北上市 沿革

北上市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 14:22 UTC 版)

沿革

北上市中心市街地周辺の空中写真。市街地の東を北上川、南を和賀川が流れる。1976年撮影の8枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
極楽寺(国見山廃寺跡)

この地は水の便に恵まれ、縄文の昔から大規模な集落が作られている。 平安時代初頭、アテルイを倒した坂上田村麻呂により当地は中央政府の支配下となる。また現在の北上市稲瀬町(旧・江刺郡)に国見山極楽寺が築かれ、北東北最大の山岳仏教の拠点として栄える。その後、奥六郡俘囚長である安倍氏の支配下となる。安倍氏は和賀郡に黒沢尻柵(別名・安倍館)を築き、前九年の役の戦場となった。安倍氏ののち奥州藤原氏の勢力下となる。初代清衡が陸奥特産の馬や砂金、漆などを京の都に運んだ道と伝わるあづま海道(清衡古道)や、三代秀衡が鷲の巣金山(西和賀町)から平泉まで金を運んだ街道と伝わる秀衡街道(奥州山道)などが残されている。

平泉・藤原氏滅亡後の370年間は、鎌倉御家人を祖とする和賀氏が支配することとなる。南北朝の争乱では和賀氏も一族相分かれて争い、南北朝の終わり頃に鎌倉公方から北朝方に属していた和賀一族の鬼柳氏に、和賀一族の惣領権と和賀郡一円の支配権を認める辞令を得て大名格となり、惣領職によって天正年間に至るまで統率されることとなった。

安土桃山時代の天正18年(1590年)、和賀氏は小田原の陣に参陣しなかったことで、豊臣秀吉による奥州仕置によって所領没収、城地追放の処分がなされたが、葛西氏、和賀氏ら在地領主は葛西大崎一揆和賀・稗貫一揆を起こして対抗するものの、仕置軍の前に制圧され没落した。南部氏当主である南部信直は一揆平定に功を上げ、和賀郡稗貫郡を与えられる。一方、一揆を扇動した疑いのある伊達政宗には、胆沢郡など葛西氏の旧領が与えられた。関ヶ原の戦いの際、伊達政宗は改易された和賀氏の一族和賀忠親を支援して、南部領花巻城を攻めさせた(岩崎一揆)。しかし、和賀・伊達連合軍はこの戦いに敗れ、戦後、和賀忠親は仙台領・陸奥国分寺で暗殺された。伊達政宗は一揆扇動の失敗により、徳川家康に“100万石のお墨付き”を反故にされている。

江戸時代には当市の南東部分にあたるかつての胆沢郡相去村江刺郡福岡村の2村域および江刺郡稲瀬村の一部が伊達藩(仙台藩)、それら以外のかつての和賀郡域が南部藩(盛岡藩)の知行地だったため、北上盆地における両藩の藩境の地であり[4]奥州街道の脇街道である松前道の通る要所であったため盛岡藩は鬼柳関所(現北上市鬼柳町町分)を、仙台藩は相去番所(現北上市相去町境)を設けて藩領の警備に当たった。

慶長9年(1604年)、中世以来の南北の幹線道路を新たに奥州街道として切替えて、渡河地点である和賀川北岸の盛岡藩黒沢尻村の原野を切り開いて宿駅の機能を整備した。北上川舟運の発展にともなう河港の設置以降、本町には本陣鬼柳通・黒沢尻通代官所などが置かれ、北上河岸には盛岡 - 石巻間の中継地として、御艜奉行所、黒沢尻御蔵、通船改御番所などの藩の施設が置かれた川岸集落が形成された。

明治23年(1890年)、日本鉄道東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線)開通、黒沢尻駅開業により、北上川舟運は急速に哀微した。

明治時代廃藩置県による盛岡県、江刺県磐井県などの設置、廃止を経て岩手県の誕生した後、いくつかの合併や統廃合を経て、現在の北上市の前身である旧・北上市が誕生するのは1954年である。

行政区域の変遷

累次の大合併

現在の法人格としての「北上市」は、1991年(平成3年)の新設合併によって誕生したものである。合併当時、北上市の人口は6万人程度に過ぎなかったが、和賀町(人口1万4,000)・江釣子村(人口9,000)との合併によって、当時県内では盛岡市に次ぐ人口規模となった。

この大合併の背景には、秋田自動車道の開通(1991年)がある。東北自動車道とのJCT(結節点)に位置する当地域では、交通の要衝としてのメリットを生かして「内陸部の中核都市」を形成しようという機運がにわかに高まり[5]、合併に至った。これに際して、住民説明会を延べ123回にわたって開催するなど、住民の盛り上がりによる自主的合併を心がけたとされる[5]

この合併は、その後起こる平成の大合併に先立って行われた大規模な合併であったため、その後の大合併で、全国の多くの市町村がモデルケースと仰ぎ、注目を浴びた。合併による行政上の影響については当該項目(#大合併と行政)を参照。


  1. ^ 髙橋敏彦市長配布の北上市新マニフェスト二部内の経済項目及び演説会等から
  2. ^ 気象庁データより。以下の気候に関する数値も同様。
  3. ^ 北上 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2024年3月29日閲覧。
  4. ^ 岩手県の誕生 (PDF) (「岩手県立博物館だより No.101」 2004年4月)
  5. ^ a b 合併問題研究会報告書 - 滋賀県庁、2008年7月18日閲覧。
  6. ^ 北上市財政状況比較分析表・財政状況一覧表 - 北上市
  7. ^ 2014年(平成26年)1月26日発行岩手日日北上版第1面「石垣市と友好都市提携」閲覧。
  8. ^ 岩手郵便局(地域区分郵便局)の開局” (PDF). 日本郵便株式会社 (2016年9月16日). 2016年9月22日閲覧。
  9. ^ THE COLLECTORS、古市コータロー50歳ライヴの東京追加公演でBIZARRE MENと2マン実現”. ro69.jp (2014年2月26日). 2017年2月14日閲覧。
  10. ^ パンチ佐藤オフィシャルブログ「パンチ佐藤の一日一膳」 #3362 北上しらゆり大使♪” (2017年1月2日). 2019年1月25日閲覧。






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