内視鏡
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本体に光学系を内蔵し、先端を体内に挿入することによって内部の映像を手元で見ることができる。細長い形状をしている一般的なものの他、カプセル型のものもある。また、観察以外に、ある程度の手術や標本採取ができる性能をもつものもある。
直接に観察しにくい構造物内部の観察や災害救助など、非医療分野に使用される工業用内視鏡はボアスコープと呼ばれる。
歴史
起源
内視鏡の歴史は、古代に遡ることができる。しかし、現代において見られる内視鏡の原型となった機器は、19世紀に登場する。
創世時は「硬性鏡」であり、1804年に、ドイツのフィリップ・ボッチーニが「Lichtleiter(英語 Light Conductor:導光器)」を開発し、直腸・膣・尿道・耳・口腔内等の観察を行った記録を最初として、1853年にフランスのアントワーヌ・ジャン・デソルモが「endoscope(内視鏡)」を開発し、膀胱や尿道の観察を行った。その後1868年に、ドイツのフライブルク大学内科学教授のアドルフ・クスマウルが「Magenspiegelung(胃鏡)」で、剣を呑む芸をする大道芸人を対象としてではあるが、世界で初めて生体の胃の観察を行った。
1898年にドイツのフリッツ・ランゲとメルチングは、1本のフィルムで多数のコマ撮影ができる胃カメラを発明し、臨床で15例に使用して胃壁の撮影を行った。軟性管の先端部分は、フィルム格納部、レンズ部、ランプ部から構成されていた[1][2][3]。その後、1929年にオーストリアで「Gastrophotor」という針穴式立体胃カメラ[4]や1931年にドイツで胃カメラが製作され臨床で撮影が行われたが、いずれも臨床診断に使用できるような機器ではなく実用化はできなかった[5]。
1932年にドイツのルドルフ・シンドラーとゲオルク・ヴォルフは、軟性胃鏡を開発した[6][7]。照明は豆電球を使用し、先端に近い全長の約1/3の軟性部分は内部に多数のレンズを配列し、約30度曲げることが可能であった[8]。「Lehrbuch und Atlas der Gastroskopie」という本を出版したシンドラーは、「胃鏡の父」と称されている[7]。胃の観察が行われたが、胃全体を観察できない、患者の苦痛が大きい、非常に故障し易い、穿孔のリスクが高いなどの問題があった[8]。
開発
1950年(昭和25年)10月28日、東京大学医学部附属病院分院の副手だった宇治達郎とオリンパス光学工業(現:オリンパス)の杉浦睦夫、深海正治が、極めて小さなカメラ本体及び光源(超小型電球)を軟性管の先端に取り付けた国内で初めての胃カメラ「ガストロカメラGT-I」を開発した[9]。同年に3人を発明者として「腹腔内臓器撮影用写真機(ガストロカメラ)」の名で特許が出願された。1954年(昭和29年)に発明協会の朝日新聞発明賞、1990年(平成2年)に吉川英治文化賞を受賞し、開発の経緯は、放送[10][11]や小説[12]で取り上げられた。また、日本機械学会は、ガストロカメラ GT-Ⅰを機械遺産第19号に認定した。
だが、宇治は父親が開業する医院を継ぐため大学を去り研究を中断した。当時の胃カメラは故障が頻繁に発生し、診断に使えるレベルの写真が撮れなかったため臨床現場では使い物にならず、半ば放棄されたような状況になった[13][14][15][16]。東京大学医学部付属病院分院の城所仂と今井光之助は、研究を引き継ぎカラー撮影の研究を行った[17]。
1953年(昭和28年)東京大学医学部附属病院田坂内科(現・消化器内科)第八研究室の﨑田隆夫、芦澤真六達は胃カメラの研究を始め、撮影技法の確立、画像読影法の検討、カラー撮影の実用化研究を行い、胃カメラ改良の提案と要請を重ねて1956年(昭和31年)に胃カメラを実用化し[18][19][20]、撮影技法や画像読影法を講習するなどの普及活動を行った[21][22]。これらにオリンパス光学工業から深海、中坪寿雄、松橋章をはじめとする技術者や関係者が協力した[23]。田坂定孝は、この研究を評価し積極的に後援した。1958年(昭和33年)、胃カメラ検査に健康保険の適用が認められた[24]。﨑田と城所の相談により1955年(昭和30年)に発足した胃カメラ研究会が発展し[25]、1959年(昭和34年)第1回日本胃カメラ学会(現・日本消化器内視鏡学会)が会長の田坂のもとで開催された[26]。胃カメラは、内視鏡医療の基礎を築いた[27]。現在でも上部消化管内視鏡を総称して、俗に「胃カメラ」と呼んでいる。
1960年代になると、光ファイバーを利用したファイバースコープが開発され(バジル・ハーショヴィッツ他)、医師の目で直接胃の内部を観察することができるようになった。胃ファイバースコープには、銀塩カメラが取り付けられるようになり、客観的な検査結果として、他の医師にも写真を供覧できるようになった。
1970年代には、スチルカメラ付きファイバースコープが広く用いられるようになった。電子機器の発達に伴い、スチルカメラにビデオカメラを取り付けた機種や、CCDセンサを取り付けた電子内視鏡(ビデオスコープ)が登場し、現在多くの病院で使用されている内視鏡の原型が誕生となった。ビデオ装置を用いると、複数の医師やコメディカルスタッフが同時に病変を確認することができ、診断と治療に大いに役立った。
世界的に主流となったオリンパスは、モノクロCCDをプロセッサー側に使用し、3色の光を連続的に照射して、その反射光をプロセッサー側で合成するという方法を採用していた。対するフジノン(富士フイルム)は、白色光を照射し、カラーCCDカメラを採用していた。いずれにしても、この頃の機種は光ファイバーで画像をプロセッサーに送っていたので、解像度は光ファイバーの密度に左右された。やがてCCDはカメラの先端に内蔵されるようになった。また画像処理のデジタル化が進められた。
発展
その後は、超音波センサを取り付けた超音波内視鏡が登場したり、センシング技術の向上だけでなく、軟性管部の改良(口径の縮小、材質の改善)、内視鏡的処置を行うためのサブルーメン(チャネルと呼ぶ)の追加など、内視鏡を直接治療目的で応用するための改良も行われた。画像精度・画質は映像機器の発達と共に大きく発展し、ハイビジョン撮影や拡大内視鏡による拡大観察が可能となってきた。また、内視鏡の細径化も進み、経鼻内視鏡も登場した。
2000年代になると、イスラエルのギブン・イメージングや、日本のオリンパスが、カプセル型の内視鏡の開発を進め、2007年(平成19年)4月には、日本においてもカプセル内視鏡を用いた画像診断システムが実用化に至った。
分類
一般に以下に大別される。直接接眼レンズをのぞいて、あるいはビデオカメラを接続してモニターに映して観察する。光源は体外の制御装置側にあり、光ファイバーで光を導いて先端部から照射するものが一般的である。LED照明を内視鏡先端に内蔵したタイプも実用化されつつある。
- 硬性鏡
- 筒の両端にレンズがついたシンプルな構造のもの。膀胱鏡、胸腔鏡、腹腔鏡などがある。
- 軟性鏡(ファイバースコープ、電子内視鏡)
- 柔軟な素材を用いたもの。光ファイバーを用いたものと、CCDを用いたものとがある。多くの内視鏡は光学系とは別の経路(チャネル)を持っており、局所の洗滌・気体や液体の注入・薬剤散布・吸引・専用デバイスによる処置などが可能である。チャネル数・送気の有無については気管支鏡、上部消化管内視鏡、小腸内視鏡、大腸内視鏡によって異なる。また手元の操作で先端の向きを上下左右に変えられるものが多い。気管支鏡は上下アングルのみで送気はできない。
- カプセル型
- カプセル内視鏡と呼ばれ、デジタルカメラと光源、モーターを内蔵した小型カプセル型のもの。患者が飲み込んだ内視鏡が消化器官を撮影し、画像を体外に送信して体外のモニターに映すもの。
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- ^ 丹羽寛文『消化管内視鏡の歴史』改訂増補第2版、日本メディカルセンター、2010年、164-174頁。
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- ^ NHK『映像の世紀バタフライエフェクト』の第28回「零戦 その後の敗者の戦い」(エピソードの一つとして放送)、2023年1月23日放送
- ^ 吉村昭『光る壁画』、読売新聞朝刊155回連載(1980年4月19日~9月23日)、新潮社:単行本(1981年)
- ^ 丹羽寛文『消化管内視鏡の発展を辿る』考古堂書店、2009年、41-44頁
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- ^ 丹羽寛文・中村孝司編著『日本消化器内視鏡学会50年のあゆみ』東洋図書出版、2009年、32頁。
- ^ Design of Endoscopic Retrograde Cholangiopancreatography(ERCP) Duodenoscopes May Impede Effective Cleaning: FDA Safety Communication U.S. Department of Health and Human Services. Date Issued: February 19, 2015
- ^ FDAの安全性通信発表を受け厚労省も医療機関に注意喚起 十二指腸内視鏡に多剤耐性菌の伝播リスク 日経メディカルオンライン 記事:2015年3月21日
- ^ [1]
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