伊勢神宮 祭神

伊勢神宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/21 06:38 UTC 版)

祭神

主祭神は以下の2柱。

主祭神以外については、各宮の項目を参照。

創祀

神話

矢沢弦月『皇大神宮奉祀』、1933年

天孫・邇邇芸命が降臨した(天孫降臨)際、天照大御神は三種の神器を授け、その一つ八咫鏡に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。」(『日本書紀』)として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇の側に置かれた。しかし、第10代崇神天皇の治世に、鏡は大和笠縫邑に移され、皇女豊鍬入姫がこれを祀ることとされた。これは、崇神天皇5年に、疫病が流行り多くの人民が死に絶えたことで、天皇の側で神鏡を祀っているのが恐れ多いことであると考えられ、崇神天皇6年に従来宮中に祀られていた天照大御神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移したのである。

その後八咫鏡は皇女倭姫命に託され、倭姫命は天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をして各地を移動した。『日本書紀』に「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とある通り、垂仁天皇25年3月に倭姫命は伊勢に至った(元伊勢伝承)。倭姫命が伊勢に至ると、天照大御神から「この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ」との神託が降り、伊勢の地に鎮座することが決まったのである。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。なお『古事記』には、この経緯について崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。

外宮は、平安時代初期の『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)[注釈 4]によれば、雄略天皇22年7月に、天照大御神から雄略天皇に「吾一所に坐せば甚(はなはだ)苦し。しかのみならず大御饌も安く聞召(きこしめ)さず坐すが故に、丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井(ひじのまない)に坐す我が御饌都神(みけつかみ)、等由気大神(とゆけのおおかみ)を我が許に欲す」との神託があったとされ、この神託の通り、豊受大神を丹波国の真奈井原(まないはら)から伊勢山田原へ、天照大御神の食事を司るための神として遷座したことが起源とされる。

考証

津田左右吉の研究以来、歴史学においては『古事記』や『日本書紀』の応神天皇条以前の記述はほぼ史実として認められておらず[13]、上述の神話の伝承も、歴史的事実とは考えられていない。そのため、これまでに多くの研究者が、複数の学術分野から伊勢神宮の史実上の創祀年代について検討してきた。他方で、『日本書紀』の神宮創祀伝承の箇所の異伝に、神宮の創始を「丁巳年」と記していることについて、伝承の内容は史実でなくとも、干支に関しては実際の創祀年がそのまま記述された可能性が高いとして、丁巳に該当する西暦年の中から、最も可能性が高いと考えられる年号を伊勢神宮の創祀年と想定する見解も複数示された[14]

これまでに提示されてきた伊勢神宮創祀年の主な説としては、垂仁朝説、5世紀後半の雄略朝説、6世紀前半の継体もしくは欽明朝説、6世紀後半の用明推古朝説、7世紀後半の天武持統朝説、7世紀末の文武朝説などが挙げられる[15]

成立を最も早く見る垂仁朝説には、歴史学者の阪本広太郎、田中卓岡田登らがいる[16]。阪本は、日本神話の神宮創祀伝承を史実として認める立場をとり、伝承の通り倭姫命が垂仁天皇25年に倭笠縫邑を発し、その後の伊勢までの巡行に1年を要したとして、丁巳年に当たる垂仁天皇26年に伊勢神宮が創祀されたとする説を提示し、その西暦年代については『日本書紀』の紀年法に従って機械的に換算した紀元前4年とした[16]。なお、阪本の説は、阪本が著し神宮司庁により発行された『神宮祭祀概説』が採用している説であり、現在の伊勢神宮の公式見解とされる[17]。岡田登も、神宮創始を垂仁天皇26年とした上で、それに該当する西暦年代については、『日本書紀』の讖緯説に基づく暦の修正、箸墓古墳の炭素年代測定に基づく年代、他の文献の崇神天皇・垂仁天皇の崩御干支などから、297年に比定した[17]。田中卓も、神宮創祀は垂仁天皇朝だとし、その西暦年代は3世紀であると推定した[18]

5世紀後半の雄略朝説と見る立場の主な研究者には歴史学者の岡田精司らがいる[15]。岡田は、ヤマト王権が中国への朝貢を停止し、冊封体制から離脱を図った5世紀後半の雄略天皇の時代に、王権の強化を図る必要性から王権祭祀が改革され、東国経営の進展と相まって大王守護神の斎場が大和地域から伊勢地域に移されて伊勢神宮が成立したと主張した[19]。そして、雄略天皇の治世下でかつ丁巳年に該当する477年を、伊勢神宮の具体的な創祀年代と結論づけた[20]。岡田は、『皇大神宮儀式帳』にも「度会宮」の創始年として雄略天皇の「丁巳年」(すなわち477年)とあることに着目し、この「度会宮」は外宮を指すものではなく、内宮と外宮が分離する以前の最初期の伊勢神宮の呼称であるとし、477年成立説の根拠の一つとした[20]

6世紀前半の継体もしくは欽明朝説をとる研究者としては直木孝次郎、前川明久、和田萃などがいる[15]。直木は、伊勢神宮はもともと皇室の氏神ではなく伊勢在地の神であったが、王権が東国経営の観点から伊勢地域を重視しはじめ、6世紀前半の欽明天皇の時代頃より伊勢の地方神が天皇から崇敬を受けるようになり、次第に皇祖神と習合し、天武・持統朝に伊勢神宮が国家最高の神社として確定したと主張した[21]。ただし、直木の「地方神昇格説」は、上述の岡田精司から「王権守護神は王権の呪術的権力の基盤であり、よほどの事情がない限り祭神の変更はあり得ないことで、地方神が王権神に昇格するようなことは、世界の宗教史上でも例を見ない」などと反論を受けている[22]。前川は、欽明天皇の時代にヤマト王権が三輪山の祭祀権を掌握し、三輪神の持つ農耕神的神格を、王権が祀る日神と習合させて天照大御神という神格を形成し、東国経営の基地として伊勢多気の地に遷座したとした上で、最終的に多気から度会に遷座されたのは、斉明天皇の治世下の「丁巳年」に該当する斉明天皇3年(657年)と推定した[23]。一方、和田萃は、6世紀前半で「丁巳年」に当たる537年を神宮の具体的な創祀年として推定している[14]

6世紀後半の用明・推古朝説をとる研究者には、歴史学者の鶴岡静夫などがいる[15]。推古天皇の在位下では、推古天皇5年(597年)が丁巳年に該当する。

7世紀後半の天武・持統朝説をとる研究者には、歴史学者の丸山二郎、建築学者の川添登らがおり、7世紀末の文武朝説をとる研究者には、神話学者の筑紫申真、仏教史学者の田村圓澄などがいる[15]。これらの所説は、「伊勢神宮成立」の定義の要件を、アマテラスという具体的な神格を祀る神社としての成立に求めるため、相対的に新しく神宮の成立を考えるのである[15]

また、近年では考古学の分野における研究も進み、考古学分野では5世紀後半の雄略天皇朝の成立が最有力説となっている[24]。考古学者の穂積裕昌は、4世紀代に伊勢地域に築造されたと考えられる前方後方墳円墳に、ヤマト王権で重んじられた銅鏡や腕輪形石製品・儀丈形石製品が副葬されていることから、この時点でヤマト王権と伊勢地域は繋がりを有してたと考え、また5世紀に入り南伊勢地域に久居古窯などの須恵器窯跡群が見られるようになり、同地で須恵器生産が開始されたと考えられることを王権と南勢地域との関係の証左と捉え、さらに伊勢神宮内宮から広範に出土する各種祭祀遺物から、内宮に当たる空間が5世紀の時点で巨大な祭場であったと結論づけ、5世紀後半の雄略朝を伊勢神宮成立の画期と評価した[25]。祭祀考古学者の笹生衛も、5世紀の各地の祭祀遺跡から出土する調理具類、紡織具類、琴、土師器・須恵器、製塩土器、案、高床倉部材などが、『皇太神宮儀式帳』に記載される伊勢神宮の祭儀で用いられる器具と一致すると指摘し、伊勢神宮の神宝・装束、祭式の構成は、5世紀以来の系譜を持つと指摘した[26]。また、考古学者の八賀晋は、全国に24面ある「画文帯同向式神獣鏡」が伊勢湾周辺だけで合計7面出土し、3割近くが伊勢地域に集中する事実に着目し、伊勢が祭祀の場としてヤマト王権により重んじられたことで、5世紀後半から6世紀中頃にかけて集中的に配布されたと指摘し、伊勢神宮の成立を雄略朝に想定した[25]

他方で、伊勢神宮の存する南伊勢地域には、古墳時代を通じて前方後円墳はおろか際立った首長墳が築造されず、6世紀後半になってようやく横穴式石室をもつ高倉山古墳をはじめ後期古墳の築造が見られ始めることから、5世紀代にはヤマト王権と伊勢地域の関係は希薄であり、6世紀末になって初めて伊勢地域南部をも含めた伊地域全体が大和王権による統一管理体制下に入り、伊勢における王権の祭祀はそれと同時期の6世紀末に開始されたとする見解もある[25]

歴史

概史

古代

都を出発する斎宮の群行

律令祭祀制度の整備が進む天武天皇・持統天皇の時代に、伊勢神宮の祭祀の諸制度や社殿が整備された。天武天皇の時代に斎宮が制度化され、『扶桑略記』によれば天武天皇の皇女である大伯皇女が初代とされる。また内宮の式年遷宮も持統天皇の時代の690年に開始され、その2年後に外宮の式年遷宮も開始された[27]。その他、神宮神嘗祭月次祭など神宮祭祀の諸制度も整備され、奈良時代からは神嘗祭に際して朝廷より例幣使が派遣されることとなった[28]。さらに、伊勢神宮の現在の社殿の形式も、天武持統朝に整備されたと考えられている[29]。また、国家祭祀の場として、天皇以外の奉幣は禁止された(私幣禁断)[8]

古代においては、伊勢神宮の経済基盤は律令国家により保証され、神宮の租税を負担する戸である神戸は大和国、伊賀国、伊勢国、志摩国尾張国三河国遠江国の7カ国に1130戸を数え、収穫が伊勢神宮への御饌として献上される神田は361に及んだ[30]。また、伊勢国の度会郡多気郡の二評は神郡とされて伊勢神宮に属し、租庸調などの税は伊勢神宮に収められた[31]。これらの神税を以ってもなお足らぬところがあれば、国庫によりその不足分が補われることとなっていた。なお、神郡は寛平年間に追加された飯野郡を皮切りに順次追加され、最終的には飯高郡安濃郡三重郡朝明郡員弁郡を含む8郡が伊勢神宮の神郡となった[32]

神職は、内宮・外宮・別宮あわせて86名が奉仕する構成となり、内宮では荒木田氏の一族で従七位の者が、外宮では度会氏の一族で従八位の者が禰宜を務めた[33]。禰宜の下には大内人、小内人、物忌、物忌父などの役職が置かれた[33]。この86名の他に、馬飼丁(うまかいのよぼろ)18名、神服織(かんはとり)50名、神麻績(かんおみ)50名の計118名が祭祀に奉仕した[33]。ここまでの人員は伊勢国の土着の者により担われたが、中央からも伊勢と朝廷のパイプ役として大宮司・小宮司・祭主という役職が派遣され、大宮司は正六位上、小宮司は正七位上の大中臣氏から選任、祭主は五位以上の中臣氏から任じられた[33]

神宮に関する法令や祭儀の規定については、桓武天皇延暦23年(804年)に作成させた『皇大神宮儀式帳』『止由気宮儀式帳』や、醍醐天皇が作成させ延長5年(927年)に完成した『延喜式』巻4「伊勢大神宮」などに示された。また、延喜式神名帳では式内大社となり、平安時代後期に成立する二十二社では筆頭の神社となった。

また、伊勢神宮や斎宮では「仏」を「中子」、「僧」を「髪長」と言い換えるなど仏教用語を使わない「忌詞」の制度があるなど仏教を忌避する傾向があり、これらの仏法忌避は神宮祭祀においては維持されたが、神宮神官の間での仏教信仰は高まり、祭主・大中臣永頼が長徳年間に蓮台寺を建立して以降、神宮神主も積極的に氏寺経塚を形成するようになった[34]。背景については「神仏習合」を参照。

中世

中世に入り律令制度が崩壊すると、それまで神戸や神田など律令制に基づく制度を経済基盤としていた伊勢神宮の経済基盤が揺らぎ始めた。そこで、伊勢神宮では11世紀ごろから役夫工米の制度が開始された[35]。この制度は、権門勢家や有力寺社などを問わず、各国の荘園に神宮の役夫工使が在庁官人とともに入り込み、不輸不入などの特権を無視して課税を行う制度である[35]。この制度により、豪農や武士団などの荘園の開発領主層が伊勢神宮を権門勢を上回る権威として認識するようになり、自らの荘園を伊勢神宮に寄進する者も増え、中世には多くの神宮御厨が形成され、これが伊勢神宮の新たな経済基盤となった[35]。例えば、大治5年(1130年)には平経繁が相馬御厨を、源頼朝寿永3年(1184年)に外宮に大河土御厨を寄進している[36]。伊勢神宮の御厨には、伊勢神宮の神を勧請して天照大御神や豊受大神を祭神とする神明神社が建立されるようになった。伊勢神宮から御厨へ勧請されて成立した神明神社としては、芝大神宮(飯倉御厨)、仁科神明宮(仁科御厨[37])、神明社榛谷御厨[38])、天津神明宮東条御厨[39])などが挙げられる。

神宮御厨からの税の取り立ては、中世に入り新しく生じた神主身分である権禰宜を務めた下級神主により担われ、そのような職務に当たった神主を口入神主と称する。口入神主は税の取り立てに当たって伊勢神宮の神威を説き回ったり、伊勢神宮への祈願を取り次いだりしたため、これが東国を含む武士や土豪などの層へも伊勢神宮の信仰が広がる一つの理由となった[40]。そして、朝廷への、そして皇室とその氏神への崇拝もあり、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬された[41]。口入神主の活動は次第に庶民にも広がり、中世には庶民層まで広く大神宮信仰が広がった[42]。(詳細は伊勢神宮#信仰参照)。

このようにして伊勢信仰が広がったことで、僧侶の間にも神宮への関心が高まり、中世には重源西行貞慶叡尊無住通海などの高名な僧侶も神宮に参拝した。このような中で、内外両宮を金胎両部とみなす両部神道などの神仏習合説が盛んになった。中世に盛んになった神仏習合の教説においては神宮は神道側の最高神とされた[43]。外宮祠官の度会行忠度会家行は、両部神道の影響を受けつつ、伊勢神宮の外宮と内宮の同格を説く伊勢神道度会神道)を唱え[43]、伊勢神宮での厳格な祭祀を背景に「正直」「清浄」を指針とする神道思想を説いた[44]

中世には、内宮と外宮はその地位や収益の差を巡ってしばしば対立し、永仁4年(1296年)には外宮が豊受宮の名称として「豊受皇大神宮」と「皇」の字をつけたことに内宮側が抗議し、論争となった[45]。さらに、元弘2年(1332年)には参詣者の幣帛を外宮が独占しているとして、内宮から祭主に陳情書が提出され、論争となった[46]。(中世においては、交通の便で有利な外宮が内宮を上回る参詣者を集めていた)。また、中世後期には内宮には宇治会合、外宮には山田三方という門前町が形成されたが、この両者も対立してしばしば紛争を引き起こした(詳細は伊勢神宮#鳥居前町(門前町)参照)。

南北朝時代に入ると、相次ぐ戦乱により伊勢神宮の祭儀にも途絶えるものが出始めた。斎宮制度は延元元年/建武3年(1336年)に祥子内親王の代で途絶し、以後復活されなかった。また、神嘗祭における朝廷からの例幣使発遣は、応仁の乱以降中絶した。さらに戦国時代に入ると、戦乱により神宮領が侵略され、経済的基盤を失ったため、式年遷宮が行えない時代もあった[41]。資金獲得のため、神宮の信者を増やし、各地の講を組織させる御師が台頭した[41]。戦国時代には、尾張国(現在の愛知県西部)の織田信秀のように寄進を行う武将もいた[47]

『伊勢参宮名所図会』(1797年)による内宮の正宮。当時は内宮・外宮ともに板垣も外玉垣もなく、参拝客は玉串御門(現在の内玉垣南御門)前まで行けた。

近世

安土桃山時代に入ると、戦国時代の戦乱の中で中断していた神宮の祭祀も復興し始めた。慶光院守悦上人は浄財を募り、まず宇治橋の架け替えを復興した[48]。この意志を継いだ清順上人は後奈良天皇より院号を賜って勧進に奔走し、永禄6年(1563年)に外宮の遷宮が遂行された[48]。さらに次代の周養上人は織田信長から三千寛文の寄付、豊臣秀吉からは金子500枚と米1000石の寄付を受けて内宮の遷宮を遂行するに至り、ここに式年遷宮が完全に復興された[48]。以来式年遷宮は両宮が同年に行われることとなった。

豊臣秀吉が天下を統一すると太閤検地が実施されたが、伊勢国宮川以東は伊勢神宮の神領として検地が行なわれず、神領として保護された[49]徳川家康により江戸幕府が開かれた後も宮川以東の地域は検地が行なわれず、本州では唯一石高制が適用されない地域となった[49]。神宮の神領は、幕府が両宮領として3500、内宮領として500石の朱印を下附して安堵し、さらに二見郷2000石余りを御塩調進領として寄進した[50]。さらに、幕府は遠国奉行の一つとして山田奉行を設置し、伊勢神宮の警衛、造替や修繕、遷宮、神領自治組織の監視、鳥羽港出入船舶の監視といった業務を行わせた[49]。また、中世に断絶していた神宮神嘗祭の際の朝廷からの例幣使発遣も正保4年(1647年)に後光明天皇の特旨により再興された[51]

伊勢神宮の祠官の間では、中世以来の戦乱で廃絶した伊勢神宮の摂社や祭儀などを再興する動きが広がった。神宮権禰宜の出口延佳は、伊勢神道の教義を復興して「後期伊勢神道」と呼ばれる神道説を形成した他、外宮の近くに豊宮崎文庫を創設して伊勢神宮関連の典籍の集成、保存、公開を行なった[52]。また、子の出口延経や、河辺精長、松木智彦、河崎延貞などの神宮神官らが、神宮殿舎の再整備、神宮祭儀の復興、摂社・末社の再興など実践的な活動を行なっている[53]

民衆においては、お蔭参り(お伊勢参り)が流行した[8]。庶民には親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語られるように、多くの民衆が全国から参拝した[41][8]。これには、神宮が中世以降、各地に派遣して寄進を募ったり、参拝を進めたりした御師の役割が大きい。住民が資金を積み立てて代表者が参詣する伊勢講も広まった[54]

寛政2年(1790年)、安房国庄屋が自分の代理として愛犬を伊勢に派遣している。以後、犬の伊勢参宮が流行するようになった[55]

近現代

本皇族浮世絵は、1869年(明治2年)3月11日に明治天皇(画面中央)が御輿に乗って伊勢神宮を参拝したときの様子を描写した作品。

明治2年1869年)、明治天皇が在位中の天皇としては初めて参拝した。天皇による参拝が長期にわたり空白だった理由については諸説が唱えられているが、決定的なものはない。

明治元年神仏分離令が発出されると、伊勢神宮もその影響を受けた。宇治山田では109カ寺が廃寺となり、さらに上述の明治天皇の行幸に際しては1ヶ月前に行幸の道筋にある寺を全て撤去せよとの命令が度会府より出て、宇治山田に残った寺の数はわずか15カ寺となった[56]

明治維新に伴い、神宮の組織も近代化が図られ、神職や神宮傘下の諸社を統括する組織として「神宮司庁」が置かれた。神職の職制は明治4年に改められ、禰宜が内宮と外宮で各5名となり、安政5年(1855年)には内宮68名、外宮79名いた権禰宜もそれぞれ5名と大幅に削減された[57]。さらに大内人、内人、大物忌、大物忌父、大物忌母、物忌神戸などの職制も廃止され、変わって主典(さかん)が両宮に各8名、権主典が各15名、宮掌(くじょう)が各10名設置された[57]。祭主、大宮司、小宮司はそのまま置かれたが、江戸時代には360名程度いた神宮の神職が、この改正により89名程度まで減少することとなった[57]。同時に、神職の世襲制廃止に伴い、これまで神宮の神職を世襲していた荒木田氏や度会氏もその職を解任され、以後は国が神職を選任した[58]。また、これまで全国各地の檀家を回って神宮大麻を頒布したり、参拝者の宿泊や案内の役割を担ってきた御師も廃止された[59]

神宮大麻の頒布業務は、神宮司庁から分離して教派神道の一派となった神宮教院が担当することとなり、明治32年(1899年)には崇敬者の財団法人である「神宮奉斎会」へと改組された。

司庁の調査により、神宮の摂末社のうちで所在が不明になっていたものの同定や再興、それまで集落の鎮守として村人の崇敬を受けてきた経緯および独自の祭礼との調整などが行われたほか、社殿の規模や様式についても、数次の社殿造替を経て、統一が行われた。神道国教化政策により、全国神社の頂点の神社として位置付けられ、近代社格制度において別格とされた。

祭祀については、大正3年(1914年)の勅令第9号「神宮祭祀令」により規定された[60]。神宮祭祀を大祭・中祭・小祭に区分。神嘗祭、月次祭、祈年祭、新嘗祭、神御衣祭、遷宮祭、臨時奉幣祭が大祭とされた。日別朝夕大御饌祭、歳旦祭、元始祭、紀元節祭、風日祈祭、天長節祭などは中祭とされ、これ以外が小祭に振り分けられた[60]。それぞれの祭祀の細かい祭式については明治8年(1875年)に制定された「神宮明治祭式」に従うこととされた[60]

第二次世界大戦以後は政教分離が図られ、宗教法人神社本庁発足に伴い、全国神社の本宗とされた。内宮前に神宮司庁があり、神職約100人、一般職約500人が奉職している。

佐藤栄作首相が昭和42年(1967年)に参拝して以来、現職内閣総理大臣農林水産大臣が、(正月三が日に多い初詣の混雑を防ぐため)主に1月4日の官公庁仕事始めの日[注釈 5]に参拝するのが慣例行事である。

式年遷宮

1953年(昭和28年)第59回内宮式年遷宮(上が新殿舎、下が旧殿舎)

神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。原則として20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、714種1576点の御装束神宝(装束と須賀利御太刀等の神宝)[61]宇治橋等も造り替える[注釈 6]

記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年(690年)に第1回が行われた[8]。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成25年(2013年)の第62回式年遷宮まで、およそ1300年間行われている[8]

年表

遷宮に関しては「神宮式年遷宮」を参照。西暦の年月日はユリウス暦によるが、「1871年7月1日」はグレゴリオ暦。年と月の西暦との対応はおおよその目安である。


注釈

  1. ^ 法人としての名称も「神宮」であり、事務をつかさどる機関として「神宮司庁」がある。主たる事務所の所在地は伊勢市宇治館町1番地(神宮司庁の所在地)。
  2. ^ 残りの6社は石清水八幡宮賀茂別雷神社賀茂御祖神社松尾大社平野神社伏見稲荷大社春日大社
  3. ^ 神宮で、神階が無いのは伊勢神宮と日前神宮、國懸神宮の3宮だけである[要出典]
  4. ^ 延暦23年(804)に度会宮(外宮)禰宜・内人が神祇官に提出した外宮の伝承・祭祀などについて記した書。
  5. ^ カレンダーの日割りによっては1月5日又は6日になる場合もある。
  6. ^ 明治時代以降、式年遷宮の時に宇治橋が架け替えられるようになり、昭和24年(1949年)以降は式年遷宮の4年前に、架け替えられるようになった[要出典]

出典

  1. ^ 神社本庁憲章第2条
  2. ^ 伊勢の神宮”. 神社本庁. 2012年2月21日閲覧。
  3. ^ 神宮について”. 伊勢神宮. 2012年2月19日閲覧。
  4. ^ 神社と祭神”. 東京都神社庁. 2022年1月2日閲覧。
  5. ^ 宇佐市について”. 宇佐市観光協会. 2012年1月1日閲覧。 “古代より栄え-、神仏習合の八幡神が誕生し-、内なる伊勢、外なる八幡の二所宗廟として発展-”
  6. ^ 当宮について 歴史と信仰”. 石清水八幡宮. 2012年1月1日閲覧。
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  12. ^ 「伊勢神宮大宮司に小松氏 祖父が元皇族」日本経済新聞ニュースサイト(2017年7月3日配信の共同通信記事)2021年5月15日閲覧
  13. ^ 大津透『天皇の歴史1 神話から歴史へ』講談社学術文庫(2017),103頁
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  15. ^ a b c d e f 穂積裕昌『伊勢神宮の考古学』雄山閣(2013),19頁
  16. ^ a b 穂積裕昌『伊勢神宮の考古学』雄山閣(2013),20-21頁
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