仮名 (文字)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 13:30 UTC 版)
仮名(かな)とは、日本語の表音文字の一種。漢字を基にして日本で作られた文字を指す。古代の万葉仮名に起源を持つ。漢字の字義を捨て表音文字として用いる(借字・仮借)ことからこのように呼ぶ[1]。
注釈
- ^ 江戸時代以降国粋主義の高まりにより、漢字の伝来以前に「神代文字」という文字が日本にあったという主張が行われたが、現在では否定されている。
- ^ 文暦2年(1235年)、京都蓮華王院の宝蔵には紀貫之自筆の『土左日記』(その表紙には「土左日記」と記されていたという)が所蔵されていたが、定家はそれを閲覧する機会を得たので、その本文を書き写し写本を作った。画像はその巻末に、写本の本文とは別に書き写した部分である。この臨書の最後には、「為令知手跡之躰、如形写留之。謀詐之輩、以他手跡多称其筆。可謂奇怪」(貫之の手跡がこういうものだと知らしめるために、その通りにここに写しておく。いんちきなことをする連中が、他人の手跡を多く持ち出して貫之のものだと称しているからである。奇っ怪というべき事である)と記されており、当時貫之筆と称するものが多く出まわっていたようである。この臨書がどこまで貫之本人の書風に迫るものなのかは明らかではないが、「乎」(を)や「散」(さ)などの変体仮名は別として、おおむね現在のものに近い字体の仮名が連綿で記されているのが見て取れる。『原典をめざして―古典文学のための書誌―』(橋本不美男 笠間書院、1983年)第二章「古典作品の原典復原」参照。
- ^ なお「仮名」を「かな」と読むのは常用漢字表付表で認められた熟字訓である。「か」は「かり」の転訛であり、漢字音ではないので、重箱読みには該当しない。
- ^ 現在一般に読まれる『古今和歌集』の本文では、この和歌の第四句は「はるたつけふの」となっている。また見ての通り、本文は変体仮名をまじえて記されている。
- ^ 藤原宮や平城宮をはじめとする平安時代以前の各地の遺跡より「なにはづ」や「あさかやま」の歌を記した木簡が出土している。また法隆寺五重塔の部材からも「なにはづ」の歌の墨書が見つかっているが、これらは当然ながらいずれも借字で記されている。『紫香楽宮出土の歌木簡について』(『奈良女子大学21世紀COEプログラム 古代日本形成の特質解明の研究教育拠点』、2008年)参照。
- ^ ただし「こひ」(恋)については、以下の例外が存在する。 『後拾遺和歌集』(『新日本古典文学大系』8 岩波書店、1994年)より。「こゐ」というのは、鷹を飼うのに止まらせる止まり木のことをいう(「木居」という漢字がふつう当てられている)。飼われている鷹が飼い主のところから逃げ出して年を経ても、その羽を休めた止まり木は忘れることができず、最後には戻ってきてしまう。それと同じように、自分も以前共に暮らしたが別れた人を忘れられず、結局また恋しく思っている…という趣意である。このなかで「こゐ」(木居)を「こひ」(恋)の掛詞としているが、恋を「こゐ」とすることは当時慣習的に行われていた仮名遣いとも相違する。しかしこの和歌は恋の部に入れられており、詞書にも「経年恋」とあることから、「こゐ」が恋であるとする引き当てが可能であった。「こひ」という表記が圧倒的に優勢な当時の状況で、その文脈から取り出してなんの断りもなしに「こゐ」とだけ書かれたのでは、恋という意味には理解されなかったのであり、「こゐ」を恋とするのはごく特殊な例だったとみてよい。
- ^ 以上のことは平仮名における事情であって、当時の片仮名の場合には平仮名と比べて仮名遣いにかなりの変則が見られる。しかしこれは片仮名がその当初より、仏典に記された漢字の意味や読み方を備忘として記すために生れ、使われていたことによる。たとえば「恋」という漢字の読みが「コイ」などと書かれていたとしても、「恋」という漢字の意味をあらかじめ知っていれば、その「コイ」がどういう意味なのか理解できる。漢字の意味や読み方を示すためという目的から、その仮名遣いのありかたは平仮名と比べてゆるやかであった。
- ^ なお、同一の音素ではあってもその環境によってさまざまな異音を生じるのは当然のことであるが、文字論の範疇を外れるのでここではふれない。各行の項目(あ行、か行、さ行、た行、な行、は行、ま行、や行、ら行、わ行)などを随意参照されたい。
- ^ この名称は日本統治時代に客家が「広東人」と称されたことによるものであり、現代一般に広東語と称される粤語系の広州語および香港語とは無関係。
出典
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