北宋 概要

北宋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/11 03:28 UTC 版)

概要

907年が滅亡し、その後の五代十国時代の戦乱の時代の後、960年に趙匡胤により建てられたのが宋である。太祖・趙匡胤から始まり、3代真宗の時代にからの侵攻を受け、これと和平を結ぶ(澶淵の盟)。これによって平和は確保され大きな文化の華が開いたが、一方では外国に支払う歳幣や弱体化して肥大した国軍の維持の為の財政の悪化など問題を抱えるようになる。6代神宗の時代に王安石の手により新法と呼ばれる政治改革が試みられるが、これが政争の原因となり、混乱を招いた(新法・旧法の争い)。8代徽宗の時代に新興の金と結んで遼を滅ぼすものの自らも金に滅ぼされ、南に逃れて王朝を再建した。華北時代を北宋、華南時代を南宋と呼び分けている。この項目で取り扱うのは960年から1127年までの北宋である。

全盛期には中央アジアにまで勢力を伸ばしていた唐に対して、宋は契丹)・西夏タングート)という外敵を抱え、対外的には萎縮していた時代と見られている。一方、国内では様々な面で充実を見、特に文化面では顕著な進展が見られた。

具体的に唐と宋との間の変化として最も大きな変化は唐までの中国で政治・経済・文化の主たる担い手であった貴族層が完全に消滅し、士大夫と呼ばれる新しい層がそれに代わったということである。

  1. 五代では有力な家臣(武人)による帝位簒奪が相次いだ。対して北宋では、武人の権限が弱められ、士大夫がそれを統制し、またその士大夫は官僚であることで士大夫なのであって皇帝を追い落として自ら皇帝となることは構図的にありえなかった。これにより「(突き詰めると)全ての政治的権限および責任が皇帝に帰する」皇帝独裁制[注釈 1] が成立した。
  2. 貴族は血筋によって貴族であり、それ以外の者がどんなに努力しようが貴族にはなれない。宋代では科挙に合格できるならばどのような出身であれ、高位に上り詰める可能性が生じた。現実的には貧しい者が科挙に合格するのはまず不可能であったが、それであってもその意義は大きく、このことにより一種の平等思想を生むことになった。この「平等」を現代の「平等」と一緒くたにしてはいけないが、より開かれた意識が見られたのは確かである。
  3. 経済的には銅銭の発行額が桁違いに増え、また史上初の紙幣として交子が誕生した。
  4. 唐代の文化とはとりもなおさず「貴族文化」であって、その担い手も受け手も限られた階層の人間であった。これに対して宋代では文化の担い手も受け手も数が大幅に増え、多くの点で新機軸を生み出すことになったなどの変化(これ以外にも変化は多い)がこの時代に起きた。
  • これらの変化は単に王朝の変遷というのみならず「中国史上で最も大きな変化があった」と思考できる学説がある。内藤湖南が唱えた唐宋変革論という大日本帝国時代の帝国大学で研究された東洋史の学説である。

この項目では全般に渡って山川出版社『中国史3』と講談社学術文庫『五代と宋の興亡』を使用している。この二書に関しては特に必要のない限りは出典としては挙げない。


注釈

  1. ^ 独裁皇帝ではない。この違いに留意。
  2. ^ 北周の禁軍は殿前軍と侍衛親軍の2つがあり、殿前軍の長官が都点検で副長官が都指揮使。侍衛親軍は都指揮使が長官。
  3. ^ 山西省万栄県の北方
  4. ^ 冊封#冊封体制の崩壊と再生も参照。
  5. ^ 河北省雄県
  6. ^ 河北省覇州市
  7. ^ 寧夏回族自治区固原市原州区
  8. ^ 陝西省志丹県
  9. ^ 河北省濮陽県
  10. ^ 寧夏回族自治区呉忠市
  11. ^ 南流する黄河の西側

出典

  1. ^ 宮崎1935
  2. ^ 『靖康稗史箋證・卷3』
  3. ^ a b この節は宮崎1963・『中国歴代職官事典』を参照。
  4. ^ この節は宮崎1953・『中国歴代職官事典』を参照。
  5. ^ この節は宮崎1946・1963を参照。
  6. ^ 衣川強『宋代官僚社会史研究』(汲古書院、2006年)P453-464
  7. ^ この節は宮崎1930・1945を参照。
  8. ^ 山川『中国史3』、P136
  9. ^ この節は宮崎1954を参照。
  10. ^ この節は曾我部1937を参照。
  11. ^ この節は佐伯1987・金2000を参照。
  12. ^ a b c 周藤(2004)
  13. ^ この節は木宮1955・森1948a・1948b・1948c・1950を参照





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