北葉山英俊
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北葉山 英俊(きたばやま ひでとし、1935年5月17日 - 2010年7月20日)は、北海道室蘭市出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山田 英俊(やまだ ひでとし)[1]。最高位は東大関。
- ^ a b c d e f g h ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p23
- ^ 【私の“奇跡の一枚” 連載66】我が郷土室蘭のヒーロー北葉山の凛々しきモミアゲ ベースボール・マガジン社WEB 2020-04-21(2020年4月21日閲覧)
- ^ 両親に知られて連れ戻されないために、青函連絡船が青森港に到着するまでは知らせないように同僚に頼んで上京した。
- ^ a b ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p12
- ^ 『相撲』2012年1月号
- ^ ただし、北葉山と同じ直前3場所の通算28勝の成績で大関に昇進した力士は、後に横綱へ昇進した北の富士勝昭がいる。
- ^ a b c 『大相撲ジャーナル』2017年6月号108頁
- ^ この時の優勝は師匠・時津風が、理事長として愛弟子に天皇賜杯を自ら手渡した唯一のものだった。
- ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p43
- ^ 『大相撲ジャーナル』2016年12月号31ページ
- ^ 師匠・時津風は理事長として、枝川を審判に任命した際「絶対に同体というものはない」と言い、審判としての心構えを説いたと、審判在任中の枝川が証言している。
- ^ 審判委員退任後の1995年7月場所に当時審判部長だった佐渡ケ嶽が病欠した際には代理で審判部長を務めた。
- ^ 元大関北葉山が死去 大鵬、柏戸の好敵手 共同通信47News 2010年7月24日閲覧
- ^ 喜ぶのはまだ早いと一応注意はしておいた。優勝争い正代の故郷熊本は大騒ぎらしい…[北の富士コラム] 東京中日スポーツ 2020年1月24日 21時19分(2020年1月31日閲覧)
- ^ 左眼球打撲により千秋楽不戦敗
- ^ 佐田乃山と優勝決定戦
- ^ 左第11肋間筋膜損傷により9日目から途中休場
- 1 北葉山英俊とは
- 2 北葉山英俊の概要
- 3 エピソード
- 4 脚注
固有名詞の分類
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