他力本願
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関連文献
- 多屋頼俊、横超慧日・舟橋一哉 編『仏教学辞典』(新版)法藏館、1995年。ISBN 4-8318-7009-9。
- 河野法雲、雲山龍珠 監修『真宗辞典』(新装版)法藏館、1994年。ISBN 4-8318-7012-9。
- 瓜生津隆真、細川行信 編『真宗小事典』(新装版)法藏館、2000年。ISBN 4-8318-7067-6。
- 古田和弘『正信偈の教え』 上、真宗大谷派宗務所出版部、2008年。ISBN 978-4-8341-0397-7。
注釈
- ^ 信楽:「教えを聞いて信じ喜ぶこと、ひたすら信じて疑わず、おのずから心に歓喜が生じることをいう。(中略)浄土教では、弥陀の本願を深く信じて疑わず、救済されんことを願うことをいい(後略)[9]」。
- ^ 受持:〈受〉は受領。〈持〉は憶持の意。〈受け持(たも)つ〉と訓戒し、教えを受けて記憶すること[10]。
憶持:記憶して心に持つこと。心に記憶して忘れないこと。翻訳語としては、憶念と同一[11]。
憶念:東アジアの浄土教において憶念の語は、殊に、阿弥陀仏や阿弥陀仏の功徳、あるいはその本願を、思って忘れぬこと、しばしばそれを思い起こすことの意に用いられる事が多い[11]。 - ^ 真実に背いたよこしまな考え方。
- ^ 自ら思い上がり、他を見下して満足する心。
出典
- ^ a b c 『大辞林 第三版』「他力本願」
- ^ a b c d 『大辞泉』「他力本願」[要文献特定詳細情報]
- ^ a b 『新明解四字熟語辞典』「他力本願」[要文献特定詳細情報]
- ^ 世間一般には、自己の主体性を放棄して他人の力だけを当てにしてものごとを成し遂げようとする依存主義・頼他主義に関して用いられることがあるが、これは語の本来の用法からして誤解である。 — 中村元ほか編 『岩波仏教辞典』第二版、岩波書店、2002年10月、p.689「他力本願」。
- ^ 『大辞林』第二版「他力本願」。
- ^ “他力本願(たりきほんがん)の意味・使い方 - goo四字熟語辞典”. NTTレゾナント. 2018年12月3日閲覧。
- ^ 『大辞泉』「他力」。[要文献特定詳細情報]
- ^ 『広辞苑』第五版、「他力」。
- ^ 中村ほか 2002, p. 565.
- ^ 中村ほか 2002, p. 500.
- ^ a b 中村ほか 2002, p. 114.
- ^ 一楽 2007, pp. 189–190.
- ^ 浄土真宗教学編集所 2009, pp. 43–44.
- ^ “えっ!仏教語だったの?”. 東本願寺. 東本願寺. 2018年12月3日閲覧。
- ^ 本多 2009, p. 75.
- ^ 坂東 2005, p. 85.
- ^ “他力本願の意味とは?|「他力本願-阿弥陀さまにゆだねる- み教えの言葉を学ぶ」より”. 他力本願.net. 2022年4月9日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2005年5月28日号。
他力本願と同じ種類の言葉
仏教に関連する四字熟語 | 六道輪廻 唯我独尊 他力本願 諸行無常 二河白道 |
教行信証に由来する四字熟語 | 他力本願 |
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