北条時宗 年表

北条時宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 05:14 UTC 版)

年表

和暦 西暦 月日
旧暦
内容
建長3年 1251年 5月15日 生誕(数え年1歳)
康元2年 1257年 12月26日 元服(7歳)
弘長元年 1261年 12月22日 従五位下に叙し、左馬権頭に任官。(11歳)
文永元年 1264年 8月11日 連署就任。(14歳)
文永2年 1265年 1月5日 従五位上に昇叙。左馬権頭如元。(15歳)
1月30日 但馬権守兼任。
3月28日 相模守兼任。但馬権守去る。
文永5年 1268年 1月29日 左馬権頭辞任。(18歳)
3月5日 執権就任。
文永9年 1272年 2月 二月騒動(22歳)
文永11年 1274年 10月 文永の役(24歳)
弘安4年 1281年 5月 弘安の役(31歳)
閏7月7日 正五位下に昇叙。相模守如元。
弘安7年 1284年 4月4日 死没(享年34、満32歳没)
明治37年 1904年 5月17日(新暦) 従一位[26]

偏諱を与えた人物

(「北条氏#北条氏による一字付与について」も参照。)

北条氏一門

その他(御家人など)

脚注


注釈

  1. ^ 父・時頼と同じく将軍より賜った偏諱を名前の二文字目においている。
  2. ^ その他、佐々木泰綱が乱筥、武藤景頼が泔坏、北条朝直が剣、調度品は北条時章、鎧は北条教時北条公時、御野矢は宇都宮泰綱、御行騰は二階堂行方。『吾妻鏡』康元二年二月大廿六日壬午条
  3. ^ 吾妻鏡』正嘉元年(1257年)11月23日条に顕時の元服についての記事があり、加冠役は時宗となっている。しかし、この当時の時宗は元服したばかりの7歳の少年であってこの元服の儀式を主導したとは考えにくく、これはその父で、この元服が行われた邸宅の持ち主であった時頼の指名を受けたものと考えられている[27]
  4. ^ 家時の場合は例外だが、基本的に足利氏嫡流の歴代当主のは「北条氏得宗家当主の偏諱+「氏」」で構成されていた[32]
  5. ^ 町野宗康は三善康信の曾孫にあたる。

出典

  1. ^ Hōjō Tokimune Japanese regent Encyclopædia Britannica
  2. ^ a b 佐藤 & 樋口 2000, p. 11.
  3. ^ 佐藤 & 樋口 2000, p. 272.
  4. ^ 佐藤 & 樋口 2000, pp. 11–12.
  5. ^ 川添 2001, p. 33.
  6. ^ 川添 2001, p. 34.
  7. ^ a b 上横手 1994, p. 241.
  8. ^ 川添 2001, pp. 263–264.
  9. ^ 森本 2000, pp. 3–4.
  10. ^ 森本 2000, p. 4.
  11. ^ 上横手 1994, p. 240.
  12. ^ 上横手 1994, pp. 241–242.
  13. ^ 『元史』巻十 本紀第十 世祖七 至元十六年二月甲申の条
  14. ^ 『元史』巻十一 本紀第十一 世祖八 至元十七年二月己丑の条
  15. ^ 上横手 1994, pp. 247–248.
  16. ^ 森本 2000, pp. 112–113.
  17. ^ 森本 2000, pp. 115–118.
  18. ^ 川添 2001, pp. 140–141.
  19. ^ 細川 2011, pp. 134–135.
  20. ^ 細川 2011, p. 135.
  21. ^ 細川 2011, p. 136.
  22. ^ 川添 2001, p. 273.
  23. ^ 網野善彦『網野善彦著作集 第5巻 蒙古襲来』岩波書店、2008年
  24. ^ 石井清文「『関東御教書』等に見る北条時宗の執権就任時期について」『政治経済史学』574号、2014年10月。 /所収:石井清文「第十章第四節」『鎌倉幕府連署制の研究』岩田書院、2020年、466-473頁。 
  25. ^ 佐藤進一『新版古文書学入門』法政大学出版局、1997年、136頁。 
  26. ^ 『官報』第6262号「叙任及辞令」1904年5月18日。
  27. ^ a b 山野 2012, pp. 167–168.
  28. ^ 角田朋彦「偏諱の話」『段かづら』三・四、再興中世前期勉強会、2004年、19頁。 
  29. ^ 山野 2012, p. 182, 脚注(27).
  30. ^ a b c d e f g h i j k l m n 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」『中央史学』二、1979年、p.15系図ほか。 
  31. ^ 田中 2013, p. 131, 小谷俊彦「北条氏の専制政治と足利氏」.
  32. ^ 田中 2013, p. 25, 田中大喜「総論 中世前期下野足利氏論」.
  33. ^ 田中 2013, p. 167, 吉井功兒「鎌倉後期の足利氏家督」.
  34. ^ 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」『中央史学』二、1979年。 
  35. ^ 河越氏 ~武蔵国秩父党の惣領家~ より。
  36. ^ a b 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」『中央史学』二、1979年、21頁。 
  37. ^ 細川重男「諏訪左衛門入道直性について」『白山史学』32号、1996年、12頁。 /所収:細川 2000, p. 194
  38. ^ 「甲斐信濃源氏綱要」(『系図綜覧』)の信宗項に「「後宇多朝廷建治三年十一月十一元服鎌倉九)、加冠相模守時宗、因例請名、故號名信宗」とある。
  39. ^ a b 肥前千葉氏調査委員会「「服部英雄 中世小城の景観・海から考える」」『中世肥前千葉氏の足跡 : 小京都小城の源流』佐賀県小城市教育委員会、2011年。hdl:2324/20437CRID 1130282270956311040https://hdl.handle.net/2324/20437 
  40. ^ 群書系図部集 四』p.362「大友系図」に「於鎌倉元服。時宗一字。」、p.372「立花系図」に「北條相模守平時宗爲烏帽子親。授"時"之一字。」、『入江文書』(『大分県史料10』所収)の「大友田原系図」に「時宗加元服」とある。
  41. ^ 細川 2000, p. 418.
  42. ^ 『結城市史 第四巻 古代中世通史編』結城市、1980年、274頁。 
  43. ^ 荒川善夫 著「総論I 下総結城氏の動向」、荒川善夫 編『下総結城氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第八巻〉、2012年、11頁。 






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