前相撲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 14:16 UTC 版)
出世力士手打式
千秋楽の表彰式終了後、土俵で「出世力士手打式」が行われる。出世披露を受けた力士はお神酒を振舞われ、若者頭、世話人、場内に残った観客らとともに三本締めを行う。このとき、参加した行司の中で一番格下の者が胴上げされる(出世力士の数が少ない場合を除く)。
内館牧子によると、この儀式は初日前日の土俵祭に対応するもので、土俵祭によって神が宿り結界となった土俵を、この儀式によって結界を解き、普通の場所に戻す意味合いがあるという。また、33代木村庄之助は、『力士の世界』(文春新書、2008年)のなかで、以前は勝負審判が胴上げされていたが、行司に変更するという提案がされたとき、著者が「しきたりを簡単に変えていいのか?」と反論したものの結局押し切られ、土俵祭に参加した行司の中で、いちばん格下の者が胴上げされるようになった、と書いている。
本場所の入場者に配付される取組表にも、「出世力士手打式」「神送りの儀式」と記載されている[1]。
18時以降に行われることが多いため、NHKの大相撲中継では基本的には放送されないが、2020年(令和2年)3月に行われた大阪場所では、新型コロナウイルスによる影響で無観客となり、表彰式も賜杯と内閣総理大臣杯、三賞の授与のみになったため、取り組みや式典が早く終了したことから出世力士手打式と神送りの儀式も併せて放送された[8][9]。
記録
- 在位場所数 - 大海原渡(錣山部屋)の34場所。2004年1月場所で初土俵と同時に前相撲出場。2017年9月場所で番付外に陥落。以降、前相撲に出場しないまま2023年3月場所限りで引退。
- 連続在位場所数 - 大海原渡の33場所(上述)
- 初土俵からの連続在位場所数 - 椛沢一夫(鏡山部屋)の11場所。1971年7月場所で初土俵も前相撲を欠場。以降番付外在位を続け、1973年3月場所の前相撲に出場し、翌場所初めて序ノ口に昇進した。
- 番付外まで陥落した元関取の力士は以下の通り。
四股名 | 陥落前の最高位 | 番付外陥落場所 | 陥落時の最低地位 | 復帰後の最高地位 | 最高地位の場所 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
鏡桜秀興 | 西前頭9枚目 | 2021年9月 | 番付外 | - | 陥落後10場所連続で全休してそのまま引退。出場せず。 |
注釈
- ^ 番付の一番左下には「此外中前相撲東西ニ御座候」(この番付に載っている力士以外にも中相撲(本中・相中、現在は廃止)・前相撲の力士がいます)の記述がある。
- ^ 番付外に落ちた力士が出世することを特に再出世ともいう。
- ^ その当時は7段編成で、下から2段目(上から6段目)が本中・相中(中)、最下段(上から7段目)が前相撲(前)。
- ^ 1955年9月場所初土俵の栃ノ海晃嘉がこのケースに該当する。
- ^ その時期の番付でも「此外中前相撲東西ニ御座候」と表記されていることは変わらなかった。
- ^ このとき暫定措置として、既に採用している中学生力士については、東京場所(1月・5月・9月場所)は日曜のみの出場、地方場所は休場となった。
- ^ 一例として寺尾の成績表にある〈番付外〉とは、この時期のものである。
出典
- ^ “秋場所で前相撲行われず 1人だけの新弟子合格者不参加で取り組み成立せず”. 毎日新聞 (株式会社毎日新聞社). (2020年9月24日) 2020年9月28日閲覧。
- ^ 「出世力士37人を発表 大相撲春場所」『時事ドットコム』、2021年3月23日。2021年3月24日閲覧。
- ^ 夏場所初日に新序出世披露 春場所検査合格の新弟子(サンスポコム)
- ^ 【ベテラン記者コラム(262)】横綱白鵬の「三本締め」と、実施されない前相撲 サンスポ 2022/03/03 17:00 (2022年3月6日閲覧)
- ^ 田中亮『全部わかる大相撲』(2019年11月20日発行、成美堂出版)p.35
- ^ 「春場所全新弟子名鑑」『相撲』2020年4月号、ベースボール・マガジン社、103-111頁。
- ^ a b 「角界ニュース」『相撲』2020年10月号、ベースボール・マガジン社、124頁。
- ^ “異例ずくめの対応に 大相撲春場所”. 時事通信(2020年3月1日作成). 2020年3月22日閲覧。
- ^ “NHK総合テレビが「神送りの儀式」まで完全生中継!! 無観客の大相撲春場所で…「これは激レア」”. 中日スポーツ / 東京中日スポーツ(2020年3月22日作成). 2020年3月22日閲覧。
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