内田常雄 内田常雄の概要

内田常雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/25 21:10 UTC 版)

内田 常雄
うちだ つねお
生年月日 1907年6月30日
出生地 山梨県甲府市
没年月日 (1977-12-29) 1977年12月29日(70歳没)
出身校 東京帝国大学経済学部
前職 国家公務員大蔵省
所属政党自由党 →)
自由民主党大平派
称号 正三位
勲一等旭日大綬章

内閣 第2次田中角栄内閣
在任期間 1973年11月25日 - 1974年11月11日

第47代 厚生大臣
内閣 第3次佐藤内閣
在任期間 1970年1月14日 - 1971年7月5日

選挙区 山梨県全県区
当選回数 9回
在任期間 1952年10月2日 - 1953年3月14日
1955年2月28日 - 1977年12月29日

その他の職歴
第18代 自由民主党幹事長
(総裁: 三木武夫
1976年9月 - 1976年12月
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来歴・人物

旧制松本高等学校文科甲類[1]東京帝国大学経済学部卒。1930年大蔵省入省。管財局[2]

戦後経済安定本部財政金融局長、管財局長などを経て、1952年山梨全県区から衆院選に立候補し初当選。。自民党内派閥宏池会池田勇人前尾繁三郎大平正芳派)に所属。1970年1月、第3次佐藤内閣厚生大臣として初入閣。第2次田中角栄内閣経済企画庁長官をつとめる。

1976年9月、党内抗争「三木おろし」の最中、党役員改選で政務調査会長に内定するが、幹事長候補に提示された松野頼三[注釈 1]が反主流派の猛反発を招き、内田が横滑りで幹事長に就任する。内田は党務のキャリアが乏しく、幹事長ポストへの指名は予想外のものであった。しかも幹事長となれば執行部の代表として自ら属する反主流派の大平派との対立を余儀なくされかねなかったため、就任に対して強く難色を示した。結局説得により引き受けることになったが、就任記者会見で「道を歩いていたら、マンホールに落ちたような気分だ」と思わず心境を吐露し、「マンホール幹事長」と揶揄された[3]

幹事長となった内田は党の分裂を避けるべく、幹事長でありながら三木の円満退陣を模索、事務局と党則や議員総会規則などの研究を行った。結局、次期総選挙後の話し合いによる新総裁選出という方針で党内をまとめた。12月の第34回衆議院議員総選挙(ロッキード選挙)を幹事長として仕切ったが分裂選挙に苦しみ議席を減らしたため三木は退陣、ともに執行部から退いた。最終的に、自民党の分裂という事態は回避された[4]。この選挙で同じ山梨全県区から自民党無派閥で出馬し初当選した堀内光雄(後に宏池会会長)が、内田の死後に宏池会入りして派閥の地盤を継承している。

1977年12月29日、現職のまま死去、70歳。追悼演説は同じ山梨全県区選出の鈴木強日本社会党)が行った[5]。死没日をもって勲一等旭日大綬章追贈、従五位から正三位に叙される[6]。なお、生前にも勲一等旭日大綬章の叙勲を内示されていたが「今日の自分があるのは後援者の方々のおかげであり、私一人が授与されても、一つの勲章では後援者の人々と分かつことができない」と断っていた[7]

経歴

  • 1970年1月 - 厚生大臣(第3次佐藤栄作内閣)
  • 1973年11月 - 経済企画庁長官(第2次田中角栄内閣)
  • 1976年9月 - 自民党幹事長

注釈

  1. ^ 松野は反主流派の一角である福田派に属しながら反主流派と距離を置き、三木に近い立場であった。

出典

  1. ^ 「旧制高等学校物語 第12」財界評論社 1967年
  2. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、279頁
  3. ^ 奥島, pp. 71–72.
  4. ^ 奥島, pp. 72–74.
  5. ^ 衆議院会議録情報 第084回国会 本会議 第7号
  6. ^ 『官報』第15302号15-16頁 昭和53年1月18日
  7. ^ 『回想 内田常雄』17頁


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