件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 23:18 UTC 版)
経緯
江戸時代
昔、宝永2年(1705年)12月に件が現れ、その翌年から豊作が続いた、という記述が天保年間の瓦版(既述)にみられる[1][14]。
早い史料としては『密局日乗』(文政2/1819年)の記載があり、周防国で民家の牛から生まれ、人面牛身の子牛が件と名乗り、豊作とその後の兵乱を予言した、とされている(上に詳述)[3]。
富山県の立山には「くだん」ならず「くたべ」(または「くだべ」等)と呼ばれる山の精が出現するとされる、文政10–12年(1827–1829)の複数の史料が残ることは[25][69]既述した。くだべは「これから数年間疫病が流行し多くの犠牲者が出る。しかし自分の姿を描き写した絵図を見れば、その者は難を逃れる」と予言した[58]。これが評判になり、各地でくだべの絵を厄除けとして携帯することが流行したという。くたべ系/クダベ系の史料は、それから嘉永年間(1848–1854年)まで例に欠けるとされているが[22]、漢字のくたべの摺物(年代不詳)は[50]、『保古帖』という嘉永4年に着手された編本に貼られている[70]。
天保年間の瓦版では、天保7年(1836年)12月に丹後国「倉橋山」に人面牛身の獣「件」が出現したとする(既述)[1]。ちなみにこの報道の頃には、天保の大飢饉が最大規模化しており、「せめて豊作への期待を持ちたい」という意図があってのものと思われると島田裕巳は主張している[12]。
幕末になってさらに[注 21]、人間の飼っている牛が産んだとする説が流布されている。慶応3年(1867年)4月付の『件獣之写真』と題した瓦版によると「出雲の田舎で件が生まれ、『今年から大豊作になるが初秋頃より悪疫が流行る。』と予言し、3日で死んだ」という[71][注 22]。
明治以降
明治42年(1909年)6月21日の『名古屋新聞』の記事によると、その10年前に五島列島の農家で、家畜の牛が人の顔を持つ子牛を産み、生後31日目に「日本はロシアと戦争をする」と予言をして死んだとある。この子牛は剥製にされて長崎県 長崎市の八尋博物館に陳列されたものの、現在では博物館はすでに閉館しており、剥製の行方も判明していない[33][72]。
明治時代から昭和初期にかけては、件の剥製と称するものが見世物小屋などで公開された。小泉八雲も自著『知られぬ日本の面影』の中で、件の見世物についての風説を書き残している。それによると明治25年(1892年)、旅の見世物師が島根県美保関に件の剥製を持ち込もうとしたところ、不浄の為に神罰が下り、その船は突風のため美保関に上陸できなくなったという[73][34]。
昭和に入ると、件の絵に御利益があるという説は後退し、戦争や災害に関する予言をする面が特に強調された。昭和5年(1930年)頃には香川県で、森の中にいる件が「間もなく大きな戦争があり、勝利するが疫病が流行る。しかしこの話を聞いて3日以内に小豆飯を食べて手首に糸を括ると病気にならない。」と予言したという噂が立った[74]。昭和8年には長野県でも似た噂が流行し、小学生が小豆飯を弁当に入れることから小学校を中心に伝播した。ただし内容は大きく変わっており、予言したのは蛇の頭をした新生児で、諏訪大社の祭神とされた[75]。
また長崎県でも平戸でクダンが生まれたといううわさが立ち、佐世保を介して広まった。そして昭和7年(1932年)夏、西彼杵半島の面高村で民俗学者の桜田勝徳がその噂を採取し発表した(江島平島記、「未刊採訪記」所収)[76][77]。
第二次世界大戦中には戦争や空襲などに関する予言をしたという噂が多く流布した。昭和18年(1943年)には、山口県岩国市のある下駄屋に件が生まれ、「来年4、5月ごろには戦争が終わる」と予言したと言う[要出典]。また昭和20年春頃には愛媛県松山市などに「神戸(兵庫県)に件が生まれ、『自分の話を信じて3日以内に小豆飯かおはぎを食べた者は空襲を免れる』と予言した」という噂が流布していたという[12]。
1944年初頭頃、ブラジルのマリリア地方で人頭獣身の件子(くだんご)が生まれたとの噂が日系移民の間に立ち、「今年中に戦争は枢軸側の大勝利で終結する」と予言し、「よって件の如し」と言ってすぐ死んだという[78]。これは"後の勝ち組の論理の芽生え"ではないかと評されている[79]。
牛から生まれた話例については、兵庫県の但馬牛の産地の村でクダンが生まれたという話が採取されている(1953年発表)[39]。また岡山県の蒜山三村では、八束村の老人が件の話をするが所在を聞くと川上村で生まれたものと話し、けっきょく三つの村で堂々巡りになる記事が報道されている(1971年)[40]。
作家の木原浩勝所蔵の件(くだん)の剥製(ミイラ)は、2004年に群馬県在住の所有者から譲り受けたもので、元所有者の父親の興行師は「牛人間」と称してこれを見世物にし、絵物語の紙芝居もおこなっていたという[4]。
- ^ 右図の瓦版にも"證文(しょうもん)の終にも如件(くだんのごとし)と書(かく)も此由縁也(このゆえんなり)"と書かれる。
- ^ ただし牛頭人体の例も明治中期にはみえる。1921年(大正10年)の南方論文より25、6年前の例なので1894–5年(明治27–28年)頃。和歌山県三輪崎町。同県新宮市在住の須川寛得の談(南方 1921, pp. 50–55)[8]。
- ^ 徳川林政史研究所所蔵[13]。
- ^ 原文では"からだは牛 面は人に似たる件といふ獣出たり"とある。
- ^ 「倉橋山」でなく「倉橋下の山中」と堀部の論文に読まれている[14]。
- ^ 瓦版の本文では与謝郡とされていないが、はしがきに版元について「丹後国与謝郡何某板」の付注がついている。
- ^ 北緯35度33分17秒 東経135度08分54秒 / 北緯35.554782604831836度 東経135.14830214588173度[15]。 同名の倉梯山がやはり丹後地方の現・舞鶴市にあり[17]、倉梯村もそこにあるが、この瓦版の与謝郡から離れている。
- ^ アマビエ、アマビコ、神社姫等。
- ^ 「件の如し」という常套句については後述。
- ^ 「件(くだん)」(天保7年)は、豊作を予言する[1]。
- ^ 宮武外骨(1931)も白澤と件を並べて解説するので、その関連性の着想はより早いかもしれない[44]。
- ^ アカバネ病など(木原浩勝に拠る)[4]。
- ^ 漢字構成記述文字での記述法だと "⿰亻⿱久田"、"⿰犭部"の二字。
- ^ クレットマン・コレクション「献英楼画叢拾遺 八集三」については、細木も引いている谷・保谷・箱石『東京大学史料編纂所報』第40号、2004年度を参照[57]。
- ^ 摺物[50]、肉筆画「くたへ」[53]。
- ^ 他には資料①摺物[50]では老いた男性のような顔の人面獣で、資料④『虚実無尽蔵』所収の「くたべ」は、禿頭で"医僧のつかれたる躰に見える"(後述)[60]。
- ^ 史料が日記であるため。『密局日乗』文政2年5月13日条。
- ^ そして松平家いわくの「くたべ」についても[53]、笹方政紀は「背中の目」があるとするが[64]、細木は「背中らしきところに目が 2 つ」と位置は不確かだとしている[25]。
- ^ 立山修験の中心をはじめ富山県内外の立山関連の寺社、立山を訪れた人々の参詣記にも「クタベ」についての話は記されておらず、立山が伝説発祥の地とする傍証がない。
- ^ 地元資料では存在が確認できない「立山の薬種塚」で遭遇したことになっている等、非在住者の創作がうかがえる。
- ^ 『密局日乗』(1819年)に牛から生まれた件の例は既述した。
- ^ 同じく出雲国能義郡古川村の者が産した仔牛が「件」であったという記述が山村勉斎『奇獣記』にあるが、これは明治23年(1890年)3月1日付になっている[6]。
- ^ a b c d e f g h 天保7/1836年の瓦版「大豊作をしらす件(くだん)と云獣(けもの)なり」。版元について"丹後国与謝郡何某板"と付記。原文は細木 2020, p. 87(変体仮名やカタカナづかいも原文の忠実)に記載があるが、木村 2005, p. 27および堀部 1994, p. 220(常光1990, p. 128に拠る)にもより簡略に(現代仮名等に直して)掲載される。
- ^ Yumoto 1999, p. 115.
- ^ a b c d e f “山口県文書館・平成29年度第1回資料小展示解説資料「よって件(くだん)のごとし -予言する正直な怪物-」”. 2021年4月23日閲覧。
- ^ a b c d e 山口直樹「File No. 15:件のミイラ」『決定版妖怪ミイラ完全FILE』学研パブリッシング、2010年、104–111頁。ISBN 9784054044517 。
- ^ 小松和彦『怪異・妖怪百物語: 異界の杜への誘い』明治書院、2006年、100頁。ISBN 9784625683633 。; 宮元正博 「第49回 件(くだん)」 『異界の杜』 @日文研
- ^ a b 山村良夫『広瀨藩儒山村勉斎覚書』飯塚書房、1978年4月、105–106頁 。
- ^ 木原浩勝; 岡島正晃; 市ヶ谷ハジメ『都市の穴』双葉社〈双葉文庫〉、2003年、249頁。ISBN 9784575712643。
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- ^ 南方 1921, p. 61.
- ^ a b 常光 1990; 常光 2002, pp. 159–161
- ^ 添へたる立文には、解文(げもん)のやうにて、「進上 餅餤一包 例に依て進上如件 別当 少納言殿」とて月日書きて、(以下略、能因本136段)
- ^ a b c d 島田裕巳 2020, p. 73.
- ^ a b “【ひょうごの謎スペシャル】其の五 甲山に妖怪・たたりの巨岩?”. 朝日新聞. (2016年1月6日)
- ^ a b 堀部 1994, p. 220; 常光 1990, p. 128に拠る。
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- ^ “丹後天橋立大江山国定公園 宮津市世谷高原(せやこうげん)。(枠内、"アクセスマップ")”. p. 2. 2022年3月23日閲覧。
- ^ “倉梯山 (舞鶴市東舞鶴駅)”. マピオン電話帳. 2022年3月23日閲覧。、およびマピオンキョリ測
- ^ 「大豊作を志ら寿件と云獣なり」天保7年12月。毛利家文庫29 風説 42 「止可雑記」[3]。
- ^ 根澤, 茂 (2002年). “第1回 妖怪の世界 ~件(くだん)と雨彦(あまひこ)~”. 佐久市. 2022年3月22日閲覧。
- ^ 大豊作を知ら寿件と云獣なり"、天保7年12月。『五郎兵衛新田古文書目録第5集』第6部土屋芳彦家古文書目録, p. 85, No.101[19]。
- ^ a b 細木論文では江戸期の「くたべ」系の7資料のうち4点を文政10か11年に特定可能とするが[25]、細木がその資料⑦(『道聴塗説』所収)[27]を「年号なし」とするところを、長野は文政12年春としている[29]。
- ^ a b c d 長野栄俊「予言獣アマビコ考--「海彦」をてがかりに」『若越郷土研究』第49巻第2号、福井県郷土誌懇談会、2005年、12頁、ISSN 2185-453X、NAID 120005739812。
- ^ a b 細木は論題に「クタベ」とし、これを標準表記扱いしているが、長野論文では、総称を「クダベ系」としている[22]。
- ^ a b 細木論文に「くたべ」(総称)と"同一視される「件」と「白澤」"とあり[49]、他の資料ではクタヘ、クダベなどと表記される[25]。
- ^ a b c d e f g h i 細木 2020, p. 98, 表1 クタベ資料一覧。資料①~⑦の比較。うち4点(③~⑥)は文政11年(1827)亥年か翌1828年に特定可能とする。
- ^ 松山ひろし『壁女-真夜中の都市伝説』イースト・プレス、2004年、72頁。ISBN 978-4872574579。
- ^ a b c d 大郷信斎(おおごう・しんさい)『道聴塗説』』第二十編に所収「流行クダベ」、文政12年春。長野 2005, p. 23表2、資料6; 細木 2020, pp. 85–86、資料⑦。
- ^ a b 高力猿猴庵(種信)『猿狼庵日記』(『寛政文政間日記』坤)文政11年4月。文中、予言獣名は「どだく」、「どたく」。長野 2005, p. 23表2、資料5; 細木 2020, p. 85、資料⑤。
- ^ a b c d 長野 2005, p. 23、表2 その他の予言獣の言説比較
- ^ a b 錦絵「件獸之寫真(くだんじうのしゃしん)」。慶応3/1867年作と石井研堂が考証[31]。佐藤 1993, pp. 81–83の図版1、長野 2005、比較表の資料13[29]。香川雅信の『怪と幽』号外解説に画像が掲載(色彩絵。文も判読可)[32]。
- ^ 石井研堂『錦絵の改印の考証 —名錦絵の発行年代推定法』(増補改版)伊勢辰商店、1932年。; 再版:芸艸堂、1994年。佐藤 1993, p. 83; 長野 2005 の表2注に拠る
- ^ 香川雅信 (2020年03月19日), “予言するモンスターたち――アマビエ、人魚、件くだん、そして”, 怪と幽 (角川書店) 号外 2022年3月9日閲覧。 @ カドブン(角川文芸Webマガジン)
- ^ a b 『名古屋新聞』「汽車栗毛」(▽肥前の「件」)明治42年(1909年)6月21日。湯本 1999, p. 117に引用。宮武外骨(1931年)にも引用されるが、記事が明治38年としている[44]。
- ^ a b ラフカディオ・ハーン「第22章 伯耆から隠岐へ 第5節」『日本瞥見記』 下巻、平井呈一訳、グーテンベルク21、2009年 。
- ^ 堀部 1994, pp. 217–222.
- ^ a b c d 岡山民俗学会 編『岡山民俗事典』日本文教出版、1975年5月1日、118頁。堀部 1994, p. 219で引用。
- ^ a b c 柳田國男; 民俗學研究所『綜合日本民俗語彙』 2巻(改訂)、平凡社、1970年10月(原著1956年)、10頁。朝日新聞2016年1月6日号で引用。
- ^ 生まれて4、5日[37]あるいは2、3日[36]。
- ^ a b 菅沼晃次郎「但馬牛聞書」『近畿民俗』復刊11号/通19、204頁、1953年9月 。
- ^ a b 鶴藤鹿忠「山中地方の件(くだん)とオオカミ」『山陽新聞』第19号、1971年12月27日。; 堀部 1994, p. 219に全文掲載。
- ^ 佐藤 1993, pp. 87–88, 99
- ^ 重信幸彦「(書評)モノとしての「話」〜佐藤健二『流言蜚語』から」『口承文芸研究』第19号、176頁、1996年 。
- ^ 常光徹「流行病と予言獣」『国立歴史民俗博物館研究報告』第174巻、184頁、2012年 。; 英文: p. 200
- ^ a b 宮武外骨『人面類似集』〈随題随記随刊 ; 甲 1〉1931年、58–60頁 。
- ^ a b c d 笹方政紀「白沢からクタベへ/ 8 クタヘ図 個人蔵 (解説)」『特別展「東アジア恠異学会 20 周年記念展示 吉兆と魔除け―怪異学の視点から―」(令和3年2月 24日~4月 14日)』京都産業大学ギャラリー、2021年 。(ウェブ版: 「Ⅳ 白沢からクタベへ」、「8 クタヘ図」.2021-04-23 閲覧.
- ^ 佐々木聡「吉兆と祥瑞」『特別展「東アジア恠異学会 20 周年記念展示 吉兆と魔除け―怪異学の視点から―」(令和3年2月 24日~4月 14日)』京都産業大学ギャラリー、2021年 。(ウェブ版: 「12 伝谷文晁模・関克明賛 「白沢之図」」.2022-03-17 閲覧.
- ^ 本場中国風であれば"虎面鱗身"と佐々木聡が解説している[46]。
- ^ 山口敏太郎「兵庫県にて「件(くだん)」が生まれた事を記した当時の報告書が発見!」『Exciteニュース』、2020年7月12日。
- ^ 細木 2020, p. 87.
- ^ a b c d e 大阪府立中之島図書館所蔵『保古帖(ほごちょう)』四巻に貼られた摺物「[亻+久/田][犭+部]」。年代不記載。細木 2020, p. 82、資料①。
- ^ 細木 2020, pp. 82, 87.
- ^ a b 細木 2020, p. 85、資料⑥。
- ^ a b c 個人蔵、肉筆画「くたへ」文政10年(1827)亥年11月下旬。「松平遠江守」(松平忠誨、1829年没)も自らこの絵を写したとある。細木 2020, p. 84、資料③。笹方 2021に解説。
- ^ a b アラン・ブリオの著書所収の「献英楼画叢拾遺 八集三」(次注に詳述)。伏見由希(湯本豪一記念日本妖怪博物館/三次もののけミュージアム学芸員)の談。細木 2020, p. 94および脚注(42)に同氏より教示とある。
- ^ Briot, Alain (2013). “XXIII From Hōki to Oki, v”. Monstres et prodiges dans le Japon d'Edo: présentation, traduction et commentaire de l'Album Tayasu 84. Collège de France, Institut des hautes études japonaises. ISBN 9782913217324
- ^ 「献英楼画叢拾遺 八集三」(表題「う二ノ三」「災異」、田安徳川家旧蔵「貼込帳」四冊のひとつ)。仏コレージュ・ド・フランス日本学高等研究所クレットマン・コレクション蔵。アラン・ブリオ 著『江戸の妖怪と怪異』(2013年)所収[55]。細木 2020、脚注(42)。
- ^ 谷昭佳; 保谷徹; 箱石大「74 日本古写真および田安家旧蔵貼込帳等の調査・撮影(パリ市ほか)」『東京大学史料編纂所報』第40号、2004年 。
- ^ a b “「クタベ」で疫病退散 富山県ゆかりの人面妖怪が話題に”. 産経ニュース. (2020年5月29日)
- ^ 細木 2020, pp. 83–86参照。
- ^ a b 『虚実無尽蔵』四所収。文政10年(1827年)丁亥の冬。予言獣名は「くたべ」。細木 2020, pp. 84–85、資料④。
- ^ 宮武外骨『奇態流行史』半狂堂、1922年、65頁 。2020年11月21日閲覧。
- ^ a b 水木しげる『妖鬼化(むじゃら)〈2〉中部編』Softgarage、2003年、60頁。ISBN 978-4861330056。
- ^ a b c d 細木 2020, p. 88.
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- ^ a b 種村季弘「和洋怪談比較考――内田百間・深沢七郎をめぐって」『南北』第3巻、8号通巻26、南北社、126頁、1968年8月 。; 『影法師の誘惑』、1991年に再掲。
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- ^ 「小豆飯の厄除け」『ドルメン』第2巻第4号 岡書院 1933年. 長野県での噂は、前年(昭和7年)の暮れに北海道で阿弥陀仏のお告げを受けて80歳の老婆が出産した子供が予言した内容が伝わって変容したものと言う。
- ^ 常光 2012, p. 193.
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