前田武志 前田武志の概要

前田武志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 22:22 UTC 版)

前田 武志
まえだ たけし
生年月日 (1937-10-22) 1937年10月22日(86歳)
出生地 奈良県吉野郡十津川村
出身校 京都大学大学院工学研究科修士課程
前職 建設省職員
シドニー駐在領事
衆議院議員
参議院議員
現職 一般社団法人代表理事
所属政党自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
太陽党→)
民政党→)
民主党→)
民進党→)
旧国民民主党→)
国民民主党
称号 工学修士(京都大学)
旭日大綬章
親族 祖父・前田勇(元貴族院議員
叔父・前田正男(元科学技術庁長官
叔父・堀栄三(元陸軍中佐
公式サイト 前田たけし 公式ウェブサイト

内閣 野田内閣
野田第1次改造内閣
在任期間 2011年9月2日 - 2012年6月4日

選挙区 比例区
当選回数 2回
在任期間 2004年7月26日 - 2016年7月25日

選挙区 (旧奈良県全県区→)
奈良4区
当選回数 4回
在任期間 1986年7月6日 - 2000年6月2日
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衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)、国土交通大臣第16代)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院逓信委員長、参議院国家基本政策委員長、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、参議院予算委員長民進党常任顧問等を歴任。

来歴

生い立ち

奈良県十津川村出身。大阪書籍社長・会長、吉野書房(吉野教育図書の前身)創業者・社長、教科書協会理事、文部省図書監修官などを務めた前田隆一の二男として生まれる。五條中学、大阪府立高津高等学校を経て1964年京都大学工学部土木工学科を卒業。京都大学大学院工学研究科修了後、建設省に入省[1]

三重工事事務所所長、建設省河川局建設専門官などを歴任した。また、国土庁の専門調査官なども務めた。1974年からは外務省に出向し、在南ベトナム大使館一等書記官としてベトナム戦争最中の南ベトナムに赴任した。翌年のサイゴン陥落直前には、現地の日本人およそ2000名の救出を手掛けた[2]。その際、「日本は自国民の安全も守れないのか」と感じたのが、のちに政界入りするきっかけとなった[2]。その後、シドニー駐在領事など歴任し1980年12月退職。

衆議院議員

第37回衆議院議員総選挙(1983年)に自由民主党公認で出馬するも最下位で落選。この選挙は2か月前にロッキード裁判第一審有罪判決が出て田中判決解散と呼ばれ、田中派であった前田は逆風を受けた。また、自民党公認3人に加え、保守系の無所属鍵田忠三郎、のち自民党に入党)が立候補するなど保守票が分散した。次の第38回衆議院議員総選挙(1986年)において奥野誠亮に次ぐ得票数を獲得し、初当選。以後、連続当選4回。田中派分裂の際には竹下登経世会に加入[要出典]宮澤内閣では国土政務次官に就任した。

1992年、経世会の会長代行だった小沢一郎羽田孜を領袖に担いで改革フォーラム21を旗揚げし、前田もこれに加わる。翌年には羽田、小沢らに従って自民党を離党し、新生党結党に参加。そのまま新進党に合流するが、小沢の党運営に不満を抱いた羽田に従って離党、羽田を党首に担ぎ太陽党を結成。自身は総務会長に就任した。その後、国民の声鹿野道彦代表)・フロムファイブ細川護煕代表)と合併し羽田を党首に民政党が結成されるが、民政党はすぐに旧民主党に合流し、1998年に民主党が結党された。

民主党入党後初の総選挙である第42回衆議院議員総選挙(2000年)では5選を目指したが、自民党の田野瀬良太郎に小選挙区で敗北し、比例復活もならず落選。

参議院議員

2001年の第19回参議院選挙民主党公認で奈良県選挙区から出馬するも、荒井正吾に敗れ落選。

2003年、奈良県知事選挙に出馬するも、現職の柿本善也に敗れる。これで3度続けての落選となり「前田の政治生命は終わった」と見る向きもあったが、2004年の第20回参議院議員通常選挙比例区から出馬し、奈良県選挙区から出馬した新人の前川清成との連携により当選して国政に復帰した。ただ、この際の選挙も非常に接戦であり(民主党の獲得議席19に対し前田の得票順位は党内18位)、当確の報道が流れ万歳が行われた時間は投票日の翌日の午前5時ごろであった。参議院議員としては複数の国会委員会の委員長や院内会派「民主党・新緑風会」副会長などを歴任[要出典]

改選をむかえた2010年7月の第22回参議院議員通常選挙では民主党が逆風を受ける中、再選。同年10月には参議院予算委員長に就任。

2010年9月29日、中国建国記念レセプションに出席した[3]

同年11月17日、予算委員会において内閣総理大臣菅直人を指名する際に「仙谷総理大臣」と言い間違えたため委員会室でどよめきや拍手が起こった。この場面は、当時菅直人内閣の政策決定は実質的に内閣官房長官の仙谷が主導していると批判を浴びていた時期であったため、その象徴的なシーンとしてしばしば取り上げられた[4][5]

2011年9月2日、野田内閣において国土交通大臣に任命され、初入閣した[6][7]。旧建設省出身ということもあり、73歳の大ベテランながら古巣への復帰となった。また、国務大臣としての所管事項として「海洋に関する施策を集中的かつ総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[6]も担当することになった。同日の記者会見では、八ッ場ダム建設の是非について「基本的には(大畠章宏)前大臣の考え方を受け止め、予断なく判断していく」と述べた[8][9]

2016年7月の第24回参議院議員通常選挙に比例区から出馬したが落選した[10][11]。同年12月より一般社団法人環境未来フォーラムを立ち上げ、代表理事を務める。

現在は国民民主党の顧問を務める[要出典]

不祥事

公職選挙法違反疑惑

2012年4月8日に告示された岐阜県下呂市長選挙において、告示前に立候補者の一人である石田芳弘(元民主党衆院議員、落選)への投票を呼び掛ける文書を地元の建設業協会幹部へ送っていたことが、4月11日の衆議院国土交通委員会で自民党の伊東良孝によって明らかにされた。前田は「同僚議員(山田良司)に頼まれて、中身を見ずに(文書に)サインしてしまった」「誠に軽率だったと深く反省している」等と釈明し、文書作成に関わった政務秘書官が4月16日に辞任したことも明らかにした。野党各党は大臣自筆の署名があったことなどから公職選挙法違反の疑いがあるとして強く反発。4月18日には自民党・みんなの党新党改革の3党合同での問責決議案が参議院に提出され、4月20日午前の参議院本会議において同時に出されていた田中直紀防衛相問責決議案とともに野党の賛成多数で可決された[12][13]。可決後、「結果は真摯に受け止め、大臣としての責任を果たしたい」と続投の考えを表明したが、第180回国会会期中の消費税増税関連法案の成立を目指す内閣総理大臣・野田佳彦の強い意向により2012年6月4日、内閣改造が行われ(野田第2次改造内閣)、大臣を退任した。

公職選挙法違反による問責決議直後、新名神高速道路のうち当面の間凍結するとされていた区間の着工を指示。また在任期間中には自民党政権時代から採算性の観点から凍結されていた八ッ場ダム整備新幹線などの大型公共事業の再開を次々と決定した[要出典]

2013年1月22日、公職選挙法違反について、岐阜地方検察庁は、嫌疑不十分で不起訴処分とした[14]


  1. ^ 公式ホームページ プロフィール
  2. ^ a b c 「怒号飛ぶ審議を仕切る」『朝日新聞』45024号、12版、朝日新聞東京本社2011年9月3日、5面。
  3. ^ 中国建国記念レセプション 日本の議員50人出席もあいさつなし - MSN産経ニュース
  4. ^ 参院予算委:委員長、思わず「仙谷総理!」 野党が失笑、拍手 毎日jp 2010年11月18日
  5. ^ 共同通信2010年11月17日
  6. ^ a b 「人事異動」『官報』号外特43号、国立印刷局2011年9月2日、1面。
  7. ^ TBS2011年9月2日
  8. ^ 産経ニュース2011年9月3日
  9. ^ 政府インターネットテレビ2011年9月2日
  10. ^ 日本放送協会. “比例代表 民進党 -参院選- NHK”. www.nhk.or.jp. 2023年5月5日閲覧。
  11. ^ 2016年参院選 民進党開票速報 毎日新聞
  12. ^ 前田国交相と田中防衛相の問責決議を可決 日テレNEWS24 2012年4月20日
  13. ^ 問責決議可決、与野党対立が一層強まる 日テレNEWS24 2012年4月20日
  14. ^ 前田元国交相、不起訴処分に 岐阜地検(日本経済新聞、2013/1/23閲覧)
  15. ^ 評議員、役員等”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  16. ^ 委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  17. ^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。
  18. ^ 秋の叙勲4055人 江田元参院議長に桐花大綬章 日本経済新聞 2016年11月3日


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