伊東浩司 成長過程

伊東浩司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 07:26 UTC 版)

成長過程

ジュニア時代の伊東は、当時、中学・高校生に本格的なウエイトトレーニングを課す指導者も多い中、筋力アップを目的としたトレーニングをほとんど行っていなかった。中学時代の伊東の走りはアゴは上がる、肩は大きくぶれる、腕の振りはメチャクチャといったものであった。しかし記録的には前述の通り優秀で、動きそのものはしなやかであった。当時の指導者は伊東の将来を考え、長所であるそのしなやな動きが失われないように配慮し、ウエイトトレーニングを行ったとしても軽い負荷に限定していた。

大学でも同様に走りこみと跳躍系の練習が中心であり、本格的にトレーニングを始めたのは社会人になってからであった。しかしその間もメデイシンボールやスピードバウンディングでのトレーニングを欠かさず行い、筋肉・関節の硬化が起きないよう配慮していた。

中学・高校時代から追い込めばもっと早くからさらなる好結果を得ていたかもしれないが、本人も指導者も我慢を重ね、着実に階段を上っていった成功例のひとつだとされている[3]

走法

ナンバ』の動きを取り入れたとされているが、右足(左足)と右腕(左腕)を同時に同方向へ動かしているわけではない。実際に伊東が取り組んだ走法は、例えば右足が前に出るとき同じ側の胸を脚の上に乗り込ませるようにするもので、その時に自然と右腕は後ろに引かれるが内旋動作がはいるために大きく振ることはできない(意識的に腕を振らないと思われがちだが結果的に大きく動かないだけである)。脚と腕が同方向へ同時に動けば人体構造上、走ることはもちろん歩くことも不自然かつ困難であり所謂『ナンバ走り』ではない[4]。また肩の動きを抑えていると言われる事もあるが、実際には上記の理由により例えば朝原宣治などの走り方と比べれば結果的に大きく前後に動かないだけであるが、逆に上下には大きく動いており、しかも正面から見た場合には頭から足まで波打つように大きく揺れている[5]。 脚を高く上げない走法でも知られるが、これはネグロイドに比べ骨盤が後傾しがちな東洋人には不向きであるとの理由であるとされる[6]

主な成績

備考欄の記録は当時のもの

大会 場所 種目 結果 記録 備考
1991 世界選手権 東京 4x400mR 予選 3分01秒26 (4走) アジア記録、1組4着
アジア選手権 (en クアラルンプール 400m 3位 46秒64
4x100mR 3位 39秒74 (3走)
4x400mR 優勝 3分05秒22 (4走)
1992 ワールドカップ (en ハバナ 4x400mR 6位 3分05秒30 (3走) アジア選抜[7]
1993 東アジア大会 (en 上海 200m 3位 21秒19 (+3.0)
世界選手権 シュトゥットガルト 200m 2次予選 21秒04 (+1.2) 1組6着
4x100mR 準決勝 39秒01 (4走) 1組7着
アジア選手権 (en マニラ 400m 3位 46秒63
4x400mR 優勝 3分09秒03 (1走)
1994 アジア大会 広島 200m 2位 20秒70 (+1.7)
4x100mR 優勝 39秒37 (4走)
1995 世界室内選手権 バルセロナ 200m 準決勝 21秒77 日本人初の準決勝進出、3組5着
世界選手権 イェーテボリ 200m 2次予選 20秒80 (+0.8) 3組6着
4x100mR 5位 39秒33 (2走) 準決勝で38秒67のアジア記録
日本初の決勝進出
1996 オリンピック アトランタ 200m 準決勝 20秒45 (+0.1) 日本人初の準決勝進出
日本人最高成績(準決勝2組6着)
4x100mR 予選 DQ (2走)
4x400mR 5位 3分00秒76 (2走)
1997 世界室内選手権 パリ 60m 予選 6秒71 8組3着
200m 予選 21秒68 3組4着
東アジア大会 (en 釜山 200m 優勝 20秒98 (+0.5)
4x100mR 優勝 39秒32 (2走)
世界選手権 アテネ 100m 1次予選 10秒46 (-0.6) 5組4着
200m 1次予選 20秒82 (-0.2) 3組4着
4x100mR 準決勝 38秒31 (2走) アジア記録、2組5着
1998 アジア選手権 (en 福岡 200m 優勝 20秒70 (-0.6)
4x100mR 2位 39秒30 (4走)
ワールドカップ (en ヨハネスブルグ 200m 4位 20秒40 (+1.3) 3位と同タイム着差あり
アジア大会 バンコク 100m 優勝 10秒05 (+1.6) 準決勝で10秒00のアジア記録
200m 優勝 20秒25 (-0.4) 大会記録
4x100mR 優勝 38秒91 (4走) 大会記録
1999 世界室内選手権 前橋 60m 準決勝 6秒62 日本人最高成績(準決勝1組4着)
200m 5位 20秒95 予選で20秒76、準決勝で20秒63のアジア記録
日本人初の決勝進出
日本人最高成績
世界選手権 セビリア 100m 2次予選 10秒40 (-0.2) 5組7着
200m 準決勝 20秒51 (+1.6) 日本人初の準決勝進出、1組6着
4x400mR 予選 3分02秒50 (2走) 1組4着
2000 オリンピック シドニー 100m 準決勝 10秒39 (+0.4) 1組7着
200m 準決勝 20秒67 (+0.3) 2組7着
4x100mR 6位 38秒66 (2走) 準決勝で38秒31のアジア記録タイ

  1. ^ その後、2003年に白人とアボリジニのハーフである、オーストラリアパトリック・ジョンソンが9秒93をマークした。
  2. ^ 朝日新聞東京本社版、1999年6月16日付夕刊1面
  3. ^ 財団法人日本中学校体育連盟陸上競技部『中学生のための陸上競技』18頁
  4. ^ 小山裕史『奇跡のトレーニング』2004年講談社ISBN 4-06-212217-0
  5. ^ 高岡英夫の2003年7月公開論文
  6. ^ 小山裕史『野球トレーニング革命』1999年ベースボールマガジン社ISBN 4-583-03620-5 
  7. ^ 4走のイブラヒム・イスマイル以外は全員日本人


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