北星町 |
5弱 | 北海道 | 厚真町京町・静内町ときわ[48] |
青森県 | 野辺地町野辺地・むつ市金曲・東通村砂子又 |
被害
北海道から東北地方の太平洋沿岸に津波が襲来し、最高で2m55cm(北海道豊頃町・大津で記録)に達した。十勝川などでは、津波が川を10km以上も逆流する現象も発生した。北海道では豊頃町の十勝川河口でサケ釣りをしていた釣り人の男性2名が津波にさらわれ行方不明となり[51]、うち1名の遺体が2005年4月に発見された[52]。この死者・行方不明者の他にこの地震による犠牲者はいない。北海道を中心に負傷者849人、住宅の全壊116棟、半壊368棟、一部破損1,580棟、床下浸水9棟の被害が出た[53]。
なお、地震発生前日の朝から釣りに行ったまま28日夜になっても帰宅してこなかった帯広市の男性についても捜索対象となったが、後に無事に帰宅していたことが判明した。男性は29日に自分が捜索の対象になっているのをラジオで知り、出掛けていた知床半島から同日午後8時半に帰宅したという[54]。
この地震で政府は地震が発生した当日に官邸内に対策室を設置し、また北海道庁は緊急消防援助隊及び陸上自衛隊第5師団に災害派遣を要請するなどして対応した。
北海道東部の各地方都市を結ぶ鉄道・道路・橋梁が各地で多数破損したため、一時道東地方の交通は全面ストップし、その後、主要道路の通行止め解除には数日、完全な復旧には数か月を要した。また町村道のような末端の生活道路の補修には数年を要した。
鉄道に関しては、根室本線直別駅構内を走行中の特急まりも(8両編成)の先頭から2両目の車両が脱線し[55]、乗客39名のうち1名が軽傷を負った、また、同本線の路盤・橋梁・信号施設、駅舎なども破損などの被害が生じ、ダイヤが正常に戻ったのは翌月8日に入ってからであった。
また港湾施設の被害は大きく、釧路港などでは液状化現象が多数発生した。釧路空港は管制塔の天井部分が壊れるなどして管制業務が出来なくなったため閉鎖された。ライフラインでは、厚真町の苫東厚真火力発電所4号機(出力70万kW)が地震により自動停止して発電や送電設備に影響が出て、日高・十勝地方を中心に、釧路市と周辺6町の約2万4300世帯などが停電した。
また、地震直後及び2日後に苫小牧市にある出光興産北海道製油所で2基の石油タンクの火災があった。これは、震源からやってきて苫小牧市周辺の堆積平野で増幅された長周期地震動の周期と、石油タンクの固有周期が一致し、石油タンクの内容物が共振するスロッシングと呼ばれる現象が発生し、浮き蓋の上に溢れ出した重油やナフサが浮き蓋と側壁の接触との摩擦で発生した火花に触れて引火することによって引き起こされた。地震後、このような巨大地震によってもたらされる長周期地震動による大規模構造物の被害が注目された。
海底地震計による観測
1952年地震の余震域の最近の地震を観測するため、2002年7月20日から2002年9月20日および2003年8月7日から2003年9月21日まで自己浮上式の海底地震計による観測が行われていた。また、本震発生の4日後の2003年10月1日から2003年11月20日にも大学、気象庁、海洋研究開発機構らの共同調査班による観測が行われた。震源域に直接設置された海底地震計により、震源から離れた陸上観測点のデータを利用した気象庁一元化データには現れていない微小地震も多く観測された。しかし、柔らかな海底の堆積層上に置かれた地震計であるためマグニチュードの決定精度には欠ける。一方、直前に微小な群発地震が発生するなど約1カ月前から前兆的な微小破壊を暗示させるデータが得られた。 また、本震の直前のグーテンベルグ・リヒターの式、