北条幻庵 参考文献

北条幻庵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 08:36 UTC 版)

北条 幻庵(ほうじょう げんあん)は、戦国大名後北条氏の一門衆。法号・長綱(ちょうこう)のち宗哲(そうてつ)。初代・北条早雲の末子、2代・北条氏綱の弟として生れる。幼名・菊寿丸


注釈

  1. ^ 天正2年(1574年)7月25日。法名:善修寺殿梅嶺宗意大姉[2]
  2. ^ 天文23年(1554年)4月5日没。法名:栖徳寺殿花厳宗大禅定尼[3]
  3. ^ 永禄3年(1560年)7月20日没。法名:宝泉寺殿大年宗用大禅定門[4]
  4. ^ 法名:鶴松院快密寿慶大姉。永禄11年(1568年)吉良氏広(のちの蒔田頼久)を生む。[5]
  5. ^ #没年と出生年を参照。
  6. ^ 系譜では氏康の子とされてきたが、近年の研究では氏尭の子で氏康の養子とする説が有力。いずれにしても、幻庵の大甥には変わりがない。

出典

  1. ^ 『系図纂要』
  2. ^ 黒田 2007, pp. 33–35.
  3. ^ 黒田 2007, pp. 34-35、150.
  4. ^ 黒田 2007, pp. 156.
  5. ^ a b 黒田 2007, pp. 160.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 歴史群像編集部 編『戦国驍将・知将・奇将伝 ― 乱世を駆けた62人の生き様・死に様』〈学研M文庫〉2007年、304-308頁。 
  7. ^ 北条史料集, p. 77, 注21.
  8. ^ 『小田原開府五百年』小田原城天守閣、2018年、22-23頁。
  9. ^ 『北条記』には天文6年とあるが、『快元僧都記』によると天文7年(北条史料集, p. 77, 注19)
  10. ^ 『北条記』巻2(21)「小弓義明合戦之事」(北条史料集, p. 71)
  11. ^ a b 黒田 2018, p. 172.
  12. ^ 黒田 2018, p. 189.
  13. ^ 黒田 2018, pp. 191–192.
  14. ^ 黒田 2018, p. 170.
  15. ^ 『小田原衆所領役帳 戦国遺文後北条氏編別巻』東京堂出版、1998年。ISBN 978-4-490-30546-3 に全文収録。
  16. ^ 黒田基樹「戦国時代の侍と百姓」『iichiko』No.111、2011年。 
  17. ^ 『北条記』巻4(6)「信玄小田原出張之事」(北条史料集, p. 137)
  18. ^ a b 『北条記』巻4(7)「蒲原落城之事」(北条史料集, pp. 142–143)
  19. ^ a b 『北条記』巻4(8)「三郎を越州へ養子の事」(北条史料集, pp. 144–145)
  20. ^ 『北条記』巻4(8)「三郎を越州へ養子の事」・巻4(15)「越後三郎自害之事」(北条史料集, pp. 146, 158)
  21. ^ 『北条記』巻4(8)「三郎を越州へ養子の事」(北条史料集, p. 146, 注8)
  22. ^ a b c d e 『北条五代記』寛永版巻8(4)「徳斎碁に興有事〔付〕北条幻庵事」(『仮名草子集成 第63巻』東京堂出版、2020年、13-14頁。)
  23. ^ 黒田 2018, pp. 179–180.
  24. ^ 北条史料集, pp. 440.
  25. ^ 北条史料集, pp. 440–447, まえがき.


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