倉本聰
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倉本 聰(くらもと そう、1934年12月31日[1][注 1] - )は、日本の脚本家、劇作家、演出家。本名は、山谷 馨(やまや かおる)[1]。東京都渋谷区出身。妻は女優の平木久子(演劇集団 円所属)。父は俳人、日新書院取締役の山谷太郎。祖父は医学博士、日新医学社社長の山谷徳治郎。大伯父は衆議院議員の山谷虎三。
注釈
- ^ 戸籍上は1935年1月1日[1][2]。
- ^ NHKとはこのトラブルから20年以上絶縁状態にあったが、1999年の『玩具の神様』で復帰した。
- ^ この移住に際しては、向田邦子から「あんたバカなことおやめなさい。東京を離れたら仕事なンて来ないわよ」と説教されたという[18]。倉本は当時を振り返って「仕事はもうどうでもよくなっていた」と述べている。
- ^ このときの経験について後年、「もう二度と監督はやらない」と述べている[19]。
- ^ 倉本は日活の契約ライターだった時代にプロデューサーから「ナレーションと回想は卑怯な手法」と叩き込まれてそれを忠実に守っていた。山田太一が『それぞれの秋』(1973年)でナレーションを使っているのを見て「こんな手もありだな」と思い、導入することにしたという。その際、山下清の口調を模倣したことで「 - なわけで」といった文体が出ることになった[44]。
- ^ ただ、語尾については「語尾は性格を表現するので、語尾ほど大事なものはない」とも語っている。
出典
- ^ a b c d e 倉本聰(2) 私の履歴書 - 日本経済新聞
- ^ エッセイ集『北の動物園』(扶桑社、2004年)「生年月日」の章を参照 72頁
- ^ a b c d e f 斎藤明美『家の履歴書:文化人・芸術家篇』キネマ旬報社、2011年、149-158頁。
- ^ 倉本聰・碓井広義『ドラマへの遺言』新潮社〈新潮新書〉、2019年。
- ^ 『獨白 2011年3月』p142
- ^ “【天風録】倉本聡さん - 中国新聞”. 中国新聞. (2010年5月1日). オリジナルの2010年5月14日時点におけるアーカイブ。 2023年5月21日閲覧。}
- ^ 『獨白 2011年3月』p44、p129
- ^ 『獨白 2011年3月』p130
- ^ 『獨白 2011年3月』p129
- ^ “倉本 聰さんが金光を訪れる 倉本 聰金光ファンの会”. 笠岡放送. 2014年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月6日閲覧。
- ^ 倉本聰『見る前に跳んだ』日本経済新聞出版社、2016、43-44頁。
- ^ "【放送事故伝説】レジェンド脚本家の神業で大事故を回避?". リアルライブ. REAL LIVE. 2 October 2022. 2022年10月2日閲覧。
- ^ a b ペンネーム「倉本聰」が会社に内緒で脚本執筆していたころ - dot.・2012年12月22日
- ^ 『東芝スーパーサウンドグラフィティ The History of the Radio』(ニッポン放送、1989年1月1日)
- ^ 『波瀾万丈の映画人生 岡田茂自伝』、角川書店、2004年、165-166頁
- ^ 『愚者の旅』(理論社、2002年)
- ^ a b c 「時代を駆ける:倉本聰:SOH KURAMOTO(1)」 『毎日新聞』 2009年11月16日、13版、5面。
- ^ 『獨白 2011年3月』p14
- ^ 『獨白 2011年3月』p186 - 187
- ^ a b 「時代を駆ける:倉本聰:SOH KURAMOTO(5)」 『毎日新聞』 2009年11月24日、13版、9面。
- ^ a b 「時代を駆ける:倉本聰:SOH KURAMOTO(2)」 『毎日新聞』 2009年11月17日、12版、9面。
- ^ 渕沢貴子 (2016年1月12日). “倉本聰さん、舞台演出を引退意向「しんどくなってきた」”. 朝日新聞デジタル 2016年5月31日閲覧。
- ^ “脚本家倉本聡氏が演劇引退 17年1月舞台が最後”. 日刊スポーツ. (2016年11月17日) 2016年11月17日閲覧。
- ^ “倉本聰さん最後の舞台演出 全国公演「走る」富良野で幕 「長い休息」宣言”. 北海道新聞. (2017年3月9日) 2017年4月5日閲覧。
- ^ “「走る」大千秋楽公演(2017年3月7日)終演後のカーテンコールより 富良野GROUP主宰・倉本聰の挨拶”. 走る 2017. 倉本聰 界隈. 2017年4月5日閲覧。
- ^ “テレ朝会長 中高年向け昼ドラ「少なくとも1年間は続ける」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年3月28日) 2017年4月5日閲覧。
- ^ 佐藤剛志 (2017年4月4日). “倉本聰×浅丘ルリ子 若者にこびない「昼ドラ」”. 朝日新聞デジタル 2017年4月5日閲覧。
- ^ “倉本聰さん展示 6テーマで 演劇工場隣に 富良野・施設整備へ基本構想案”. どうしん電子版 (北海道新聞). (2019年8月27日) 2019年8月30日閲覧。
- ^ “山田太一”. みんな子どもだった 倉本聰. BS-TBS. 2016年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月4日閲覧。
- ^ 出典により「蔵元」とも
- ^ “嫌煙ヒステリーと禁煙ビジネスを斬る!”. iRONNA (産業経済新聞社). (2013年10月31日) 2020年12月25日閲覧。
- ^ 倉本聰「タバコの表現削れと言われたら筆を折る」 ネットで「時代の変化が分かっていない!」と大バッシング
- ^ 喫煙シーン検閲「たばこ描けないなら作品書かぬ」と倉本聰氏
- ^ 創作の源は「怒りのパッション」 脚本家・倉本聰が語る令和のメッセージ
- ^ “僕は煙草を吸う 倉本 聰(脚本家、演出家)”. 愛煙家通信. 喫煙文化研究会. 2020年10月11日閲覧。
- ^ “質問・討論コーナー「北の国から元気を出す工夫」”. 北海道心臓協会 (2012年2月). 2022年5月17日閲覧。
- ^ 『A-Studio』(TBSテレビ、2010年10月15日)内で二宮和也が証言
- ^ “森のささやき点描画に 倉本聰さん徳島市で個展 15日から 「北の国から」の自然表現”. 徳島新聞. (2018年11月14日) 2019年8月30日閲覧。
- ^ “森のささやきが聞こえますか 倉本聰の仕事と点描画展” (PDF). Web東奥. 東奥日報社 (2019年4月25日). 2019年8月30日閲覧。
- ^ a b 『週刊文春』2003年3月6日号掲載「連続告発企画 テレビが病んでいる4」pp.168-169
- ^ 『倉本聰 テレビドラマ集-1 うちのホンカン』(バップ出版、1976年)
- ^ a b 『獨白 2011年3月』p10 - 13
- ^ 『三谷幸喜のありふれた生活3 大河な日日』(朝日新聞社、2004年、100頁)
- ^ 『獨白 2011年3月』p51 - 52
- ^ 『獨白 2011年3月』p265。
- ^ 『獨白 2011年3月』pp224 - 229
- ^ 別冊宝島『シナリオ入門』(宝島社、2004年)
- ^ 『逃げていく街』(新潮文庫、1998年)
- ^ “北海道新聞文化賞”. 北海道新聞社. 2023年12月15日閲覧。
- ^ “春の叙勲、4021人”. 日本経済新聞 (2010年4月29日). 2023年4月7日閲覧。
- ^ “倉本聰氏、ギャラクシー賞授賞式に車椅子で登壇「来週、手術」”. ORICON NEWS. oricon ME (2018年5月31日). 2023年5月15日閲覧。
- ^ テレビドラマデータベース
- ^ “テレビ朝日、シニア世代向けに帯ドラマ枠を新設 第1弾は倉本聰氏オリジナル作品”. ORICON STYLE. (2016年6月30日) 2016年6月30日閲覧。
- ^ “倉本聰の森と老人〜北海道・富良野〜”. NHK (2021年5月18日). 2021年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月22日閲覧。
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