北海道日本ハムファイターズ 応援スタイル

北海道日本ハムファイターズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 07:15 UTC 版)

応援スタイル

東京時代

1980年代前半頃の応援スタイルは、トランペットを使わず、どの選手にも笛と太鼓で「ピーッピーッピピピピピピピッ」という決まりのものだったが、柏原純一にだけは「ピピピピピピピッ純一」というオリジナルのスタイルがあった(このスタイルは、柏原が阪神へトレード移籍した後も阪神の応援団が継承した)[注釈 46]

トランペットを使うようになってからの応援スタイルは、各選手別応援歌を歌うようになった(用意されていない選手は汎用応援歌の選手部分を差し替えて歌う。ただし、交流戦のビジターで投手が打席に立つ場合には、投手用の汎用応援歌を歌う[注釈 47])。原則的には1回目は演奏なしでアカペラで歌い、2回目以降はトランペット演奏で歌うが、森本稀哲などファンファーレのある場合はそれに続けて1回目から演奏ありで歌う。田中賢介などのように選手コールの後で最初からトランペット演奏が始まる選手もいる。これ以外にも非公式だが、一部の選手には応援歌に合わせた動きをすることもある。

1980年代から1990年代後半までは、相手選手凡退時に凡退テーマを演奏していたが、現在では関西地区9回裏限定で行っている。

北海道時代

北海道移転後、大半の選手別応援歌を除いて応援スタイルがやや変わった。攻撃開始やチャンスには『北の国から』、得点が入った時のテーマが「I'm A 北海道MAN」の「おーいおーい北海道」の部分など地元をイメージした応援歌[注釈 48] になっている。また、東京時代は本拠地東京ドームでは使えなかった太鼓が札幌ドームで使用可能となり、ホームゲームでも太鼓を使うようになった[注釈 49]

なお移転後も、従来のメイン応援歌「ファイターズ讃歌」は引き続き歌われている。歌い手にささきいさおが起用されたこともあり、2000年以降は速水けんたろうが歌っている。2007年からは速水の再録音版を使っている。2011年途中から諸事情で歌唱の入っていないカラオケバージョンになるが、翌2012年より再び、速水歌唱バージョンを使用。2014年からは、上杉周大THE TON-UP MOTORS)が歌っているバージョンが使用されている。なお、私設応援団の名前は「闘将会」である。

東京ドームなど関東の球場でも応援するために、札幌移転後も東京の応援団は存続している。このため東京のファンには馴染み深い移転前の応援スタイルが使われる場合がある。2006年のアジアシリーズでも移転前の応援スタイルが使われ、2007年から東京ドームでの試合のみ、ホーム・ビジター試合を問わず全試合で、東京ドーム本拠地時代の応援スタイルを使う(ただし、移転後にできた「北の国から」等のチャンステーマを使う時もある)。

ホームゲームで相手投手がノックアウトで降板するときは「Na Na Hey Hey Kiss Him Goodbye」を歌っていた。東京時代は海援隊の「贈る言葉」を応援団が演奏していた。札幌移転後もビジターゲームでは演奏する時がある。

2007年後半から、鳴り物が禁止されている宮城球場の試合で、宮城球場限定の鳴り物なしでの応援スタイルとチャンステーマを取り入れた。2008年からは関東限定で映画『チキ・チキ・バン・バン』の主題歌[注釈 50]札幌ドーム限定で「ジンギスカン[注釈 51]、2010年は、沖縄限定で「ハイサイおじさん」、東京ドーム限定でかつての球団歌『それゆけぼくらのファイターズ』と、地域別あるいは球場別でチャンステーマを取り入れている。

北海道移転当初の公式応援歌「Go! Go! ファイターズ」では、香瑠鼓による鳴子を振り付けに用いることがあった。7回裏、ファイターズ攻撃前にはマスコットのB.Bが登場し、スタンドの観客を率いて踊る。振り付けはYOSAKOIソーラン風であった。2006年は、YOSAKOIソーラン色を薄めた新しい振り付けになった。

札幌ドームの試合など北海道での試合では、日本ハムの投手3ボールになって、カウントを悪くしてしまうと、投手を応援するための拍手(スリーボール・クラッピング)が自然に起こる。また、押し出しがかかる場面や連続四死球の直後には、2ボールの時点で拍手が発生することもある。

試合後、日本ハムが勝った場合に電光掲示板のカウントダウンと共にスタンド最上段(3階)から金色の紙テープがバズーカで発射され、ゆっくりと舞い降りて勝利を祝う[注釈 52]。移転初年度の2004年は紙吹雪を発射していたが、掃除に手間がかかること、野球・サッカーの共用スタジアムという性質上の問題などから2005年に廃止された。しかし、勝利セレモニー復活の希望が多かったため、清掃しやすいスタイルになった(札幌ドームのみ)。2011年からは金テープのバズーカから勝利の花火に変更された。2018年からは花火が廃止され、金テープが復活した。

稲葉の打席では「稲葉ジャンプ」と呼ばれるジャンプが起こった。なお、2011年は東日本大震災の被災者に配慮してシーズン中は自粛していたが、クライマックスシリーズで復活した。金子誠の打席では、新撰組の「誠」の隊旗や法被が応援に使われている。

ビニール風船を使った応援

2005年頃から特定の選手へのビニール風船を使った応援が始まった。

  • 小笠原道大(2005年 - 2006年):イルカ - 一時期、札幌市内と近郊の100円ショップからイルカの風船が消えるまでになった。
  • セギノール(2005年 - 2007年):バナナ
  • 森本稀哲(2007年 - 2010年):緑色のマイク。これは森本本人がヒーローインタビューでのマイクパフォーマンスに長けていたことからファンが考案したものが広まったものである。札幌ドームの近所のファンが集まるラーメン屋で5000個作られて販売された。
  • 田中賢介(2008年 - 2012年、2015年 - ):人差し指だけ伸ばしたピンクの手
  • スレッジ(2008年 - 2009年・2012年):ハンマー
  • 鶴岡慎也(2008年 - 2013年):鶴または、ガチャピンのバット - 札幌では鶴が普及している。

札幌ドームでは長らくジェット風船を膨らませての応援が禁じられていた(東京ドームも同様)。理由は、札幌ドームはバックスクリーン奥にあるサッカー・ラグビー用天然芝ピッチの出し入れに必要な隙間に風船が挟まって移動に支障をきたす恐れがあるため(東京ドームはエアドームなので空気圧の膨張で風船が割れる恐れがあるため)。なお、札幌ドームでは2011年6月12日の対横浜戦に限り、限定的に使用が許された(ただし、衛生の観点から口から膨らますことは禁止され、専用ポンプを使っての応援のみ認められていた)。2012年から札幌ドームで行われる全試合で使用可能になった[138]。日本ハムファンは7回表終了後に青色の風船を飛ばし、勝利時には白色の風船を飛ばしている。[注釈 53]


注釈

  1. ^ これは、読売ジャイアンツの前身の東京巨人軍が巨人の愛称で呼ばれることを受けて、鈴木惣太郎が「他の球団も巨人と同じように愛称で呼ぶことにしよう」と考え、大阪タイガース猛虎、セネタースを青鞜、パシフィック太平と命名した名残である。しかし、巨人以外の他球団が愛称で呼ばれることを拒否したため、定着しなかった。
  2. ^ 東急の参事で強羅ホテル社長・猿丸元が、小林次男(横沢三郎の兄)の仲介で、五島慶太永田雅一を会わせてフィフティの合併、急映フライヤーズを誕生させた[8]
  3. ^ この年の深見は西鉄で2本塁打、東急で23本塁打を放っており、2018年終了時点で日本プロ野球史上唯一の「同一年度に複数球団の在籍経験がある本塁打王」である。
  4. ^ 1985年2月、東映不動産株式会社に吸収され、東映興業不動産株式会社となる(東映興業不動産は、2006年11月に東映へ吸収され消滅)。
  5. ^ 西村は現在の日拓グループ社長でもある西村拓郎の実父で、拓郎の妻・神田うのの義父に当たる。
  6. ^ 同年11月10日付の朝日新聞が「日拓、日本ハムに身売り」とスクープした。
  7. ^ なお、退任した土橋は、フジテレビニッポン放送野球解説者を経てフジテレビと資本関係のあるヤクルトスワローズでコーチや監督を務めた。
  8. ^ 江夏はこの年、当時存在した全12球団からのセーブを達成。
  9. ^ 近鉄のリーグ優勝は1979年1980年共にプレーオフ制覇である。大洋のその時点でのリーグ優勝は大洋ホエールズ時代の1960年阪神甲子園球場でのみ。
  10. ^ ロッテが毎日オリオンズ時代に日本一になった1950年の日本シリーズフランチャイズ制導入前、近鉄に至っては1度も日本一になることなく、消滅した。
  11. ^ 西崎は球団とのFA交渉を控えていた矢先、西崎本人は宣言せず残留するつもりだったのだが球団から突然のトレード通告に報道陣からのインタビューでもショックを隠しきれず会見では涙を流した。この年右投手では最多登板を果たした長冨も戦力外に近い形で金銭トレードに出され、金石が球団に「西崎・金石・長冨の放出は落合の高額年俸を捻出の為だけでは?」と詰め寄る場面があり(落合の年俸が3億円で、金石が1億5000万円・西崎が1億3000万円・長富が4800万円だった)、広瀬も落合の入団で玉突き的にポジションを奪われ、契約更改で「複数年契約するべきだった」と後悔する場面があった
  12. ^ ロッテが毎日オリオンズ時代に日本一になった1950年の日本シリーズフランチャイズ制導入前、近鉄に至っては、1度も日本一になることなく、消滅した。
  13. ^ パ・リーグの他球団主管の札幌ドームの試合は日本ハム移転直後の2004年以後行われていない(西武球団も、その後親会社・西武鉄道の証券取引法違反問題や球団自体がアマ選手に「栄養費」名目で裏金を渡していた問題など不祥事が相次いで発覚したことから札幌開催どころでは無くなり、2008年シーズンからはチーム名を「埼玉西武ライオンズ」に改めて埼玉への地域密着を図る姿勢に転換したことで札幌開催を事実上放棄した)。セ・リーグでは巨人が2009年ごろまで夏季の北海道遠征をしていたが、2010年からはセ・リーグ球団の主管試合も組まれなくなった。
  14. ^ 継投による完全試合は参考記録である。
  15. ^ 田中賢介工藤隆人紺田敏正鶴岡慎也
  16. ^ 1981年は当時の本拠地・後楽園球場プレーオフ優勝、1962年のリーグ優勝は東京スタジアムで行われた大毎オリオンズとの試合中にダブルヘッダー1試合目だったマジック対象チームの南海ホークス近鉄バファローズに敗れたことによるものである。
  17. ^ 前身を含めない場合、千葉ロッテマリーンズのみ1970年のロッテオリオンズ時代にしか年間勝率1位によるリーグ優勝を本拠地で決めていない(ジプシー・ロッテ時代にプレーオフ優勝を当時の本拠地・県営宮城球場で決めた1974年は除く)。なお、オリックス・バファローズはこの14年後に達成している。
  18. ^ 鶴岡慎也(捕手)、髙橋信二(一塁手)、田中賢介(二塁手)、小谷野栄一(三塁手)、金子誠(遊撃手)、稲葉篤紀、糸井嘉男(以上外野手)。
  19. ^ a b 他球団への移籍を1度も挟むことなく、球団名に「北海道」がつく前の旧・日本ハム時代から一貫して日本ハムに在籍し続けているフランチャイズ・プレイヤーでもある。
  20. ^ 前年の2012年からの連敗は13。
  21. ^ 金子千尋から登録名を変更。
  22. ^ 年間最高勝率は西武とのプレーオフで敗退した1982年を含む8回。
  23. ^ 2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延長戦が無かった。延長戦がある年では1984年の13分が最多。
  24. ^ 作道烝大下剛史大橋穣張本勲大杉勝男の5者。作道の本塁打は代打満塁本塁打。
  25. ^ 2010年シーズンに中日ドラゴンズが記録して以来。
  26. ^ 1942年シーズンに阪神軍が記録して以来。
  27. ^ 3位は1977安打の毒島章一
  28. ^ 2004年までの12球団では唯一(球団最多勝利投手は162勝の土橋正幸)。
  29. ^ NPBでは継投によるノーヒットノーランは認められていない。
  30. ^ 当時ロッテは宮城球場を暫定的に本拠地としていたが、将来の首都圏への再移転を前提に約半数の試合を後楽園・神宮・川崎で開催していた。このため、ロッテ主催の日本ハム戦が後楽園や神宮で開催されることがあった(ジプシー・ロッテも参照)。
  31. ^ 対戦相手のロッテは、日本ハムがブラックを基調とした特別ユニフォームを着用するのに伴い、普段のブラックのビジター用ユニフォームではなく、ホーム用のストライプユニフォームを着用。
  32. ^ 当時の北海道の市町村の数。
  33. ^ 現在の北海道の市町村の数。
  34. ^ 2003年8月の東京ドームでのホームゲームは盆休みの3日間だけ(同月には札幌ドームでの地元お披露目を兼ねた6連戦をしたこともある)だった。
  35. ^ アメリカ合衆国ではオレゴン州ポートランドで、1975年から1982年まで北米サッカーリーグのポートランド・ティンバーズとAAA級のパシフィックコーストリーグに所属するポートランド・ビーバーズが、また、2001年から現在までユナイテッドサッカーリーグのティンバーズと同じくビーバーズが、共にPGEパークをホームスタジアムとして使っている。アメリカではメジャーリーグベースボールアメリカンフットボールNFLの本拠地を共有する事例がある。
  36. ^ 日本ハムの場合、監督は現場の指揮・采配に集中、チーム編成は情報を共有しているフロントが担当、管理している。また、戦力は全選手が前提というシステムであるためBOSで好評価でも使われない(干されている)選手をフロントが強制的に一軍昇格させ、起用を巡って監督とトラブルになることも起きている。
  37. ^ 日本ハムの国内独立リーグ出身選手としては、海老原以前に2009年のドラフト会議で四国・九州アイランドリーグ徳島から支配下枠6位で指名した荒張裕司(2016年引退)がいた。
  38. ^ 土橋の場合、選手・コーチ時代から在籍を継続する形で務めた日拓時代の1度目の監督を辞任した後、野球解説者を務めたフジテレビニッポン放送との縁でヤクルトでコーチ・監督を務めた経験があるため、指導者・職員を含めての他球団経験がない人物となれば皆無となる。
  39. ^ 1988年に中日から移籍。26年間中現役を引退するまで7年間在籍した。
  40. ^ 2004年にニューヨーク・メッツから移籍、2006年に現役引退するまで3年間在籍した。
  41. ^ セ・リーグでは巨人が「エース或いは4番を経験した巨人一筋の完全生え抜きOB」に事実上監督を限定している他(ただし、藤田元司のようにコーチでの他球団在籍経験者が就任した事例はある他、結果的に実現しなかったが、選手としては巨人の完全生え抜きで、他球団のコーチ・監督経験者である森祇晶や、外様の星野仙一の就任が取り沙汰されたことがあった)、広島も松田元がオーナー代行に就任して以降は監督だけでなくコーチも生え抜きを最優先する人事となっている。逆に阪神やDeNA、ヤクルトは日本ハムほど徹底していないが生え抜きにこだわらない姿勢が強く、中日のように2オーナー制と複数の新聞社の統合による経営陣内部の派閥の醸成の影響で、新愛知(大島家)系は生え抜きOB重視、名古屋新聞(小山家)系・東京新聞系は外様に寛容的といった二面性を持っている事例もある。一方パ・リーグでは球団の売却や合併が多かったこともあり、長期にわたってOBの監督にこだわっているのは大阪本拠時代の南海(福岡移転後は、南海時代からの杉浦忠〈コーチでは近鉄にも在籍〉・藤本博史〈現役晩節にオリックスにも在籍〉を除いてホークスで選手生活をスタートさせた生え抜き選手OBの監督が誕生していない)と、西鉄時代からの完全生え抜きの東尾修の監督就任以降、途中堤義明オーナー退任を挟んでの西武のみである。
  42. ^ アリストテレスが唱えた、人を説得し動かすための3要素。
  43. ^ アイヌ語で“ファイターズ”
  44. ^ 2014年からラッキー7では上杉周大(THE TON-UP MOTORS)、「We love HOKKAIDOシリーズ」ではFIGHTERS×YUKIMIKUとして地元出身(設定)の雪ミクのカバーバージョンが、それぞれ流されている。
  45. ^ 現在、札幌ドームでの主催試合の勝利時の試合後に流されている。
  46. ^ 現在、宮城球場限定の小谷野栄一の応援コールで同じスタイルが使われる。ただし、宮城球場では笛が使えないため、笛の代わりに太鼓を用いて「ドンドドンドドンドドン栄一」としている。
  47. ^ ダルビッシュ有は専用の応援歌が用意されていた。
  48. ^ 逆転・勝ち越しの時は、「ファイターズ讃歌」。
  49. ^ 東京ドームの主催試合のみ、基本的に移転前のスタイルが継続されている。ただし、2007年以降には太鼓を使うようになった。
  50. ^ 途中で男性パートと女性パートに分かれる。また、クライマックスシリーズ限定で関東以外の球場でも披露された。
  51. ^ 2008年と2009年のクライマックスシリーズと2009年の日本シリーズでは、両方とも使われた。
  52. ^ 2006年までは銀色だった。また、「WE LOVE HOKKAIDOシリーズ」では銀と青の2色で、2009年5月の「ファミリーシリーズ・さくらまつり」ではピンクメタリック、10月の「炎の最終シリーズ」ではレッドメタリックのテープが発射された。
  53. ^ 2012年の解禁時から2014年の途中までは金色の風船を飛ばしていた。
  54. ^ 前期に使ったユニフォームは基本的に東映時代のデザインを踏襲したものだが、袖や襟のラインに使われた赤と青が入れ替わるなど、若干のマイナーチェンジが施されていた。
  55. ^ 当時の中日ドラゴンズのホーム用ユニフォームのデザインに近い。
  56. ^ 投手:高橋直樹、捕手:加藤俊夫、一塁手:柏原純一、二塁手:富田勝、三塁手:古屋英夫、遊撃手:菅野光夫外野手ミッチェル千藤三樹男で、外野手の残り1枠は阪急の福本豊
  57. ^ この2人は怪我以外の理由で出場辞退した初のファン投票選出選手となった。
  58. ^ 札幌移転前のラッキー7のBGMであり、移転後も2008年までは5回裏に応援団のトランペット演奏で流していた。
  59. ^ 2011年は従来通り8試合を行う予定をしていたが、東日本大震災による計画停電の影響を受け、3月29日 - 3月31日の日本ハム主催の3試合が中止となり、その振替試合は全て札幌ドームで行われ、東京ドームでの主催試合は5試合となった。
  60. ^ 2016年も当初は従来通り8試合を行う予定であったが、2016年4月1日の対ソフトバンク戦については、当日に東京ドームでμ'sのファイナルライブが開催される予定であること、また静岡県と静岡市から公式戦開催の要請を受けたことにより、急遽日程を変更し、東京ドームから静岡県草薙総合運動場硬式野球場での開催に振り替えることになった。
  61. ^ 2005年のオープン戦で、このカードの東京ドームでの試合が組まれたケースはある。
  62. ^ 但し実際は、東京ドームで主催試合を行う場合は現在も東京都を保護地域とする巨人、ヤクルト両球団の許可が必要となる。
  63. ^ 2020年も1試合予定されていたが中止となった。
  64. ^ 前身の後楽園を含め、オープン戦や1981年の日本シリーズなどで三塁側のベンチを使ったケースは多数ある。
  65. ^ 公式戦で実数に近い数値の発表を開始した2005年以前にも実数発表をおこなっていた日本シリーズでは、1985年の第4戦で51,554人という数字が残されている(これは現在でも日本シリーズ1試合における最多観客動員記録)。なお、球場改修を経た現在の最大収容人数は42,600人程度に減らされており、5万人超にはならない。
  66. ^ 道内の中継局で唯一、長らく北海道移転後のチームのOBの解説者が居なかったが、2020年より田中賢介が解説者として就任した。
  67. ^ BS日テレでの放送分でも2022年5月20日放送分ではランニングスコアのみ『GO!GO!ファイターズ』がそのまま使われたが、その後の放送では『DRAMATIC BASEBALL 2022』に修正された(2022年5月28日放送分は、関東地区でも地上波放送の対巨人戦のためスコア表示の送り出しを日本テレビが担当)。
  68. ^ 広島ホームテレビと同内容の中継はJ SPORTSで視聴可能。
  69. ^ 阪神戦も同様の権利だが放送された実績がない。
  70. ^ これは、テレビ東京系列自体のゴールデンタイムにおける全国ネット番組の縛りが緩く、まとまったローカル差し替えが容易なためといえる。同じ系列のTVQ九州放送も同様の傾向で福岡ソフトバンクホークスの中継に積極的である。
  71. ^ 北海道放送は、パレードの時間帯はTBSテレビの『王様のブランチ』を放送。

出典

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