前相撲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 14:16 UTC 版)
出世披露
出世の資格を得た者は、本場所中に観客の前で披露され、晴れて力士になる。出世した状態が「新序」力士、翌場所から序ノ口力士である。
出世力士が少ない場所では、8日目の三段目の取組を中断して行われる。土俵を掃き清めた後、出世の力士が、師匠や部屋・一門の関取の化粧廻しを身につけて土俵に上がり、場内アナウンスによって所属部屋、四股名、出身地が読み上げられる。全員のお披露目が終わると幕下以下の呼出が柝の音の後「とざい、とーざい。」と東西声を発し、幕下格以下の行司1名が「これに控えおきます力士儀にござります(る)。只今までは番付外に取らせおきました(る)ところ、当場所日々成績優秀につき、本日より番付面に差し加えおきまする間、以後相変わらずご贔屓お引き立ての程、ひとえに願い上げ奉ります(る)」と口上を述べる。口上では「成績優秀」とあるが、実際には前述のように、現在では1番でも前相撲を取れば出世できる。出世力士たちは四方に礼をした後土俵を降りる[5]。その後、出世力士は協会の各部署を訪問し挨拶をして回る。
出世力士が多い場所(現行では3月場所のみ)では、5日目までに2勝を挙げた者が一番出世、6日目以降8日目までに2勝を挙げた者は二番出世、その他の力士は三番出世とされ、出世披露も3回に分けて行われる。ただし、2020年3月場所など、二番出世までで全員の出世が決まり三番出世がない場合もある。
再出世の力士は、以前は出世披露されていたが、現在では行われていない。元小結・旭豊は3度も出世披露を受けている。
2019年7月場所の出世披露で、九重部屋の久末(現 千代剣)が誤って、末久と場内アナウンスされたことがある。
2020年3月場所では、4人の出世力士が新型コロナウイルスの流行拡大に伴い、出世披露を受けられなかった(4人とも中学校・高校の卒業式出席のため一時帰郷後、自宅待機になったため)[6]。そのため、翌7月場所(5月場所は中止)の初日取組開始前に出世披露が行われた[7]。行司による口上も、「只今までは」を「3月場所までは」に言い換え、「当場所日々成績優秀につき」は「日々成績優秀につき」と「当場所」を省略した特別なものになった[7]。
注釈
- ^ 番付の一番左下には「此外中前相撲東西ニ御座候」(この番付に載っている力士以外にも中相撲(本中・相中、現在は廃止)・前相撲の力士がいます)の記述がある。
- ^ 番付外に落ちた力士が出世することを特に再出世ともいう。
- ^ その当時は7段編成で、下から2段目(上から6段目)が本中・相中(中)、最下段(上から7段目)が前相撲(前)。
- ^ 1955年9月場所初土俵の栃ノ海晃嘉がこのケースに該当する。
- ^ その時期の番付でも「此外中前相撲東西ニ御座候」と表記されていることは変わらなかった。
- ^ このとき暫定措置として、既に採用している中学生力士については、東京場所(1月・5月・9月場所)は日曜のみの出場、地方場所は休場となった。
- ^ 一例として寺尾の成績表にある〈番付外〉とは、この時期のものである。
出典
- ^ “秋場所で前相撲行われず 1人だけの新弟子合格者不参加で取り組み成立せず”. 毎日新聞 (株式会社毎日新聞社). (2020年9月24日) 2020年9月28日閲覧。
- ^ 「出世力士37人を発表 大相撲春場所」『時事ドットコム』、2021年3月23日。2021年3月24日閲覧。
- ^ 夏場所初日に新序出世披露 春場所検査合格の新弟子(サンスポコム)
- ^ 【ベテラン記者コラム(262)】横綱白鵬の「三本締め」と、実施されない前相撲 サンスポ 2022/03/03 17:00 (2022年3月6日閲覧)
- ^ 田中亮『全部わかる大相撲』(2019年11月20日発行、成美堂出版)p.35
- ^ 「春場所全新弟子名鑑」『相撲』2020年4月号、ベースボール・マガジン社、103-111頁。
- ^ a b 「角界ニュース」『相撲』2020年10月号、ベースボール・マガジン社、124頁。
- ^ “異例ずくめの対応に 大相撲春場所”. 時事通信(2020年3月1日作成). 2020年3月22日閲覧。
- ^ “NHK総合テレビが「神送りの儀式」まで完全生中継!! 無観客の大相撲春場所で…「これは激レア」”. 中日スポーツ / 東京中日スポーツ(2020年3月22日作成). 2020年3月22日閲覧。
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