北方領土問題 日本政府の主張

北方領土問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 17:22 UTC 版)

日本政府の主張

「不法占拠された日本固有の領土」

日本国政府は、北方四島(南クリル諸島)について、「日本固有の領土であり、現在はロシアに不法占拠されている。日本に返還されるべきである」と認識している[4]。 同国政府によれば、その根拠は主に次のようになる[4][11]

  • 日本はロシアよりも先に北方四島を発見しており、遅くとも19世紀初めには四島の実効的支配を確立していた[4][11]
    • ロシアも自国領土の南端が得撫島(北方四島よりも北の島)であると認識しており、ロシアの勢力が四島まで及んだことは一度もなかった[4][11]
  • 1855年安政2年)に日本とロシアとの間で平和的・友好的に結ばれた日魯通好条約(日露和親条約)によって四島は日本の領土と確定した。これは当時自然に成立していた国境を追認するものだった[4]
  • それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはなかった[4]
  • しかし、第二次世界大戦の終戦後に、ソビエト連邦(ソ連)は日本との日ソ中立条約に違反して日本の北方領土(4島)に侵入し、日本が降伏した後にソ連は北方四島のすべてを占領した[4]
  • 当時四島にはソ連国民は1人もおらず、日本国民は約1万7000人が住んでいたが、ソ連は四島を一方的に自国領に「編入」し、全ての日本人を強制退去させた[4]

外交方針

日本政府の主張によれば、同国の基本方針は主に次の通りである[4]

  • 日本の基本的方針は北方四島の帰属の問題を解決してロシアとの平和条約を締結することであり、ロシア政府との交渉を続けている。しかし、北方領土問題が存在するため、いまだに実現していない[4]
  • 北方領土の日本への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期及び態様については、柔軟に対応する[4]
  • 北方領土に現在居住しているロシア人住民の人権、利益および希望は、北方領土返還後も十分尊重していく[4]
  • 諸外国および民間人が、北方領土に対するロシアの『管轄権』を前提としたかのごとき行為を行うこと等は容認できない[4]
  • 日本国民に対しても、ロシアの不法占拠の下で北方領土に入域することを行わないよう要請する[4]

教育方針

教科書検定による義務付け

日本国の文部科学省小学校中学校高等学校への指導内容を規定する学習指導要領教科書検定)において、日本の社会科教科書には「北方領土は日本固有の領土である」と必ず記載することが義務付けられている[33][34]

また、同検定において「地理総合」や「公共」の教科書では「ロシアが北方領土を実効支配している」という表現は許可されず、「ロシアが不法占拠している」と記載するように求められた[34]

高等学校の「歴史総合」の教科書では、「1855年の日露和親条約で四島は日本領と定められた」とも必ず記載する必要がある[34]

さらに歴史総合では「千島列島」のなかに択捉島などの4島を含む記述が許可されず、4島よりも北東側にある島々のみを指して「千島列島」と記載するように修正された[35]。千島列島に4島を含むことの意義については、「千島列島#北方四島を含むか否かの意義」記事を参照。

また、1956年(昭和31年)の日ソ共同宣言で日本とソビエト連邦(現在のロシア)が「平和条約を締結した後に、ソビエト連邦は歯舞群島と色丹島の2島を日本へ引き渡す」と合意したことについて、教科書が「いまだ実現していない」とした記述も同検定で削除された。その理由について文部科学省は「現在もわが国が2島返還交渉を行っていると誤解する」ためとした[34]

時代による地図帳の変化

なお、中学校や高等学校の社会科で用いられる地図帳における4島の帰属は、時代とともに認識の変遷がみられた。以下で挙げる例はすべて文部省の教科書検定に合格した地図帳である[36]

第二次世界大戦より前の1934年(昭和9年)や1938年(昭和13年)に発行された地図帳(帝国書院)では、4島は日本の領土であったので当然そう記載されていた。ここでは択捉島・国後島・色丹島は「千島列島」に属し、歯舞群島は「根室」に属していた[36]

大戦後の1946年や1950年、1952年、また1955年の地図帳(帝国書院、日本書院)では、4島は「ソビエト連邦の領土」として記載され、択捉島は「クーリル列島(千島列島)」に属していた[36]

続いて1963年や1964年、1966年、1967年、また1969年の地図帳(帝国書院、日本書院)では、4島は日本とソビエト連邦のどちらの領土であるか明記されていなかった。択捉島は千島列島に属し、択捉島や国後島は「南千島」と表現されることもあった[36]

そして1973年(昭和48年)に発行された地図帳(帝国書院)では、4島は「日本の領土」として記載された。以後、現在に至るまでこの表記が義務付けられており、これ以外の記述は学校教科書として認定されない[36]。また、この1973年の地図では択捉島は千島列島に属するか否か曖昧であった[36]

なお、現在の日本の教科書検定では北方領土がロシアの領土であると記載することは認められていないが、外国の地図を紹介し引用する形でそのような記載がみられることもある。2005年(平成17年)の中学地理の教科書(日本書籍新社)では、日本以外の国の地図が紹介され、そのうちイランペルシャ語で書かれた世界地図では4島が「ロシアの領土」として描かれている[36]

行政機能

日本は4島において施政権を有さないが、4島を「北海道根室振興局が管轄する地域」として区分しており、法律上は市町村)を設定している[37]

同国は4島に色丹郡国後郡択捉郡紗那(シャナ)郡蘂取(シベトロ)郡を法的には設置しており、本籍を置くこともできる。4島へ近い根室市がそれらの事務を代行している[38]

詳細は「日本の行政区分下の北方領土」節および下記記事を参照。







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