伊吹吾郎
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いぶき ごろう 伊吹 吾郎 | |
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日本侠客伝シリーズ 第10作『日本侠客伝 昇り龍』(1970年)予告編にて | |
本名 | 伊吹 勝敏(いぶき かつとし) |
別名義 | 伊吹 吾朗 |
生年月日 | 1946年1月2日(78歳) |
出身地 | 日本・北海道爾志郡熊石町(現・二海郡八雲町) |
身長 | 175cm |
血液型 | O型 |
職業 | 俳優・タレント・司会者 |
ジャンル | テレビドラマ・映画・演劇 |
活動期間 | 1966年 - |
活動内容 |
1966年:東宝ニューフェイス 1968年:フリーになりデビュー 1969年:『無用ノ介』 1979年:『必殺仕事人』 1983年:『水戸黄門』 2012年:『マハトマパンチ』 |
配偶者 | なし(2019年離婚) |
著名な家族 | 伊吹康太郎(長男) |
公式サイト | 所属事務所公式プロフィール |
主な作品 | |
テレビドラマ 『無用ノ介』 『樅ノ木は残った』 『必殺仕事人』 『水戸黄門』 『侍戦隊シンケンジャー』 バラエティー番組 『マハトマパンチ』 『すイエんサー』 映画 『仁義なき戦いシリーズ』 |
来歴
1965年に日本映画テレビ演劇学院に入所、1966年第7期生東宝ニューフェイス入り、東宝俳優養成所に入所[2][1]。1968年にフリーとなり、テレビドラマ『さむらい』でデビュー。
1969年、さいとうたかをの劇画を原作とするテレビ時代劇『無用ノ介』(日本テレビ)のオーディションを受け、主役に抜擢される[1]。さいとうは伊吹について「風貌があまりに劇画的」だったと語っている[3]。
1969年7月[4]、新国劇に入座[5][6]。同年10月、岡田茂東映映画本部長から「風貌がいい。時代劇と現代劇の両方に出てもらう。次世代の東映を担うに足るスケールの大きさを感じる」と惚れ込まれ[6]、東映と専属契約を交わす[4][6][7](映画のみの専属)[8]。東映移籍第一作は『五人の賞金稼ぎ』で、二作目の『殺し屋人別帳』は、渡瀬恒彦の主演デビュー作として知られるが、この作品は岡田と天尾完次両プロデューサーが[9]、渡瀬+伊吹のダブル主演によるバディムービーとして企画したものだった[9][10][11]。
以降、主に東映と新国劇の両方で活躍した[6]。東映作品では「仁義なき戦いシリーズ」などが知られる。テレビドラマでは『必殺仕事人』(ABC)、『花と狼』(フジテレビ)などに出演したほか、土曜ワイド劇場(テレビ朝日)の人気シリーズだった天知茂主演の江戸川乱歩の美女シリーズでは異例の3度に渡り犯人役で出演。『江戸川乱歩の黄金仮面/妖精の美女』(シリーズ第6作、1978年)、『江戸川乱歩の黄金仮面II/桜の国の美女』(シリーズ第11作、1980年)では共に黄金仮面を演じた。
『水戸黄門』で1983年の第14部から第28部までの17年間に渡り渥美格之進役を演じる[1]。同番組にはレギュラー抜擢以前の第1部(第26話、1970年1月26日)からゲスト出演しており、2000年にレギュラーを降板してからも度々出演している。なお、出演時には伊吹吾朗名義を用いていた。但し、伊吹吾朗名義を用いたのは第26部までで、第27部以降は伊吹吾郎に戻している。
『水戸黄門』のレギュラー降板後はバラエティ番組にも進出しているが、「真面目で堅物」というイメージ通りの人柄や不慣れなことを逆手にとり、「ぎこちない作り笑顔で、台本の進行コメントやカメラ前に出されるカンニングペーパーを、大仰な芝居口調で読むMCぶり」や「フリートークでの悪戦苦闘ぶり」が人気を呼んだ。中でも2007年4月から放送された『環境野郎Dチーム』(フジテレビ)では、Dチームリーダー兼MCとして「ブッキー」の愛称で親しまれた。
2009年にはスーパー戦隊シリーズの『侍戦隊シンケンジャー』(テレビ朝日)に、日下部彦馬役でレギュラー出演。同作品でドラマ主演デビューとなる松坂桃李は、伊吹について「最初に写真で見た時は怖い人だと思っていたが、面白くて優しい、すごいいい人」と語っている[12]。また、同作品について伊吹は「出演をきっかけに、さまざまな世代に自分を知ってもらえるようになった」と語っている[13]。それまで寄って来るのは中高齢者ばかりだったが、『侍戦隊シンケンジャー』の放送中、外食をしていた際に子供から「外道衆(敵キャラクター)に負けないでください」と応援され、嬉しかったという[14]。
2019年(平成31年)2月20日に北海道の民放5局とNHK札幌放送局による共同キャンペーン『One Hokkaido Project』のキャンペーンソングに参加[15]。
人物
- 極度の汗っかき[16]。
- 大の猫好き[17]。
- 必殺仕事人で共演した三田村邦彦は伊吹について「決して人の悪口を言わない、また先輩風を吹かせることもなかった」と述べている[18]。
- 一番の趣味はフラメンコギター演奏で、フラメンコギターを眺めながら酒を飲んだり、新しいギターを買った夜は興奮して眠れないほどのギター好き。『江戸川乱歩の黄金仮面II/桜の国の美女』ではその腕前を披露している。
- ギター演奏のために右手の爪だけマニキュアを毎日5度塗りして保護しているが、「『水戸黄門』で右手で印籠を出すために綺麗にしている」、「おネエではないのか?」と勘違いされたことがある。『水戸黄門』の印籠を出すシーンでは「ギター用に伸ばしている爪を見せないために小指を隠している」と言われることもあるが、伊吹本人は爪を伸ばしておらず、ビデオ撮影になって爪を硬くするために塗った接着剤やマニキュアが目立つようになったからと述べている[2]。
注釈
出典
- ^ a b c d e 真剣勝負 2010, pp. 64–67, 「Shinken Regular's Talk_07 伊吹吾郎」
- ^ a b 石橋春海「ヒーローを探して 伊吹吾郎インタビュー」『’60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2013年12月5日、121-123頁。ISBN 978-4-7747-5853-4。
- ^ “無用ノ介”. 時代劇専門チャンネル (2001年4月21日). 2017年7月23日閲覧。
- ^ a b 伊吹吾郎「私と『無用ノ介』」『潮』、潮出版社、1970年4月号、256–257頁。
- ^ “伊吹、浦里らの入団を発表 新国劇”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 10. (1969年6月29日)
- ^ a b c d “―東映― 時代劇に力こぶ 『伊吹吾郎と専属契約 風ぼう、大きなスケールにほれ込む もくろむシリーズもの 高倉健を加え強力に』”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社): p. 10. (1969年10月9日)
- ^ 飯野義勝(東映取締役営業部長)・池田静雄(東映取締役宣伝部長)、聞く人・北浦馨「東映映画のヒットの秘密を探る模倣ではダメ・いつもオリジナルな企画と発想が勝負を決める」『映画時報』1969年12月号、映画時報社、28頁。
- ^ “伊吹吾郎の東映専属第1作 『五人の賞金稼ぎ』”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 13. (1969年11月24日)
- ^ a b “ウラ話うら話『映画界』の斜陽をよそに飛び出した2新人”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 11. (1969年12月24日)
- ^ “兄貴 渡哲也は反対、でもガンバル 渡瀬恒彦、主役でデビュー『殺し屋人別帳』 ずぶとい神経で 意気込む石井監督 来年はスター”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 13. (1969年12月12日)
- ^ 23日、石井輝男『殺し屋人別帳』@ ラピュタ阿佐ヶ谷。 – 磯田勉Twitter 2014年7月23日。
- ^ 侍戦隊シンケンジャーDVD2巻「伊達侍絵巻」
- ^ 『にじいろジーン』(2015年11月14日放送回)の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)
- ^ 『水戸黄門』“格さん役”17年間演じた伊吹吾郎(77)が明かした印籠シーンに隠された苦労と工夫
- ^ “北海道の歌、参加歌手|One Hokkaido project”. one-hokkaido.jp. 2020年7月10日閲覧。
- ^ “TVでた蔵 2014年8月31日放送 7:00 - 7:30 フジテレビ ボクらの時代”. ワイヤーアクション (2014年8月31日). 2015年9月13日閲覧。
- ^ “〜どうぶつ冒険バラエティ〜 ワンダ! 2011年11月11日(金)”. テレビ東京 (2011年11月11日). 2015年9月13日閲覧。
- ^ 時代劇マガジン 2008 Vol.17 12 P.125
- ^ 2012年3月1日北海道新聞夕刊芸能面(「格さん」伊吹吾郎が初司会 来月からSTV 日曜午前に自社制作生バラエティ)およびSTV『どさんこワイド』放送より
- ^ 2012年から北海道のメインパーソナリティー
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