伊東浩司
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成長過程
ジュニア時代の伊東は、当時、中学・高校生に本格的なウエイトトレーニングを課す指導者も多い中、筋力アップを目的としたトレーニングをほとんど行っていなかった。中学時代の伊東の走りはアゴは上がる、肩は大きくぶれる、腕の振りはメチャクチャといったものであった。しかし記録的には前述の通り優秀で、動きそのものはしなやかであった。当時の指導者は伊東の将来を考え、長所であるそのしなやな動きが失われないように配慮し、ウエイトトレーニングを行ったとしても軽い負荷に限定していた。
大学でも同様に走りこみと跳躍系の練習が中心であり、本格的にトレーニングを始めたのは社会人になってからであった。しかしその間もメデイシンボールやスピードバウンディングでのトレーニングを欠かさず行い、筋肉・関節の硬化が起きないよう配慮していた。
中学・高校時代から追い込めばもっと早くからさらなる好結果を得ていたかもしれないが、本人も指導者も我慢を重ね、着実に階段を上っていった成功例のひとつだとされている[3]。
走法
『ナンバ』の動きを取り入れたとされているが、右足(左足)と右腕(左腕)を同時に同方向へ動かしているわけではない。実際に伊東が取り組んだ走法は、例えば右足が前に出るとき同じ側の胸を脚の上に乗り込ませるようにするもので、その時に自然と右腕は後ろに引かれるが内旋動作がはいるために大きく振ることはできない(意識的に腕を振らないと思われがちだが結果的に大きく動かないだけである)。脚と腕が同方向へ同時に動けば人体構造上、走ることはもちろん歩くことも不自然かつ困難であり所謂『ナンバ走り』ではない[4]。また肩の動きを抑えていると言われる事もあるが、実際には上記の理由により例えば朝原宣治などの走り方と比べれば結果的に大きく前後に動かないだけであるが、逆に上下には大きく動いており、しかも正面から見た場合には頭から足まで波打つように大きく揺れている[5]。 脚を高く上げない走法でも知られるが、これはネグロイドに比べ骨盤が後傾しがちな東洋人には不向きであるとの理由であるとされる[6]。
主な成績
備考欄の記録は当時のもの
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1991 | 世界選手権 | 東京 | 4x400mR | 予選 | 3分01秒26 (4走) | アジア記録、1組4着 |
アジア選手権 (en) | クアラルンプール | 400m | 3位 | 46秒64 | ||
4x100mR | 3位 | 39秒74 (3走) | ||||
4x400mR | 優勝 | 3分05秒22 (4走) | ||||
1992 | ワールドカップ (en) | ハバナ | 4x400mR | 6位 | 3分05秒30 (3走) | アジア選抜[7] |
1993 | 東アジア大会 (en) | 上海 | 200m | 3位 | 21秒19 (+3.0) | |
世界選手権 | シュトゥットガルト | 200m | 2次予選 | 21秒04 (+1.2) | 1組6着 | |
4x100mR | 準決勝 | 39秒01 (4走) | 1組7着 | |||
アジア選手権 (en) | マニラ | 400m | 3位 | 46秒63 | ||
4x400mR | 優勝 | 3分09秒03 (1走) | ||||
1994 | アジア大会 | 広島 | 200m | 2位 | 20秒70 (+1.7) | |
4x100mR | 優勝 | 39秒37 (4走) | ||||
1995 | 世界室内選手権 | バルセロナ | 200m | 準決勝 | 21秒77 | 日本人初の準決勝進出、3組5着 |
世界選手権 | イェーテボリ | 200m | 2次予選 | 20秒80 (+0.8) | 3組6着 | |
4x100mR | 5位 | 39秒33 (2走) | 準決勝で38秒67のアジア記録 日本初の決勝進出 | |||
1996 | オリンピック | アトランタ | 200m | 準決勝 | 20秒45 (+0.1) | 日本人初の準決勝進出 日本人最高成績(準決勝2組6着) |
4x100mR | 予選 | DQ (2走) | ||||
4x400mR | 5位 | 3分00秒76 (2走) | ||||
1997 | 世界室内選手権 | パリ | 60m | 予選 | 6秒71 | 8組3着 |
200m | 予選 | 21秒68 | 3組4着 | |||
東アジア大会 (en) | 釜山 | 200m | 優勝 | 20秒98 (+0.5) | ||
4x100mR | 優勝 | 39秒32 (2走) | ||||
世界選手権 | アテネ | 100m | 1次予選 | 10秒46 (-0.6) | 5組4着 | |
200m | 1次予選 | 20秒82 (-0.2) | 3組4着 | |||
4x100mR | 準決勝 | 38秒31 (2走) | アジア記録、2組5着 | |||
1998 | アジア選手権 (en) | 福岡 | 200m | 優勝 | 20秒70 (-0.6) | |
4x100mR | 2位 | 39秒30 (4走) | ||||
ワールドカップ (en) | ヨハネスブルグ | 200m | 4位 | 20秒40 (+1.3) | 3位と同タイム着差あり | |
アジア大会 | バンコク | 100m | 優勝 | 10秒05 (+1.6) | 準決勝で10秒00のアジア記録 | |
200m | 優勝 | 20秒25 (-0.4) | 大会記録 | |||
4x100mR | 優勝 | 38秒91 (4走) | 大会記録 | |||
1999 | 世界室内選手権 | 前橋 | 60m | 準決勝 | 6秒62 | 日本人最高成績(準決勝1組4着) |
200m | 5位 | 20秒95 | 予選で20秒76、準決勝で20秒63のアジア記録 日本人初の決勝進出 日本人最高成績 | |||
世界選手権 | セビリア | 100m | 2次予選 | 10秒40 (-0.2) | 5組7着 | |
200m | 準決勝 | 20秒51 (+1.6) | 日本人初の準決勝進出、1組6着 | |||
4x400mR | 予選 | 3分02秒50 (2走) | 1組4着 | |||
2000 | オリンピック | シドニー | 100m | 準決勝 | 10秒39 (+0.4) | 1組7着 |
200m | 準決勝 | 20秒67 (+0.3) | 2組7着 | |||
4x100mR | 6位 | 38秒66 (2走) | 準決勝で38秒31のアジア記録タイ |
- ^ その後、2003年に白人とアボリジニのハーフである、オーストラリアのパトリック・ジョンソンが9秒93をマークした。
- ^ 朝日新聞東京本社版、1999年6月16日付夕刊1面
- ^ 財団法人日本中学校体育連盟陸上競技部『中学生のための陸上競技』18頁
- ^ 小山裕史『奇跡のトレーニング』2004年講談社ISBN 4-06-212217-0
- ^ 高岡英夫の2003年7月公開論文
- ^ 小山裕史『野球トレーニング革命』1999年ベースボールマガジン社ISBN 4-583-03620-5
- ^ 4走のイブラヒム・イスマイル以外は全員日本人
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