出雲大社
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祭祀
創建以来、天照大御神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきたとされるが、本来出雲国造家は東出雲の熊野大社の社家であった。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後に太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任。翌年、神社本庁より神職身分特級を拝受している。また、宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく、黒綾にご神紋である二重亀甲剣唐花の文様を練り込んだものである。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがある。
天皇親拝
「現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている」ともされるが、次の通り天皇の出雲大社親拝の記録がある。
出雲国造家
出雲国造は、天照大御神の第二御子の天穂日命(あめのほひのみこと)の神裔である。
- 第十二代鸕濡渟命(宇迦都久怒)より祭祀以外に出雲国の政治も兼ねる事になる。
- 第十三代襲髄命(野見宿禰)は相撲の祖と称えられる。
- 第十七代宮向国造の時に出雲臣姓を賜る。
- 第二十五代廣嶋国造は『出雲国風土記』を編纂。
- 第三十一代千国国造の時代から、地方政治の面から退き、祭祀のみ携わる事になる。これより国造新任時や遷都時には朝廷へ参向し、天皇の大前にて神賀詞を奏上する。
- 第五十三代孝時国造は後醍醐天皇に神剣一振献上[23]。
千家家と北島家
出雲大社の祭祀者である出雲国造家は、南北朝時代の康永年間に千家家と北島家の2家に分裂した[24]。その祭事は幕末までは両家が二分して行っていたが、明治以降は千家家が執り行っている。
- 千家家(出雲大社教)
- 1872年(明治5年)に出雲大社宮司の千家尊福が出雲大社崇敬講社を結成[2]。1882年(明治15年)に政府の方針で神職教導職の兼務が認められなくなったため、千家尊福は宮司職を弟の千家尊紀に譲って教化活動に専念[25]。出雲大社教院は出雲大社そのものから分離して教派神道の一つとなった[2]。第二次世界大戦後、神社が国の管理を離れたことから再び出雲大社と密着する形に至った[2]。
- 北島家(出雲教)
- 1872年(明治5年)に北島脩孝が千家尊福とともに出雲大社崇敬講社を結成[26]。1882年(明治15年)に出雲教会を設立した[26]。第二次世界大戦後、1952年に宗教法人法に基づく独立した宗教法人出雲教となった。
以上のように大国主大神を主祭神とする宗教団体として、千家家が出雲大社教、北島家が出雲教を主宰している。
1951年(昭和26年)4月に出雲大社と教派神道の宗教法人出雲大社教は一体化され、出雲大社の職員は出雲大社教の職員を兼務し、出雲大社宮司は出雲国造として出雲大社教を総攬し、出雲大社教の教務本庁は出雲大社の教務部として活動している[27]。
注釈
- ^ 熊野大社のことであるとの説もある。
- ^ 素戔嗚尊は奇稲田姫命と結ばれた神話から、氷川神社に代表されるように縁結びの神としても信仰されている。
- ^ 神宮寺であった鰐淵寺は、13世紀、出雲守護佐々木泰清より「国中第一之伽藍」と呼ばれた。
- ^ 陰暦の十月のことを神無月という。これは全国の神々がみな、出雲の国にあつまり、他の土地では神が留守になってしまうので一般に神無月(かんなつき)というのであるが、出雲では反対に神有(在)(かみあり)月(つき)と呼ぶ。千家尊統『出雲大社』日本の神社3,p.112
- ^ この伝承と結びついて、全国の神々は出雲大社に集合し、これから1年間の幽事(神事)を相談するのだという信仰を生みだし、幽事というところから、男女の縁結びはもちろん、人世上の諸般のできごとまで、すべてこのときの神議(かみはか)りによってきめられるのだと信じられているのである。千家尊統『出雲大社 日本の神社3』p.113
- ^ 文献にあらわれる最古のものは藤原清輔の『奥義抄』での「かみなつき天下のもろもろの神出雲国にゆきてこと国に神なきが故にかみなし月といふをあやまれり」である。
- ^ 井原西鶴『世間胸算用』にある一文「出雲は仲人の神」が最古とされる。
出典
- ^ 出雲大社とは/出雲大社と大国主大神(2018年9月30日閲覧)。
- ^ a b c d e f g h i 島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』上巻、山陰中央新報社、1982年、90頁
- ^ 「四拍手/出雲大社は怨霊の神社?」, 出雲大社紫野教会
- ^ a b 「よくあるご質問」, 出雲大社 Archived 2014年3月24日, at the Wayback Machine.
- ^ 出雲大社東京分祠
- ^ 出雲大社
- ^ 島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』上巻、山陰中央新報社、1982年、110頁
- ^ 『日本書紀』巻第二 神代下。
- ^ 『日本書紀』巻第二十六 斉明天皇紀。
- ^ 『日本書紀』崇神天皇60年7月己酉(14日)条。
- ^ 『出雲国風土記』出雲郡条 杵築郷。
- ^ 『延喜式』卷第十 神祇十 神名帳下。山陰道神,五百六十座。出雲國,一百八十七座。出雲郡,五十八座。「名神大」として記載。
- ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』(出雲大社教教務本庁発行、平成元年9月1日)15―16頁
- ^ a b 「出雲大社の御祭神が素戔嗚尊の時代があった」, 出雲大社紫野教会
- ^ 『しまねの古代文化』11号、島根県古代センター。
- ^ a b 西岡和彦『近世出雲大社の基礎的研究』 ISBN 978-4-562-09008-2
- ^ 島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』上巻、山陰中央新報社、1982年、254頁
- ^ 『神道の本』( 学研、1992年) 192頁。
- ^ 藤井正雄 『新版 神事の基礎知識』講談社、2006年9月。ISBN 4-06-210641-8。135頁
- ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』発行出雲大社教教務本庁平成元年9月1日全428頁中12 - 13頁
- ^ 出雲大社 大社國學館 沿革
- ^ 宮内庁「ご参拝(出雲大社)・ご覧(境内遺跡)(大社町)」
- ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』(出雲大社教教務本庁発行、平成元年9月1日)32頁
- ^ 島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』上巻、山陰中央新報社、1982年、95頁
- ^ 島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』上巻、山陰中央新報社、1982年、923頁
- ^ a b “明治維新と出雲国造家”. 出雲教. 2019年6月15日閲覧。
- ^ 「出雲大社と出雲大社教がひとつに」(出雲大社の公式HP) Archived 2009年9月6日, at the Wayback Machine.
- ^ 御本殿見どころ Archived 2012年5月22日, at the Wayback Machine.(出雲大社ホームページ)
- ^ 匝瑤 葵 「宇宙を構成する古事記の別天神―出雲大社の天空神」(『アジア遊学』121号、2009年)pp. 94-101
- ^ 古代出雲大社本殿の復元 大林組(2018年9月30日閲覧)。
- ^ 出雲大社・神祜殿(2018年9月30日閲覧)。
- ^ 出雲大社 平成の大遷宮 Archived 2013年1月19日, at the Wayback Machine.(出雲大社ホームページ)
- ^ 出雲大社「平成の大遷宮」、復元された本殿公開 - YouTube(時事通信社提供、2013年3月13日公開)
- ^ a b c 島根県大百科事典. 山陰中央新報社. (1982年). p. 109-110
- ^ 出雲大社御案内(御本殿)
- ^ MAD Synapse(出雲大社・庁舎)
- ^ “出雲大社の「昭和のモダン」「庁舎」建て替えへ平成の大遷宮”. 産経ニュース (産経新聞社). (2016年3月8日) 2017年2月10日閲覧。
- ^ “出雲大社 旧社務所取り壊しか 文化価値指摘、保存要望”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2016年3月4日) 2016年9月21日閲覧。
- ^ “出雲大社「庁舎」解体中止を…初の危機遺産警告”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2016年9月15日). オリジナルの2016年9月15日時点におけるアーカイブ。 2016年9月21日閲覧。
- ^ “出雲大社 「安全性確保できない」 「庁舎」問題で見解 予定通り建て替えへ /島根”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2016年9月27日) 2017年2月10日閲覧。
- ^ 出雲大社ホームページ(庁舎の改築について) Archived 2016年10月12日, at the Wayback Machine.
- ^ a b “神楽殿|出雲大社”. 出雲大社 社務所. 2022年6月6日閲覧。
- ^ “おくにがえり会館”. 出雲大社 社務所. 2022年6月6日閲覧。
- ^ 中島隆広. “出雲大社の日の丸”. 出雲大社紫野教会. 2021年4月10日閲覧。
- ^ “出雲大社とウサギたち|出雲大社”. 出雲大社 社務所. 2022年6月6日閲覧。
- ^ 文化財一覧の目録は 国指定文化財等データベース、島根県の文化財(島根県ホームページ)、出雲市内の文化財一覧(出雲市ホームページ)による。
- ^ a b 出雲市指定文化財一覧
- ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』(出雲大社教教務本庁発行、1989年9月)380頁
- ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』(出雲大社教教務本庁発行、1989年9月)381頁
- ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』(出雲大社教教務本庁発行、1989年9月)393頁
- ^ “潜るパワースポットにダイバー続々 出雲の「海底遺跡」”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2012年9月6日). オリジナルの2012年9月6日時点におけるアーカイブ。
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