八丈小島のマレー糸状虫症 八丈小島のマレー糸状虫症の概要

八丈小島のマレー糸状虫症

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 07:40 UTC 版)

マレー糸状虫
八丈小島(2017年9月撮影)
八丈小島
八丈小島の位置

本疾患の原因は、フィラリアの一種であるマレー糸状虫 Brugia malayi ICD-10(B74.1)[2]によるものであり、八丈小島は日本で唯一のマレー糸状虫症の流行地であった[3][4][5][6]

フィラリアは、イヌ心臓に寄生する犬糸状虫 Dirofilaria immitisから、イヌの病気としても知られている。しかし、かつての日本国内ではヒト発症するフィラリア症(以下、本記事で記述するフィラリア症はヒトに発症するものの意として扱う)のひとつバンクロフト糸状虫 Wuchereria bancroftiICD-10(B74.0)[2]による流行地が、北は青森県から南は沖縄県に至る広範囲に散在していた。特に九州南部から奄美沖縄へかけての南西諸島一帯は、世界有数のフィラリア症流行地として世界の医学界で知られていた[7][8]

日本におけるフィラリア症の防圧[† 2]・克服へ向けた本格的な研究は、1948年(昭和23年)から始まった東京大学付属伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)の佐々學による八丈小島でのフィールドワークと、それに続く同島での駆虫薬スパトニンを用いた臨床試験が端緒である。この八丈小島で得られた一連の治験[† 3]データや経験は、のちに続く愛媛県佐田岬半島長崎県鹿児島県奄美沖縄県各所での集団治療を経て、最終的に日本国内でのフィラリア症根絶へ向かう契機となる日本の公衆衛生史上重要な意義を持つものであった[9]

そして、1977年(昭和52年)に沖縄県の宮古諸島および八重山諸島で治療が行われた患者を最後に、ヒトに感染するフィラリア症の日本国内での発生事例は確認されなくなった[10]1988年(昭和63年)の沖縄県宮古保健所における根絶宣言により、日本は世界で初めてフィラリア症を根絶した国となった[11][12][13]

ヒトに寄生して発症するフィラリア症はフィラリア虫の種類ごと世界各地に8種あるといわれ[14]、そのうち日本国内のフィラリア症はバンクロフト糸状虫によるものがほとんどであった。しかし、八丈小島のフィラリア症はバンクロフト糸状虫ではなく、東南アジアを中心とする地域で流行するマレー糸状虫によるものであり、これは日本国内では唯一の流行地であった。

本記事では、かつて八丈小島でバクと呼ばれて恐れられていたマレー糸状虫症と、その防圧の経緯について解説する。


注釈

  1. ^ 「バク」の語源については渉猟した資料、文献中に記載などがなく不明である。
  2. ^ 防圧とは寄生虫疾患の流行制圧の意味として使用されることのある言葉。実例を挙げると、多田功、「日本熱帯医学会 日本における寄生虫防圧とその特質」 Tropical Medicine and Health. 2008 年 36 巻 3SUPPLEMENT 号 p. S49-S67, doi:10.2149/tmh.3SUPPLEMENT36-S49、砂川恵、 「フィラリア防圧・沖縄方式」 フィラリア防圧 沖縄方式, 1988、平成12年に外務省が作成した沖縄感染症対策イニシアティブ (PDF) 4ページ目の(*5)文中記載参照。などがある。
  3. ^ 本記事での『治験』の表記は「療の臨床試」の略として扱っており、医薬品医療機器等法上の『治験』の定義とは異なる臨床研究も含まれる。
  4. ^ 八丈島や八丈小島の人々は「八丈小島」を単に「小島」と呼ぶことが多い[26]
  5. ^ 九州南部や沖縄ではこの症状を「クサブルイ(草ふるい)」と呼んでいた。八丈小島を主題とする本記事では「ミツレル」と表現する。
  6. ^ リンパ系フィラリア症は蚊を媒介者とする寄生虫病である。したがってボウフラの成育する環境が不可欠であり、河川や湖沼などの自然内水面のない八丈小島では各戸にあった天水桶がボウフラ発生の温床であった。
  7. ^ バクの初期症状を吉永と帖佐は丹毒様発作と記録に記述した。
  8. ^ 佐々学 『日本に於けるバンクロフト糸状虫症の分布』(1962年) より作成。
  9. ^ この夜間検査は末梢血中のミクロフィラリア確認であるが、あくまでも検査時点でのミクロフィラリア保虫有無の確認である。宿主体内でのフィラリア虫の寿命は5年程度であり、フィラリア症末期の象皮病に進行する頃には虫体はリンパ管に潜伏し末梢血管に現れなかったり、死んでしまっていることが多く、その場合は血液検査でミクロフィラリアは見つからない[122]。血中にミクロフィラリアが見つかっても、まだ症状を出していない感染初期患者も、血中からミクロフィラリアが見つからない末期の象皮病患者も広義のフィラリア症である[123]
  10. ^ 佐々はペナン島滞在時、任務終了後の夕方から英語を話すインド人コーチ相手にテニスをして体を鍛え、夜は士官クラブでイギリス人を父に、マレー人を母に持つ綺麗なキングズイングリッシュを話す複数のホステスたちとの英会話が連日続いた。また戦時中で金策に困っていた彼女たちから中古の英文タイプライターを買わされ、暇な時間はひたすらタイピング練習を続け、そのおかげで自分の考えていることをそのまま英語でタイプに打てるようになったという[138]
  11. ^ フィラリアの感染は蚊に刺されて始まるが、蚊に1回刺されただけではせいぜい1匹か数匹のミクロフィラリアが侵入するに過ぎず発病には到らない。発症に至るには流行地に長期間滞在し、絶えず繰り返し感染を受けねばならない[161]
  12. ^ 一部省略改変の上、引用[186]
  13. ^ ケッセルは1956年(昭和31年)にタヒチでバンクロフト種へのDEC集団投薬を行い駆除を試みたアメリカの研究者である[201][202]
  14. ^ スパトニンによる治療目的は体内のフィラリア虫の駆虫であり、象皮病など身体外表の形状・醜状を治療するものではない。象皮病や陰嚢水腫の治療は形成外科の範疇である。陰嚢水腫は外科的に治療されるが象皮病にはよい治療法がなく、2次感染を防いだり患部の皮膚を清潔に保つなど病状の悪化を防ぐ対症療法しかない[219]
  15. ^ あいろ 狭い道・進行の難所、転じて困難な問題であること
  16. ^ 一部省略改変の上、引用[223]
  17. ^ 当時の東京都知事は美濃部亮吉である。
  18. ^ 一部省略改変の上、引用[225]

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