会津藩 斗南藩

会津藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 03:03 UTC 版)

斗南藩

斗南藩(となみはん)は、明治2年(1869年)11月3日に松平容保の嫡男・容大に家名存続が許されて成立した、七戸藩を挟む形で現青森県の東部にあった藩である。

会津藩を没収された会津松平家は、改めて元盛岡藩(南部藩)領に設置された旧三戸県5万2,339石の内、北郡・三戸郡・二戸郡内に3万石を与えられて立藩した(旧三戸県の残部は江刺県に編入)[57]。斗南藩に与えられた村数、石高は、明治4年に青森県から大蔵省へ送られた文書によると以下の通りである。

斗南藩の石高[58]
郡名 村数 石高(石.斗升合)
二戸郡 12 3,969.416
三戸郡 50 22,048.680
北郡 46 8,729.369
総計 108 34,747.465

ただし、旧会津藩士4700名余が謹慎を解かれたのは翌年の明治3年(1870年)1月5日のことである。当初は三戸藩と称していたが、明治3年6月4日付の七戸藩宛書簡に「猶々藩名斗南藩と唱ヘ候間、以来ハ右藩名ニ而及御懸合候」とあり、名称を斗南藩と改めた。柴五郎によると「斗南」は漢詩の「北斗以南皆帝州」(北斗星より南はみな帝の治める州)からとったもので、この説が広く受け入れられているが、該当する古典漢詩が存在せず、会津藩士秋月悌次郎が慶応元年(1865年)に蝦夷へ左遷された際に詠んだ「唐太以南皆帝州」との類似が指摘されている。一方、当時斗南藩の大属として藩政の中枢にいた竹村俊秀の『北下日記』には「「斗南」トハ外南部ノ謂ナリ」と記されており、当初「外南部」の略称に過ぎなかったものを大義名分に立って「北斗以南」の意義付けが行われたとも解釈される[59]。また葛西富夫は、「南、すなわち薩長政府と斗(闘)う」という意味が隠されているという口伝を紹介している[60]。同年4月18日、南部に移住する者の第一陣として倉沢平治右衛門[61] の指揮のもと第一陣300名が八戸に上陸した。藩主となった松平容大は、藩士の冨田重光の懐に抱かれて駕籠に乗り、五戸に向かった。旧五戸代官所が最初の藩庁になり、後に現在の青森県むつ市田名部の円通寺に移った。また北海道後志国歌棄(うたすつ)・瀬棚太櫓(ふとろ)及び胆振国山越の計4も支配地となった。実際に入植したのは50戸あまり、220余人であった。明治3年閏10月までには旧会津藩士約2万人の内、4,332戸1万7,327人が斗南藩に移住したが、若松県内で帰農した者約2,000人を始めとし、残りは族籍を平民に移した。

斗南藩の表高は3万石、内高は3万5000石であったが、藩領の多くは火山灰地質の厳寒不毛の地であり、実際の税収である収納高(現石)は7380石に過ぎなかった[62]。森林は豊富であったものの、隣藩のように林業を有効活用することが出来なかった。また南部藩時代から元々住んでいた約6万人の領民との軋轢も生じた。とりわけ下北半島に移住した旧会津藩士は苦しい生活を強いられ、その時の体験は柴五郎によって語られている。 その後、斗南藩は明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で斗南県となり、その際斗南県少参事廣澤安任らによる明治政府への建言により、同年9月4日に弘前県黒石県七戸県八戸県館県との合併を経て青森県に編入され斗南の地名は消滅した。また、二戸郡の一部は岩手県に編入された。青森県発足時点では、会津からの移住人員1万7327人のうち3300人は既に他地域への出稼ぎで離散してしまっており、青森県内には1万4000人余の斗南藩士卒族が残留していた[63]。その後も廃藩置県による旧藩主の上京により、移住してきた者の送籍・離散が相次ぎ、明治7年(1874年)末までには約1万人が会津に帰郷している。当地に留まった者では、明治5年(1872年)に広沢らが日本初の民間洋式牧場を開設したほか、入植先の戸長・町村長・吏員・教員となった者が多く、子孫からは、北村正哉(元青森県知事)をはじめ衆議院議員、郡長・県会議員・市町村長や青森県内の各学校長などが出ている。容大は明治17年(1884年)子爵となり、華族に列した。

  • 藩主:松平容大(まつだいら かたはる)〔従五位 知藩事〕

注釈

  1. ^ 氏郷が出世の端緒となった伊勢松ヶ島(松坂)以来、「松」は縁起の良い字として採用された。
  2. ^ 会津若松城は鶴ヶ城ともいわれるが蒲生家の家紋は舞鶴紋であるため名づけられた。
  3. ^ 保科正俊の子で、系譜上は正之の大叔父にあたる。
  4. ^ 現在は練馬区へ移転している。

出典

  1. ^ 野口 2005, p. 10.
  2. ^ 野口 2005, p. 11.
  3. ^ a b 野口 2005, p. 12.
  4. ^ a b c 野口 2005, p. 14.
  5. ^ 野口 2005, p. 13.
  6. ^ a b 野口 2005, p. 15.
  7. ^ 野口 2005, p. 16.
  8. ^ a b c 野口 2005, p. 17.
  9. ^ a b c 坂本 2011, p. 13.
  10. ^ 糠澤 2011, p. 12.
  11. ^ a b c 野口 2005, p. 19.
  12. ^ 糠澤 2011, p. 13.
  13. ^ 野口 2005, p. 20.
  14. ^ a b 野口 2005, p. 21.
  15. ^ a b 野口 2005, p. 22.
  16. ^ a b c d 野口 2005, p. 23.
  17. ^ a b c 野口 2005, p. 24.
  18. ^ 尾下成敏「蒲生氏と徳川政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第三節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5)2021年、P206-208.
  19. ^ a b 野口 2005, p. 25.
  20. ^ 尾下成敏「蒲生氏と徳川政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第三節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5)2021年、P256-257.
  21. ^ a b 野口 2005, p. 26.
  22. ^ a b c d e 野口 2005, p. 27.
  23. ^ 糠澤 2011, p. 14.
  24. ^ 糠澤 2011, p. 15.
  25. ^ a b c 野口 2005, p. 28.
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  28. ^ a b c 野口 2005, p. 31.
  29. ^ a b 糠澤 2011, p. 23.
  30. ^ a b 野口 2005, p. 34.
  31. ^ a b 野口 2005, p. 40.
  32. ^ 野口 2005, p. 41.
  33. ^ 野口 2005, p. 35.
  34. ^ a b 野口 2005, p. 43.
  35. ^ 野口 2005, p. 47.
  36. ^ 野口 2005, p. 57.
  37. ^ a b 野口 2005, p. 56.
  38. ^ 野口 2005, p. 87.
  39. ^ a b 野口 2005, p. 88.
  40. ^ 野口 2005, p. 89.
  41. ^ 野口 2005, p. 91.
  42. ^ 野口 2005, p. 92.
  43. ^ 野口 2005, p. 86.
  44. ^ a b 野口 2005, p. 112.
  45. ^ a b 野口 2005, p. 113.
  46. ^ a b 野口 2005, p. 157.
  47. ^ a b 野口 2005, p. 153.
  48. ^ 野口 2005, p. 159.
  49. ^ 野口 2005, p. 162.
  50. ^ 会津若松市観光公社『えっ!?会津が首都??』。
  51. ^ 2011年2月7日の朝日新聞朝刊10面
  52. ^ 「戊辰戦争中の会津、庄内両藩 蝦夷地所領 プロイセンに提示 資金か軍隊派遣と引き換えに」『読売新聞』朝刊2017年5月17日文化面
  53. ^ 野口 2005, p. 197.
  54. ^ 『「明治150年」を強調』朝日新聞2018年1月23日
  55. ^ a b c d 野口 2005, p. 45.
  56. ^ a b c d 野口 2005, p. 44.
  57. ^ 野口信一著『会津えりすぐりの歴史』平成22年6月歴史春秋社
  58. ^ 『青森県史 第8巻』 161頁
  59. ^ 『野辺地町史 通説編第二巻』 48頁
  60. ^ 葛西富夫著『斗南藩史』昭和46年8月斗南会津会
  61. ^ 『五戸町誌下巻』五戸町誌刊行委員会
  62. ^ 『秩禄処分顛末略』 229頁
  63. ^ 『会津若松史』 240頁






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