北方四島交流事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/15 17:34 UTC 版)
受入事業の概要
参加条件
当然の事ながら、現在北方四島に居住しているロシア人が対象となる。サハリン(樺太)など、それ以外に居住するロシア人は参加できない。なお、回数には制限がないため複数回参加している在住ロシア人も少なくない。
事業分担
北海道における受入事業は北方四島交流北海道推進委員会が、青森県以南の各地の受入事業は北方領土問題対策協会がそれぞれ実施している。青森県以南の受入事業の開催場所は、年一回開催される都道府県推進委員全国会議に諮り決定され、その決定を受けて都道府県民会議が主管して行われる。
一般的な内容
- 期間は移動も含めておおむね一週間程度である。
- 訪問事業では個人負担が不要なのに対して、受入事業では参加者に一定の個人負担が求められている。
- 滞在中のプログラムとしては、地域住民との対話集会や夕食交流会、施設見学や学校訪問、ホームビジットやホームステイなどが中心となる。また、伝統工芸の体験など、受け入れをした地域の特色を生かした文化交流も行われている。
実績
訪問事業に関しては、2012年現在で259回実施され、延べ10,422人の日本人が北方四島に渡っている。また受入事業に関しては2012年現在で179回実施され、延べ7,653人の在住ロシア人を受け入れた。
在住ロシア人の訪問先(2012年現在)としては北海道のほか、青森県、宮城県、岩手県、秋田県、茨城県、群馬県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、富山県、石川県、福井県、愛知県、静岡県、滋賀県、京都府、兵庫県、奈良県、和歌山県、広島県、鳥取県、徳島県、愛媛県、佐賀県、熊本県、宮崎県、沖縄県がある。
ビザなし交流以外の北方四島への訪問
現状において日本人が北方四島に渡る手段は、「ビザなし交流」しかないわけではない。
ロシアの査証・通行許可証を取得した訪問
ロシアの査証を取得し、まずサハリン(樺太)に渡り、ユジノサハリンスク(豊原)で北方四島のいずれかまたは全部の島に有効な通行許可証を取得(現地旅行代理店が代行してくれる)したのち、サハリン航空の飛行機または、コルサコフ(大泊)からサハリンクリル海運の定期船に乗船することによって、誰でも国後島、択捉島を訪問できる。色丹島には空港がないので、船でしか行く手段がない。歯舞群島には民間人がいないので、船便もなく、公共交通では行くことが出来ない。
定期船は、3月から12月まで週2回コルサコフを出帆している。飛行機は現地空港が霧の場合欠航するので信頼がおけないが、船の運航は比較的正確。パスポート、ビザと通行許可証さえあれば日本人を含む外国人はだれでも乗船できる。コルサコフからユジノクリリスク(古釜布)への片道料金は、3等約3000ループル。
なおこの方法は、内閣が1989年に自粛要請を出しているため発覚すれば行政指導を受ける事になるが、罰則規定等は無いので、ロシア側の手続きさえきちんと踏めば、海外旅行と同じ感覚で行うことが出来る。
北方墓参
元島民及びその親族による、北方領土にある先祖の墓所へのお参り。北海道が年三回実施しており、ビザなし交流同様、外務省発行の身分証明書によって行われる。
最初の北方墓参はビザなし交流に先立つ1964年(昭和39年)に北海道が主体となり実施された。しかし、1971年(昭和46年)から1973年(昭和48年)までの間はソ連側の了承が得られず、また、1976年(昭和51年)から1985年(昭和60年)までの間はソ連側が旅券の携行と査証の取得を要求してきたため日本側の判断でそれぞれ中断された。 2005年現在で延べ3,265人が墓参を果たしている。
自由訪問
元島民並びにその配偶者及び子を対象に、北方領土問題対策協会が委託する形で千島歯舞諸島居住者連盟が主体となって実施している訪問事業。こちらも外務省発行の身分証明書によって行われる。
1998年(平成10年)のモスクワ宣言(日本国とロシア連邦の間の創造的パートナーシップ構築に関するモスクワ宣言)に基づき、元島民の「ふるさと訪問」として1999年(平成11年)から実施されている。「自由訪問」と呼ばれてはいるが、数次訪問用の身分証明書の発行など、ビザなし交流より手続きが簡易化されただけで、「いつでも自由に訪問できる」という意味ではない。 2005年現在で延べ1,099人が参加している。
現状と課題
北方四島交流事業によって在住ロシア人にも北方領土問題における日本の主張が知られるようになった。特にソ連崩壊に伴うロシアの混乱期や、1994年(平成6年)に発生した北海道東方沖地震によって北方四島が壊滅的打撃を受けた際には、一部の在住ロシア人から四島返還を容認する発言が出た事もあった。しかし現在はロシアの経済成長が著しい事を背景にロシアへの帰属意識が強まり、再び四島返還には否定的になっている。
北方四島を実効支配しているロシアのサハリン州政府は、この交流事業が「四島返還による北方領土問題解決のための環境作り」の手段であるという認識を日本側とまったく共有していない。フランス人がビザなしでベルギーを訪問できるのと同様、国境を接する2国が、国境地域に居住する住民の短期相互訪問を容易にするための便宜的手段であるとの認識のほうが強い。すなわち、ビザなし訪問を許すことによって日本人がロシア領北方四島に観光旅行することを促進し、もって北方四島の経済振興を図るというのが、ロシア側の基本的姿勢と思われる。事実、北方四島交流事業では、日本側がロシア側現地の受け入れ機関に高額のサービス料金を支払っており、国後島の「友好の家」(ムネオハウス)の裏手には交流に参加する日本人を対象にしていると思しき商店が軒を並べているし、「ビザなし交流」に参加するロシア人にとって日本訪問は、日本製耐久消費財を購入する貴重な機会となっているから、このロシア側の認識もあながち誤りといえない。
一向に領土問題の進展が見えない中、国費を使って従来のようなビザなし交流を際限なく続ける事を疑問視し、事業のあり方や方法を見直すべきとの声もある。2006年8月に歯舞群島・貝殻島沖で発生した第31吉進丸事件の際には、地元・根室市が内閣府と外務省に対して北方四島交流事業の中止を求める文書を送付した。また、第31吉進丸事件の2日後に行われた訪問事業では、予定していた64名中10名が参加を取りやめた。なお、この時の訪問事業には前原誠司・元民主党代表が参加している。
- ^ “ビザなし交流で記者証要求 宗男氏がロに善処要請”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2010年5月13日). オリジナルの2010年9月14日時点におけるアーカイブ。
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- ^ “放射線検査や義援金寄付も 国後島訪問のビザなし第1陣が帰港”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年5月16日). オリジナルの2011年10月18日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ビザなし新造船 根室でお披露目 バリアフリーに”. どうしんウェブ (北海道新聞社). (2012年4月20日)[リンク切れ]
- ^ “北方墓参、択捉訪問を見送り”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2012年7月12日)[リンク切れ]
- ^ “ロシア、日本と平和条約交渉中断 ビザなし交流停止”. 産経新聞. (2022年3月22日) 2022年3月22日閲覧。
- ^ “ロシア、北方領土交渉の中断発表 ビザなし交流も停止、制裁に反発”. 共同通信社. (2022年3月22日) 2022年3月22日閲覧。
- ^ “北方領土の元島民 23日から洋上慰霊”. 産経新聞. (2022年7月5日) 2023年6月20日閲覧。
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