内地 法律以外の用法

内地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 09:38 UTC 版)

法律以外の用法

日本国との平和条約発効(1952年4月28日)によって外地を喪失したため、日本は全ての国土が共通法上の内地となり、法的な意味での「内地」・「外地」区分は無意味なものとなった。だが、「内地」という用語は共通法とは異なる意味合いで戦後も使われ続けた。

引き揚げ

ポツダム宣言により、日本の主権本州北海道九州四国ならびに連合国の決定する諸小島に限定され、それ以外の地域に居る在留邦人は引き揚げされることになった。その際に、日本の主権が及ばなくなった樺太千島列島朝鮮琉球北緯29度以南の南西諸島)、台湾等の地域との対比で、引き続き日本の主権が及ぶ地域を指して「内地」または「本土」と称した[5]

北海道・沖縄

北海道沖縄県、及びに鹿児島県奄美群島を始めとする一部地方で、若干の意識の差異が認められるも、「内地」という言葉が民間でかつて使用され、あるいは現在でも通常一般に使用されている。これらの用法は、使用される地域が法的な意味の「外地」であったことが無く、本土復帰まで連合国占領されていた一時期を除いて、戦前より行政的にもその他「内地」と同様に扱われていたため、公には用いられない俗語的用法である。

北海道

東北地方平安時代末期から鎌倉時代までの間に北端の津軽まで平定されたのとは対照的に、北海道は室町時代に漸く和人の入植が始まり、江戸時代には、和人(シサム)の植民者集団(道南十二館)の棟梁に起源をもつ松前藩が、渡島半島南部の和人地(松前地)を拠点に、アイヌの居住地である蝦夷地(和人地以外の北海道・千島列島及び樺太)に収奪的交易を伴う植民地支配的な間接統治を行っていた。江戸時代も後期になって漸く蝦夷地全体が江戸幕府の直接支配下に置かれ(1798年)、明治維新以後、1869年には太政官布告により北海道11国86郡を設置、日本に編入され、和人入植者が本格的に北海道を開拓した。

編入間もない時期には本州以南が「内地」と広く呼ばれていたが、北海道開拓使明治6年(1873年)6月に公文書上で「内地」という用語の使用を禁じ、「府県」の使用を通達し、中央政府の影響力が強い札幌とその周辺部では内地の代わりに「本州」という言い方が普及した[6]。この場合の「本州」については、北海道に隣接する本州島にだけ意識が働き、四国九州や当時の琉球は意識外であったと考えられる。一方、札幌以外の北海道の大部分の地域ではその後も広く「内地」が使われ続けた歴史がある。


奄美・沖縄

沖縄は14世紀三山時代を経て琉球王国が成立、奄美は15世紀以降徐々に琉球王国の支配下に入った。1609年薩摩藩による琉球侵攻により、琉球王国は薩摩藩の間接統治下となり、日本(大和)の幕藩体制下に入った。奄美は薩摩藩の直轄統治となったが、名目上は琉球の領域とされた。明治維新後の琉球処分1879年)により琉球王国は日本へ併合され沖縄県が設置、奄美は鹿児島県に編入された。戦後、鹿児島県のトカラ列島(下七島)、奄美群島と沖縄県はアメリカの統治地域となり日本から施政権が一時的に分離された。平和条約発効と前後してトカラ列島(1952年)、奄美諸島(1953年)が本土復帰、沖縄県も1972年に日本へ復帰し今に至っている。

沖縄県では、「内地」の用法は青年層により顕著であり、沖縄方言等の「やまとぅ」と呼ぶ概念にほぼ相当する。より直接的にナイチャーという表現もある(ウチナーヤマトグチの項を参照)。しかし、報道や官公庁などでは「県外」という表現(例:県外移転など)が用いられている。

同様に、奄美群島でも住民は九州島以北を「本土」や「内地」と表現することが多く、また奄美における「鹿児島」は鹿児島県の九州島部分或いは鹿児島市を暗に指す[7]。ただし、奄美群島は九州地方及び鹿児島県に属することから、この場合の「本土」については、離島と本土との対比における「本土」と考えられる[要出典]。なお、奄美や小笠原の返還は、公的にも「本土復帰」である。

その他

国内留学を「内地留学」と呼ぶ例がある[8]


注釈

  1. ^ 共通法では、「外地」に当たる地域をそれぞれ朝鮮台湾関東州又は南洋群島」と個別に表記していた。
  2. ^ 奄美群島の領域の鹿児島県への(正式な)編入も同時と解される
  3. ^ 条約では千島列島の範囲について言及されておらず、日本樺太・千島交換条約を根拠に得撫島から占守島にかけての千島列島を指すと主張する一方、ロシア大クリル列島国後島から占守島にかけての千島列島)に小クリル列島色丹島及び歯舞群島)を併せた範囲を指すと主張している。

出典

  1. ^ a b c 精選版 日本国語大辞典「内地」
  2. ^ 共通法”. ウィキソース. 2019年12月23日閲覧。
  3. ^ 共通法中改正 (大正12年法律第25号)”. ウィキソース. 2019年12月23日閲覧。
  4. ^ サンフランシスコ平和条約起草過程における竹島の扱い”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2020年9月26日閲覧。
  5. ^ goo辞書「内地」[1]
  6. ^ 明治34年『殖民広報』1号掲載の「内地と云ふ用語」に記述。桑原真人「北海道の経営」『岩波講座日本通史第16巻 近代I』岩波書店、356頁。
  7. ^ 蔵満逸司、「本土、離島、内地、鹿児島……」『奄美まるごと小百科: 奄美をもっと楽しむ146項目』、pp186-187、2003年、鹿児島、南方新社
  8. ^ 平成一四年度特殊教育内地留学生の派遣申請について


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