佐賀市 歴史

佐賀市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/30 06:55 UTC 版)

歴史

歴史

佐賀城鯱の門

縄文時代から弥生時代にかけて、市南部の平野地域はまだ海底であったが、度重なる海進・海退と河川による土砂運搬により、今ある佐賀平野が作られる。また有明海の干拓によって平野面積がさらに拡大した。

律令制下では肥前国に属し、現在の佐賀市大和町に肥前国国府が置かれた。戦国時代には龍造寺氏をはじめ、鍋島氏石井氏・高木氏・於保氏八戸氏などの在地領主が割拠していたが、龍造寺氏がそれらを統合して戦国大名化。城下町の基礎が形成された。龍造寺氏が絶えたのちの1608年(慶長13年)、龍造寺氏の重臣であった鍋島直茂が藩主の座に就き、以後は廃藩置県まで鍋島氏が統治する佐賀藩の本拠地となり、佐賀城が築城された。水運と農業中心の小さな町だった現在の佐賀市街付近は、佐賀城築城後に佐賀藩本藩の城下町として発展し、商工業が大きく発達した。

佐賀藩は別名を肥前藩ともいい、明治維新において、版籍奉還を上奏した「薩長土肥」の1つとなった。また、長崎に近かったため西洋科学技術を積極的に導入し、幕末には精錬方(藩立の科学技術研究所)、反射炉三重津海軍所(造船所・海軍修練所)などが設置され、鉄製大砲蒸気船、指字電信機エーセルテレカラフ)、暗箱カメラなどが外国の技術者に頼ることなく独力で製作され、日本の科学技術近代化に大きく貢献した。

明治時代は佐賀県の併廃とともに佐賀県、伊万里県、佐賀県、三潴県、長崎県、と変わり、最後には佐賀県が分離されてその県域に入った。1889年の市制施行時の市域は現在の市中心部の一部だったが、昭和の大合併により旧佐賀市、平成の大合併により現在の佐賀市の市域となった。これにより市域は福岡県境へと拡大した。人口規模は特例市の要件(20万人)を満たし、2014年4月1日付けで移行された。

佐賀市は太平洋戦争空襲攻撃において、アメリカ軍による爆撃優先順位が180都市中101番目と決して低くなかったが、幸いにも佐賀空襲が誤爆攻撃になった事により中心部の被害は免れ城下町の古い街並みがそのまま残った。しかし、その後目立った街並みの保存運動等が起こることが無く無秩序な建て替えなどでその多くが失われ、佐賀市歴史民俗館建物群がある旧市街東部の長崎街道沿いなどで江戸-大正にかけての町屋建築や明治 - 大正にかけての洋風建築の街並みを見ることができるのみであり、その他の旧城下市街では纏まった古い街並みは少なく古い町屋や洋館が散在する状況にある。ただし、江戸時代からの町割りや水路は良好に残されており、江戸時代の石積護岸の水路や石橋が今も現役で使用されている。

年表

佐賀の乱の忠魂碑

佐賀市は1970年代以降開発が急速に進められて都市らしくなっていったが、それまでは都心の一部を除き農村と変わらない風景だった。

12世紀 - 16世紀鎌倉時代室町時代) : この時期平野部では、小地頭家人・有力百姓らが新田開墾を進めながら、自らの領地に環濠の発達した城郭を築いて割拠していた。この頃の代表的遺構に、久保泉町の古村周辺遺跡がある。やがて戦国時代に入ると水ケ江城を拠点としていた龍造寺氏戦国大名として北部九州の広範囲にまで勢力を拡大するが、大友氏に押されて肥前東部の支配に収まる。17世紀初頭には領家が鍋島氏に継承され、佐賀藩領主となる。

  • 1602年(慶長7年) - 佐賀城本丸の改修が始まる。
  • 1611年(慶長16年) - 改修が終了し、佐賀城が完成する。
  • 元和年間(1615年 - 1624年頃) - 成富茂安(成富兵庫茂安)によって石井樋が建設され、多布施川を通した嘉瀬川から佐賀城下への取水および洪水調節が図られる。
  • 1683年(天和3年) - 鍋島光茂蓮池藩小城藩鹿島藩ら三家格式を制定して三支藩を完全に支配下に置き、さらに世禄制を実施した。
  • 1726年(享保11年) - 大火により本丸が焼失。政務の中心を二の丸へ移す。
  • 1835年(天保6年) - 大火により二の丸が焼失。政務の中心を再び本丸へ移す。

17世紀 - 19世紀江戸時代明治時代前期) - 佐賀藩は当初の厳しい財政を新田開発や倹約により立て直し、長崎街道を有しまた長崎警備を行っていたという地の利から先進的科学技術の導入を進めたことで、幕末には高い軍事力・技術力を有するに至った。倒幕運動への参加は戊辰戦争からと後発だったが、以降明治政府へ多くの人材を輩出する。

20世紀 - 明治の佐賀は、農業および繊維業中心の軽工業を軸とした産業都市、また県庁が所在する政治的拠点として、開発が進められ人口が増加していくとともに、地方都市として成長する。

第一次世界大戦後は農業から商工業へ主要産業がシフトするが、重工業や機械工業などの成長は伸び悩む。九州の他都市と比べて相対的に緩やかではあるが、佐賀都市圏の中心都市として開発が進められ、1990年代まで人口は増加を続ける。

行政区域の変遷

1955年4月1日現在における佐賀市の位置と範囲
2005年10月1日現在における佐賀市の位置と範囲
  • 1889年(明治22年)4月1日 : 市町村制施行。現在の城内地区を中心とした市域の佐賀市が発足。面積4.80 km2、人口25,628人(同日調査)。また、現在の市域にあたる佐賀郡神野村・西与賀村・東与賀村・嘉瀬村・兵庫村・古瀬村・高木瀬村・北川副村・本庄村鍋島村・金立村・久保泉村・久保田村・東川副村・西川副村・新北村・春日村・川上村・松梅村・小関村・南川副村・中川副村・大詫間村、神埼郡蓮池村三瀬村小城郡南山村・北山村の27村が発足。
  • 1899年(明治32年)6月6日 : 古瀬村が巨勢村に改称。
  • 1922年(大正11年)10月1日 : 神野村を佐賀市へ編入。9.09 km2、38,483人(同年調査)。
  • 1935年(昭和10年)11月3日 : 蓮池村が町制施行。蓮池町となる。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 : 南川副村が町制施行。南川副町となる。
  • 1954年(昭和29年)3月31日 : 西与賀村・嘉瀬村・兵庫村・巨勢村・高木瀬村を佐賀市へ編入。
  • 1954年(昭和29年)10月1日 : 北川副村・本庄村・鍋島村・金立村・久保泉村を佐賀市へ編入。
  • 1955年(昭和30年)3月1日 : 東川副村と新北村が新設合併し、諸富町が発足。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 : 蓮池町のうち蓮池、見島小松、古賀のそれぞれ一部を佐賀市へ編入。それ以外の地域は神埼郡の他3村とともに新設合併し千代田村となる。103.68 km2、126,432人(同年国勢調査)。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 : 南川副町・中川副村・大詫間村が新設合併し、川副町が発足。
  • 1955年(昭和30年)4月16日 : 春日村・川上村・松梅村が合併し、大和村が発足。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 : 小関村・南山村・北山村が新設合併し、富士村が発足。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 : 西川副村を川副町に編入。
  • 1959年(昭和34年)1月1日 : 大和村が町制施行。大和町となる。
  • 1966年(昭和41年)10月1日 : 東与賀村が町制施行。東与賀町となる。
  • 1966年(昭和41年)10月1日 : 富士村が町制施行。富士町となる。
  • 1967年(昭和42年)4月1日:久保田村が町制施行。久保田町となる。
  • 2005年(平成17年)10月1日:佐賀市・佐賀郡諸富町・大和町・富士町・神埼郡三瀬村が新設合併し、新市制による佐賀市が発足。合併前は103.76 km2、166,745人、総世帯数65,443世帯、人口密度1607人/km2。合併後は355.15 km2、206,967人、77,853世帯、583人/km2となった(いずれも同年国勢調査)。
  • 2007年(平成19年)10月1日:佐賀郡川副町・東与賀町・久保田町を佐賀市へ編入。合併後は431.42 km2、約240,000人、約89,400世帯、556人/km2となった(同日推計)。

市町村合併

さがし
佐賀市
佐賀市旗
1975年4月制定
佐賀市章
1954年6月15日制定
廃止日 2005年10月1日
廃止理由 新設合併
佐賀市(旧)佐賀郡諸富町大和町富士町神埼郡三瀬村 → 佐賀市
現在の自治体 佐賀市
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 佐賀県
市町村コード 41201-5
面積 103.76km2
(境界未定部分あり)
総人口 166,576
推計人口、2005年9月1日)
隣接自治体 佐賀郡諸富町大和町川副町
東与賀町久保田町
神埼郡神埼町千代田町脊振村
小城市福岡県大川市
佐賀市役所
所在地 840-8501
佐賀県佐賀市栄町1-1
座標 北緯33度14分48.6秒 東経130度18分3秒 / 北緯33.246833度 東経130.30083度 / 33.246833; 130.30083
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現行の佐賀市は、「平成の大合併」の一環として2005年(平成17年)10月1日に佐賀郡諸富町、大和町富士町神埼郡三瀬村と合併(新設合併)し、新たな佐賀市として発足した。合併により解散した町村はいずれも佐賀市内の一地域としてその名を残している。またこれによって市域が福岡市と隣接するようになった。県庁所在地同士が隣接する事例は京都市大津市仙台市山形市に続き3例目である。

さらに、2007年(平成19年)10月1日付で、佐賀郡の中で最後まで残っていた、川副町、東与賀町および久保田町を編入し、佐賀市郡地域の広域合併を終えた。なお、平成の大合併前の佐賀市は「昭和の大合併」によって規模を拡大した経緯があるほか、平成の大合併で、佐賀県内では、小城郡が消滅し、神埼郡、東松浦郡西松浦郡および藤津郡で、郡内の町村が1自治体だけとなっている。


  1. ^ a b 2011年9月30日

注釈

  1. ^ 佐賀県の自治労の支持政党は現在でも社民党である。
  2. ^ ただし2019年シーズンは例年より遅めの12月9日にオープンした。

出典

  1. ^ a b 市の木・市の花、佐賀市、2015年11月30日時点、2015年11月30日閲覧。
  2. ^ 佐賀市が“中核市”へ 検討をスタート【佐賀県】|佐賀のニュース|サガテレビ
  3. ^ 中核市に関する庁内検討会 | 佐賀市公式ホームページ
  4. ^ 佐賀平野の宿命(洪水と干ばつの歴史) 佐賀中部農地防災事務所[リンク切れ]
  5. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2021年6月閲覧。
  6. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2021年6月閲覧。
  7. ^ 発表項目:水道局跡地への対応について(知事記者会見) 佐賀県、2005年4月28日。
  8. ^ 嘉瀬川ダム建設事業
  9. ^ 坂井英隆氏に当選証書 佐賀市長選で市選管 25日に初登庁、西日本新聞、2021年10月21日付、2022年1月18日閲覧
  10. ^ 秀島氏、無投票4選 佐賀市長選 =2017佐賀市長選=|行政・社会|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE” (日本語). 佐賀新聞LiVE. 2020年10月11日閲覧。
  11. ^ 佐賀市長選挙 無投票のお知らせ” (日本語). 佐賀市公式ホームページ. 2020年10月11日閲覧。
  12. ^ 佐賀市行政機構図
  13. ^ 久保田支所” (日本語). 佐賀市公式ホームページ. 2020年10月11日閲覧。
  14. ^ a b 沿革、佐賀市上下水道局、2022年1月18日閲覧
  15. ^ a b c d 令和2年度佐賀市環境報告書(令和元年度実績)e-ガイド、pp.12,23-24,34-38.、佐賀市、2020年8月発行、2022年1月18日閲覧
  16. ^ 2004年9号ケース佐賀中央郵便局――現場改善
  17. ^ 佐賀市議会の会派、ネットワーク佐賀に名称変更|行政・社会|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE” (日本語). 佐賀新聞LiVE. 2020年10月11日閲覧。
  18. ^ 当日の有権者数県計(10月31日午前7時現在)、佐賀県、2020年1月20日閲覧
  19. ^ a b 018産業(大分類)別15歳以上就業者数 佐賀市
  20. ^ 『環状道路の時代』日経BP社、2006年、P81、ISBN 4-8222-2045-1
  21. ^ 市報さが 平成19年6月15日号 p8, 平成18年7月1日号 p36
  22. ^ 佐賀のまちかど恵比寿さん
  23. ^ 文化遺産オンライン(与賀神社)
  24. ^ 世界遺産、見えた 佐賀市の三重津海軍所跡、施設リニューアル 名称は「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」に”. 佐賀新聞. 2021年9月25日閲覧。
  25. ^ 佐賀県の徐福伝説
  26. ^ a b 協定項目20 市町村の慣行の取扱い p5
  27. ^ 協定項目20 市町の慣行の取扱い p4-5
  28. ^ 第2回子育て・教育分科会 資料(2) p2
  29. ^ 佐賀市 編『佐賀市制100周年記念 さがの歳時記』(1990年) p146






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